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第二章 蛍宮宮廷
第七話 少年狂いの皇太子【前編】
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薄珂たちが通り抜けていった中央庭園に面している一室に皇太子の執務室がある。
そこは皇太子である天藍が山のような書類に囲まれていた。
「玲章。茶を淹れてくれ」
「断る。俺は護衛で秘書じゃない」
玲章はひらひらと手を振り天藍の要望を却下し、手元に残っていた茶をわざと飲み干しぷはあと息を吐いた。
「幼馴染のくせに冷たくないか」
「職掌に無いことはやらない主義だ。一杯銀一枚で淹れてやる」
「茶葉より高いなんてぼったくりがすぎるだろ」
「総軍事長の特別作業手当にしちゃ安い方だ」
玲章は人間だが獣人である天藍の友であり、蛍宮の最高軍事責任者である。
武芸で天藍に負けたことがなく、先代皇を討つ時に軍の先頭に立った。そのため革命の立役者の一人として国民にも知られている。
今は天藍の護衛をしているが、街の警備といった兵を動かすことの一切が玲章の指揮下にある。
人前で親しく振る舞うことはしないが、執務室内といった部外者のいない場所では昔ながらの接し方をしている。
玲章はげんなりしている天藍を笑い飛ばすが、二人のやりとりに笑いを零して立ち上がったのは慶真だ。
「私が淹れてきましょう。加密列茶でよろしいですか」
「さすが慶真。頼む」
「困りますよ、慶真殿。貴方が職掌外の仕事もするから私が怠惰しているように見えるんです」
「私はご迷惑をお掛けした身ですので」
「貢献した分の方が多いですよ」
「うるせーな。茶の一杯でぐだぐだ言うな」
「じゃあ自分で淹れろよ」
玲章は、けっ、と口を尖らせ天藍から視線を外し窓を見た。
するとそこには中央庭園を駆ける薄珂たちの姿があった。きゃあきゃあとじゃれる賑やかな様子を侍女も遠巻きに見守っているようだ。
「見ろ、天藍。薄珂が遊んでるぞ」
「薄珂!?」
天藍は椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、ばんっと窓にへばりついた。
しかし薄珂はこちらには気付かず、溺愛している弟を抱き上げ幸せそうな顔でどこかへ行ってしまった。
「よし。俺も少し休憩に行っ」
「駄目です」
天藍は薄珂を追うべく露台から庭園に出ようとしたが、玲章と慶真が止める前に誰かが天藍の後ろ襟を引っ張って進行を阻んだ。
襟で首が締まり、天藍はぐえっと蛙のような声を上げた。天藍はぎぎぎと錆が削れそうな鈍さで振り向き、同じようにして玲章も天藍の襟を引っ張る手の持ち主に目をやった。
「……護栄。早かったな」
「殿下が逃げると思い三倍速で終わらせて参りました」
やって来たのは天藍の補佐であり秘書であり、全ての文官を統べる護栄だ。玲章と並び、この国で最も国民に支持されている人物でもある。
その理由は天藍が先代皇を討つための戦略を立てたのが護栄だからだ。自ら戦闘には赴かないが、その代わり街の中で国民の避難の指揮を執り、その結果わずか一人も重傷者も死者も出さなかったのだ。肉食獣人を鉄砲玉や盾にすることもせず、自らの知恵のみでやってのけた。
天藍が皇太子に着任した後は軍の指揮官となるのだろうと誰もが思っていたが、就いたのは政を司る文官だった。
軍師に政治が分かるものかと馬鹿にされたが、その手腕はすさまじいものだった。
わずか半月で全国民が職を得て経済が回るようになり、さらに数か月すれば法の再制定まで実施し先代皇の負の遺産は一年も経たずに消え去ったのだ。
軍事的にも政治的にも驚異的な成功を打ち立ててきたが、伝説のように語られる理由はその年齢にある。
「お前まだ二十三なのに仕事漬けなんて人生損するぞ」
「殿下がきびきび仕事をして下さればその損も減るんですが。例えばこの書類の山は昨日から積み上がり一向に減りませんが何をなさっていたんです? 私はこの書類待ちで時間を無駄にさせられているんですが? で、何が損でしたか?」
「止めとけ天藍。口で勝てないのは五年前から分かってるだろ。負け戦をするな」
護栄は先代皇を討った時わずか十八歳だった。当時蛍宮の国民は二千万人ほどで、現在さらに膨れ上がりもうじき三千万人になろうとしている。
天藍が先代皇を討てたのは護栄がいたからだと言う者も多い。だから天藍も護栄には頭が上がらないのだ。
「ただでさえ常人の三倍速で働く護栄がさらに三倍速なんて、他の官が怠惰に見えるから止めろよ」
「努力している姿があれば怠惰には見えません。怠惰に見えるのは怠惰だからです。殿下がその書類を三倍速で終わらせる努力をした結果がこれなら致し方ありませんが子供と一緒になって遊ぼうとする姿は怠惰にしか見えませんがどうですか」
「諦めろ天藍。三倍速で働け」
「まったく。あんな子供のどこがそんなに良いのやら」
「そう言うなよ。お前だって金剛の一見は認めてたろ。だから軍を出す許可もだしたんじゃないのか」
「それとこれとは関係ありません」
金剛を逮捕するに至ったのは、全てではないが薄珂の活躍も大きかった。少なくとも最速で被害も少なく終結できたのはあの兄弟と、予想外に飛び出してきた慶真の息子のおかげだ。
さすがの護栄も像獣人相手ならどんな危険があるか分からないと考え、指揮を執るためわざわざ崖まで足を運んでいた。
結局は見下ろすだけで終わったが、宮廷の中では護栄が軍と共に動いたことはかなりの衝撃だった。
てっきり護栄も薄珂を認め親交を深めるくらいあるかと思ったが、それどころか眉間に皺が増える一方だった。
「若いうちから皺作ってると爺になったら顔が皺に埋もれるんじゃないか?」
「はいはいそうですか。で、今日は慶真殿から相談がおありなんですよね」
「ええ。ちょっと気になることがありまして」
「有翼人が羽根を違法利用しているとのことでしたが」
「はい。隊商で物々交換しているのを確認しました。それも定常化しているようです」
口をへの字に曲げる天藍をなだめたが、既に護栄は興味を失い慶真へと視線を移していた。
そこは皇太子である天藍が山のような書類に囲まれていた。
「玲章。茶を淹れてくれ」
「断る。俺は護衛で秘書じゃない」
玲章はひらひらと手を振り天藍の要望を却下し、手元に残っていた茶をわざと飲み干しぷはあと息を吐いた。
「幼馴染のくせに冷たくないか」
「職掌に無いことはやらない主義だ。一杯銀一枚で淹れてやる」
「茶葉より高いなんてぼったくりがすぎるだろ」
「総軍事長の特別作業手当にしちゃ安い方だ」
玲章は人間だが獣人である天藍の友であり、蛍宮の最高軍事責任者である。
武芸で天藍に負けたことがなく、先代皇を討つ時に軍の先頭に立った。そのため革命の立役者の一人として国民にも知られている。
今は天藍の護衛をしているが、街の警備といった兵を動かすことの一切が玲章の指揮下にある。
人前で親しく振る舞うことはしないが、執務室内といった部外者のいない場所では昔ながらの接し方をしている。
玲章はげんなりしている天藍を笑い飛ばすが、二人のやりとりに笑いを零して立ち上がったのは慶真だ。
「私が淹れてきましょう。加密列茶でよろしいですか」
「さすが慶真。頼む」
「困りますよ、慶真殿。貴方が職掌外の仕事もするから私が怠惰しているように見えるんです」
「私はご迷惑をお掛けした身ですので」
「貢献した分の方が多いですよ」
「うるせーな。茶の一杯でぐだぐだ言うな」
「じゃあ自分で淹れろよ」
玲章は、けっ、と口を尖らせ天藍から視線を外し窓を見た。
するとそこには中央庭園を駆ける薄珂たちの姿があった。きゃあきゃあとじゃれる賑やかな様子を侍女も遠巻きに見守っているようだ。
「見ろ、天藍。薄珂が遊んでるぞ」
「薄珂!?」
天藍は椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、ばんっと窓にへばりついた。
しかし薄珂はこちらには気付かず、溺愛している弟を抱き上げ幸せそうな顔でどこかへ行ってしまった。
「よし。俺も少し休憩に行っ」
「駄目です」
天藍は薄珂を追うべく露台から庭園に出ようとしたが、玲章と慶真が止める前に誰かが天藍の後ろ襟を引っ張って進行を阻んだ。
襟で首が締まり、天藍はぐえっと蛙のような声を上げた。天藍はぎぎぎと錆が削れそうな鈍さで振り向き、同じようにして玲章も天藍の襟を引っ張る手の持ち主に目をやった。
「……護栄。早かったな」
「殿下が逃げると思い三倍速で終わらせて参りました」
やって来たのは天藍の補佐であり秘書であり、全ての文官を統べる護栄だ。玲章と並び、この国で最も国民に支持されている人物でもある。
その理由は天藍が先代皇を討つための戦略を立てたのが護栄だからだ。自ら戦闘には赴かないが、その代わり街の中で国民の避難の指揮を執り、その結果わずか一人も重傷者も死者も出さなかったのだ。肉食獣人を鉄砲玉や盾にすることもせず、自らの知恵のみでやってのけた。
天藍が皇太子に着任した後は軍の指揮官となるのだろうと誰もが思っていたが、就いたのは政を司る文官だった。
軍師に政治が分かるものかと馬鹿にされたが、その手腕はすさまじいものだった。
わずか半月で全国民が職を得て経済が回るようになり、さらに数か月すれば法の再制定まで実施し先代皇の負の遺産は一年も経たずに消え去ったのだ。
軍事的にも政治的にも驚異的な成功を打ち立ててきたが、伝説のように語られる理由はその年齢にある。
「お前まだ二十三なのに仕事漬けなんて人生損するぞ」
「殿下がきびきび仕事をして下さればその損も減るんですが。例えばこの書類の山は昨日から積み上がり一向に減りませんが何をなさっていたんです? 私はこの書類待ちで時間を無駄にさせられているんですが? で、何が損でしたか?」
「止めとけ天藍。口で勝てないのは五年前から分かってるだろ。負け戦をするな」
護栄は先代皇を討った時わずか十八歳だった。当時蛍宮の国民は二千万人ほどで、現在さらに膨れ上がりもうじき三千万人になろうとしている。
天藍が先代皇を討てたのは護栄がいたからだと言う者も多い。だから天藍も護栄には頭が上がらないのだ。
「ただでさえ常人の三倍速で働く護栄がさらに三倍速なんて、他の官が怠惰に見えるから止めろよ」
「努力している姿があれば怠惰には見えません。怠惰に見えるのは怠惰だからです。殿下がその書類を三倍速で終わらせる努力をした結果がこれなら致し方ありませんが子供と一緒になって遊ぼうとする姿は怠惰にしか見えませんがどうですか」
「諦めろ天藍。三倍速で働け」
「まったく。あんな子供のどこがそんなに良いのやら」
「そう言うなよ。お前だって金剛の一見は認めてたろ。だから軍を出す許可もだしたんじゃないのか」
「それとこれとは関係ありません」
金剛を逮捕するに至ったのは、全てではないが薄珂の活躍も大きかった。少なくとも最速で被害も少なく終結できたのはあの兄弟と、予想外に飛び出してきた慶真の息子のおかげだ。
さすがの護栄も像獣人相手ならどんな危険があるか分からないと考え、指揮を執るためわざわざ崖まで足を運んでいた。
結局は見下ろすだけで終わったが、宮廷の中では護栄が軍と共に動いたことはかなりの衝撃だった。
てっきり護栄も薄珂を認め親交を深めるくらいあるかと思ったが、それどころか眉間に皺が増える一方だった。
「若いうちから皺作ってると爺になったら顔が皺に埋もれるんじゃないか?」
「はいはいそうですか。で、今日は慶真殿から相談がおありなんですよね」
「ええ。ちょっと気になることがありまして」
「有翼人が羽根を違法利用しているとのことでしたが」
「はい。隊商で物々交換しているのを確認しました。それも定常化しているようです」
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