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第二章 蛍宮宮廷
第三話 変えられないもの【後編】
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金剛を倒したというのは薄珂たちがここに来るきっかけとなった事件だ。
父のように思っていた金剛の裏切りに薄珂は愕然とした。そして立珂を守るために戦い、決着をつける決め手となったのが孔雀の一撃だった。
逮捕の経緯を語ると薄珂と立珂の存在は隠せないが、薄珂が公佗児であることは隠した方が良いだろうとなったので功労者は孔雀であるとしたのだ。
協力者に鳥獣人がいることは隠せなかったが、表には慶真が立ち薄珂は弟を守った程度に収めた。
「そっか。そうだよね。あれは凄かったよ」
「それだけじゃない! 一生治らないって言われてた怪我も治したんだ! 蛍宮の獣人はみんな孔雀先生が好きなんだ!」
「あ、好きってそういう意味ね。確かに獣人の治療ができる人間ってあんまりいないもんね」
「人間は獣人のことも有翼人のことも勉強しないからな。でもやっぱり人間の知識と道具ってのは凄いんだよ」
孔雀が救世主と讃えられるのは金剛の一件だけではない。それはきっかけに過ぎず、今高い支持を得ている理由は医師としてだ。
獣人と人間は体内構造が全く違う。人間の姿になりはするが獣人はそもそも獣なのだ。しかも『人間の姿になる』というのがどうやって成されているのか解明されておらず、人間にしてみれば全く理解不能な超常現象だった。人間の治療と獣人の治療は全く異なる分野の学問なのだ。あまりにも未知の領域で、学ぼうとする者はほぼいないという。
けれど獣人にとって人間の医療は憧れだった。人間は獣人よりも医療水準が高いから平均寿命も圧倒的に長いのだ。
だから人間の知識と道具を扱えて獣人の治療ができる孔雀は極めて稀な存在なのだ。さらには獣人の敵ともいえる金剛を捕まえたとなれば新時代の光明と言ってもいい。それくらい孔雀は今この国で高い支持を受けているのだ。
「獣人保護区に住んで欲しいけど、宮廷に住んでるんじゃ無理だよなあ」
「そう? 宮廷にいる方が変な気がするけどな。だって孔雀先生は獣人と人間を繋ぐって目的で来てるんだ。俺てっきり獣人保護区に住むんだと思ってた」
「そうなのか!? なんだよ! 来てくれよ!」
「俺に言われても。決めるの俺じゃないし」
「殿下に聞いてくれよ! 仲良いんだろ!」
「……さあ。会う方法知らないし」
「さっきもそんなこと言ってたな。全然会ってないのか? お前らを連れて来たのは殿下なんだろ?」
「最初の頃は毎日顔見せてくれてたけど、ふた月くらいは見てない」
どんどん高揚する創樹と反対に、薄珂は意気消沈しぷいっとそっぽを向いた。
最後に交わした言葉は『しばらく忙しくなるから会えない』だった。聞いた時はああそうと思っただけだったが、三日経っても十日経っても天藍はやって来なかった。寝てる間に来たようなことを侍女から聞いたが、薄珂は顔を合わせていないのだから会っていないのと同じだ。
ならば会いに行こうかと思っても、侍女たちは皇太子殿下に直接会う方法など持ち合わせていなかった。
どこの誰に言えば会えるのかすら分からなかったが、ある日孔雀から仕事で三日に一度は顔を合せると聞いた。そんなことすらも薄珂は教えて貰えていなかったのだ。
(……飽きた、のかな。連れて来たのに追い出したら体裁悪いからとりあえず置いてるだけで)
そんなことをするわけがないと分かってはいる。けれどこうもほったらかされ、立珂の具合まで悪くなるとなると不安はぬぐえなかった。
薄珂は寂しさを誤魔化すように立珂の頬を撫でると、立珂はさらに薄珂の温もりを求めてぐりぐりと頬を押し付けてくる。
愛しさ溢れるその仕草だけで、天藍に会えずぽっかりと空いた心の穴が満たされていくように感じた。
「けど仕方ないのかもな。どっかの偉い人が来ててみんな忙しいらしいし」
「一日も会いにこれないほど?」
「そうなんじゃないか? だってさ、ほら、宮廷には殿下を良く思ってない人もいるじゃん」
「なんで? 天藍は悪い奴を退治したんだろ?」
「あー、お前森育ちなんだっけ」
蛍宮の歴史には明るくないが、ざっくりと説明は受けている。
何でも先代の蛍宮の支配者は人間だったが、人間ですら虐げ、獣人と有翼人は迫害した。国から逃げ出せばどこまでも追いかけ処罰する。誰も彼もが死ぬために生きていたが、その時に数名の若者を率いて解放軍を設立し討ったのが天藍だという。
そして討ち取った後はこの国の政治を手掛ける皇太子という座に就いた。そのため種族問わず国民から愛され必要とされている――と薄珂は聞いていた。
だが創樹は嫌そうな顔をして大きなため息を吐いた。
「殿下は兎だろう? 兎とか猫とか、人間が愛玩動物として飼う獣種は他の獣種から馬鹿にされるんだ」
「ああ、なんか聞いたかも。けど種族は優劣じゃないだろ」
「見ようによってはあるんだよ。例えばさ、肉食獣人は戦争で兵士として利用されて死ぬこともある。でも兎は獣化して黙ってりゃ可愛がられて守られる。楽してのうのうと暮らしやがって! ってね」
「だから天藍も嫌いって? なにそれ。じゃあ出て行けばいいのに」
「出て行った人もいるよ。兎の世話になんてなれるか! って」
「じゃあ天藍に守ってもらってる上で文句言ってるの? 図々しくない?」
「図々しいよ。でも今の宮廷で働いてる半分以上は殿下の元仲間なんだよ。だから殿下を嫌いな奴はどんどんいなくなるけど、昔偉かった人ほど居座ってるんだってさ」
「ふうん……」
薄珂は物心ついた時から森で生きていた。有翼人の立珂を狙う種族の国の仕組など知るわけもないし、興味も無かった。
だから『忙しいから会えない』の意味など分からない。そもそも天藍がどういう仕事をしてるのかも知らないのだ。
(そっか。天藍も色々あるのか……)
薄珂の大切なものは立珂だけだ。
慶都やその家族、創樹、侍女たちだって大切ではあるけれど、薄珂には明確に優先順位がある。立珂が一番大切で、同列に並ぶものなど無い。立珂を守ることだけを考えて生きている。
だから不特定多数、それも顔も名前も知らない相手のために生きるなんて薄珂には想像もつかなかった。
(でもそれを知っても意味はない。俺が優先するのは立珂だけなんだから)
薄珂はぷうぷうと寝息を立てる愛しい弟に頬を寄せた。この幸せそうな笑顔と穏やかな呼吸は間違いなく薄珂の一番大切なものだ。
この温もり以上に大切なものなど、薄珂にありはしなかった。
父のように思っていた金剛の裏切りに薄珂は愕然とした。そして立珂を守るために戦い、決着をつける決め手となったのが孔雀の一撃だった。
逮捕の経緯を語ると薄珂と立珂の存在は隠せないが、薄珂が公佗児であることは隠した方が良いだろうとなったので功労者は孔雀であるとしたのだ。
協力者に鳥獣人がいることは隠せなかったが、表には慶真が立ち薄珂は弟を守った程度に収めた。
「そっか。そうだよね。あれは凄かったよ」
「それだけじゃない! 一生治らないって言われてた怪我も治したんだ! 蛍宮の獣人はみんな孔雀先生が好きなんだ!」
「あ、好きってそういう意味ね。確かに獣人の治療ができる人間ってあんまりいないもんね」
「人間は獣人のことも有翼人のことも勉強しないからな。でもやっぱり人間の知識と道具ってのは凄いんだよ」
孔雀が救世主と讃えられるのは金剛の一件だけではない。それはきっかけに過ぎず、今高い支持を得ている理由は医師としてだ。
獣人と人間は体内構造が全く違う。人間の姿になりはするが獣人はそもそも獣なのだ。しかも『人間の姿になる』というのがどうやって成されているのか解明されておらず、人間にしてみれば全く理解不能な超常現象だった。人間の治療と獣人の治療は全く異なる分野の学問なのだ。あまりにも未知の領域で、学ぼうとする者はほぼいないという。
けれど獣人にとって人間の医療は憧れだった。人間は獣人よりも医療水準が高いから平均寿命も圧倒的に長いのだ。
だから人間の知識と道具を扱えて獣人の治療ができる孔雀は極めて稀な存在なのだ。さらには獣人の敵ともいえる金剛を捕まえたとなれば新時代の光明と言ってもいい。それくらい孔雀は今この国で高い支持を受けているのだ。
「獣人保護区に住んで欲しいけど、宮廷に住んでるんじゃ無理だよなあ」
「そう? 宮廷にいる方が変な気がするけどな。だって孔雀先生は獣人と人間を繋ぐって目的で来てるんだ。俺てっきり獣人保護区に住むんだと思ってた」
「そうなのか!? なんだよ! 来てくれよ!」
「俺に言われても。決めるの俺じゃないし」
「殿下に聞いてくれよ! 仲良いんだろ!」
「……さあ。会う方法知らないし」
「さっきもそんなこと言ってたな。全然会ってないのか? お前らを連れて来たのは殿下なんだろ?」
「最初の頃は毎日顔見せてくれてたけど、ふた月くらいは見てない」
どんどん高揚する創樹と反対に、薄珂は意気消沈しぷいっとそっぽを向いた。
最後に交わした言葉は『しばらく忙しくなるから会えない』だった。聞いた時はああそうと思っただけだったが、三日経っても十日経っても天藍はやって来なかった。寝てる間に来たようなことを侍女から聞いたが、薄珂は顔を合わせていないのだから会っていないのと同じだ。
ならば会いに行こうかと思っても、侍女たちは皇太子殿下に直接会う方法など持ち合わせていなかった。
どこの誰に言えば会えるのかすら分からなかったが、ある日孔雀から仕事で三日に一度は顔を合せると聞いた。そんなことすらも薄珂は教えて貰えていなかったのだ。
(……飽きた、のかな。連れて来たのに追い出したら体裁悪いからとりあえず置いてるだけで)
そんなことをするわけがないと分かってはいる。けれどこうもほったらかされ、立珂の具合まで悪くなるとなると不安はぬぐえなかった。
薄珂は寂しさを誤魔化すように立珂の頬を撫でると、立珂はさらに薄珂の温もりを求めてぐりぐりと頬を押し付けてくる。
愛しさ溢れるその仕草だけで、天藍に会えずぽっかりと空いた心の穴が満たされていくように感じた。
「けど仕方ないのかもな。どっかの偉い人が来ててみんな忙しいらしいし」
「一日も会いにこれないほど?」
「そうなんじゃないか? だってさ、ほら、宮廷には殿下を良く思ってない人もいるじゃん」
「なんで? 天藍は悪い奴を退治したんだろ?」
「あー、お前森育ちなんだっけ」
蛍宮の歴史には明るくないが、ざっくりと説明は受けている。
何でも先代の蛍宮の支配者は人間だったが、人間ですら虐げ、獣人と有翼人は迫害した。国から逃げ出せばどこまでも追いかけ処罰する。誰も彼もが死ぬために生きていたが、その時に数名の若者を率いて解放軍を設立し討ったのが天藍だという。
そして討ち取った後はこの国の政治を手掛ける皇太子という座に就いた。そのため種族問わず国民から愛され必要とされている――と薄珂は聞いていた。
だが創樹は嫌そうな顔をして大きなため息を吐いた。
「殿下は兎だろう? 兎とか猫とか、人間が愛玩動物として飼う獣種は他の獣種から馬鹿にされるんだ」
「ああ、なんか聞いたかも。けど種族は優劣じゃないだろ」
「見ようによってはあるんだよ。例えばさ、肉食獣人は戦争で兵士として利用されて死ぬこともある。でも兎は獣化して黙ってりゃ可愛がられて守られる。楽してのうのうと暮らしやがって! ってね」
「だから天藍も嫌いって? なにそれ。じゃあ出て行けばいいのに」
「出て行った人もいるよ。兎の世話になんてなれるか! って」
「じゃあ天藍に守ってもらってる上で文句言ってるの? 図々しくない?」
「図々しいよ。でも今の宮廷で働いてる半分以上は殿下の元仲間なんだよ。だから殿下を嫌いな奴はどんどんいなくなるけど、昔偉かった人ほど居座ってるんだってさ」
「ふうん……」
薄珂は物心ついた時から森で生きていた。有翼人の立珂を狙う種族の国の仕組など知るわけもないし、興味も無かった。
だから『忙しいから会えない』の意味など分からない。そもそも天藍がどういう仕事をしてるのかも知らないのだ。
(そっか。天藍も色々あるのか……)
薄珂の大切なものは立珂だけだ。
慶都やその家族、創樹、侍女たちだって大切ではあるけれど、薄珂には明確に優先順位がある。立珂が一番大切で、同列に並ぶものなど無い。立珂を守ることだけを考えて生きている。
だから不特定多数、それも顔も名前も知らない相手のために生きるなんて薄珂には想像もつかなかった。
(でもそれを知っても意味はない。俺が優先するのは立珂だけなんだから)
薄珂はぷうぷうと寝息を立てる愛しい弟に頬を寄せた。この幸せそうな笑顔と穏やかな呼吸は間違いなく薄珂の一番大切なものだ。
この温もり以上に大切なものなど、薄珂にありはしなかった。
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