人と獣の境界線

蒼衣ユイ/広瀬由衣

文字の大きさ
上 下
35 / 356
第二章 蛍宮宮廷

第二話 立珂の異変

しおりを挟む
 宮廷生活が三か月と半月ほど経過したが、今日も立珂は昼前にようやく起きて庭で歩く練習を始めた。
 しかし半刻もしないうちに眠気を訴えたので部屋へ戻ったが、何故か侍女の作ってくれた服を脱いで里で天藍からもらった服に着替えた。
 寝台で眠るとくしゃくしゃになってしまう。寝間着替わりにするのかと思ったが、横にならず床に座り向き合って抱っこして欲しいとねだられた。
 服も薄珂とお揃いが良いというので里で立珂が作ってくれた服に着替えて抱っこしてやると、何故か立珂は薄珂の首と肩甲骨の間に顔を埋めるようにぐいぐいと押し付け始めた。

(何だろうこの体勢。何か意味があるのかな……)

 眠そうにしてはいるものの寝息を立てることはなく、ぽやぽやしながら薄珂の首筋に頬ずりをし続けている。
 その姿は寝たいというよりは懸命に肌を合せようとしているように見えた。

「なあ立珂。この寝方って気持ちい良いのか?」
「これが一番薄珂のにおいするの……」
「におい? 石鹸とかか?」
「ちがう……薄珂はとってもいいにおい……とっても落ち着くにおいなの……」

 言われて立珂をじっとみると、頬ずりをしながらくんくんとにおいを嗅いでいた。
 だが薄珂は何の香も付けていないし、風呂は立珂と一緒だから同じ石鹸のにおいのはずだ。部屋も生活も一緒である以上特有のにおいがするとは思えない。
 けれど薄珂のにおいを求めているのなら何かがあるのだ。

(森でも里でもこんなことなかった。宮廷の何かが嫌で、俺に染み付いた何かのにおいが好き? あ、服の方かな)

 もう一度立珂を見ると、手でしっかりと服を握って手繰り寄せて薄珂に頬ずりをしている。
 試しに立珂が握っている服を放させよう引っ張ってみたが、むっと口を尖らせ強く握りしめた。持っていかないでと言っているようだった。
 薄珂も一緒にくんくんとにおいを嗅いでみると、ふわりと記憶にある香りがして薄珂は立珂を抱いたまま立ち上がった。

「立珂。最近すごく眠いのってそのにおいが薄くなってからじゃないか?」
「……わかんない……でもにおいしなくなってる……」
「やっぱりだ。そのまま寝てていいから孔雀先生のとこ行くぞ」
「なんで? まだくんくんしたい……」
「くんくんしてていい。このまま抱っこしてくから立珂はくんくんしててくれ」
「うん……くんくんする……」

 立珂は相変わらずぽやぽやしたままにおいを嗅いでいた。足早に廊下へ出ようと扉に手をかけたその時、庭に面した扉から二つの生き物が飛びこんできた。
 一つは天井でくるくると旋回すると何度か羽ばたき床に降りて来る。鷹の子供だ。
 もう一つは真っ黒でごわごわした毛並みの狼だった。狼はくるりと部屋を一周すると薄珂の足元にしゃがみ込み、二匹は姿を少年へと変えた。

「ただいま立珂!」
「よ。立珂起きたか? まだ寝てる?」
「おかえり慶都。創樹そうじゅも」

 鷹は里で仲良くなった慶都だった。立珂を守るのだと宣言し、その言葉通り立珂を守っている。
 一方、狼獣人の少年は里で出会った者ではない。宮廷で生活を始めてしばらくした頃、慶都の父慶真が紹介してくれたのだ。

「狼獣人の創樹君です。殿下がお二人の世話役にと紹介してくれました」
「創樹ってんだ。よろしくな」
「世話役って何? 立珂の世話は俺がするからいいよ。侍女のみんなもいるし」
「ええ。でも宮廷の生活は分からないことも多いでしょう。創樹君にいろいろ教わって下さい」
「先生ってこと?」
「そんな大層なもんじゃないよ。友達な、友達」
「いつも同じ人と同じことばかりでは飽きますからね。部屋にこもりきりじゃ健康にも悪いですしいっぱい遊んで下さい」

 侍女は職員だから友と呼ぶには立場が違う。それでも立珂はお洒落を楽しんでいるので飽きるという事はなかったが、服で遊ぶのは室内なので外に出ることは確かに減っていた。歩く練習をするとき以外は部屋にこもる事も多く、これは里にいる時よりも不健康になるかもしれない。
 それ以来、慶都も創樹も頻繁に遊びに来てくれている。お洒落して遊ぶ時も楽しそうだが、二人と遊んでいる時もまた幸せそうだった。
 だが今は遊ぶよりも確認しなければならないことがある。薄珂は二人に背を向け再び扉に手をかけ廊下へ一歩出た。

「来てくれたのにごめん。ちょっと孔雀先生のとこ行ってくる。立珂を診ても」
「孔雀先生!?」

 何故か創樹はきらきらと目を光らせた。両拳を握りしめぶるぶると震えている。
 じりじりとにじり寄って来たかと思えば、がしっと薄珂の腕を掴んできた。

「俺も! 俺も行く! 行っていい!?」
「別にいいけど、立珂を診てもらうだけだから特別なこと無いよ」
「いいんだそんなの! やった! この時を待ってたんだ!」
「……よく分かんないけど、じゃあその袋持ってもらってもいい?」
「持つ持つ! 何でもどんだけでも持つ!」

 創樹が妙にうきうきしている理由は分からないが、今はそれどころではない。
 立珂を抱っこしたまま部屋を出ると宮廷内を足早に進み、幾つかの渡り廊下を進んでいくと雰囲気の違う建物に景色が変わった。
 そのまま数分歩くと外に出た。細い川が流れていて橋が架かり、長い通路の先には小ぢんまりとしているが一人で生活するには広すぎる建物が見えてきた。ここは天藍が孔雀に与えた離宮で、生活はしていないが研究とやらをしているという。
 窓から見える室内に孔雀の姿があり、ほっと安心して薄珂は駆け込んだ。

「孔雀先生! 今いい!?」
「おや、どうしたんです。こんなところまで来て」
「ちょっと聞きたいことあるんだ」

 薄珂は立珂を抱っこしたまま長椅子に腰かけたが、立珂は何かに気付いたようできょろきょろと辺りを見渡している。
 そして入って来たのとは反対の壁にある窓の外を見ると、そこは畑のようになっていた。それを見つけると立珂の表情はぱあっと明るくなりそわそわし始めた。

「立珂。あれ欲しいんじゃないか?」
「ほしい! あそこ行く! あっちあっち!」
「やっぱりだ。先生、あそこ入ってもいい?」
「構いませんよ。そういえば立珂君も大好きでしたね」

 孔雀が引き出しから鍵を取り出すと扉を開くと、途端にぶわっと良い香りが飛び込んできた。
 そこに広がっていたのは一面の紫で、これは里で初めて知った立珂の大好きな花だ。

「さあどうぞ。立珂君の大好きな薫衣草ですよ」
「薫衣草! 薫衣草畑だ! いっぱいいっぱい! くんくんする!」
「ああ! 行くぞ立珂!」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

青少年病棟

BL
性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

【運命】に捨てられ捨てたΩ

雨宮一楼
BL
「拓海さん、ごめんなさい」 秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。 「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」 秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。 【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。 なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。 右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。 前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。 ※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。 縦読みを推奨します。

ニケの宿

水無月
BL
危険地帯の山の中。数少ない安全エリアで宿を営む赤犬族の犬耳幼子は、吹雪の中で白い青年を拾う。それは滅んだはずの種族「人族」で。 しっかり者のわんことあまり役に立たない青年。それでも青年は幼子の孤独をゆるやかに埋めてくれた。 異なる種族同士の、共同生活。 ※過激な描写は控えていますがバトルシーンがあるので、怪我をする箇所はあります。  キャラクター紹介のページに挿絵を入れてあります。  苦手な方はご注意ください。

好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない

豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。 とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ! 神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。 そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。 □チャラ王子攻め □天然おとぼけ受け □ほのぼのスクールBL タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。 ◆…葛西視点 ◇…てっちゃん視点 pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。 所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。

僕の王子様

くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。 無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。 そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。 見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。 元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。 ※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

あの日の記憶の隅で、君は笑う。

15
BL
アキラは恋人である公彦の部屋でとある写真を見つけた。 その写真に写っていたのはーーー……俺とそっくりな人。 唐突に始まります。 身代わりの恋大好きか〜と思われるかもしれませんが、大好物です!すみません! 幸せになってくれな!

拝啓お父様。私は野良魔王を拾いました。ちゃんとお世話するので飼ってよいでしょうか?

ミクリ21
BL
ある日、ルーゼンは野良魔王を拾った。 ルーゼンはある理由から、領地で家族とは離れて暮らしているのだ。 そして、父親に手紙で野良魔王を飼っていいかを伺うのだった。

それ以上近づかないでください。

ぽぽ
BL
「誰がお前のことなんか好きになると思うの?」 地味で冴えない小鳥遊凪は、ある日、憧れの人である蓮見馨に不意に告白をしてしまい、2人は付き合うことになった。 まるで夢のような時間――しかし、その恋はある出来事をきっかけに儚くも終わりを迎える。 転校を機に、馨のことを全てを忘れようと決意した凪。もう二度と彼と会うことはないはずだった。 ところが、あることがきっかけで馨と再会することになる。 「本当に可愛い。」 「凪、俺以外のやつと話していいんだっけ?」 かつてとはまるで別人のような馨の様子に戸惑う凪。 「お願いだから、僕にもう近づかないで」

処理中です...