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鯉屋の跡取り編

第15話 結に降った全ての権力

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 彩宮から戻って数日が経った。
 黒曜と鈴屋はこれといった情報を掴まなかった結にガッカリしていたけれど、結はけろりと笑い流して日々を過ごしている。

 「結様。朝の金魚湯お持ちしました」
 「これ名前変えない?金魚で出汁取ったたみたいでちょっと抵抗がね」
 「でも金魚屋の金魚湯ですもん」
 「それにしても薬湯でよくない?」

 特に具合が悪いわけではないのだが、雛依は毎朝結に金魚湯を飲ませてくれる。
 これで眠くなった日は体調不良とみなされ一日布団から出してもらえないが、今日は金魚湯の影響も無い。
 雛依は安心したように微笑んだ。この可愛い笑顔が見たくて飲んでいたりもする。
 空になったお椀を下げると、雛依はよいしょと箪笥を開けた。

 「今日は新しいお着物にしますか?鈴屋様と黒曜様がお見えになりますし」
 「それもいいけど、今日はこれ」

 結はしまい込んでいた厚手の黒生き物を取り出した。
 それは紫音が用意してくれた着物で、地模様は鯉の鱗で描かれる黄金の水流。さらには複雑な装飾品も揃っていて、どれをとっても他の物よりもひと際豪華だ。

 「これ跡取り様の正装ですよね。何でですか?」
 「跡取りとして公的な話をするからだよ。さ、手伝って」

*

 数十分かけて着付けが終わると、客間で待っていた鈴屋と黒曜を呼びつけた。
 呼んだ場所は会議室のような狭い場所ではなく、鯉屋が下の人間に謁見を許すあの広間だった。

 「お待たせしました」
 「遅い。何でわざわざ広間で――っと、どうしためかしこんで」
 「跡取りとして公的な活動をするので」
 「へえ、何か発表でもあるのかい」

 結が座布団に座ると雛依はささっと肘置きを出し結の傍に置いた。
 片腕を付いてくつろぐ結はまるで悪代官のようだ。
 
 「最初に言いましたよね。反逆行為を許すのは初犯のみ。二度目はありません」
 「……俺らが反逆するとでも言いてえのか」
 「真実を話さなければそうなりますね。僕は疑わしきは罰せよ方針なんで」

 結はちろりと鈴屋を見た。
 相変わらず仮面を付けていて顔は見えない。

 「鈴屋さん。その面、外して下さい」

 はあ?と疑問の声を上げたのは黒曜だ。
 しかし鈴屋は何も言わず、ピクリとも動かない。

 「聞こえませんでしたか?外せと言ったんです」
 「……これは歴代鈴屋当主が受け継ぐ物。そう簡単には」
 「ひよちゃん、外して」
 「はいっ」

 雛依はたたたっと鈴屋に駆け寄りその面に手を伸ばした。
 しかし鈴屋はその手を叩いて跳ねのけ雛依を遠ざける。雛依はむうっと頬を膨らませ結に助けを求める視線を送った。

 「今何をしたか分かってますか?その子は僕の金魚屋で、あなたは単なる経営者にすぎない」
 「……」
 「今度金魚屋に背いたら相応の処分を与えます。ひよちゃん、外して」
 「はいっ」

 雛依は恐る恐る鈴屋の面に手を伸ばし指を掛けた。
 けれど鈴屋は動かない。そして雛依はゆっくりと面を外し、それと同時に大きなフードもぱさりと落ちた。
 その下に隠されていた顔は――

 「お待ちしてましたよ、彩宮皇太子白練」

 雛依は鈴屋の面を持ったまま結の傍に戻った。
 結は雛依を膝に乗せて有難うと頭を撫でるけれど、雛依はううん、と首を傾げた。

 「結様、鈴屋様は何処に行ったんですか?」
 「鈴屋が皇太子なんだよ。この人はとっくに虹宮を落としてたんだ」
 「え?じゃあ嘘吐いたんですか?」

 そうそう、と結はにこやかに頷いた。
 白練は悔しそうに舌打ちをし、頭をがしがしと引っ掻いた。

 「どこで気付いた?」
 「貧困街に配る物資の山です。あの中に鯉屋の廃棄物が入ってました」

 以前鈴屋は廃棄予定の衣類を『鈴屋へ置いておけ』と指示をしていた。その時に見た衣類が入っていたのだ。
 その他にも焼却できない物は鉢が使うような事を言っていたが、それは何処へ消えたか分からなくても問題が無いという事だ。

 「でも金魚湯は?あれは本当に金魚屋しか作れないんです」
 「作り置きを持ち出せばいいだけだよ。ひよちゃん前に鯉屋で作ったんでしょ?」
 「あ」

 それは結が錦鯉の水牢を見に行った時だ。
 結の具合を心配をした雛依が『鯉屋さんでいっぱい作ったから作り置きがあるはず』と言っていた。
 あの時点で雛依の手を離れた金魚湯があり、あの水牢は鈴屋の管理だ。つまり持ち出す事くらい出来るという事だ。

 「もう一つ気になったのは金魚鉢です。何故か彩宮にあったんです」
 「あっ!まさか金魚屋のを盗んだんですか!?」
 「違うよ。金魚鉢は確かに金魚屋の物だけど、製造者は金魚屋じゃないよね」
 「……黒曜様?」
 「鯉屋の水牢にもあったし、主な販売先が金魚屋というだけで金魚屋しか使えない特殊道具じゃないんだ」

 ですよねと黒曜に向けて微笑んだけれど、黒曜は何も言わず舌打ちだけをした。
 それを見て更夜はあーあ、とため息を吐いている。それは残念とでも言いたげで、あまり驚いていない。
 結は更夜のその表情を見てくすりと笑った。

 「一番おかしいのは君だよ、更夜君」
 「え?俺?」
 「虹彩軍の武器は破魔矢そっくりなのに、更夜君は話題に上げる事すらなかった。そんな事ある?鯉屋の外敵調査で来た国が破魔矢を使ってるなんて、黒曜さんが裏切ってるかもって思うのが普通だよ。驚かないという事は事前に知ってたって事」
 「いや、それなりに驚いてたって」
 「それに妙に気を抜いてたよね。宮殿を夜歩きなんて危険な状況でひよちゃんを前に欠伸したんだ。しかも『聞いてねえぞ、こんなのが出るって』って言ったよね。何をするか打ち合わせ済みで、あれは想定外だった。つまり黒曜さんと更夜君も鈴屋さんとグル」
 「え!?更夜君も!?」
 「……ひよを狙ってるのか旦那の手配か分からねえと守れないだろ」

 やっぱりねと結は笑ったけれど、雛依はがあんとショックを受けた。
 僕だけ何にも分かって無かったの、としょんぼり項垂れる。

 「手がかりが簡単すぎたな」
 「いえいえ。依都と神威が裏切ってるのかなと思いましたよ、一応」
 「一応かよ。可愛くねえな」
 「何のためにこんな事したんですか!結様に何かあったらどうするんです!」

 雛依はぎゃんぎゃんと鈴屋に噛みついた。
 結の膝に抱きかかえられている様は子供らしくて可愛いけれど、必死に結を守ろうとする姿は愛おしく感じられた。
 結はよしよしと頭を撫でてやる。

 「この人達は根踏みしてたんだよ。僕が跡取りに足る器か」
 「根踏み!?結様は立派な跡取り様です!」
 「有難う。でも恐らくきっと大丈夫、で国民の命を預ける事はできないよ。この先戦争になった時、僕が旗印になるかお飾りになるか見極めておきたかったんだ。そうでしょう」

 鈴屋と黒曜は目を見合わせてふっと笑うと、両手を床について頭を下げた。

 「改めてご挨拶申し上げる。俺は鈴屋が当主、白練。破魔屋の精鋭を連れ虹宮制圧に出た」
 「頼んだのは俺だ。破魔屋でどうにかできるうちに手を打ちたかった」
 「賢明ですね。では彩宮は鯉屋に降る――でいいですか?」
 「もちろんだ。彩宮は俺の部下が治め、鯉屋の手足となろう」
 「彩宮の軍に鯉屋で隊長を務められる人はいますか?」
 「いる。それより問題は増員だ。鯉屋は頭数が足りない」
 「集めましょう。候補者一覧を作ったので選んで下さい」
 「一覧?」

 結は雛依にあれ持って来てと頼むと、雛依は隅に置かれていた戸棚に積まれている和綴じの本を取り出した。
 本は全部で十二冊あり、それを全て白練に押し付ける。

 「何だこれは」
 「あなたが作れと言った鯉屋と大店の従業員名簿です。作りました」
 「は?これを一人でか?従業員は千人以上いるぞ」
 「そうですね。それが何か?」
 「え、いや、何かって……」

 白練は一冊取ってぱらぱらと流し読みをすると、そこには一人一人の細かな情報が書いてあった。
 氏名と性別、年齢、住所、職歴、特技、現在の業務について思う事、今後の展望といったいわゆる履歴書だ。他にも会話した内容が事細かに記されていて、十数ページにも及ぶ者もいる。
 黒曜もそれを覗き込み二人で絶句しながらページを捲っていると、雛依がその内の五冊を取り出し白練に突き出した。
 それを見ると、他に比べて記載内容が少なく、特に業務に関しては白紙だ。

 「その五冊が鯉屋でろくに仕事してない人間の名簿です。人員精査して適材適所しようと思うので、今日中に全員の把握をお願いします。その中から軍事に使える人間を見つけて下さい」
 「今日中!?もう昼になるぞ!」
 「え?この程度目を通すのに何時間かけるつもりなんですか?僕なら一時間もあれば覚えられますけど」
 「……これをか?まさか」
 「本当ですよ。結様はもう従業員全員の顔と名前覚えてます。今は鉢のみんなを覚えに行ってくれてます」

 雛依は自慢げに微笑んで、結と目を合わせて頷いた。

 「できますよね?」
 「……おう」
 「ハイ、じゃあよろしくお願いしまーす。ひよちゃん、鉢に行こう。何が必要か把握しないとね」
 「はい!はいっ!有難う御座います!」
 「ああ、そうだ。彩宮の貧困街救済する暇あるなら鉢もお願いします。明日までに実施内容の草案を出して下さいね」
 「お、おお……」

 結は最高に明るい笑顔で圧をかけると、ひらひらと手を振り部屋を出た。
 雛依も結の跡を付いて行ったけれど、あ、と思い出したように白練と黒曜に声を掛ける。

 「結様を裏切ったらあなた方の魂は未来永劫闇の中ですよ」

 金魚屋は魂を管理する店だ。鯉屋に輪廻してもらえるかは金魚屋次第で、どこに閉じ込めるかも金魚屋次第。
 白練と黒曜はびくりと震えると、雛依はえへと愛らしく笑う。
 そして二人はにこにこと笑いながら広間を出て、呆けていた更夜も慌てて後を追った。

 「……良い跡取り達じゃねえか」
 「おお……」

 跡取り達の去ったその場はしいんと静まり返っていた。
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