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第16話 黒瀬翔太

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 所長が帰って来たと報告を受け、流司はルイに連れられて研究所へ向かっていた。

 「何で結衣達は駄目なんだよ」
 「殺されたら困るだろ」
 「……それは真面目に言ってる?」
 「大真面目」

 いつになく低いトーンで言われて、流司は一気に不安になった。

 そのまま少し歩くと、蛍宮にしては珍しく木造ではない家が出てきた。
 かなり直線的で日本でよく見る雑居ビルのようだ。どうみてもこの世界にはない素材で作られていてかなり浮いている。
 ルイはノックする事もせずにドアノブをガチャリと回すと、いるか、と声を掛けながらも返答を待たずにどんどん中へ入って行く。
 ずかずかと入り込みドアを開け、正面に見えたのは木造の艶やかな机と、本棚に大量の本を戻している男だった。

 「やあ、ルイ。待っていたよ」

 男はゆったりとした仕草で物腰が柔らかく、見るからに知的でいかにも学者といった風だ。
 しかし室内なのに分厚いジャケットを羽織りハイネックのインナーで首まできっちりと覆われ、さらには手袋まで付けていて見ているこちらが暑苦しく感じる。
 男は眼鏡を外し、手に持っていたやたら分厚い本を机に置いた。

 「こいつに色々教えてやってほしくてね」
 「うん。準備はできているよ。よろしくね」
 「棗流司です。よろしくお願いします。でも、えっと、爺さんって聞いてたんですけど……」
 「僕は所長じゃないよ。息子の凛というんだ」
 「ああ、そうなんですね。すみません。でもじゃあ、あなたが」
 「そ。こいつが地球人とこっちの人間の混血だ」

 凛は日本人のようにも西洋人のようにも見える独特な顔立ちをしているが、髪の毛は地球人には無い色をしている。
 淡いクリーム色に見えるが、陽が当たると薄いピンク色に輝いた。瞳も同じようで、琥珀の様に輝いていたかと思えば陽の光次第でピンクにもなる不思議な色だ。

 「凛さんも地球に詳しいんですか?」
 「僕は蛍宮生まれだから知らないよ。父に聞いた事しか知らない」

 実は流司が研究所に来たのは魔法ではなくこれが目的だった。
 ルーヴェンハイトには地球の技術が溢れていて、流司はそれを学んでリナリアの温度調節用の魔法道具を作った。けれどルーヴェンハイトに地球の技術を持ち込んだのはこの所長だというのだ。

 「裕貴が所長に色々教わったと言ってました。凛さんも裕貴に会ったんですか?」
 「無いよ。僕は蛍宮から出た事無いんだ」
 「そうですか。じゃあ所長はど」
 「あー!!来たの!?」
 「え?」

 流司の言葉を遮って可愛らしい声が響いてきた。
 ドアを振り返ると、楪に負けず劣らず可愛らしい顔をした女性が扉からぴょこっと顔だけ覗かせている。こちらも二十代前半といったところか。
 一メートル以上ありそうなウェーブの髪は、凛と同じ髪色で、クリーム色のようなピンクのような不思議な色をしているから妹かもしれない。流司はちらと凛を見たけれど、にこりと笑って返された。

 「おそいおそーい!遅いよぉ!遅すぎてお昼寝だよプー!」
 「遅くはないだろ。時間通りだ」
 「約束の時間ピッタリは遅いよ~!十分前行動が鉄則ぅ!」
 「はいはい」
 「あ!君が噂の異邦人だな~!」
 「お前もだろ」
 「そうだった!テヘペロ☆」

 流司は視界がくらりと揺れた。

 「流司。何ぼーっとしてんだよ」
 「あ!僕が可愛いからビックリしたんだな~!?ビックリビックリ!」
 「えーっと……」

 どういう会話をしたらいいのか、流司は思考回路が迷子になった。
 まったくこのテンションに付いていけず、流司は彼女を無視してルイと話を進めることにした。

 「で。所長に挨拶したいんだけど」
 「しろよ」
 「だからどこにいるんだよ」
 「そこ」

 ここ、とルイが指さした先には――

 「はいはーい!所長の黒瀬翔太です!しょーたんって呼んでね!」

 くるくるっと流司の前に躍り出ると、エヘッ、と首を傾げた。
 立たれると思いの外背が高く、百七十後半くらいはある。だが気になるのは身長ではない。

 「……所長?」
 「分かる。言いたいことは分かる」
 「可愛くてビックリしたんでしょ!?ビックリビックリ!」
 「え………」
 「でしょ!?」

 でしょ、って何だ。所長って何だ。お前は何だ。

 いろいろ言いたいことが渦巻いて、流司は目を抑えた。
 カワイイ?カワイイ?としつこく言い続けてくるのに疲れて、ぎろっとルイを睨んだ。

 「可愛いって言うまで続くから可愛いって言っとけ」
 「……可愛いです。女性だと思いました」
 「うーん、残念!オトコノコ!きゅぴーん!」

 翔太はウィンクしなが女の子向けの変身アニメで出てきそうなポーズをし、エヘエヘ、と言いながらゆらゆらと身体を揺らしている。
 流司はキレた。ルイに向かってキレた。

 「おい!何だこれ!」
 「大丈夫。頭はいいから。研究は凄いから。研究だけは」
 「おかしいだろ!爺さんじゃなかったのか!」
 「あ~!年齢なんて気にしちゃダメ!僕天使なんだからね!」
 「あ!?」 

 ぱたぱた、と両手を天使の羽根のようにはばたかせる。
 流司はぐらぐらと脳が揺れた。

 「父。あなたはまず自分について説明しないと誰も付いていけないよ」
 「うん!僕が所長だよっ!」
 「……これは俺をからかってんの?」
 「そんなことはないよ。父はちょっと不思議な人だけど普通の人だから安心しておくれ」

 これが普通だったら世の中の人類は全員鬱だ。
 凛はまともな見えていたけれど、これが普通と言ってしまうあたりまともじゃない。
 ぴょこんとしゃがんで顔を覗き込まれ、うにゅ~、と愛らしい鳴き声を上げられ流司のイライラが募る。流司は耐え切れずギリッとルイの襟を掴みあげた。

 「落ち着け。地球の事は翔太しか説明できないんだよ」

 チラリとしゃがんでいる姿を見下ろすと、翔太は自分の頬を突きながらにこにことしている。

 「あなたのお名前なんてーのっ?のっ?」

 こんな奴信じられるか、と叫びたい。しかしルイは大丈夫だからと諫めてくる。
 ギリギリと唇を噛みながら、それでも流司はルイを信じることにした。

 「……棗流司です。よろしくお願いします」
 「ん!よろしくね、りゅーたん!」
 「あ?」
 「流司の『流』を取ったんだろ」
 「りゅーたん、よろしくぅ!」

 所長だろうがなんだろうがどうでもいい。とりあえず殴りたくて拳を震わせた。
 ルイはそんな流司の肩を抱き、よしよしと宥めてやる。

 「ほら、聞く事あんだろ」
 「……あの、地球に帰る方法はあるでしょうか」

 これが裕貴と流司の調べている事だった。
 ヴァーレンハイト皇国が今後の生存は厳しいという事は裕貴も流司も感じていて、その後をこの世界で過ごせるかの問題にぶち当たっていたのだ。ならば安全に地球に戻る方法が無いかというのも同時に探す事にしていた。

 「最初はみんなそう思うよね。うんうん。そっかぁ。でもねでもね」
 「――ッ!!」

 翔太は美しくにっこりと微笑むと、右手で流司の首をひねり上げて左手の肘を流司のみぞおちにめり込ませた。
 気が付けば足もぐるりとからめとられ、身動きすることも剣を抜くこともできない。

 「死んでも?」

 先ほどまでの笑顔はどこにもなく、ギラギラとその瞳が光っていた。
 その瞳に恐怖すら覚え、流司はたらりと冷や汗を流した。

 「父。怯えてるからやめてあげて」

 凛がこんっと翔太の頭を叩く。
 すると翔太はくるりと身を翻し、ブーッと頬を膨らませてルイに抱き着いた。

 「だってぇ!りゅーたんがしょーたん♪って呼んでくれないんだもーん!」
 「は――……」

 ギラついていた瞳はどこにもなく、翔太はまたくるくるふわふわと漂った。
 そして、珍しくルイが困ったようにため息を吐いた。

 「じゃああとよろしくな」
 「ま、待て。行くな」
 「この後デートなんだよ。あ、楪には言うなよ」
 「ばいば~い!」

 シーン、とした。

 「……あの、俺ちょっと出直しま」
 「よーっし!お茶ターイム!凛ちゃん!紅茶日本茶中国茶~!」
 「うん、日本茶だね」
 「いや、あの……」

 ふんっふんっ、とステップを踏んで翔太は部屋へと消えていった。
 流司は感情が迷子になっていった。


 そーっと除くように部屋へ入ると、翔太は声高らかに歌を歌い凛は笑顔でお茶を淹れていた。

 「どうぞ。日本茶は好きかい?」
 「分からないです。俺地球の記憶ほとんど無いから。日本茶があるんですか?」
 「茶葉の栽培してるんだよ。この国は変なお茶しかないから父が飽きてしまってね」
 「お茶っていうか、適当な葉っぱにお湯入れてるだけですからね」
 「あ、そっか。ヴァーレンハイト皇国は地球人いないんだもんね。鎖国シャットアウト!」

 翔太は何の前触れもなく、両手でばってんを作ってジャンプした。
 流司は思わず、うわっ、と小さく叫んでしまう。

 「この世界の人は料理っていう概念無いんだよね~。イヤイヤ~」
 「そうですね。ヴァーレンハイト皇国に比べると蛍宮はかなり充実してます」
 「充実してないのは絶賛鎖国中のヴァーレンハイト皇国だけだよ。他のとこは地球の料理が広まってるもん」
 「え?世界に広められるほどの人数がいるんですか?」
 「いるよ。この世界は地球人とそのハーフの方が多いもん。凛ちゃんみたいな」
 「は!?」

 あ、葉っぱ入った!と翔太はぺっぺっと口から吐き出した。まるで子供のようにきゃっきゃとしているが、その言葉は衝撃だった。
 衝撃すぎて流司は思わず立ち上がった。

 「どういう事ですか?地球人が多いって、こっちの人は?」
 「その辺も知らないんだね。じゃあ基本から教えてあげる。不安にさせるだけだから他の人にはナイショ。しーっ、だよ」
 「は、はあ」

 緊張感の続かない翔太との会話には早くも疲れてきたが、逆に力が抜けて気持ちに余裕ができた――かもしれない。

 「では!しょーたんプレゼンツ!この世界はなんじゃろな~!パチパチパチ~!」

 翔太は拍手せず口先だけでパチパチと言い、両手をぱっと広げた。合わせて凛もパチパチと拍手をしている。
 楽しそうだ。
 とても。
 そして、翔太は凛から眼鏡を奪い取ってかけると、えへん、と偉そうにふんぞり返った。
 いや、偉いんだ――と思うことにした。

 「りゅーたんはヴァーレンハイト皇国から出た事ある?」
 「ルーヴェンハイトには行った事がありますけど、他はありません。船は皇王しか持って無いですから」
 「そかそか。じゃあこの世界にどれほどの人口がいると思う?」
 「えっと……ヴァーレンハイト皇国が四千人くらいで、外は日本と同じくらいの国土があるって言ってたから一億五千人くらいでしょうか」
 「お!すご~い!先生いらず!正解っ!じゃあ、その中でこの世界産まれこの世界育ちは何人くらいでしょーかっ!」
 「蛍宮が三千ですよね。差し引いて一億二千人くらいですか?」
 「ぶっぶー!正解は、ヴァーレンハイト皇国だけでしたー!」
 「え!?」

 翔太はにこにこと笑顔を絶やさず、鼻にかかった眼鏡をきゅっと持ち上げる。

 「この世界は医療水準が低いから生存率が低いんだ。これは知ってる?」
 「平均寿命が地球に比べるとかなり短いですよね」
 「そそそ。しかも人口の六割が男の子で、同性婚が半数を占めるから出生率も低いの。これに拍車をかけたのが世界人口の四分の一を殺害した《アイリス皇女大捜索》だね。ザシュッ!」
 「……それはヴァーレンハイトでも問題になりました。あの一件で貴重な水源が干上がりましたし」
 「水源で済んでよかったじゃない。ヴァーレンハイト皇国の外にいたこの世界人はほぼ絶滅だよ。ザシュッ!ザシュッ!」

 愉快で軽快な台詞回しとは反対に、ピッ、と翔太は首を切るように手を鋭く横一線に払った。
 聞いた覚えのある話と翔太の機敏さに、流司は少し震えた。

 「ヴァーレンハイトがそんな強大な力を持ったのは何故です?」
 「皇王の魔法だよ。魔法ってね、この世界でもヴァーレンハイト皇国固有のものだから対抗手段を練るのが難しいんだ」
 「全人類が持っているものではないんですか!?」
 「ナイナイ。みんな見た事すら無いと思うよ。ヴァーレンハイト皇国入れないから。鎖国シャットアウト!」

 流司はヴァーレンハイト皇国以外の事をあまり知らない。
 それは先ほどから翔太が繰り返す通り鎖国状態なのだ。そうなった経緯は知らないが、人の出入りを禁じている。
 だから外の情報については知る術が無く、必然的にヴァーレンハイト皇国しかしらない流司はそういう世界なのだろうと思い込んでいた。

 「ヴァーレンハイトのお水がどうなってるか知ってる?僕それ知りたいの」
 「城は相当な量が貯水されてますけど国民の方はゼロに近いです。どうもなって無いです」
 「そのさあ、お城の水ってなんなの?何で火山の上に水たぷたぷなの?」
 「すいません、そこまで知らないんですけど。メイリンは過去に誰かから与えられたって言ってました」

 ううーん、と翔太は首を大きくひねって頬をぷくっと膨らませた。

 「あのね、この世界でお水はとっても貴重なんだよ。海水を飲み水にする技術が無いの。技術って言うより考え方かな。だから人にあげるほど水がある国なんてあるわけナイナイ」
 「魔法で生み出してるのかと思ってたんですけど」
 「ええ?魔法ってゼロから何かを作れるの?魔力って物体なんでそ?じゃあ何かに依存しないと何もできないじゃん。魔力だけで水が作れるならヴァーレンハイトだって水不足になんてならないでそ」
 「えっと、属性があって。水のある土地じゃないと水気がないので」
 「ヴァーレンハイト皇国海あるじゃーん。水気たぷたぷ~」

 流司は黙ってしまった。
 聞けば聞くほど矛盾を感じてすっかり混乱している。

 「多分だけど、魔法って掛け算なんだよ。掛ける魔力の数によって威力が変わる。でも元々がゼロならいくつ掛けても変わらない。何かを生み出すんじゃなくて大きくするだけ。ゼロから何かを生み出すのは人の手でやる足し算だと僕は思うの。だから地球の科学を取り入れる国は発達するけど魔法大国は滅びるのみ!!グエエエ~」
 「そう、ですよね……」
 「それとさ~!貯水って簡単に言うけどそれどうやってるの?」
 「球体にしてるそうです。かなりの量を小さな球体にしてました」
 「球体?球体って…こういうの?」
 「それ!」

 翔太は立ち上がると、キッチンから大きなコップを持ってきた。
 そこにはシェルターでみた水珠によく似たものが入っている。翔太は一つ取り出して見せてくれた。

 「ここにも魔法があるんですか?」
 「うんにゃ。これは水風船だよ。風船なみなみ~。これはこの体積分しかないけど魔法なら中身を圧縮する方法もあるかもしれないね」
 「シェルターにもかなりの量がありました。この部屋を埋め尽くせるくらいの。水中にぎっしり敷き詰めてありました」
 「それが全部そうなの?それどうやって確かめたの?全部割ったの?」
 「全部では、ないですけど……」

 割ったのは数個で、あとは見ただけだ。触ってすらいない。
 そう言われるとあれが何だったか分からない。

 「水中にぎっしりっていうけど、それって重いの?」
 「いえ、これと同じくらいです。軽くて、もっとブヨブヨしてるんです」
 「そんな軽いなら浮くでしょ。鉄球かなんかじゃないの、それ」

 確かにそうだ。持ってみて重いなら沈むだろうけれど、あれはかなり軽かった。あんなものが水に沈むわけがない。

 「……じゃあ何なんだあれ……」
 「にゃあにゃあ。それは僕の想像だけど。その水の珠って誰が管理してるの?水の魔法ならヴァーレンハイトの人じゃ扱えないでしょ」
 「え?あ、そ、そう、ですね……そうだ……」
 「城の中にその魔法使ってる人がいるの?だとしたらずーっと魔法使いっぱなしじゃない?楪たんは使う時にパッ!てやるから魔法は使い切り単発で継続しない物だと思ってたんだけど」
 「ええと……そう、ですね。確かにそうです。けどそんな強大な魔法なら確実に皇族です」
 「皇族?じゃあ皇族って誰の子供なの?」
 「え?」
 「だって火の魔法使う皇族は水の魔力なんて使えないでしょ。皇族ってヴァーレンハイトの人なんでしょ?」

 流司は眉間にしわを寄せた。
 しかし、翔太はつまらなそうにお茶を飲み干し、うーん!と声を上げて伸びをした。 

 「まあ、それはいいや。りゅーたんが知りたいのは皇族スキャンダルじゃなくて日本へ帰る方法でしょ?」
 「あ、は、はい。帰る方法はあるんでしょうか」
 「あるよん☆」
 「……あるんですか!?」

 翔太はエヘッ!と言いながら右目の横で横向きにピースをした。
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