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第7話 日本人との出会い
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今日はマルミューラドに日本人である事を確かめようと思っていたが、はたと結衣は気が付いた。
(日本人じゃなかったらどうしよう)
確実に日本人だとは思うのだが、どれも状況証拠に過ぎない。
もし「あなた日本人ですか」などと聞いて違ったら大問題だ。異界人の擬態である事がバレて打ち首になるかもしれない。
(……この名札何ですか~、くらいにしとこ)
焦らない焦らない、と言い聞かせて大きく深呼吸をした。
しかし今日に限って何故かメイリンが申し送りに行かない。いつもならとっくに出ている時間なのに部屋を出る気配すらない。
(侍女の本能で何か察知したのかしら)
ありえそうで怖い。何か方法無いかなとソワソワしていた、その時だった。
ドオオ、という轟音と揺れで結衣は床にごろりと転がった。
「アイリス様!!」
「な、何!?爆発!?噴火!?」
「違います!こちらへ!!」
一瞬何が起こったか分からず、ただ呆然とメイリンを眺めてしまった。
けれどメイリンは結衣を抱えて立ち上がらせると、手を引いて駆け出した。
部屋から出ると、そこらじゅうで侍女や兵がうろうろとしていて何も把握できていないようだった。しかしメイリンだけは冷静に、迷わずどこかへ向かって走り出した。
「ねえ!何なの!?何が起きて――」
走りながら廊下の窓から外を見ると、そこには濃紺に金の獅子が刺繍された国旗が掲げられている様子が見えた。
「ルーヴェンハイトの国旗!?」
「そうです!陛下のいない隙を見て攻めて来たのです!」
結衣は日本生まれの日本育ちスマートフォン世代だ。
戦争や武器による争いとは無縁で育っているし、この国に来てからそんな事には一度も出くわさなかった。
皇女という立場なら襲われたりすることもあるかもしれないと想像はしていたけれど、まさかこんな風に体験する事になるとは思ってもいなかった。もし捕まったらどうなるのだろうかと考えるとカチカチと奥歯が鳴った。
「ど、どうするの!?どこに逃げるの!?」
「逃走経路は確保されていますのでご安心下さい」
できるわけがない。いつもならメイリンが言うなら大丈夫と思うけれど、メイリンは侍女だ。兵士や騎士とは違うのだ。
窓から見える人達の中には皇王の銅像をナイフで滅多打ちにしている人もいる。明らかに皇王を憎んでいるのが分かるけれど、結衣はふと違和感を覚えた。
彼らは軍服でもルーヴェンハイトの制服でもない。その人達の列は城下町へと伸びている。
「……ねえ、あの人達城下町から来てない?」
「そうです。ルーヴェンハイトが国民を扇動して来たんです」
「何で!?だってここ陛下のお城でしょ!?何で国民が城に攻めてくるの!?」
結衣の言葉にメイリンは気まずそうな顔をした。
「陛下の異名をご存知ですか?」
「《紅蓮皇》とかいうやつ?」
初めて聞いた時、結衣は声を上げて笑った。
ゲームにありがちな名前で分かりやすいと馬鹿にしたけれど、この国にとっては意味のある名のようで、美しくも恐ろしい煉獄の炎を操る姿から呼ばれるようになった気高い呼称――らしい。
「陛下のモンスター討伐は火の魔法を使います。それが気温を上昇させ土地を干上がらせ、水不足を引き起こしました。今回陛下が討伐に出られたことでその恐怖を煽られたのかもしれません」
「水不足!?だって、でも、そこらへんにいっぱいあるじゃない!!」
城付近は火の国だなどとは思えないほど水が豊かだ。
空に浮かぶ島から流れるほどたっぷりとある。あちらこちらに池があり、全力で泳いでも余りある巨大な風呂は結衣が一度入っただけで全て入れ替える。節約した事など絶対に無いだろう。
「あれは皇妃メルセリア様の魔法です。国民にはその一部を提供しているのみなのです」
皇妃メルセリア。
その名を聞いて結衣は眉をひそめた。結衣はこの国に来て皇妃、つまりアイリスの母親には一度も会った事が無かった。メイリンもその存在について語らなかったし、誰かが話しているのも聞いた事が無い。
それも気になるが、今問題なのは水不足の話だ。
城はこんなに水が溢れてるけれど城下町はそうではないのなら、結衣達は水に飢える国民を足蹴にして自分達だけ水に囲まれ贅沢に暮らしているのか。
そんなの皇王に恨みを持つ国家が扇動したら暴動を起こすに決まってる。
(のん気に皇女様やってる場合じゃなかったんだ。これじゃあこの世界でも生きていけるかどうか分からない)
水を独占する皇王に恨みを持っているのなら皇女だって同罪だろう。
異世界から来たから関係ありません、なんて通じるはずがない。国民を無視して贅の限りを尽くした支配者が国民の手で断罪され死刑にされる物語がありふれるくらいなのだから、この状況で自分が助かるとは思えない。
もっと早くにこの世界の事を知って逃げる準備をしておかなければいけなかった。
けれど今更そんな後悔をしたところでもう遅い。知らず知らずのうちに結衣の目からは涙がぼろぼろと零れていた。
「アイリス様。大丈夫です。大丈夫ですから落ち着いて下さい」
「何が!?こんなに、こんな、何が大丈夫なの!?」
「アイリス様。大丈夫です私は」
「メイリン!何してる!早くしろ!」
「マルミューラド様!よかった、来て下さったんですね!」
混乱してメイリンに当たっていたら、マルミューラドが駆けつけて来た。
いつも通り黒尽くめだが、今日は軍服を着ている。腰に剣を下げ、背にはためくマントと金の飾りは地位の高さを感じさせる。
いかにも騎士であるその姿は頼もしく思えて、結衣はぺたりとその場に座り込んでしまうが、それを許さずマルミューラドは結衣を抱き上げた。
「地下都市から反皇族勢力が出て来てる。想定より足が速い」
「そうですか……」
まるで知っていたかのような口ぶりに結衣は眉をひそめた。
まさかもうずっとこうなる事は予想されていたというのだろうか。では皇王がいないのはまさか娘を身代わりにしたとでも言うのだろうか。
悪い方にばかり考えてしまい、結衣は震えながらマルミューラドにしがみついた。
メイリンはにっこりと笑顔を浮かべて優しく結衣の頭を撫でた。
「大丈夫ですよ。マルミューラド様が安全な場所へお連れ下さいます」
「ならメイリンそれ着替えた方が良いよ。走れないでしょそんな服と靴じゃ」
「いいえ。私はここに残ります」
「……何言ってるの?」
「ご安心ください。アイリス様の身代わりも用意してございます」
メイリンがちらりと目線を送った先を見ると、そこにはアイリスのドレスとアクセサリーを身に付けた女の子がいた。
髪は無理矢理色を付けたのか、黒ずんだ赤い物が塗りたくられている。アイリスの美しさには程遠いが、これがアイリスに見えるのだろうか。
「待ってよ!用意って何言ってるのよ!あの子侍女でしょ!?見た事あるわよ!」
「マルミューラド様。アイリス様をお願い致します」
「ああ」
結衣はちっとも事態に頭が付いて行かず、背を向けて離れていくメイリンの背に手を伸ばした。
けれどマルミューラドに抱えられている結衣の手はメイリンには届かず、それを無視してマルミューラドは走り出した。
「嘘!!待ってよ!!メイリン!!」
マルミューラドは速かった。とても人間を抱えてるとは思えない。
あっという間にメイリンの姿は見えなくなり、どんどん人気のない場所へと入って行く。
「マルミューラド様!待って!メイリンが!!メイリンも連れて行かないと」
「駄目だ。メイリンは皇女付きとして顔が知られてるから真っ先に捕まる」
「じゃあ余計に駄目じゃない!戻ってよ!」
「駄目だ。皇女は公に姿を見せないからこの国の人間はメイリン・レイが守る女こそが皇女であると認識している。皇女の盾となるのが侍女長最大の任務だ」
「そ、そんな……」
アイリスの盾となり、アイリスの代わりにあの子が捕まり、そしてその後はどうなるのか。
想像したくない。けれどそういう物語はいくつも読んだ事があるから想像できてしまう。それをメイリンや見知った侍女で目の当たりにするなんて想像したくない。
声も出ず、ただただ恐怖で涙が溢れた。マルミューラドにしがみ付く事しかできず、ただただ震えた。
しかしそれすらも許しては貰えない。再びドオオ、と轟音が響いて城が大きく揺れた。
「きゃあああああああああ!!!」
「叫ぶな!見つかる!」
「いや、いやああ!」
「口閉じろっつってんだろ!」
マルミューラドは肩の小さい方のマントを外すと結衣の口に詰め込んだ。
一瞬何をされたのか分からず、口を動かしてみてようやく理解した。
(何この雑な扱い。冷静になっちゃったわよ……)
心の中で女の子に対してこのやり方はどうなのかと毒づいたが、でもまたあんな音と揺れが来たら結衣は絶対に叫んでしまう。
それが身を危険にするならしばらくこれを詰め込んでおいた方が良いかもしれない。結衣は大人しくマルミューラドの腕の中で縮こまった。
「大丈夫だから」
よしよしと優しく頭を撫でられて、こんな時なのに果樹庭園で迎えに行くと言ってくれた事を思い出した。
(迎えに来てくれた……)
ああ、と結衣は何だか落ち着きを取り戻していた。
抱えられたまま小さくなっていると、ちらりと視界にルーヴェンハイトの国旗が見えた。今度は赤い国旗だ。
(確か第一皇子が緑で第二皇子が紺、赤は第三皇子。皇子が全員来たの?)
マルミューラドもそれが見えたようで、小さく舌打ちをした。
「アイツもう来たのか。早いな」
びくりと結衣は震えた。
以前メイリンが結衣は偽物だから殺すという密談をしていた。そんなのは聞き間違いだったんだと思い込み忘れようとしていたけれど、あの時メイリンは確かに結衣が偽物だと知っていた。
そしてその密談相手である男もだ。
(……そうだ……あの声マルミューラド様だ……)
この男は今どこへ向かっているのだろう。本当に助かる場所へ向かっているのだろうか。助かる場所なんてあるのだろうか。
結衣はがたがたと震え出した。
(まさか、ルーヴェンハイトに私を売り渡しに行くんじゃ……最初からその計画だったんじゃ……)
メイリンを置いて行ったのではなく、ルーヴェンハイトを扇動して捕まえに来るのではと結衣の頭に悪い予想ばかりが駆け巡り、血の気が引いていくのを感じた。
けれどマルミューラドの腕から降りて一人になるのも怖い。
どうしたらいいのか分からずにいると、再び轟音が響いた。揺れはしないが、何か煙が上がっていた。
「あんな派手なの持って来たのか。聞いて無いぞ」
ああ、これは確実にこれは誰かと打ち合わせをしていたのだ。
結衣は確信した。
(裏切ってる。この人だ、この人が犯人だ)
結衣はどうにかしなければと決心したけれど、それでも腕の震えは収まらない。一人で立つ事なんてきっとできない。
(馬鹿だ。皇女なんて言われて良い気になって。これじゃ雛とりゅーちゃんを探すどころじゃない)
生き延びることができるかさえ怪しい。
(いや。死にたくない)
地球には家族がいる。もう会えない家族だ。
けれど結衣にはまだ会える可能性のある幼馴染達がいる。三人がこの世界で苦しんでるなら助けてあげなきゃと思っていた。
助けてあげるなんて、なんておこがましい。
結衣にはまだ幼馴染達とやりたい事がたくさんある。
裕貴の誕生日がもうすぐだったからプレゼントを用意していた。それはもう取りにはいけないけれど、せめてパーティーはやらなくては。
雛とお揃いで買った浴衣も着なくてはいけない。それも着る事はできないけれど、こちらの世界で作る事はできる。
流司はチューリップ組からひまわり組になって名札が新しくなった。付け替えて似合うねと褒めてあげなくてはいけない。
(……チューリップ組の名札?)
結衣はマルミューラドから受け取った名札ケースを思い出した。
(日本語のメモに気を取られていたけど、あの名札ケースってりゅーちゃんの幼稚園の名札ケースだ……)
え、と結衣はマルミューラドを見上げた。
(まさかりゅーちゃんを知ってるの?)
一番最初に神隠しに遭ったのは流司だった。
それは結衣がこちらへ来る六日前で、まだ十歳の流司はいなくなった時は幼稚園のスモックを着ていた。
そこに名札を付けてやったのは結衣だ。
「――い!聞いてるか!」
「んん!?」
返事をしようとしたらおかしな声が出た。そういえばマントを詰め込んだままだった。
「ここから外に出る。大丈夫だと思うけど、一応そのままマント食ってろ」
「んぐ」
気にはなるけれどそれは後で今は逃げないと、と結衣は大きく頷いた。
殺す気ならこんな風に連れ出さないだろう。少なくとも目的はここで殺す事ではないはずだ。
結衣はマントを詰め込んだまま深呼吸し、諦めるものか、と強く歯を食いしばった。
(日本人じゃなかったらどうしよう)
確実に日本人だとは思うのだが、どれも状況証拠に過ぎない。
もし「あなた日本人ですか」などと聞いて違ったら大問題だ。異界人の擬態である事がバレて打ち首になるかもしれない。
(……この名札何ですか~、くらいにしとこ)
焦らない焦らない、と言い聞かせて大きく深呼吸をした。
しかし今日に限って何故かメイリンが申し送りに行かない。いつもならとっくに出ている時間なのに部屋を出る気配すらない。
(侍女の本能で何か察知したのかしら)
ありえそうで怖い。何か方法無いかなとソワソワしていた、その時だった。
ドオオ、という轟音と揺れで結衣は床にごろりと転がった。
「アイリス様!!」
「な、何!?爆発!?噴火!?」
「違います!こちらへ!!」
一瞬何が起こったか分からず、ただ呆然とメイリンを眺めてしまった。
けれどメイリンは結衣を抱えて立ち上がらせると、手を引いて駆け出した。
部屋から出ると、そこらじゅうで侍女や兵がうろうろとしていて何も把握できていないようだった。しかしメイリンだけは冷静に、迷わずどこかへ向かって走り出した。
「ねえ!何なの!?何が起きて――」
走りながら廊下の窓から外を見ると、そこには濃紺に金の獅子が刺繍された国旗が掲げられている様子が見えた。
「ルーヴェンハイトの国旗!?」
「そうです!陛下のいない隙を見て攻めて来たのです!」
結衣は日本生まれの日本育ちスマートフォン世代だ。
戦争や武器による争いとは無縁で育っているし、この国に来てからそんな事には一度も出くわさなかった。
皇女という立場なら襲われたりすることもあるかもしれないと想像はしていたけれど、まさかこんな風に体験する事になるとは思ってもいなかった。もし捕まったらどうなるのだろうかと考えるとカチカチと奥歯が鳴った。
「ど、どうするの!?どこに逃げるの!?」
「逃走経路は確保されていますのでご安心下さい」
できるわけがない。いつもならメイリンが言うなら大丈夫と思うけれど、メイリンは侍女だ。兵士や騎士とは違うのだ。
窓から見える人達の中には皇王の銅像をナイフで滅多打ちにしている人もいる。明らかに皇王を憎んでいるのが分かるけれど、結衣はふと違和感を覚えた。
彼らは軍服でもルーヴェンハイトの制服でもない。その人達の列は城下町へと伸びている。
「……ねえ、あの人達城下町から来てない?」
「そうです。ルーヴェンハイトが国民を扇動して来たんです」
「何で!?だってここ陛下のお城でしょ!?何で国民が城に攻めてくるの!?」
結衣の言葉にメイリンは気まずそうな顔をした。
「陛下の異名をご存知ですか?」
「《紅蓮皇》とかいうやつ?」
初めて聞いた時、結衣は声を上げて笑った。
ゲームにありがちな名前で分かりやすいと馬鹿にしたけれど、この国にとっては意味のある名のようで、美しくも恐ろしい煉獄の炎を操る姿から呼ばれるようになった気高い呼称――らしい。
「陛下のモンスター討伐は火の魔法を使います。それが気温を上昇させ土地を干上がらせ、水不足を引き起こしました。今回陛下が討伐に出られたことでその恐怖を煽られたのかもしれません」
「水不足!?だって、でも、そこらへんにいっぱいあるじゃない!!」
城付近は火の国だなどとは思えないほど水が豊かだ。
空に浮かぶ島から流れるほどたっぷりとある。あちらこちらに池があり、全力で泳いでも余りある巨大な風呂は結衣が一度入っただけで全て入れ替える。節約した事など絶対に無いだろう。
「あれは皇妃メルセリア様の魔法です。国民にはその一部を提供しているのみなのです」
皇妃メルセリア。
その名を聞いて結衣は眉をひそめた。結衣はこの国に来て皇妃、つまりアイリスの母親には一度も会った事が無かった。メイリンもその存在について語らなかったし、誰かが話しているのも聞いた事が無い。
それも気になるが、今問題なのは水不足の話だ。
城はこんなに水が溢れてるけれど城下町はそうではないのなら、結衣達は水に飢える国民を足蹴にして自分達だけ水に囲まれ贅沢に暮らしているのか。
そんなの皇王に恨みを持つ国家が扇動したら暴動を起こすに決まってる。
(のん気に皇女様やってる場合じゃなかったんだ。これじゃあこの世界でも生きていけるかどうか分からない)
水を独占する皇王に恨みを持っているのなら皇女だって同罪だろう。
異世界から来たから関係ありません、なんて通じるはずがない。国民を無視して贅の限りを尽くした支配者が国民の手で断罪され死刑にされる物語がありふれるくらいなのだから、この状況で自分が助かるとは思えない。
もっと早くにこの世界の事を知って逃げる準備をしておかなければいけなかった。
けれど今更そんな後悔をしたところでもう遅い。知らず知らずのうちに結衣の目からは涙がぼろぼろと零れていた。
「アイリス様。大丈夫です。大丈夫ですから落ち着いて下さい」
「何が!?こんなに、こんな、何が大丈夫なの!?」
「アイリス様。大丈夫です私は」
「メイリン!何してる!早くしろ!」
「マルミューラド様!よかった、来て下さったんですね!」
混乱してメイリンに当たっていたら、マルミューラドが駆けつけて来た。
いつも通り黒尽くめだが、今日は軍服を着ている。腰に剣を下げ、背にはためくマントと金の飾りは地位の高さを感じさせる。
いかにも騎士であるその姿は頼もしく思えて、結衣はぺたりとその場に座り込んでしまうが、それを許さずマルミューラドは結衣を抱き上げた。
「地下都市から反皇族勢力が出て来てる。想定より足が速い」
「そうですか……」
まるで知っていたかのような口ぶりに結衣は眉をひそめた。
まさかもうずっとこうなる事は予想されていたというのだろうか。では皇王がいないのはまさか娘を身代わりにしたとでも言うのだろうか。
悪い方にばかり考えてしまい、結衣は震えながらマルミューラドにしがみついた。
メイリンはにっこりと笑顔を浮かべて優しく結衣の頭を撫でた。
「大丈夫ですよ。マルミューラド様が安全な場所へお連れ下さいます」
「ならメイリンそれ着替えた方が良いよ。走れないでしょそんな服と靴じゃ」
「いいえ。私はここに残ります」
「……何言ってるの?」
「ご安心ください。アイリス様の身代わりも用意してございます」
メイリンがちらりと目線を送った先を見ると、そこにはアイリスのドレスとアクセサリーを身に付けた女の子がいた。
髪は無理矢理色を付けたのか、黒ずんだ赤い物が塗りたくられている。アイリスの美しさには程遠いが、これがアイリスに見えるのだろうか。
「待ってよ!用意って何言ってるのよ!あの子侍女でしょ!?見た事あるわよ!」
「マルミューラド様。アイリス様をお願い致します」
「ああ」
結衣はちっとも事態に頭が付いて行かず、背を向けて離れていくメイリンの背に手を伸ばした。
けれどマルミューラドに抱えられている結衣の手はメイリンには届かず、それを無視してマルミューラドは走り出した。
「嘘!!待ってよ!!メイリン!!」
マルミューラドは速かった。とても人間を抱えてるとは思えない。
あっという間にメイリンの姿は見えなくなり、どんどん人気のない場所へと入って行く。
「マルミューラド様!待って!メイリンが!!メイリンも連れて行かないと」
「駄目だ。メイリンは皇女付きとして顔が知られてるから真っ先に捕まる」
「じゃあ余計に駄目じゃない!戻ってよ!」
「駄目だ。皇女は公に姿を見せないからこの国の人間はメイリン・レイが守る女こそが皇女であると認識している。皇女の盾となるのが侍女長最大の任務だ」
「そ、そんな……」
アイリスの盾となり、アイリスの代わりにあの子が捕まり、そしてその後はどうなるのか。
想像したくない。けれどそういう物語はいくつも読んだ事があるから想像できてしまう。それをメイリンや見知った侍女で目の当たりにするなんて想像したくない。
声も出ず、ただただ恐怖で涙が溢れた。マルミューラドにしがみ付く事しかできず、ただただ震えた。
しかしそれすらも許しては貰えない。再びドオオ、と轟音が響いて城が大きく揺れた。
「きゃあああああああああ!!!」
「叫ぶな!見つかる!」
「いや、いやああ!」
「口閉じろっつってんだろ!」
マルミューラドは肩の小さい方のマントを外すと結衣の口に詰め込んだ。
一瞬何をされたのか分からず、口を動かしてみてようやく理解した。
(何この雑な扱い。冷静になっちゃったわよ……)
心の中で女の子に対してこのやり方はどうなのかと毒づいたが、でもまたあんな音と揺れが来たら結衣は絶対に叫んでしまう。
それが身を危険にするならしばらくこれを詰め込んでおいた方が良いかもしれない。結衣は大人しくマルミューラドの腕の中で縮こまった。
「大丈夫だから」
よしよしと優しく頭を撫でられて、こんな時なのに果樹庭園で迎えに行くと言ってくれた事を思い出した。
(迎えに来てくれた……)
ああ、と結衣は何だか落ち着きを取り戻していた。
抱えられたまま小さくなっていると、ちらりと視界にルーヴェンハイトの国旗が見えた。今度は赤い国旗だ。
(確か第一皇子が緑で第二皇子が紺、赤は第三皇子。皇子が全員来たの?)
マルミューラドもそれが見えたようで、小さく舌打ちをした。
「アイツもう来たのか。早いな」
びくりと結衣は震えた。
以前メイリンが結衣は偽物だから殺すという密談をしていた。そんなのは聞き間違いだったんだと思い込み忘れようとしていたけれど、あの時メイリンは確かに結衣が偽物だと知っていた。
そしてその密談相手である男もだ。
(……そうだ……あの声マルミューラド様だ……)
この男は今どこへ向かっているのだろう。本当に助かる場所へ向かっているのだろうか。助かる場所なんてあるのだろうか。
結衣はがたがたと震え出した。
(まさか、ルーヴェンハイトに私を売り渡しに行くんじゃ……最初からその計画だったんじゃ……)
メイリンを置いて行ったのではなく、ルーヴェンハイトを扇動して捕まえに来るのではと結衣の頭に悪い予想ばかりが駆け巡り、血の気が引いていくのを感じた。
けれどマルミューラドの腕から降りて一人になるのも怖い。
どうしたらいいのか分からずにいると、再び轟音が響いた。揺れはしないが、何か煙が上がっていた。
「あんな派手なの持って来たのか。聞いて無いぞ」
ああ、これは確実にこれは誰かと打ち合わせをしていたのだ。
結衣は確信した。
(裏切ってる。この人だ、この人が犯人だ)
結衣はどうにかしなければと決心したけれど、それでも腕の震えは収まらない。一人で立つ事なんてきっとできない。
(馬鹿だ。皇女なんて言われて良い気になって。これじゃ雛とりゅーちゃんを探すどころじゃない)
生き延びることができるかさえ怪しい。
(いや。死にたくない)
地球には家族がいる。もう会えない家族だ。
けれど結衣にはまだ会える可能性のある幼馴染達がいる。三人がこの世界で苦しんでるなら助けてあげなきゃと思っていた。
助けてあげるなんて、なんておこがましい。
結衣にはまだ幼馴染達とやりたい事がたくさんある。
裕貴の誕生日がもうすぐだったからプレゼントを用意していた。それはもう取りにはいけないけれど、せめてパーティーはやらなくては。
雛とお揃いで買った浴衣も着なくてはいけない。それも着る事はできないけれど、こちらの世界で作る事はできる。
流司はチューリップ組からひまわり組になって名札が新しくなった。付け替えて似合うねと褒めてあげなくてはいけない。
(……チューリップ組の名札?)
結衣はマルミューラドから受け取った名札ケースを思い出した。
(日本語のメモに気を取られていたけど、あの名札ケースってりゅーちゃんの幼稚園の名札ケースだ……)
え、と結衣はマルミューラドを見上げた。
(まさかりゅーちゃんを知ってるの?)
一番最初に神隠しに遭ったのは流司だった。
それは結衣がこちらへ来る六日前で、まだ十歳の流司はいなくなった時は幼稚園のスモックを着ていた。
そこに名札を付けてやったのは結衣だ。
「――い!聞いてるか!」
「んん!?」
返事をしようとしたらおかしな声が出た。そういえばマントを詰め込んだままだった。
「ここから外に出る。大丈夫だと思うけど、一応そのままマント食ってろ」
「んぐ」
気にはなるけれどそれは後で今は逃げないと、と結衣は大きく頷いた。
殺す気ならこんな風に連れ出さないだろう。少なくとも目的はここで殺す事ではないはずだ。
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