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ORDER01. 殺意の生クリーム
piece 7. 棗累の生クリーム
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翌日、呼ばれていたわけでは無いけれど再びLizetteを訪れた。
すると店内には淹れ方を間違って濁った紅茶色をしたジャージ姿のリゼと、三角巾に割烹着というコーヒーなどという洋風な飲み物には縁が無さそうなリンが雑巾で床を拭いていた。
思わず後ずさりそうになると、ベリッと靴の裏が床に張り付いていたような音がした。
何度か踏み鳴らしてみると、どうやら床がべとべとになってしまったようだった。
「まさかまた生クリームが出たんですか?」
「そ。昨日来たお客さんが大変だったのよ。店中べたべた」
「実態化してると物理的な掃除が必要になるから困る」
「ホントよ。もう業者を呼んだ方が良いわねこれ」
業者とはまたお姫様に似つかわしくない言葉だ。何となくガッカリするので言わないでほしかった。
リゼはジャージを脱ぎ捨てて、後よろしくとリンに雑巾を押し付けた。
「行きましょう。庭は無事なのよ」
「でもリンさんを手伝っ」
「いいのいいの。あの子はあれが仕事なんだから」
ぐいぐいと手を引かれ、オーダーケーキの柱を通り過ぎた向こう側にある大きなガラス扉から外へ出た。
庭というから一般的な庭か、お店ならばカフェテラスのような事かと思いわくわくしていると、そこはわくわくどころではなかった。
景色はイングリッシュガーデンのようだったが、庭という言葉は適切ではない。もはやどこぞの城の庭園のようで、右手には薔薇園があり左手には湖かと思うほどの大きな池。
こんな場所が今まで話題にならなかったのが不思議だ。
「こ、これ、どんな広さですか……?」
「東京ドーム三つ分かしら」
「え!?」
「冗談よ。よく聞く例えだけど、分かりにくいと思わない?東京ドームで換算するの」
「は、はあ」
結局どのくらいの広さかははぐらかされてしまった。
そしてリゼに手を引かれ星屑のような輝きを纏う木立を通り抜けると、小さな宮殿のようなテラスが見えてきた。
お姫様姿のリゼにぴったりの場所で、リンと並んで立てば物語の表紙になる写真が取れそうだ。ジャージ姿なのが惜しい。
まるで夢の様な空間に見惚れていると置いてあるソファに押し込まれた。
「ここもお店の席なんですか?」
「違うわ。ここは避難場所よ」
「避難?」
「そ。ほら、生クリームに襲われると大変な事になるから」
「……そういう現実的な理由あんまり聞きたくないんですけど……」
「ふふ。世界を楽しむ心の余裕が出来たのは良い事ね」
にこりとリゼは微笑んだ。
リゼはよくこの微笑みを見せる。愛らしい微笑みはお姫様のようで、ドレスを着ていればお姫様そのものだ。
そしてあのオーダーケーキを作る魔法のようなひと時は心奪われずにはいられない。例え殺意を向けられていても、リゼとの時間はそれを上回る輝きがある。引きこもっていた事をもったいなく思うほど、リゼは魅力的だった。
(元気づけようとしてくれてるのかな)
リゼの言う事とやる事はよく分からない。
けれどまっすぐ受け止め手を差し伸べてくれる事は嬉しかった。これが店のサービスならば、きっとあっという間に人気店になるだろう。
知って欲しいような独り占めしたいような。悩ましいところだ。
「ここってお客さんていっぱい来るんですか?」
「もちろんよ。全人類がお客様だもの。だから品数豊富なの」
「でも売るわけじゃないんですよね」
「他人にはね。でも本人が必要としてた場合は売るわ。例えば……」
リゼはガラス棚からオーダーケーキを取り出した。
ホールではなく瓶ケーキで、生クリームと苺が層になっている。
「これは浮気した旦那さんを殺したい奥さんのオーダーケーキ。記憶が残ったら殺意は何度も生まれるから私達が廃棄するわ。でも旦那さんがテイクアウトして食べてくれれば、奥さんの殺意は受け止められ和解した――ような気持ちになり平穏に生きていける」
「……えっと、記憶が消えるんじゃないんでしたっけ」
「私達が廃棄したらね。ラッピングしてあるうちは受け取り可」
「ああ、そっか。それで保管期限があるんですね。その廃棄ってどうするんですか?ゴミ箱にポイでいいんですか?」
「それは――」
その時、瓶ケーキがバリンと音を立てて割れた。
中身が外へと飛び出してぐるぐるとうねりながら体積を増やしていく。それは何かを形作り始め、次第に葵よりも大きくなっていく。
みるみるうちに人の形になり、それは目をぎらつかせた女性へと転変した。
「人になった!?」
「これが賞味期限切れよ。旦那さんを殺しに行くの」
「そんな!どうするんですか!?」
「廃棄するのよ。リン!」
リゼは振り向く事もせず呼ぶと、トントンと樹々を蹴りながらリンが現れた。
お姫様のピンチに駆けつけるのは物語の騎士さながらだ。
しかしこれを一体どうしたら良いのかと葵が戸惑っていると、リンはたじろぐ事もなく剣を抜いて切りかかった。そしてその刃は女性の首を一刀両断し、頭は地面に転がりどろりと溶けた。
目の前で繰り広げられたのは殺人にも等しい光景だったけれど、毅然と見据えるリゼと芸術のようなリンの身のこなしの方が葵の心を魅了していた。
「廃棄完了」
リンは剣を収めようとしたけれど、ぴくりと何かに気付いて葵達の後ろをを睨みつけた。
「リゼ、客だ」
「立て続けに珍しいわね。今度は誰かしら」
言われてふり向くと、そこには一人の男が立っていた。
目を吊り上げて歯ぎしりをして、今にも襲い掛かって来そうなほど憎しみに顔を歪めている。
その顔を見て驚いたのはリゼでもリンでも無く葵だった。何故ならその顔は、今一番会いたくて会えない人間だったからだ。
「……累先輩……!」
「これが?ふうん。随分と急なお出ましね」
「二人共下がれ」
「ま、待って下さい!切らないで!」
「実態化しきってないから切れない。追い返すだけだ」
リンは再び剣を構えて切りかかった。
けれどその刃に切り裂かれる前に、生クリームは液体に姿を変えてさあっと何処かへ消えて行ってしまった。
「え?帰った?」
「帰ったわね」
「帰る事があるんですか?」
「迷ってるのかもしれないわね。殺したいほど憎んでても実際に殺すかどうかは別問題だもの」
「……でも累先輩でした。殺したいと、思ってるんですね」
「そうだけど、でも気にする必要無いと思うわ。弟さんが亡くなったのはあなたのせいじゃないんだし」
「でも私が連れ出さなきゃ亡くなる時に会う事はできた……」
「だからと言って殺していいわけじゃない。しかも裁かれない生クリームでなんて卑怯極まりないわ」
「でも……」
迷ってるというのは嬉しかった。多少なりとも何かしらの愛情が無ければ迷いはしないだろう。
まだ謝るチャンスはあるのかもしれない。許されるかどうかは分からないが、せめて一言話ができれば何か伝える事ができるかもしれない。
そう思うと力が抜け、床にへたり込んだ。妙に心がざわついてるような不安なような、色んな感情が渦巻いていた。そのせいか身体がひどく重く感じる。
「今日はもう帰って休んだ方が良いわ。もし家で襲われたらこれを掛けてここに逃げていらっしゃい」
リゼは棚からアンティーク風のガラス瓶を取り出した。
二百五十ミリリットルのペットボトルほどあるが片手で握れる程度だ。しかしその形は香水瓶のようで、ガラス瓶自体は雫型だが底と蓋は黄金の装飾が施されていて直立するようになっている。水晶のような石がはめ込まれていて、抜けば開く簡単な物だ。
瓶自体が宝石のようで、リゼの私室に並んでいる景色が目に浮かぶ。
瓶の中では柔らかそうなミルクティが揺らめいていて、水面にはきらきらと星屑が舞っている。
「これを掛るんですか?」
「ええ。生クリームは紅茶で溶けるのよ」
枕元に置いて寝るのよ、と瓶を受け取る手を両手で握りしめてくれた。
たった数分の出来事だったけれど、激しい疲労感に襲われ言われるがままに帰宅した。
すると店内には淹れ方を間違って濁った紅茶色をしたジャージ姿のリゼと、三角巾に割烹着というコーヒーなどという洋風な飲み物には縁が無さそうなリンが雑巾で床を拭いていた。
思わず後ずさりそうになると、ベリッと靴の裏が床に張り付いていたような音がした。
何度か踏み鳴らしてみると、どうやら床がべとべとになってしまったようだった。
「まさかまた生クリームが出たんですか?」
「そ。昨日来たお客さんが大変だったのよ。店中べたべた」
「実態化してると物理的な掃除が必要になるから困る」
「ホントよ。もう業者を呼んだ方が良いわねこれ」
業者とはまたお姫様に似つかわしくない言葉だ。何となくガッカリするので言わないでほしかった。
リゼはジャージを脱ぎ捨てて、後よろしくとリンに雑巾を押し付けた。
「行きましょう。庭は無事なのよ」
「でもリンさんを手伝っ」
「いいのいいの。あの子はあれが仕事なんだから」
ぐいぐいと手を引かれ、オーダーケーキの柱を通り過ぎた向こう側にある大きなガラス扉から外へ出た。
庭というから一般的な庭か、お店ならばカフェテラスのような事かと思いわくわくしていると、そこはわくわくどころではなかった。
景色はイングリッシュガーデンのようだったが、庭という言葉は適切ではない。もはやどこぞの城の庭園のようで、右手には薔薇園があり左手には湖かと思うほどの大きな池。
こんな場所が今まで話題にならなかったのが不思議だ。
「こ、これ、どんな広さですか……?」
「東京ドーム三つ分かしら」
「え!?」
「冗談よ。よく聞く例えだけど、分かりにくいと思わない?東京ドームで換算するの」
「は、はあ」
結局どのくらいの広さかははぐらかされてしまった。
そしてリゼに手を引かれ星屑のような輝きを纏う木立を通り抜けると、小さな宮殿のようなテラスが見えてきた。
お姫様姿のリゼにぴったりの場所で、リンと並んで立てば物語の表紙になる写真が取れそうだ。ジャージ姿なのが惜しい。
まるで夢の様な空間に見惚れていると置いてあるソファに押し込まれた。
「ここもお店の席なんですか?」
「違うわ。ここは避難場所よ」
「避難?」
「そ。ほら、生クリームに襲われると大変な事になるから」
「……そういう現実的な理由あんまり聞きたくないんですけど……」
「ふふ。世界を楽しむ心の余裕が出来たのは良い事ね」
にこりとリゼは微笑んだ。
リゼはよくこの微笑みを見せる。愛らしい微笑みはお姫様のようで、ドレスを着ていればお姫様そのものだ。
そしてあのオーダーケーキを作る魔法のようなひと時は心奪われずにはいられない。例え殺意を向けられていても、リゼとの時間はそれを上回る輝きがある。引きこもっていた事をもったいなく思うほど、リゼは魅力的だった。
(元気づけようとしてくれてるのかな)
リゼの言う事とやる事はよく分からない。
けれどまっすぐ受け止め手を差し伸べてくれる事は嬉しかった。これが店のサービスならば、きっとあっという間に人気店になるだろう。
知って欲しいような独り占めしたいような。悩ましいところだ。
「ここってお客さんていっぱい来るんですか?」
「もちろんよ。全人類がお客様だもの。だから品数豊富なの」
「でも売るわけじゃないんですよね」
「他人にはね。でも本人が必要としてた場合は売るわ。例えば……」
リゼはガラス棚からオーダーケーキを取り出した。
ホールではなく瓶ケーキで、生クリームと苺が層になっている。
「これは浮気した旦那さんを殺したい奥さんのオーダーケーキ。記憶が残ったら殺意は何度も生まれるから私達が廃棄するわ。でも旦那さんがテイクアウトして食べてくれれば、奥さんの殺意は受け止められ和解した――ような気持ちになり平穏に生きていける」
「……えっと、記憶が消えるんじゃないんでしたっけ」
「私達が廃棄したらね。ラッピングしてあるうちは受け取り可」
「ああ、そっか。それで保管期限があるんですね。その廃棄ってどうするんですか?ゴミ箱にポイでいいんですか?」
「それは――」
その時、瓶ケーキがバリンと音を立てて割れた。
中身が外へと飛び出してぐるぐるとうねりながら体積を増やしていく。それは何かを形作り始め、次第に葵よりも大きくなっていく。
みるみるうちに人の形になり、それは目をぎらつかせた女性へと転変した。
「人になった!?」
「これが賞味期限切れよ。旦那さんを殺しに行くの」
「そんな!どうするんですか!?」
「廃棄するのよ。リン!」
リゼは振り向く事もせず呼ぶと、トントンと樹々を蹴りながらリンが現れた。
お姫様のピンチに駆けつけるのは物語の騎士さながらだ。
しかしこれを一体どうしたら良いのかと葵が戸惑っていると、リンはたじろぐ事もなく剣を抜いて切りかかった。そしてその刃は女性の首を一刀両断し、頭は地面に転がりどろりと溶けた。
目の前で繰り広げられたのは殺人にも等しい光景だったけれど、毅然と見据えるリゼと芸術のようなリンの身のこなしの方が葵の心を魅了していた。
「廃棄完了」
リンは剣を収めようとしたけれど、ぴくりと何かに気付いて葵達の後ろをを睨みつけた。
「リゼ、客だ」
「立て続けに珍しいわね。今度は誰かしら」
言われてふり向くと、そこには一人の男が立っていた。
目を吊り上げて歯ぎしりをして、今にも襲い掛かって来そうなほど憎しみに顔を歪めている。
その顔を見て驚いたのはリゼでもリンでも無く葵だった。何故ならその顔は、今一番会いたくて会えない人間だったからだ。
「……累先輩……!」
「これが?ふうん。随分と急なお出ましね」
「二人共下がれ」
「ま、待って下さい!切らないで!」
「実態化しきってないから切れない。追い返すだけだ」
リンは再び剣を構えて切りかかった。
けれどその刃に切り裂かれる前に、生クリームは液体に姿を変えてさあっと何処かへ消えて行ってしまった。
「え?帰った?」
「帰ったわね」
「帰る事があるんですか?」
「迷ってるのかもしれないわね。殺したいほど憎んでても実際に殺すかどうかは別問題だもの」
「……でも累先輩でした。殺したいと、思ってるんですね」
「そうだけど、でも気にする必要無いと思うわ。弟さんが亡くなったのはあなたのせいじゃないんだし」
「でも私が連れ出さなきゃ亡くなる時に会う事はできた……」
「だからと言って殺していいわけじゃない。しかも裁かれない生クリームでなんて卑怯極まりないわ」
「でも……」
迷ってるというのは嬉しかった。多少なりとも何かしらの愛情が無ければ迷いはしないだろう。
まだ謝るチャンスはあるのかもしれない。許されるかどうかは分からないが、せめて一言話ができれば何か伝える事ができるかもしれない。
そう思うと力が抜け、床にへたり込んだ。妙に心がざわついてるような不安なような、色んな感情が渦巻いていた。そのせいか身体がひどく重く感じる。
「今日はもう帰って休んだ方が良いわ。もし家で襲われたらこれを掛けてここに逃げていらっしゃい」
リゼは棚からアンティーク風のガラス瓶を取り出した。
二百五十ミリリットルのペットボトルほどあるが片手で握れる程度だ。しかしその形は香水瓶のようで、ガラス瓶自体は雫型だが底と蓋は黄金の装飾が施されていて直立するようになっている。水晶のような石がはめ込まれていて、抜けば開く簡単な物だ。
瓶自体が宝石のようで、リゼの私室に並んでいる景色が目に浮かぶ。
瓶の中では柔らかそうなミルクティが揺らめいていて、水面にはきらきらと星屑が舞っている。
「これを掛るんですか?」
「ええ。生クリームは紅茶で溶けるのよ」
枕元に置いて寝るのよ、と瓶を受け取る手を両手で握りしめてくれた。
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