常夜の徒然なる日常 瑠璃色の夢路

蒼衣ユイ/広瀬由衣

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第一章

第二十話 ささやかな願い

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 部屋を出て、紫音はどこかへ向かって歩き始めた。

「何で死ぬ一択なのよ」

 突如突き付けられた死の宣告なんて信じられないけど、紫音は真面目な顔をしている。
 こんなつまらない冗談を言う人じゃないわよね。

「瑠璃は鉢をどう思う?」
「鉢?」
「おかしいとは思わない? 錦鯉は有限とはいえ見張りくらいできる。それ以前に大店へ入れてやれば殺されたりしないし、鈴屋様の結界を広げれば鉢だって守れるのよ。錦鯉を放し飼いにしたっていい」
「それは……」

 そうなんだ。守ってるふりをしてるけど守ってない。あれは、きっと……
 紫音を前にそれを口にするのは憚られた。けど紫音はぼんやりと生きてきたお嬢様じゃない。きっと、分かってるんだ。

「あれは仕方がないの。この世界の勢力図は分かってる?」
「勢力図?」
「常夜は鯉屋が全てじゃないの。いろどりのみやにじのみや――……鯉屋の他にもいくつかの国があり、当然出目金被害があるのだけれど全く無くなっていないの」
「金魚の弔いシステムが壊れたから?」
「違うわ。現世の金魚屋はまだ店舗数が少ないの。金魚の弔いシステムが存在するのは現世でもごく一部なの。出目金が減ったのは鯉屋領地内のみの話なのよ」

 日本だけってこと? そうよね。魂は全世界人口分いるんだものね。

「他の国の出目金が入って来るの。だから鯉屋領地の際にいる者が真っ先に食われるわ」
「それが鉢ってわけね」
「ええ。鉢が生贄にならなければ出目金被害は防げない。だから結様はあえて守らずにいるの」

 騒ぎになったところを破魔屋が仕留める。だから被害は少数で済む。
 とても効率が良くて、それはいかにも若旦那の考えそうなことだ。
 でもそんなことを平然とやるなんて……

「結様は怖い方よ。この世を救うためなら千や二千の命くらい平然と切り捨てる方」

 私を見透かしたような言葉に思わずびくりと震えた。
 紫音はひどく傷付いたような顔をして、その表情はなぜか父を思い出させた。

「でも黒曜様は優しい方よ。どうして特別な店を複数作りお一人で取り仕切っていたと思う?」
「意味があるの?」
「あるわ。歴代鯉屋は鉢を迫害し続けてきたの。経済的にも肉体的にもね」
「……は?」
「鯉屋は鉢を迫害し大店だけを取り立てたの。けれどこれには意味があったわ。金魚屋はあらゆる魂を平等に扱う。鉢の罪人をもね。そして破魔屋は死分けができる唯一絶対の金魚屋を無条件で守るために作られた組織。金魚屋のついでに鉢も守ることになる」
「鯉屋が迫害したから鉢は生き延びられた、ってこと?」
「そうよ。何しろ鉢は罪人の集まり。理を遵守する鯉屋は鉢と他の人々と同等に扱うことはできないのよ。大店だって鉢を嫌がり暴力を振るう者は少なくなかった。そのせいで死ぬ者もいた。双方近付かないのが一番なのよ」
「けど白練さんはどうして結界を広げないの?」
「経済を回すためよ。鈴屋様お一人で目を配れる物理的範囲は広くないわ。その限界値が大店。そこの出入りを鈴屋が管理するから出目金は入り込まない。だから大店は安定して経済を回せて、鉢の罪人を雇用する余裕を持てる」

 紫音は遠くを見た。その目がどこを向いているかは分からないけど、涙を堪えるように目を瞑った。

「常夜の魂は必ず誰かに守られる仕組みだった」

 ほうっと紫音は深く息を吐いた。そしてゆっくりと私を振り向くと、するりと頬を撫でてくれた。

「きっと今回もね、それだけなのよ。大袈裟に見えて実のところ娘たちを守りたいだけ」

 はんなりと微笑む様子はとても穏やかで、触れる指先は温かかった。私は母親なんて知らないけど、いたらこういう感じなのだろうかと、何故かそんなことを想わされた。
 紫音は俯くと、再び前を向いて歩きだした。

「玻璃には何も無いわ。あの子に隠された秘密なんて何も無い――無いわけじゃないけど、あの子の役割は替えがきくの。瑠璃のように唯一無二ではないのよ」
「でも若旦那は何かあるって」
「結様は統治者として優れている。優れすぎているから黒曜様が私情で人類の不利益となる行動をとると考えないのね。あなたは黒曜様が現世で生涯を終えることを選んだ理由を知ってる?」
「いや、知らないけど……」
「結様は現世の魂を救うためだと思ってらっしゃるわ。でも違うのよ。黒曜様はおっしゃってらしたわ」

 紫音はぴたりと足を止めると私に背を向けた。空を仰ぐように見上げると、小さな声で呟いた。

「“疲れた。最期くらい自由でいたい”と」
「お父さん……」
「私は責任放棄だなんて思わないわ。結様という後継者を育てたのだから。でも結様は何か意味があるはずだと勘繰るわ。そうなれば結様は瑠璃と玻璃を守らざるを得ない」
「それならどうして累さんは玻璃を隠したの? 若旦那につきだせばいいじゃない。あ、もしや仲悪い?」
「まさか。累様は結様を溺愛なさってるわ」

 くすくすと紫音は笑った。振り向いて見せてくれたその顔はやけに幸せそうで眩しい。

「結様はご病気でらしたの。脳死になったところでこちらへお召びしたんだけど、初めてお会いした時はとても弱々しい少年だったのよ。累様の名を呼び泣き叫んで」
「えっ!?」
「結様が跡取りをやると決意なさった理由は何だと思う?」
「魂を救うためじゃないの?」
「違うわ。友達が欲しかったからよ」
「へ?」
「生まれつき心臓が弱く病院で育ったような方なのよ。学校にも通えず友人もいない。でも常夜なら肉体の病なんて関係ないわ。魂で生きるのだもの」

 若旦那の生前なんて知らないし、今の姿を見る限りそんなか弱い人だったとは思えない。
 けれど強くなくては全ての魂を統べることなどできないだろう。彼の強さは『任せておけばいいだろう』と思える。

「結様は強い方よ。でもそれは心を隠すことがお上手というだけ。大義に必要な犠牲だとしても、心を痛めないわけじゃないのよ。だから結様はいつも笑顔なの。それしかできないから」
「……そう」
「結様は我慢がうまいから我がままは全部自分が叶えてやるんだって、累様はいつもおっしゃってらしたわ。そのために現世を捨てた」
「累さんは強い人ね」
「だから黒曜様は玻璃を累様に預けたのよ」

 それはつまり、若旦那は玻璃を助けたいと思ってるということなんだろう。
 あの笑顔の下で何を考えているのかなんて、紫音のように察することはできない。
 でも無慈悲な人ではないのは分かる。本当に無慈悲なら紫音のことなどとっくに切り捨てていただろう。そうしないと分かっているから紫音は――……

「紫音が鯉屋を出て華屋もやらなかったのは若旦那の目を盗んで累さんと連携するため?」

 紫音は経営ができない人じゃない。商品を作るセンスもある。やれるけどやってないだけだわ。
 けれど紫音は何も答えず、ただにこりと微笑むだけだった。

「黒曜様は結様のためにその生涯を使うと決めた。なら私も鯉屋当主としてそれをするわ」

 どうして「なら私も」となるのかを聞きたい気がした。けれど聞いてはいけないようにも思えた。
 紫音はそれ以上は何も言わず、私をじっと見つめた。

「現世へ帰りたいと言ったわね」
「え、ええ」
「現世への道は私が開いてあげられる。それが鯉屋当主の血統に受け継がれる理を順守するための力」
「でも一人だけって言ってなかった?」

 紫音はくすっと笑い、宙を撫でるように指先を動かした。そこには何もないけれど、その指先は確かに何かを撫でているように見えた。

「奥の手は隠しておくものよ」

 紫音は私の手首に嵌めている数珠――破魔矢を指差した。
 これは若旦那には渡さない私の奥の手だ。

「……なるほど」
「来なさい。現世へ行く方法を教えてあげる」
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