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第一章

第三十一話 有翼人保護区(二)

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 提案が通ってから数日はそれにかかりきりになった。
 具体的な費用や業者との交渉は戸部社員が行うが、美星はそれに必要な街の現状調査をし改善案をまとめていく。
 今日もそのつもりでいたが、出勤早々に美星と浩然は護栄に呼ばれてとある部屋へとやって来ていた。

「護栄様……この部屋ってまさか……」
「殿下の執務室ですよ。やたらと触らないように」
「やっぱり!?」

 護栄はいつも通りだった。美星にとっては皇太子殿下の執務室なんて生涯入る事の無い場所だ。

「ねえ浩然。どういう事これ」
「時々あるよ。唐突な殿下の召集」
「え、こわ……」
「静かになさい。殿下がお見えになりますよ」

 こつこつと足音が聞こえ、美星は慌てて叩頭礼をし床と平行になった。
 しかしすぐに誰かが肩に手を添え身を起こすように促してくるが、聞こえて来たのは皇太子天藍の声だった。

「頭を上げて立ってくれ。その礼は好きじゃない」
「しかし礼を欠くようなことは」
「美星。殿下が良いと言った場では殿下の意向に従いなさい」
「……はい」

 ぴしゃりと護栄に一刀両断され、美星は恐る恐る顔を上げ天藍を見上げた。
 すると天藍は護栄をじとっとした目で睨み、はあ、と大きなため息を吐く。

「護栄。そういう言い方するから反感買うんだお前は」

 護栄は気まずそうな顔をし、美星は心の中で頷いた。
 悪人でない事は分かっているが、誤解されるのはこの態度のせいだ。
 まったく、と天藍は苦笑いを浮かべると美星に向き直った。

「先代皇の定めた叩頭礼は獣人以外にのみ強いられた差別の証拠だ。新たな礼儀作法を設けたいとも思っているが、先代皇派の賛同が無ければそれもできない。だから俺達だけの時は叩頭礼は止めてくれ」
「殿下の深いお志理解致しました。では起立させて頂きます」

 美星はささっと立ち上がると、護栄は不服そうにぷいっとそっぽを向いた。
 こうした子供っぽい姿を見るのは貴重だ。美星はきらんと目を光らせつんっと肩を突く。

「台本読むだけじゃ配慮の心は身に付きませんよ」
「……分かってますよ」
「ははは! うまくやってるようで何よりだ。仕事も良い進行をしてるそうじゃないか」
「有難うございます。全ては護栄様のご指導があってこそ。これからも精進してまいります」
「ほお。護栄付きにしては珍しく謙虚で礼儀正しいな」
「美星の謙虚さは響玄殿の教育で礼儀作法は莉雹様仕込みです。護栄様は指導してないので仕上がりが良いんです」
「なるほど。まだまだだな、護栄」
「……さっさと本題に入ったらどうです」
「分かってる。美星。お前は有翼人に想い入れが強いと聞いた」
「はい。羽は無くしましたが私も有翼人でございますので」
「俺は有翼人も満足できる生活を作りたい。だが彼らの生態は未知で何をしたら良いのかも分からない。特に羽を無くした有翼人には正体を明かしてすら貰えていない。意見交換どころか誰がそうであるのかすら分からないんだ」
「……はい」
「そこでお前に羽無しの事を教えて欲しい。心の傷を抉るかもしれんが、有翼人のためにも力を貸してくれ。この通りだ」

 天藍は一国民であり部下の美星に深く深く頭を下げた。
 美星の支配者への印象は一方的な命令をし、気に食わなければ処分をするような凶暴さがまず先に立つ。
 迫害される有翼人だからかもしれないが、美星は天藍に対してもさしたる期待はしていなかった。

(この方はどこまでも自分が下になるのね)

 けれど天藍は自分は非力と認め手を貸してくれと言った。それは自分にできない事を誰かに頼む護栄と同じ姿だ。
 少しだけ心は苦しくなったが、美星はそっと微笑みを作った。

「大任にお声掛けいただき光栄でございます。私でお力になれる事があれば何なりとお申し付けください」
「助かる。では有翼人の一般的な生活について分かるか。何が苦楽となるかを知りたい」
「……正直なところ分かりません。私は父の庇護があったため迫害を受けた事も不便を強いられた事も無いのです」
「響玄殿は充実した生活を与えていたのだな」
「はい。有翼人の現状は父の方が理解していると思います。父が多忙なのは本業ではなく有翼人保護活動なのです」
「響玄の活躍は聞いている。中には非合法のものもあるな」
「で、ですがそれが無くては羽無しは生きていけないのです!」

 美星は思わず立ち上がった。
 人間でありながら有翼人を守り続ける父響玄の侮辱や否定は美星にとって最も許せないことだからだ。
 皇太子の前である事も忘れ、美星は声を荒げた。

「私は宮廷が恐ろしかった! ですが父は宮廷に上がれと言いました。憎しみを未来へ活かす術があると。そしてそれはきっと父ではできないことなのです。だから私を宮廷にやった!」

 美星はぐっと強く拳を握りしめた。

「有翼人だって穏やかに暮らしたい! 愛し愛される、たったそれだけのことが許されないなんておかしい!」

 ぽたぽたと美星の目から涙がこぼれた。
 護栄と浩然は気圧されたようだったが、天藍はすっと席を立ち美星の肩を抱いてくれた。

「も、申し訳ございません……」
「いや。それこそが俺の知りたい種族の本音だ。やはり有翼人保護区は早急に現実的な案を立てなくてはならない」
「……有翼人保護区?」
「ああ」

 天藍に促され再び着席すると、天藍は椅子を寄せて美星の隣に座った。
 本来なら一段高い場所にいるべき皇太子が隣にいる。

「俺が有翼人国民に話を聞いて回った時、皆一様に同じことを言った。何だと思う」
「……分かりません。なんでしょう」
「非合法なれども響玄の活動こそ有翼人の救済。だからどうか響玄を助けてくれと。響玄に救われた者もそうでない者も、皆が口を揃えてそう言った」
「お父様を……?」
「響玄の有翼人保護活動を合法的に行える土地を作りそこを『有翼人保護区』とする。これを有翼人救済政策の主軸にしたいと思っている」
「獣人保護区と同じですよ。種族が本能のまま生活のできる場所」
「だが宮廷は現状を知る事すらままならない。だから、お前に頼みがある」

 天藍は椅子から立ち、あろうことか床に膝を付きそっと美星の手を握った。

「響玄の活動を護栄の元で政策にしてくれ。これは羽無しであり響玄の娘であるお前にしか頼めない」
「わたしに、しか……?」

 これまで護栄と浩然に認めてもらった案がある。それはどれも父の教えがあったからこそだ。
 だがそれが今護栄の力で国に広がろうとしている。少しずつだが確実に。
 護栄を見ると目が合い、優しく微笑んでくれる。

「響玄殿に庇護され私の元で働きなさい。それが宮廷と有翼人の架け橋になる」

 それは七光りを得られた者にしかできないことだ。

「……はいっ! 頑張ります!」
「期待してますよ」

 悔むことも反省することもたくさんある。まだ有翼人を救ったとはとても言えない。
 けれど天藍と護栄がいる宮廷ならそれは現実的な未来に思えた。
 頑張ろう――そう近い手を握りしめたが、つんつんと浩然に突っつかれる。

「感動してるとこ悪いけど今の台詞も殿下の台本だからね」
「あ、これも」
「嘘も方便ってね」
「いいえ。適材適所です」

 つんっと護栄は口を尖らせそっぽを向いた。
 護栄は都合の悪い事にはこうして目を背けるのだ。

「はは! 浩然といい美星といい、護栄には護栄に靡かぬ者が必要だな」
「暗に半人前と言ってますねそれは」
「莉雹殿の指導が入るうちはそうだろうな」
「……あの方を引き合いに出さないで下さい」

(不思議だわ。年相応に見える)

 こういう姿を見るのは少し面白い。美星はくすくすと笑いを零した。

「何ですか。人を見て笑うなんて失礼ですよ」
「いえ。ただやっぱりまだ子供なんだなと思って」
「……は?」
「あはははは! そうそう、そういうこと!」
「浩然」

 それから美星はこれまでの事を話した。
 有翼人狩りがどんなものでどれだけの被害だったか、有翼人が負った心の傷、取り戻せなかった遺体への無念。
 天藍は全て聞き、護栄は尽くせる手があれば今からでも手を尽くすと約束してくれた。
 それは過去の憎しみがほんの少しだけ浮かばれたようだった。
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