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第一章

第二十七話 美星の挑戦(一)

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 美星が戸部で働き始めて十数日が経った。
 浩然を始めとした職員と交流を深め、雑務を巻き取れるようになったが実務割合は侍女業務の方が多い。
 つまり戸部職員を名乗るにはまだまだ素人同然で、とても護栄に並んだとは言えない。浩然の足元にすら及ばないだろう。
 何故か美星は浩然と共に護栄の両脇を固めるように着席していた。
 それも宮廷職員上層部だけが顔を並べる重鎮勢の会議に。

(何故こんなことに……)

 事の発端は浩然に福利厚生を提案した事だった。

「按摩を福利厚生に?」
「そう! 前に桜綾が提案してくれたの! どうかしら!」
「按摩ねえ。具体的にどうやるの? 場所は?」
「按摩師を雇って来てもらうの。場所は離宮がいいと思うわ。どうせ余ってるし」
「んー、悪くないけど今は結果が金額で表せることが良いな。結果が目に見えない気持ちの問題って説得が大変なんだ。離宮の活用は良いと思うよ。維持費に意味ができるから」
「なら生活保護受給者の受け入れは? 食堂も利用可にすれば給付金から家賃と食費減らせるでしょ。残飯処理もなくなるわ」
「あ、それいい。やろうやろう」

 こうして美星の提案は浩然を通り護栄の承認も出て、それは後日各部の了承を得て実施となった。
 その『了承を得る』というのは大々的な会議でやると聞いていたため、美星は護栄と浩然から結果を聞くのを待つつもりだった。
 だが護栄は『自分が言い出した事は自分でやるですよ』と言い、この会議に美星を引きずり込んだ。
 侍女の規定服で護栄の隣に座る美星は明らかに場違いで、その場の全員からじろじろと睨まれている。

(そりゃそうだわ。ここにいるのは六部を率いる方ばかり)

 補佐で部下を連れている者もいるが、それも各部の職員用規定服を着ている。
 身の回りの世話をする侍女を連れて来る者などいるわけもない。
 視線で身を切り刻まれることに耐えていると、ようやく護栄が口を開いた。

「本日戸部から福利厚生につてご提案が御座います。美星、説明を」
「えっ、あ、は、はい!」

 緊張していた美星は思わず声が上ずった。まさか出だしから指名されるとは思ってもいなかった。

(進行くらい教えといてよ!)

 だがそれを言ってもきっと『即説明できなければ交渉などできない』と言われるのは目に見えている。
 美星はすうっと深呼吸をし、にこりと笑顔を作った。

「ご提案申し上げます内容は離宮の活用で御座います。現在離宮二十二棟のうち十七棟が利用されていない状態です。そこで離宮を生活保護受給者の住居にしたいと思っております。食堂利用も可とし、これにより生活保護給付金を削減が可能です。皆様のご意向はいかがでしょうか」

 美星は丁寧に言い切れたことに安堵したが、何故か室内は静まり返っていた。

(何かまずかったかしら……)

 じとっと全員から睨みつけられびくりと身を震わせたが、浩然がすっと手を挙げた。

「これにより削減される生活保護給付金額は白金二百七十。現在実施できる予算削減案では最高額となります」

 ほお、と全員が声を漏らし何かを考えているようだった。

(あ、そ、そっか。具体的な費用を言わないといけないんだ。戸部としての発表だもの)

 美星が最初に言ったのは意気込みで、具体的な運用も費用も分からない。何の反応も無くて当たり前だ。
 だがそんな反省をする暇を与えてはもらえなかった。
 着席している女性がぎろりと護栄を睨み、おい、と攻撃的な声を上げた。

「離宮の調度は全て一級品。勤勉な国民を差し置いて、働けない者に贅沢をさせるつもりか!」

(……そうだわ。そうよね。それはよくないわ。でも)

「なら調度は職員共有の場に移動するのがいいかしら。宮廷も華やかになるし」
「ん?」
「え? あ……」

 美星はぽつりとこぼした。うっかり口にしてた事を睨まれ、美星は思わず身を引いた。

「ふん。だが維持管理は女官の、清掃は侍女の仕事。働かぬ者の世話を焼いてどうする」
「清掃は入居者各自にやらせればよろしいかと思います」
「ほお。では侍女の手が空くな。ならば当然解雇だ。お前は働かぬ者を守るため働ける者から職を奪うか」
「それは女官教育をしたら良いのではないでしょうか。六部は人手が足りておりませんし。確か莉雹様が教育制度を作りたいとおっしゃってました」

 しんと再び静まり返った。
 その場の全員が美星をじいっと睨み、そうか、とその場の誰かが口を開いた。

「そうか。天一響玄の娘で、入廷前に莉雹の指導を受けたというのはお前だな」
「左様でございます」
「天一は従業員も多いと聞く。人材の適材適所はお手の物と言うことか」
「え」
「その通りです。美星は日々当然のようにこうした改善案を出しております」

(は!?)

 突如持ち上げてきた護栄を思い切り振り向くと、いつも通りにこりと穏やかな外面を作っている。

「それに美星は下働きを経験しているので採用される側の気持ちも理解している。下働きは途中で脱落する者が多いですが、これの原因は何だと思いますか、美星」
「つまらないからではないでしょうか。教育内容が基本的な礼儀作法と日常的な家事全般のみで、皆が待望した読み書きや勉学は定時内授業には含まれません。そのため『宮廷はこの程度か』という落胆が御座います。当然六部に配属など叶うわけも御座いません」
「つまり現状の教育制度で我らの補佐に足る人材は育たない。ですが美星のように経営の基礎を学べば六部で活躍もできます。これを機に、美星を育てた莉雹殿の方針で教育制度を確立してはいかがでしょう」
「馬鹿を言うな! 育つか分からぬ、意欲の有無さえ分からない者にそこまでできるわけがないだろう!」
「はあ。では侍女志望の者は『侍女見習い』、女官志望の者は『女官見習い』として教育すればよろしいのではないでしょうか。水運び希望の者は教育されるのは嫌でしょうし」

 美星がけろりと言うと、再び全員の視線が突き刺さった。

(そんな突拍子も無い事言ってる? 普通のことじゃ――……あ、そうか。これが『護栄様を引きずりおろす』ってやつね)

 浩然の雑務を手伝って分かったのは『説明するべくもない当然の事』を詰めることが多いという事だった。
 だが『そんなの当り前じゃない』と思っても、何故当然かの説明ができない事も多かった。

(いちゃもん付けて失敗させる気なのね。でも従業員の雇用と教育なら私に分かる事だってあるのよ)

 美星は顔を上げ、にこりと穏やかに微笑んだ。
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