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第一章

第二十六話 幕間 ー護栄の胸中ー

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 護栄は執務室の自席から職員の様子に目をやった。
 美星を戸部へ引きずり込んでから数日経ち、少しずつ変化が訪れている。

「ただいま戻りました」
「お疲れ。大変だね、侍女もやるなんて」
「いいえ。必要な事ですから」

 侍女も並行してやるようにと言ったからか、美星は日々あちこち行き来しているようだった。
 自分が動くことで気付くこともあるだろうからそれはそれで構わない。けれど護栄は意外に思った事があった。

(下働きにやらせて報告させればいいものを。お嬢様育ちのわりに人を使う事を知らない娘だ)

 浩然の報告ではお嬢様育ちであるが故に周囲と摩擦があると聞いていた。
 きっと上から目線でものを言ったり、同じ立場の者を使用人扱いしたのだろうと思っていた。しかしそれは人を使い慣れてるという事でもあり、多忙を極める護栄にとって悪くない資質だ。
 だが美星は思っていた以上に自分が動く。それどころか誰かに仕事を振ることは一切ない。もしこれで業務が滞るようなら何か考えようと思っていたが、ここでも意外なことがあった。

「護栄様。会議の資料まとめておきました」
「有難う御座います」

 美星がまとめた資料を受け取ると、指示した内容が揃っていた。
 護栄が使う資料作りはいつも浩然にやらせていたのだが、今は美星にやらせている。

(文字が綺麗で整列されてるから読みやすい。普通のお嬢様は書類作りなどやらないだろうが、さすが響玄殿の娘だ)

 護栄が下働きや侍女を自分の部下へ指名しないのはこれが理由だった。
 読み書きのままならない者が多く、基本的な書類整理すら頼めないのだ。重要性を理解しないためか、書類を駄目にしたり紛失する者もいた。
 結局戸部でやる事になるが、護栄を含め全員が多忙のため丁寧な書類作りだの整理整頓などやる余裕はない。
 散々な状況を経て全て浩然にやらせる事となったが、それも美星が来てから幾分か改善された。

「すっげー。本棚綺麗になってる。美星やってくれたの?」
「はい。物探しで時間を取られる事が多かったのでつい」
「助かるよ。ここ全員片付けへたくそで」
「戸部の専門業務ではまだお役に立てていないのでこれくらいは。休憩の頃に軽食お持ちしますね」
「ああ! 有難う!」

 美星は軽やかに言葉を交わしていたが、会話をしながらも毛布を長椅子で眠っている職員にかけてやっている。

(接客をしていたからか交流に臆する事がなく、それでいて丁寧で持ち上げるのもうまい。相手の困ってる事にもよく気付くし、改善のための行動も出来る。同期と揉めてたと言っていたからどうなるかと思ったが、冷静でいれば補佐能力は高い)

 揉めた詳細な内容までは聞いていないが、護栄の想像した『お嬢様育ち』よりははるかに優秀だった。
 しかも自分の業務管理もしっかりしている。
 窓を閉めた美星は浩然の傍へ行き、その手元を覗き込んだ。

「浩然、それ何やってるの?」
「有料献立の粗利」
「ええ? そんなの私やるわよ。貸して」
「いいの? 助かるよ」

 侍女と下働きのほとんどが指示を貰って動く。自分で考え仕事を探しに行くような事はしない。
 やらない理由は限界だからか惰性かどうかは人によるだろうが、少なくとも金勘定をやりたがる者はこれまではいなかった。
 もちろんそれはやり方や業務の意味が分からないからだろうが美星は違う。

(さすが天一仕込み。帳簿付けは完璧で損益計算は理解してる。あれなら浩然の手がかなり空く)

 浩然が多忙な理由は資料作成の物量だった。
 本来なら損益計算書や経費精算の資料は各部各自で作り提出してくる。だが先代皇は『獣人職員の活動には金に糸目を付けぬ』という方針で、驚くべき事にいくら使っていたか管理がされていなかった。
 当然職員に書類作成の知識も技術もなく、教えても正しい状態で提出されることはまずない。事前承認された予算を守ってすらくれない。
 結局浩然が片っ端から面倒を見るが、一年経っても職員の状態は変わらなかった。その理由は――

(浩然は教育が下手だから職員が育たないんですよね)

 教え方が悪いのだ。それは忙しさからくる焦りもあるだろうが、浩然は護栄が育てたからか『一で十を理解しろ』方針になってしまった。
 だが浩然の教育能力を育てる余裕などあるわけもなく、現状改善せずにいる。

(だが美星が作った記入例のおかげで書類不備は格段に減った。質疑応答も丁寧だから無知な者とも角が立たない。従業員の教育をしていたらしいが、教え方が良いのだろう)

 そして実際、浩然はこのところ余裕ができたようだった。
 今まで手を伸ばせないでいた分野の勉強も始めている。

(浩然は貧しかったから金に貪欲だ。地頭が良く知識欲もあるから成長も早い。なのに手が空かないせいで足止めを食らっていた。だが美星という優秀な補佐を得た今なら次に進める)

 護栄はきゃっきゃとはしゃぐように働く二人の部下をじっと見つめた。

「浩然。来期の予算会議、私の代わりに出てくれませんか」
「え!?」
「資料は事前に確認しておくので質疑応答かわしてきて下さい。できますか」
「できます! やります!」

 浩然は目を輝かせて飛び跳ねた。
 普通であれば大変な仕事が増えて嫌がるところだ。その証拠に周りの職員は自分に回ってこなかったことに安堵している。

(出世欲もあるから大きな仕事にこそ丁寧だ。戸部を一任できれば私は礼部で響玄殿と二人三脚の外交に当たれる。そして礼部の土台を整えれば……)

 ちらりと美星を見ると、浩然が喜んでいる姿を見て自分も嬉しそうに笑っている。
 浩然とは歳が離れているからうまくやれるか不安だったがすんなりと打ち解けたようで、雑務は私にちょうだいと立候補までしている。

(礼部は美星に任せたい。そうすれば響玄殿は絶対宮廷に付く。だが問題は明恭だ。美星は明恭と手を繋ぐことはできないだろう)

 護栄は美星がこちらに背を向けているのを確認すると、そっと机に備え付けの引き出しを開けた。
 その中には有翼人の羽根が数枚束ねられていて、それと一緒に一枚の書類がある。
 それには『有翼人商品取引証明書』と記載されていた。

(明恭は有翼人の羽根を売り物にする。礼部は有翼人の尊厳である羽を切り売りする必要がある)

 有翼人商品取引証明書。
 これは有翼人本人を売買する――というものではない。有翼人の羽根を売買するという契約である。
 契約である以上本人の同意を得てから行うものだが、それでも有翼人狩りで羽を落とした美星には非情な商売だ。となれば響玄もこれには協力をしないだろう。

(だが有翼人の羽根は動物の毛など比じゃないくらい保温力が高い。極寒の明恭にとって命綱だ)

 有翼人は生態が未知数だ。あの羽が一体何でできているのか、果たして進化なのか退化なのか、何もかもが分からない。
 しかし明恭はいち早く有翼人の羽根の保温性に気付き、国民から買い上げてるという。
 だが有翼人は迫害を逃れるため隠れ住む事が多く、協力してくれる絶対数が少ないという問題がある。そう簡単に羽根は手に入らないのだ。

(全種族平等を掲げた今、有翼人は間違いなく蛍宮に集まる。ならば国民から羽根を回収し氷と交換するのが最善。そのためにも有翼人自ら『羽根を明恭に提供したい』と思ってもらう必要がある。だが羽根売買事業はどう取り繕っても有翼人狩りと同義に見えるだろう。これが有翼人のためになる大義名分を用意したとて聞き入れて貰えるとは思えない)

 引き出しを閉めてちらりと美星を見ると、浩然と楽しそうにしている。
 どうやら浩然が何かを教えているようだったが、他の職員も寄って来ていつの間にか輪が広がっていく。
 戸部はいままでにないほど明るく活気が出た。美星が来てほんの数日だ。

(戸部の状態は良い。だがもう一人必要だ。私と同じ目線で有翼人を導く指導者が)

 味方が増えたことは喜ばしいことだった。
 しかし同時に足りないものが明確になり、それは進歩であり護栄の頭痛の種でもあった。
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