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第一章

第十九話 新たなる決意(一)

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 美星が宮廷内で襲われた事は騒ぎどころか噂にもならなかった。
 ただ体調不良で倒れたとだけ伝えられ、桜綾は自分の分も働かせてしまったのだと思い悩んでしまったようだった。
 それからというもの、桜綾は吏部以外の仕事にも積極的に動くようになった。美星の経験を学ばせてほしいとまで言ってくれて、おかげで業務はとても充実したものになっていった。
 それに桜綾は同胞である獣人の生態からくる問題点によく気付く。それは美星では分からないことだが、解決や対処は共に知恵を絞ることができる。
 文官にも美星と桜綾の組み合わせは評判がよく、名指しで呼ばれることも増えていた。

(全種族平等ってこういう事なんだわ。誰だって知識のある業務が充実する。ならお互いが得意分野で教え合い助ければいいだけ)

 ようやく浩然の言っていたことが本当の意味で分かった。
 そうして侍女として充実の日々を送っていたある日、珍しく女官から声がかかった。

「美星。今日の報告会に参加なさい」
「報告会? 女官の皆様がなさるあの報告会ですか?」
「ええ、そうですよ」

 侍女は申し送りで業務の報告をするが女官は違う。
 執務室で長い時間をかけて報告をし合い議論を交わすが、その議題が――

「来期の修正予算を立てます。納品について意見がほしいのです」
「予算!?」

 宮廷で何かをする時に使う金額は決まっている。その金額内でやりくりをするのだが、それは全て女官が決めるのだ。
 その報告会で発言できれば、その内容は予算を司る者へ伝わる。

(戸部へ伝わる! 浩然様に、きっと護栄様にも!)

 決して有翼人をないがしろにしているわけではないのは美星にももう分かっていた。
 浩然がその方針であるというのなら、そう決めたのは戸部を統べる護栄だ。

(……あの人がどういう人かは分からない。でも)

 襲われて倒れた美星を助けてくれて、目を覚ますまで付き添ってくれていた。

(悪い人じゃないわ。きっと聞いてくれる)

 ようやく掴んだ機会に美星の胸は高鳴り気合いが入った。
 女官はくすっと笑い、とんとんと美星の背を撫でた。

「報告会は侍女長の彩寧様もご参加です。そう緊張せず大丈夫ですよ」
「彩寧様!?」

 宮廷に入り、実は彩寧とは一度も顔を合わせていなかった。
 下働きのうちはそうだろうけれど、文官選任侍女になってからもだ。
 しかし侍女の仲間内でも彩寧と業務を共にする者はおらず、とても手の届かない人だったことをようやく知った。

(莉雹様も彩寧様もとても遠い方。そんな方々と私的に縁があるなんて、七光りと言われるのも当然だったんだ)

 美星が妬まれるのは響玄の名があるからだと思っていた。
 しかし侍女になってから父の七光りではなく、莉雹と彩寧に縁がある事を妬まれるようになっていた。
 それに比例して父の名が出る事は無くなり、父は宮廷職員にとってはただの金持ちで、政治的価値は見込まれていないことをようやく知ったのだ。

(女官と侍女は雇用形態が違うだけじゃない。見ているものが違うんだ)

 美星は迷っていた。美星が目指すのは有翼人の毎日が幸せであることだ。
 幸せであるのなら、支配者が宋睿だろうが天藍だろうがどちらでもいい。
 それなのに就く職は大義を見据える女官でよいのかと。

(文官や女官に憧れていたわ。でもそうじゃないとお父様は最初から全て分かってたんだ。だから私を宮廷に入れた)

 美星は跳ねる鼓動を落ち着かせるように深呼吸をし、頭を下げた。

「大変光栄でございます。何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」
「ええ。頑張りましょうね」
「はい!」

 そして女官に連れられ女官専用の執務室に入った。
 そこは少し前まで美星が憧れていた部屋だった。

「本日より文官選任侍女の美星にも参加してもらいます。品選びや納品に有意義な意見をくれるでしょう」
「よろしくお願い致します」
「聞いていますよ。響玄殿の教えを存分に発揮して下さい」
「はい」

(やはりお父様は宮廷に使われる側なんだわ。あのお父様でさえ)

 響玄は有翼人のために走り回り財を費やした。
 それは美星にとって偉業だったが、蛍宮という国家規模で見れば『一部の者しか救済できない』という不十分な結果なのだ。

(大義を成すならばお父様のやり方では駄目なんでしょうね。でも私はそれでいい)

 護栄や浩然、女官でさえ父響玄のやっている事はとても小さな事なのだろう。
 けれどそれが情けなくて無駄な事じゃないということは美星が一番よく分かっている。
 そして、それが大義を成すために必要な事であることももう分かってる。

(この報告会でやるべきは有翼人の苦を訴えることじゃない。私の『実力』を見せること!)

 美星はにこりと穏やかに微笑み座席に付いた。
 進行に立ったのは年若い女官だ。

「ではまず備品に関する報告です。明霞(みんしゃ)」
「はい。女性職員が増えたため規定装飾備品が不足しております。髪結いと化粧の品は大幅に不足しておりますので追加を検討しております。そのための予算を新たに頂く必要がございます」

 机には大きな用紙が広げられている。
 そこに買い足したい物やその費用が書き出されていて全員で覗き込む。
 皆熱心に目を通しているが、美星は思わず眉をひそめた。

(食材と同じで高級品ばかり。私だったらもっと安価な物にするわ)

 女官にも幾つが業務があり、その内容によって配属されている部が異なる。
 今集まっているのは吏部に所属する女官で、つまり先代皇派だ。

(けど決定には彩寧様の賛同も必要よね。どうして今までこんな額を許してきたのかしら)

 何か理由があるのだろう。けれど今の美星にはまだそれが分からない。

(獣人には必要とか? でも装飾をじゃらじゃらつけるのは獣化の邪魔になるんじゃないのかしら。あ、先代皇から続いてることならもしかして人間社会で必要とされる事情がるとか?)

 美星はまだ各種族の生態も先代皇の政治の意味も分かっていない。
 けれど継続してきたことには何かしらの意味があるのだろうとは思うようになっていた。
 ううんと悩んでいると、とんっと彩寧が軽く机を叩いた。

「美星は品選びに思う事があるのじゃないかしら」
「天一では良い品を扱ってますものね。是非意見を聞かせてちょうだい」

 びくりと美星はほんの少しだけ身構えた。下働きの間ではこういう特別扱いがあると『また七光りよ』と攻撃されて来たからだ。
 けれどここに居る女官は誰一人非難の目を向けず、それどころか一流商店の内情には興味あるわね、と楽しそうにしている。

(見ているものが違うというのはこんなに違うんだ)

 下働きが愚か者の集まりだったとは思わない。あれが国民の本音で、無視してはいけないものだ。
 けれど宮廷はそれを無視しているように感じた。

(ここで国民への同情で非現実的な事を言えば今後発言の機会が減るわ。建設的にかつ国民の気持ちを汲まなければ)

 浩然の言葉が頭をよぎる。
 下働きでありながら認められたのは報告会で有意義な発言をしたからだと言っていた。 

(莉雹様の言葉を思い出して。礼儀作法は常に忘れない。でなければ信頼は得られない)

 美星は小さく深呼吸をし、にこりと穏やかな微笑んだ。
 それは父響玄の縁で出会えた莉雹に教わった微笑み方だった。
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