上 下
13 / 42
第一章

第十二話 孤立(一)

しおりを挟む
 騒動から数日が経ち美星が完全に孤立したころ、小鈴を始め生活に困っている下働き数名が退職した。
 これは美星と揉めたからではない。獣人のみ対象だった生活保護制度が拡大され、有翼人も給付金を受けられるようになったからだった。
 驚くべきは同時に水問題が解決された事だった。有翼人のみを対象に、宮廷の下働きが川から水を運ぶことになったのだ。
 担当する下働きは主に礼儀作法や家事がままならない者だった。一見宮廷業務ができない者を美しく厄介払いしただけに思われたが、重労働のため担当分が終わり次第帰宅して良しとされた。担当する配達先も縁のある家庭を優先するという配慮もされている。
 これで給与は変わらないため、各自勉強や家族と共に過ごす時間が増えたという。
 言うまでもなく天藍の支持率はさらに上がっていった。
 特に有翼人は『天藍様なら有翼人を守ってくれる』という信頼をするようになり、羽無しからは水運びの下働きを希望する者まで出始めた。水の配布対象は有翼人のみのため業務中に他種族と関わらる事がなく、一人で移動する業務のため『人の中で苦しみつつ働く』ことが無いからだ。
 無理なく有翼人の願いを叶えたこの運用は国民から大きな支持を得た。
 そして、これを実装したのは浩然だった。

(これが『実力』なのね。私はまた傍観しただけだった……)

 美星が考えていたのは自分が節約すれば小鈴だけには分けられるかもしれないという、響玄の庇護の分配だった。
 自分の力でできることなど何もなく、美星は有翼人を救うなんて無理だという現実を突き付けられていた。

 そうして下働きを続けて三か月が経過した。今日は卒業後の配属先が発表される日である。
 配属先は大きく四つで、武官と文官、女官、侍女だ。武官と文官に関してはすぐに業務に就けるわけではない。各部署の補佐となり業務を学び、再び適正を見て異動となる場合もある。
 美星が希望を出したのは文官だ。戸部であっても無くても、まずは文官の扉をくぐらなければ始まらない。

「では配属を発表します。まず武官」

 武官は簡単に言えば軍だ。戦争ともなれば派兵もありえるが、日常的には国内の警備が主だ。
 先代皇は獣人のみで構成していたが、天藍は希望があれば種族問わず採用される。
 採用後は武術専門の学舎へ入り、その卒業をもって正式に採用となる。

「武官は採用無し」

 室内にほっと安堵のため息が聴こえた。
 何しろ今現在残っている下働きはほぼ美星と同じ羽無しだ。有翼人狩りを経験した者にとって、いくら支配者が変わろうとも武器を振りかざす存在は恐怖の対象であることに変わりはない。

(当然ね。希望だって出してないはずだもの)

「では次。文官」

(きた!)

 美星はぐっと強く拳を握った。

(お願い。文官じゃなきゃ意味ないの)

 祈るようにぎゅっと目を瞑る。
 そして蘭玲が採用者の名が読み上げるため唇を開いた。

「採用無し」

(……ああ……)

 美星はがくりと肩を落とした。
 けれどこれは少なからず予想していたことだ。配給も水の運搬も美星には思いつかなかった。
 運用の確立までいかなかったとしても、最低限思いつかなければ護栄どころか浩然にでさえ辿りつけはしない。

(……まだよ。女官なら職員に接する)

 第一希望は文官だが、第二希望は女官だ。
 護栄は皇太子秘書官という特別な職掌だが、実質文官を束ねる存在だ。そして浩然は文官で、女官はその補佐的な立ち位置となる。
 もし浩然の補佐に就くことができれば下働きよりは学べるものが多い。

(この中で礼儀作法も読み書きも完璧なのは私だけだし、女官にはなれるはず)

 再び祈るように手を握りしめた。蘭玲は採用者の名を呼びあげるが――

「女官も採用無し」

 ここでも室内には安堵のため息が聴こえた。
 おそらく誰も希望していなかったのだろう。

(そんな……侍女なんて、家事手伝いなんて意味無いのに……!)

 そんなのは続ける意味がない。落胆しながら侍女採用が呼びあげられるのを聞いく。
 そして室内の八割の名前が呼ばれた時だった。

「以上が侍女となります」

(……え?)

 美星の名は呼ばれなかった。侍女採用に美星の名はなかったのだ。
 どういうことか分からずに蘭玲を見上げると、蘭玲は誰とも目を合わさず書類だけを見ながら冷たい声で吐き捨てた。

「名を呼ばれなかった者は適性検査不合格となりました。下働きを続けるか退職するか、希望を出して今日は帰りなさい」

 部屋中に喜びの声が上がり、それを人ごとのように聞き流して美星は思わず立ち上がった。

「あの!」
「はい?」
「不合格の理由をお聞かせ頂けないでしょうか。技術は身についております」
「……言われなければそんな事も分かりませんか」

 はあと蘭玲はため息を吐き、美星と美星の後ろで立ち尽くしている下働きを一瞥した。

「不合格者の顔ぶれを見なさい」

 言われて後ろを見ると、同じように愕然とした少女達がいる。
 それは全員小鈴を囲み罵倒した者だった。

「特定の種を差別する発言。私情で喚き和を乱す行動。業務能力以前の問題です」
「ですがあんな暴力を振るわれては当然ではありませんか!」
「それは小鈴が主張すること。あなたはそもそも関係がありませんよ」
「関係ない? あります。私だって羽無しです。有翼人です」
「種族の話ではありません。あなた自身の話です。あなたが怒りのあまり種族を明かすのは構いません。自由です。ですが小鈴は有翼人であることを明かしてくれと言いましたか?」

 騒ぎを思い出し思考を巡らせた。
 小鈴は羽無しであることを隠していた。視線は助けを訴えていたように思ったが、もしかすれば病気だと誤魔化して欲しかったかもしれない。
 羽無しである事を侮辱され腹が立ったのは小鈴ではなく美星だ。

「割って入って騒動を大きくしたのはあなたです」
「そ、それは、だってあんな、言われっぱなしで」
「憎いからとやり返せば憎しみを上乗せするだけ。それが何になりますか」

 憎しみを繰り返すことに意味は無い。それは聞き覚えのある内容だ。

『大切なのはこれからどうするかだ。憎しみは引き継ぐのではなく経験とし活かさねばならん』

 怒りに震えていた手から力が抜けた。
 下働きを続けている間に響玄の言葉も莉雹の言葉も何度か思い出す機会があった。
 だたその意味すら美星は理解していなかったのだ。

「己を貫くのなら他と自己満足ではなく足並みを揃えなさい。でなければ独裁者になり、今度はあなたが憎まれる」
「そんな、つもりじゃ……」
「あなたがどう思おうと結果が全てです。下働きを続けるか退職するか。今日中に希望を出しなさい」

 採用が決まった下働きは新しい職種の規定服を受け取っていた。
 侍女になるとさらに質の良い生地となり、それはまるで下働きとは違うんだと主張されているようだった。
 着替えた者は侍女業務に関する教本を受取下働きの控室を出た。残された美星と数名の手にあるのは薄汚れた箒だけだった。
しおりを挟む

処理中です...