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第一章

第十話 七光り(二)

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「授業中にすまんな」
「とんでもございません。皆喜んでおります」
「全員顔を上げてくれ」

 天藍の許しを得て全員が顔をあげると、全員が感動したように息を吐くのが聴こえた。
 その気持ちは美星にも覚えがあるが、目がいった先は天藍ではなかった。

(護栄様……!)

 天藍の後ろには護衛が控えていた。凛とした姿は美しく、この前の事が無ければ美星も見惚れていただろう。
 文句を言ってやりたい気持ちを押さえ、美星は天藍に目線を移した。

「挨拶が遅くなってすまない。皆よく入廷してくれた。女官と侍女の家事全般は宮廷の土台に必要不可欠だ。どうか力を貸してくれ!」

 天藍は一人一人の顔を見て、よろしくな、と声を掛けていく。
 とても皇太子とは思えない低姿勢は皆にも好感が高いようだった。
 美星もつい顔がほころぶが、そんなことは許さないとばかりに護栄が目の前に立ち視界を塞いできた。

「美星でしたね」
「はい。ご記憶いただけまして大変光栄でございます」

 美星は上品な笑顔を作り頭を下げた。だが心の中では怒りが爆発していた。

(何よ急に! 今は特別扱いして欲しい場面じゃないのよ!)

 今さっき周囲と育った環境の違いでもめたばかりだ。これ以上ややこしい事態になりたくない。
 しかし護栄はそんな事を察してはくれなかった。

「浩然が笑っていましたよ。威勢の良い娘だと」
「お助けいただいたにも関わらず大変なご無礼をいたしました。申し訳ございません」
「面白がってたので良しとしましょう。それにあなたは響玄殿の一人娘。成果の一つでもあれば浩然付きくらいにはしてあげます」

 成果など出せるわけがないと揉めたばかりだ。例え何か一つでも出せたとしても、護栄に取り立ててもらうにはちょっとやそっとの成果では通じない。
 けれど美星なら実力不足でも採用してやろうと、これはそういうことだ。

(なんなのよ! 能無しの七光りだと言ったようなものじゃない!)

 美星はぎりっと拳を震わせたが、護栄はにやりと面白そうに笑みを浮かべている。

「おや。礼の一つもありませんか」
「身に余る光栄でございます。精進いたします」
「そうして下さい」

 そうしている間に天藍は全員と多少の会話をしながら挨拶をしていたが、護栄と話をしていた美星は軽く微笑まれて終わってしまった。
 わずか数分の出来事に美星は呆然と立ち尽くしたが、現実に引き戻したのはついさっき揉めた下働きの同僚だ。

「どうやって護栄様に取り入ったのかしら」
「浩然様って護栄様直属の方よね。下働きがどうしてそんな方に会えるの」
「大なお父様のお力に決まってるじゃない。そりゃあ下々の労働はさぞ珍しいんでしょうよ」
「世間勉強じゃないの? お金は持ってるんだから」
「羨ましいわ。帰ったらさぞ高級なお食事をなさるんでしょうね」

 想像通り、美星が孤立するような会話が始まったようだった。
 全員がそう思っているかは分からないが、この瞬間から美星の周囲は水に油を垂らしたようにぽっかりと空いていた。
 一日中誰と会話をすることも無い孤立した日々が日常になったが、よく考えれば刺繍をする女官はしゃべらないのでどうということもない。
 ただ気持ちの上で孤立しただけで見た目に何か問題が起きたわけではない。当然周りからは何かあったかと心配されるようなこともない。
 それでも気持ちが晴れやかとはいかなくて大きなため息を吐くと、ふいに何かが足を突いた。

「今何か……え!?」

 足元にいたのは鷹だった。その足には以前美星が慶真の怪我を覆った手拭いが結ばれている。
 美星は膝を付いて思わず慶真を腕の中に隠した。この前は怪我を負い出血していたが今日は綺麗なものだった。

「慶真様。ご無事だったのですね。今日はどうなさったんです。やはり何者かに追われているのですか?」

 慶真はふるふると首を振った。
 人の姿になってくれれば会話もできるのだが、そうはしてくれないようだった。

「では宮廷に何か御用が?」

 慶真はふるふると首を振った。

「では特にお困りなわけではないのですね。何もしなくて大丈夫ですか?」

 慶真は首を縦に振った。
 追われているわけでも用があるわけでもないのなら何をしてるのだろうかと首を傾げたが、ふいに慶真が美星の手にすりすりと頬ずりをした。

「……もしや私に会いに来て下さったのですか?」

 慶真はきぃ、と小さく鳴いた。
 人の言葉ではないけれど、その仕草と声は美星の胸を温かくした。

「お子がお生まれになっても宮廷には入れない方が良いですよ。七光りと蔑まれるだけですから」

 慶真様は名の知れた獣人だ。もし子供も鷹獣人で軍に入ることにでもなったら間違いなく七光りと言われるだろう。

『あんたは努力しなくても与えて貰えるんだからいいじゃない! こんなとこ来ないでよ!』

(言い返せなかった。私は夢を叶えるために入廷したけど、働くのは本来生活のためなんだ)

 美星は生活に困ったことは無かった。それどころか響玄は多数の羽無し有翼人の生活を保護している。他者に与えるほどの財があるのだ。
 それが有難いことだとは思っていたし、お嬢様と呼ばれる人種は少ないことも分かっていた。
 けれどそれが周囲にどんな影響を与えるのかなど考えたことはなかったのだ。

「……私は恵まれていた」

 悔しくて唇を噛むと、きぃ、と慶真が心配そうな鳴き声を上げた。それはまるで慰めてくれているようで、美星はそっと慶真の羽を撫でた。

「すみません、変なことを言って。お困りの時はいつでも我が家にお越し下さいませ」

 美星がぺこりと頭を下げると慶真はがさがさと茂みに潜り、しばらくすると飛び立つ羽音が聴こえてそれは遠ざかって行った。

(私は飛べない。羽があっても無くても)

 家に帰る足取りは重かった。光を与えてくれた偉大な父と何を話せばいいか分からないから。
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