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第一章

第六話 護栄の実態(二)

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「何なのあいつ!」
「落ち着いて、美星ちゃん」

 美星はがんっと棚を殴りつけた。着替えや備品の収納に使って良しと一人一つ与えられた。
 下働きとは思えないほど美しい調度品ばかりで胸躍らせる者は多いようだったが、その程度のことで喜べるはずもない。宮廷が用意した物を使うことすら憎らしい。

「何よ! 何が鬼才よ! あんな奴だと思わなかった!」
「護栄様ってあんな子供だったんだね。政治の要なんて言われてるから期待したのに」
「やる気そがれるね。聞いた? 獣人の武官は優遇されてるから休みがすっごく多いんだって」
「うちの姪っ子が有翼人なんだ。良さそうだったらここで雇ってもらおうと思ったけど嫌かも。見た? 規定服着れなくてみんな帰っちゃったの」
「見た。嫌がらせ露骨すぎない? 有翼人好きなわけじゃないけどちょっと無いよね」
「やっぱ獣人優位なのかな。殿下は鷹獣人を隠してるって噂もあるし」
「鷹獣人は慶真様じゃないの?」
「慶真様って、解放戦争で国民を守ってくれたっていうあの?」

 解放戦争の立役者は四人いる。天藍と護栄、兵を率いた武官玲章。そして鷹獣人の慶真である。
 鳥獣人は希少種だ。絶対数が少なくどの国の軍も欲しがっているが、欲しがる理由は空中からの強力な奇襲だ。
 自由に空を駆け鋭い爪で切り裂く、それを意図的に行えるのはこの世界でも鳥獣人だけである。人間の高度な知識と技術をもってしても飛行は実現していない。鳥獣人は空の絶対王者なのだ。
 中でも鷹獣人は手に入れればその国が勝利すると言われるほどの攻撃力を持つという。
 蛍宮が世界最強の獣人国家という地位を手にしたのは鳥獣人が複数名存在したことが最大の要因だ。
 先々代蛍宮皇は本人含め身内の複数名が公佗児獣人だった。巨大な体躯から生まれるすさまじい風圧は全てを吹き飛ばし鷹を上回る攻撃力を持っていたのだ。それ故に鳥獣人、特に猛禽鳥種は何物にも与さず孤高を貫くと謡われた。
 しかし解放戦争でその逸話は崩れた。蛍宮肉食獣人の中でも一、二を競う戦力である鷹獣人の慶真が天藍の下に付いたのだ。
 玲章と二人で国民を大きな建物に集め一人でその扉を守り抜いた。その中には有翼人もいて、まさに全種族平等に守ってくれた。
 慶真の尽力で多くの国民が助かり、慶真がいるのなら今後の蛍宮も安心だと誰もが思ったのだ。

「でも慶真様って失踪したんでしょ?」
「っていうね。何でかと思ってたけど今日分かったわ」
「ね。殿下が獣人優位だから嫌になって出て行ったんだよ絶対。追われて逃げたとか聞いたもん」
「あーあ。また宋睿みたいになっちゃうのかな。せっかく平和になったと思ったのに」

 誰もが落胆と不満を口にし、それ以外に好意的な言葉は誰からも出てこなかった。
 期待外れの初日が終わり帰路に付いたが宮廷内は広く、下働きの控室から敷地を出るまでの道のりが長い。
 長いと言ってもわずかな時間だが、その僅かな時間すら苛立ちが募る。
 早く帰ってのんびりしたいような帰って父に何を報告すればいいか迷うような、何とも言い難い気分だった。
 しかしその時、きぃ、と鳥の鳴き声がした。鳥の鳴き声など珍しいことでもないが、何とは無しにきょろきょろと辺りを見回したが周囲には何もいない。
 気のせいだろうかと首を傾げたが、ふわりと美星の目の前に茶色い羽根が舞い落ちてきた。
 だがそれは少しばかり妙だった。美星は拾い上げくるくると回してみる。

「随分大きいわね。野生の大きさじゃないわ。獣人だろうけど何の――きゃっ!」

 美星は思わず羽根を放り捨てた。羽根にはべっとりと血が着いていた。持った指は真っ赤に染まり、よく見れば辺りには血が飛び散っている。

「何? 何これ。どういうこと?」

 血は点々と続いていて、行先は茂みの奥へと続いている。それもどんどん血の量が増えていて、誰かが怪我をしていると思われた。
 美星は血を辿って茂みの多くへ入って行くと、そこにはくたりと横たわる鷹の姿があった。身体には大きな傷があり血が流れている。
 生まれて初めて見る鷹と怪我の度合いに固唾を飲みながら近づいた。

「あなた獣人よね。鷹獣人て実在したのね。どうしたのその怪我。まさか誰かに追われてるわけじゃないでしょうね」

 誰かに追われた鷹獣人。それはついさっき聞いた情報で、美星は思わず目を見開いた。

「まさか慶真様!?」

 美星がそっと鷹を撫でると、きい、と弱々しく答えた。
 はいと言っているのかいいえと言っているのかは分からない。けれど鷹は懸命に嘴で土を掘った。

『ひみつに』

 美星は声を出しそうになったがくっと飲み込んで息をひそめた。
 荷物から手拭いを取り出し血が流れているあたりをそっと覆う。

「ひとまず私の家へお越し下さい。私は天一店主響玄の娘。どこぞへ逃げるのならばご助力できると思います。そのお怪我、殿下かその手の者に追われているのでしょう」

 気のせいか、慶真はため息を吐いたように見えた。けれど言葉を発することのできない慶真から真意は掴めなかった。
 とにかく運ばなければと抱き上げようと手を伸ばしたが、慶真は急に羽を広げて飛び上がってしまった。

「慶真様!」

 ぱたぱたと血が滴ってきた。やはり酷い怪我をしているのだ。
 美星は慶真を追いかけようと立ち上がったが、その時だった。

「何してる!」
「きゃっ!」

 後ろからがしっと腕を掴まれた。振り返ると、そこには眼鏡をかけた規定服姿の少年がいた。眉と目を吊り上げ鋭い目つきで睨んでくる。
 慶真は怪我をしていた。ならば誰かに追われ傷つけられたということだ。

(まさかこの子が……!)
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