ソウルシャイン

たきたたき

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第六話 再生者

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 短大を出て就職した会社で、まさかいじめに遭うとは思わなかった。
 碌に仕事もしない癖に会社に必要とされていると自称する御局様は、入社早々の私を何が気に入らないのか明らかに敵視するようになり日に日に私への風当たりが厳しくなっていく。周りはそれを見て見ぬふりで上司である部長に話をしても何も対策をしてはくれない。そんな状況に絶望した私は次第に会社に行くのが億劫になり、たった入社二ヶ月足らずで会社を辞めたい辞めたいとそればかりを考えるようになった。
 そんな中、そのお局は縁故採用故に誰も文句が言えず、そうして毎年のように誰かが彼女のイジメのターゲットになり、次々と辞めていくというのを会社が黙認しているという噂話を聞いた。それを聞いてこの会社に巣食う異様な現状を完全に理解した私は、そのお局もそれに関わる見て見ぬふりをする人たちに対して「バカじゃないの?」の一言で全てが片付いてしまうことに気付くと、緊張の糸が切れたというか燻っていた気持ちが吹っ切れてしまい早々に会社を辞めることにした。
 その後、大学の就職科に集めた証拠や証言と共にその顛末の報告をすると、そこから労基へ連絡が行くことでその件が大問題になったものの、私は再び大学経由で就職先を探すという気力も無く、母親の「帰ってきたら?」の声に素直に甘えることにしたのだった。私は心底、社会にがっかりし疲れ果てていたのだ。

 実家に戻ると私は引きこもりのような状態になってしまった。短大の為に四名を離れ、県外で就職までしたのにたった二ヶ月でこの実家にいる「私」という状況が自分自身で許せないというか、そういう私に対する周りの目に必要以上に敏感になってしまい、極端に他人と会うのが怖くなってしまった。
 しばらく連絡を取っていない地元の高校時代からの友人や、この顛末を知っている大学の友人などとは文字での交流は出来るが、この状況になってからは面と向かってどころか通話すらも出来てはいない。そうして引きこもって一ヶ月、なんとか自室からは出れるようになったものの相変わらず家の外には出ることが出来ていなかった。
 家族はいつも優しく「人生の充電期だと思ってゆっくりすればいい」と接してくれている。しかしこのままの状況が続けば全てがダメになってしまうことは自分自身が一番分かっていた。そしてそれが十分理解できるだけに焦れば焦るほどそれが返って自分を追い詰めることとなり、部屋に家に閉じこもるという無限ループに繋がってしまう。しかしこの生活も許されるのはおそらく一年だろう。そのタイムリミットまでに少しずつでもなんとかしないといけないという気持ちはある。
「ももちゃん、もうギターは弾かないの?」
 それはお婆ちゃんの何気ない一言だった。そう言えば自室にはずっとケースに仕舞ったままのアコースティックギターがある。高校の入学祝いでお婆ちゃんに買って貰ったギターだが、短大時代のマンションに一人暮らしの環境では近所迷惑を考えると次第に弾かなくなり、ケースに入れっぱなしの大きな置き物となっていたのだった。
「んー、また弾こうかな。」
「音楽は楽しいものだからね。ギターもきっと楽しいよ。」
 お婆ちゃんの気遣いが嬉しかった。
 早速部屋に戻りソフトケースを開けてアコギを取り出す。だが弦がすっかり錆びている。最後に弦を変えたのはおそらく高校時代のはずだ。それでもギターを抱えて爪弾いてみる。チューニングもガタガタだし音が詰まって綺麗に鳴らない。これは自分だけではなんとかならない気がする。そこで真っ先に思い浮かんだのは高校の時によく行っていた楽器屋だった。
「ちょっと明日出かけてくる。」
 今日も明日も明後日も私には有り余る時間があるのだが、一応母親に宣言する。
「そう。お金は?」
「あー。」
 何にも考えていなかった。お金も掛かるんだよなぁ。
「何か買いに行くの?」
「うん。ギターの弦。」
「そっか。」
 そう言うと母親は一万円を持たせてくれた。それ以上何も聞かない母親の優しさが身に染みる。私は私で財布にお金はあるのだが黙ってそれを受け取った。明日はとりあえずは弦だけを買いに行こう。

 翌日、朝早くから起きて支度をし昼前に家を出て自転車で一番街通りへ向かう。久々に出る外の風景が私の心を掻き乱す。途中、何度も何度も帰りたいと思うけれど「ここで頑張らないと絶対にダメだ」と自転車のペダルを強く踏み込む。そうして家の近くを離れると、少しだけ気分が楽になった気がする。
 久々に来た一番街通りの楽器屋は店名が変わっていた。私が四名を離れている間に以前のお店は潰れてしまったのだろうか?しかし以前のSHINEとこのSOULSHINEという店名は、ただ店名が変わっただけのようにも思えるだけに「どういうこと?」という疑問が頭の中にいっぱいになった。
 私は店の裏手の駐輪所に自転車を停めると、再び表に回り店内へ入った。
「いらっしゃいませ。」
 女性の店員の声が聞こえる。私はなんと返事していいものかと「こんにちは」と意味の分からない挨拶を返す。
 私の知っているSHINEはお爺さんとおじさんに片足を突っ込んだような年齢の店員がいた地味な印象の店だった。しかし今のSOULSHINEは若い女性の店員がいる所為か何故かお店の印象が明るくなった気がする。これはお店のレイアウトが変わったというのもあるのだろうか?
 今の時間はその女性の店員が一人で店番をしているらしく、他には人影が見えない。まぁ平日の十一時半過ぎに楽器屋に来る人もそうそういないか。
「何かお探しですか?」
 その若い店員が声をかけてきた。
「あ、ああのぉ。」
 声が出ない。そのことに自分自身で驚いてしまった。
「ゆっくりで結構ですよ。お茶でよければ出せますけど飲まれますか?」
 その様子を見て店員が話しかけてくれる。
「あ、あ、はい、お願いします。」と、流れで思わず声にならない声でお願いをしてしまった。
 店員はカウンターの裏手に回ると2Lのペットボトルと湯呑みを持って戻り、店の中央にあるテーブルに私を誘う。私はその椅子に腰掛けお茶を一口頂くと、気持ちが少し落ち着いたようだった。
「すみません。ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
 恐らくだが人と最低限しか話さない期間が続いていた上で、自転車という激しい運動をした為に自分では気付かずに喉や体が悲鳴をあげていたのかもしれない。人間の体力とはこんなにも一瞬で衰えるんだと言うことに驚く。
「今日はギターの弦を買いに来たんです。」
 デニムのパンツにデニムのエプロンという楽器屋でしか見ないようなファッションの女性店員に今日の目的を伝える。年齢は私と同じくらいだろうか?
「弦ですね。エレキですか?アコギですか?」
 と聞きながら私を弦のコーナーへと導く。
「アコギなんですけど。」
「じゃあこの辺りですね。」
 アコギの弦の中から、見覚えのあるものを手に取る。
「お会計お願いします。」
「はい。ありがとうございます。」
 お会計をして、お茶のお礼を伝えると私はそのまま店を出た。自転車に乗り真っ直ぐ家に帰ると、足がパンパンになり疲れていたものの少しだけ気分が軽くなっていた。今の私には家を出ることが出来たと言う事実がただただ嬉しいのだ。

 それから二日後、私はアコギを背負って再び楽器屋に向かう。全くの予想通り、弦を交換したところであのギターが鳴るはずもなく、やはり修理が必要だと判断したのだった。それに外に出るという行為を一度きりにしてはいけないと言う気持ちもあり、早め早めに決断をしたのだ。
 今日は昼過ぎに家を出て、アコギのソフトケースを背中に背負い自転車を漕ぐ。この間も通った道だが、背中にギターがあるだけでなぜか風景は違って見える。その不思議な感覚は、高校生の頃の記憶に結びついているのかもと思う。
 私は一番街通りのこの音楽ビルで、高校時代に一年間だけアコギのレッスンを受けていた。せっかくお婆ちゃんにギターを買って貰ったし高校では帰宅部を選択したしで時間だけはあったので、ハンバーガー屋のバイトで稼いだお金でアコギのレッスンを受けたいと言い出したのは私自身だった。と言っても長々と習う気は当初から無く、初心者向けのとっかかりだけを教えて欲しいと言う内容を受付のお姉さんに伝え、紹介して貰ったおじさんの先生にワンツーマンで二週間に一度、高校一年生の間だけとレッスンを受けたのだった。

「いらっしゃいませ」と、この間の店員が声をかけてくる。
「こんにちは。」
「あ、この間の。今日はどうされました?」
「このアコギなんですけど、音がちゃんと鳴らなくなって。ギターの弦も変えてみたんですけど、やっぱりダメで。」
「見せて頂いても宜しいですか?」
「あ、はい。」
 この私と歳が変わらないような女性が、ギターを修理出来る技術を持っているのかと心配になる。しかしその店員はクリップボードを片手に手慣れた様子で私のギターをあれこれ調べている。他に客の居ない広い店内で私は一人、ぼーっと突っ立ってその様子を眺めていた。
「うーん、逆反りが激しいですね。」
 ギターを調べながら店員が話しかけてくる。
「最後に調整に出されたのっていつか分かりますか?」
「調整?」
「えーっと、このギターを今まで楽器屋さんに診て貰った事はありませんか?」
「んー。」
 記憶に無い。楽器を買って以降、楽器屋さんで弦を買うことはあってもギター自体を診て貰ったと言う記憶は無い。
「多分、ギター買ってから診て貰った事は無いと思います。それにここ2年くらいはケースに入れっぱなしでしたし。」
「あーそうですか…。」
 何がそうですかなのか分からないが、その店員は引き続きその手に持ったクリップボードに何かを書き込みながらギターを調べている。
「それでですが。」
 一通り調べ終わったのだろう。店員はそのクリップシートから一枚の紙を引っこ抜いて私に手渡し、視線をその紙に移して説明を始める。
「まずは逆反りですね。ギターのネックがこう、ヘッドの方が後ろっ側に倒れる形で少し曲がってます。それでローポジションが音詰まりを起こしてるんですね。」
「そうなんですか?」
 長い定規をネックのフレットに当て、その逆反りと言うのを説明してくれている。
「でもねじれている訳じゃ無いので、多分ロッドの調整だけで治るとは思うんですけど。今まで調整されたことが無いってことは、きっとまだまだ余裕はあると思いますので。…あの、このギターってここで買われたものですか?」
「あーはい。でもここって。」
「あっそうですね、ここの以前のお店です。シャインの頃です。」
「はい。ヒゲのお爺さんから買いました。」
「それっていつ頃って分かりますか?」
「えーっと高校入学の頃なんで…。五年?六年前でしょうか?」
「それではお客様、シャインの会員証はお持ちですか?」
「あー。」
 ここの会員証は高校時代に、音楽スクールの会員証と共にずっと財布に入れていたのでその形は思い出せるが、今となってはもう無い気もする。
「昔は持ってたんですけど、引っ越しが続いてどっか言ってしまった気がするんで…、多分もう持って無いです。ここに来たのもこの間が数年ぶりで。」
「そうですか。では新しくお作りして良いですか?」
「お願いします。」
 流れでお願いをしてしまった。
「こちらにお名前をお願いします。」
 店員が差し出した真新しいカードに”永瀬もも”と自分で名前を書く。
「ありがとうございます。」
 店員は私が名前を記入したカードを受け取ると、カウンターの裏へ行き何かファイルで調べ物をし始めた。私のアコギは机の上に置かれた専用の首まくらに横たわったままだ。
「あ、ありました。確認が取れましたので、購入者カードを作らせて頂きますね。」
「購入者カード?」
 私の疑問の声は届かなかったのだろう。店員はカウンター内で忙しくしている。暫くすると先ほど名前を記入したカードと一緒にプラスティックのもう一枚のカードを持ってきた。
「こちらが購入者カードになります。お客様の名前とこのギターの型番とシリアルナンバーを照会させていただいて、このギターがここで購入された物ということの証明カードです。」
「はぁ。」
「これはギター毎に一枚発行してまして、これを持って来て下さると永久に調整料金は無料にさせて頂いています。」
「そうなんですか?」
「はい。ですのでこれから無料で調整をさせて頂いて、それでも修理が必要な場合に追加の料金ってことにさせて頂きますね。もちろんその際には追加の有料工事をどうされますか?と改めてお尋ねさせて頂きますので。」
「そうですか。じゃあお願いします。」
「はい。では少々お待ちください。」
 そう言うと店員は私のギターを手に取ると奥の修理工房らしきブースへ入っていった。ブースの中にいても店内の様子は覗き見れるのでそのまま接客もするつもりなのだろう。って事は、この若い彼女がここの店主なのだろうか?
 その後、店員はテキパキと仕事をし始めた。私は店の中央の机に座ってその様子を見て時間を潰す。とは言えずっと見てる訳にもいかないので、私は机の上にあった音楽雑誌を読み始めた。

「咲ちゃんおはよー。」
 店内に入ってきた中年の男性が店員に話しかけた。
「おはようございます。山木さん。」
「はい、おはようさん。ところで先生いるかな?」
「今日は遅番なので来るのは二時です。あ、ベース仕上がってますよ。」
「お、仕事早いねえ。ここのベーアン借りても良いかな?」
「はいどうぞぉ。」
 そのやりとりを私は横目で見守っている。その男性が私の横を通り過ぎる時に「いらっしゃいませ」と声を掛けてきた。
「上のスクールの先生なんです。」
 その挨拶に不思議がる私を見てか、店員が笑顔で説明してくれた。
「あ、ごめんねえ。おっきい声で。ビックリさせちゃったかな?」
「いえ、大丈夫です。」
 私は慌てて雑誌に目を戻すが、耳は2人のやりとりを捉えたままだ。そのスクールの先生は店員からベースのソフトケースを受け取ると楽器を取り出し、慣れた様子でアンプで音を鳴らし始めた。
「いやぁ素晴らしいね。これ先生がやってくれたの?」
「はい、先生の調整です。ご注文ってフレットの打ち替えとナットの交換に弦交換とセットアップでしたよね?」
「うん。」
「それでどうですか?」
「すっごい手に馴染むってのもあるし、ビックリするくらい鳴るようになってるね。このベース、もう長い間全然使ってなかったけど、これならまだまだ使えるよ。思い切ってお願いして良かった。流石、素晴らしいです。お見事!」
「それは良かったです。」
「じゃあお会計お願いしよっかな?」
「はい。」
 二人は場所をカウンターに移し会計を始めるが、店のBGMが抑えられている所為か会話は引き続き丸聞こえである。
「あれ?結局、社員さん募集するんだ?前はバイトって話だったのに。」
「はい。結局フルで入ってもらえた方が良いんじゃ無いかってことで。」
「そうなんだ。先生やっぱり忙しいの?」
「うーん、当初の予定よりは忙しいって感じですかね?それでも基本的に店にはいますからずっと店を空けるって訳でも無いんですけど、店を空ける時は纏めて空けちゃうんで。」
「そっかぁ。それで反応はあった?」
「え?」
「その募集。」
「ああ、今のところは店頭とホームページだけでの募集ですし、全くですね。」
「求人誌に出したりはしてないの?」
「先生がまずはちゃんとこの店のことを知ってる人で探した方が良いんじゃ無いかって。それにいないとは思うんですけど、求人誌に出してそもそも楽器に興味無い人に来られても絶対続かないだろうって。」
「それはそっか。確かに条件だけで来られても楽器屋の仕事は続かないよね。最低でも楽器を触った経験が無いとね。」
「はい。それで人が集まんなかったら徐々に募集記事を出す範囲を広げていくとは言ってたんですけどね。とりあえずはって。」
「そっか。良い人が見つかるといいねって、長話ごめんね。仕事中だったんでしょ?」
「あ、すみません。」
「じゃあ僕も上に上がるね。ありがとね。先生にもよろしく。」
「はい。ありがとうございました。」
 こうして店員は私のギターの修理に戻り、そのスクールの講師は受け取ったベースケースを肩に掛け足早に階段を登って行った。
「なんかすみません。」
 店員が私に謝る。先ほどのやりとりで時間をロスしたことを謝っているのだろうか?
「いえ、全然。私は急ぎませんので。」
「すみません。ありがとうございます。」

 しばらくすると店員が私のギターを持って、中央のテープルに戻ってきた。
「お待たせしました。」
「いえ。」
「それでなんですけど、ネックの方はトラスロッドの調整だけで大丈夫でしたので、これで大丈夫だと思います。」
「そうなんですか?」
「是非、弾いてみてください。」
 手渡されたアコギを早速弾いてみる。確かに音の詰まりが治り至って普通の弾き心地になっている。正直凄いと思った。
「弦も緩めただけで大丈夫でしたので、お客様の方で張られたままの弦を張ってます。」
「そうなんですか?」
「はい。ですので、今回は無料で調整させて頂きました。」
「え?無料で良いんですか?」
「はい。大丈夫ですよ。」
「あ、ありがとうございます。」
 この仕事を無料だとこの店員さんは言う。ここで買った楽器は調整無料と言っていたが、本当に色々な面で大丈夫なのだろうかと疑いたくもなる。

 こうして私は店員さんにお礼を言って店を出て、再び楽器を背負い自転車に乗ってまっすぐ家に帰ると、部屋に篭りアコギを弾いた。久しぶりに弾くギターの腕は以前にも増して下手だったけれど、昔使っていたレッスンの教本を押入れから引っ張り出し、懐かしみながら順に弾いてみるとギターが楽しくて無心で弾いてしまっていた。
「ももちゃん、ご飯よ~。」
 気がつくと夕食の時間だった。この感覚、高校生の頃にギターに夢中になっていた頃以来である。こんなに楽しいのにどうして私はギターを弾かなくなっていたのだろうか。
 夕ご飯を食べて部屋に戻りネットをし、「四名 楽器 SOULSHINE」で検索を掛ける。
 検索を掛けると一番目にあの店のホームページが出てきた。特に凝った作りでも無く質実剛健な印象のホームページで読み込みが驚くほど軽く早い。在庫商品は別のインターネットの楽器販売のサイトにリンクされており、更にはSNSのKnockSに、弦の交換を動画サイトで紹介と外部リンクだらけである。なので、このサイトのページ自体はリペア料金表というものと、地図と営業日の時間、それに電話番号とメールフォームくらいである。
 そのページの一番下に求人募集の案内が特に目立つこともなく書かれていた。私のお目当てはこれである。どうにもあのお店での会話が引っかかっていたのだ。

 翌日、お店の開店時間合わせて私は電話を掛けた。電話を受けたのは男の人だった。
「はい、楽器屋SOULSHINEです。」
「あの、社員募集の求人を見てお電話させて頂いたのですが。まだ募集されておられるでしょうか?」
 勢いで連絡した所為か大学で学んだ就活の礼儀だなんだというのは全く出てこなくて、言葉遣いも滅茶苦茶な高校生が普通にバイト募集の電話をしているようだった。
 それでもきちんとアポが取れたので、家にいた家族に就職の面接に行く話をする。その急な話に母親もお婆ちゃんも驚いていたけれど、頑張れと応援してくれた。そしてアポは翌日の昼だったので、急ぎ昔に通っていた美容院の予約を入れ髪を切った。数ヶ月ぶりの美容院は心をリフレッシュするには十分だった。

 面接当日。私は朝早くから準備をし、久々の就活スーツを着て履歴書を持ち自転車で店に向かう。就活にスーツで自転車というのも変な感じはするが、わざわざ電車やバスで遠回りをして行くのもなと自転車にした。
 時計を見るとアポを取った三時には二十分程早かったが、店の裏手に自転車を置いて店に入ると、遠目にデニムのジーンズにデニムのエプロンの中年の店員さんとお客さん風の男の人が話をしているのが見えた。このエプロンの人がなのだろうか。
「いらっしゃいませ。」
「いらっしゃい。」
 二人の男の人がほぼ同時にいらっしゃいと言った。
「あれ?」
 エプロンを付けていない方の人が私に向かって声を掛ける。その声にその顔に私は見覚えがあった。
「あ、ご無沙汰してます。」
 私がここでギターを習っていた時の先生だ。
「そうだよね?えーっと、確か…。」
「永瀬です。アコギのレッスンで五、六年前にお世話になりました。」
「あーそうそう。永瀬さん、永瀬さんだ。お久しぶりですね。」
「はい。お久しぶりです。」
「スーツなんか着て見違えたよ。それで今日はどうしたの?」
「今日は面接に。」
「面接?」
「本田さん、ちょっと。」
「ん?…あー、ごめんごめん。今日の目的は先生だったか。」
「こんにちは、店主の新垣です。今日十五時から面接の方ですか?」
「はい。電話で面接をお願いしました永瀬です。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします。それで、二人はお知り合いでしたか。」
「うん。あれは永瀬さんが高校生の頃だよね?」
「はい。高一の時に一年間だけ、本田先生にアコギを習ってたんです。」
「そうなんですね。」
「永瀬さんは今もギター弾いてるの?」
「あ、はい。一昨日にここでそのアコギの修理をお願いしまして、女性の店員さんに修理してもらったんです。その時に社員募集をされてるのを知って。」
「咲ちゃんだね。へえ、そうなんだぁ。なんだか僕、安心しちゃったなぁ。」
「え?」
「ギター、まだ弾いてるの分かって僕は嬉しいんです。」
「そ、そうですか。」
「うん。折角レッスンに来てくれてても、歳を重ねるときっと辞めちゃう人も多んだろうなぁって思ってたからね。」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。だから実際にこうやってまだギター弾いてくれてるのが分かるとついね。あ、ごめんごめん。僕お邪魔だったよね。」
「え、いえ。」
 その時、店のカウンターの奥のドアが開くのが分かった。するとこの間の女性の店員さんがエプロンを着ながら戻ってきた。
「休憩上がりました。」
「はい、おかえり。」
「咲ちゃんおかえりー。」
「あ、この間の。」
「こんにちは。」
「いらっしゃいませ。…今日はスーツ姿でどうされたんですか?」
「ははは、やっぱり楽器屋にスーツ姿はみんなそう思うよね。」
「え?」
「じゃあ進藤さん。少し店をお願いします。私は今から面接しますので。」
「あ、はい。あ、そういうことですか。」
「ははは。」
「じゃあ永瀬さん、バックヤードへお願いしますね。」
「はい。」
「頑張ってね。」
「頑張ってくださいね!」
「あ、ありがとうございます。」
 店長さんに案内され、私は店のバックヤードへ向かう。

 その後、雑談から流れるように物凄くフレンドリーな形で面接が行われた。履歴書を渡し、私はこれまでのことを包み隠さず話した。
「なるほど、それは大変でしたね。えーっと、それで志望動機なのですが…。」
「先ほどもお話しさせて頂いたのですが、先日。ほんの数日前なのですが、ここで私のアコギの修理をして頂いたんです。それでその仕事が純粋に凄いなって思ったんですけど、家に帰って修理してもらったギターを弾き始めたらもう止まんなくて。なんでこんなに楽しいのに弾くの辞めちゃってたんだろって。それで思ったんです。ここ最近、色々と上手くいかなくてずっと塞ぎ込んでいたのに、今はこんなに気持ちが軽いって。それってとても凄いことなんじゃ無いかって。それで私もここでそんな気持ちに出来るお手伝いが出来たらなって。なんか上手に言えないですけど、気が付いたら連絡させて頂いてました。」
 学生時代のように事前に下調べをした心のこもっていない建前だけの志望動機の文章をわざわざ用意しなくても、この面接では心の声がスラスラと出てくる。これが本当にやりたい仕事のための面接なのだろう。
「そうですか。…それでは、えー、何か聞いておきたいことはありますか?」
「うーん。…あの、変なこと聞いても良いですか?」
「はい?あの、えっと、お答えできることでしたら。…はい。」
「皆さん、店長さんのことを先生っておっしゃってるんですけど…。」
「ああ、それですか。進藤さんは分かりますか?永瀬さんのアコースティックギターを調整させていただいた。」
「はい。」
「彼女は私の教え子なんです。私と進藤さんは東京のギタークラフトの学校で、実際に先生と生徒だったんです。」
「ええ!そうなんですか?」
「はい。それでここの先代の店主からこの店を譲り受ける際に、進藤さんがここ四名出身で私と同郷だと知っていたので、私がお誘いしてって流れなんですよ。」
「へええ。」
「それで未だに彼女は私のことを先生と呼んでいて、周りの人たちも私のことを先生と。私はあのおじさん達の先生では無いんですけどね。困ったものです。」
「そうなんですね。」
 その後、具体的な仕事のことやこの店の将来のことなど話をした。目尻に皺を寄せながらニコニコと興味深く私の話を聞いてくれるこの店長さんの不思議な魅力の所為なのか、今までの大学時代に行っていたどの面接よりも饒舌に、言い方は変だが楽しく面接出来た気がする。そして会話の途中からなんと無く分かってはいたが、問題無く採用されるらしい空気は感じていた。

 家に帰ると真っ先に家族に就職が決まったと告げた。母親が泣いて喜んでくれたのにびっくりはしたが、心配させていたんだなと反省する。お婆ちゃんはただ「良かったね」と言ってくれた。その日、母親からの連絡を受けた父親は早く帰ってきてくれて、就職祝いだからと久々に家族みんなで外食に出た。
 夜、外食から戻ると私はすぐに部屋に戻り、地元の高校時代からの友人や大学の友人たちに就職が決まったとメッセージで連絡をした。皆私のことを心配し、引きこもっていた期間に励まし続け連絡をしてくれていた大事な友人たちである。皆折り返し連絡をくれて、この日やっと通話で話すことが出来た。
 そして話はトントン拍子で進み、その次の週にはデニムのエプロンをつけて私は店に立っていた。店主の先生に、店員の咲さんという二人の”楽器のプロ”に囲まれ、素人の私は研修生からのスタートだ。

 楽器販売&リペア SOULSHINE。ここが私の勤務先である。
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