ひみつのおと

たきたたき

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卯月編 - April

第三話

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B SIDE

 そうして、ようやくと言う感じで授業が本格的に始まった。
 音楽理論の先生は芝井戸先生ではなく、中村先生という女の先生だった。少しがっかりしたがこればっかりは仕方がない。その中村先生の最初の理論の授業は音楽理論にまつわる歴史の話だけで終わった。
 アコギの授業は、演奏棟と制作棟のすべての科から集まった人たちで一年生も二年生も無く一緒に授業を受ける。しかしそのほとんどがボーカル科の人たちだった。みんなの演奏レベルもバラバラで、私は今日教わったことを問題無くこなすことが出来た。
 ボイトレの授業はうたと言うよりは声を出すことの基礎の基礎を徹底的にやる授業だ。先生がちょっと怖いと感じたけれど単純に声を出すことは楽しい。
 アンサンブルの授業は、一年生の演奏棟の人たちの授業にお邪魔するという形で参加になっており、ボイトレの授業と紐付けされているので私はボーカルとして参加する。授業は先に出された毎週変わる課題曲を覚えていって、授業内で組んだその都度都度の即席バンドで歌うという内容だ。二コマ分の授業中、順番が回ってくるのは二回から多くて四回でみんなハンドマイクで歌う。他の科の生徒による生のバンドで歌うと言うのは変な感じがするが、これも勉強と頑張って取り組む。
 そんな感じで始まった専門学校生活はとても楽しい。なにより音楽が好きな同世代の人たちがこんなに集まって一緒に授業を受けているというのは、それだけで専門学校に入って良かったと思えるくらいだ。


A SIDE

 私が担当する理論のクラスに古賀さんの姿は無かった。私自身が生徒を選ぶことはできないのでこればかりは仕方がない。

 初回の授業は例年のごとく『理論の授業について』と言う話から始める。
「おはようございます。あなたたちの理論のクラスを担当します芝井戸と言います。もう一度、おはようございます。」
「おはようございまーす。」
 緊張した声でまばらな挨拶が帰ってくる。
「はい。おはようございます。それで今日の授業ですが、まずは授業に入る前によくある質問から始めていきたいと思います。そうです、『理論なんか勉強しなくてもプロになっている人って沢山いますよね?』と言う話についてです。確かにその通りです。プロのミュージシャンの中にも理論のことを良く分かっていない人は沢山います。では、なぜこの授業で理論を勉強しないといけないのか?と言うことから少し考えてみましょう。」
 クラスの中でガヤガヤと私語を始める生徒が出てたので、私は少し声のトーンを上げ声の輪郭を明確にし、ゆっくりと話を続ける。
「まず第一に、ここ専門学校というのは中学や高校ではありません。あなた自身で選んであなた自身で学ぼうとわざわざ高い授業料を払い、もしくは払って貰って入ってきた専門学校です。そんな音楽の専門学校に二年も通ったのに、楽譜は読めずコードも分からない、音楽理論は分かりませんと言ってしまうのは如何なものかと私は思いますが、皆さんはどう思いますか?」
 生徒の反応は様々だ。当たり前という顔をした生徒やその説明に納得したような表情の生徒、困惑する表情の生徒にバツの悪そうな顔をする生徒、それに全く無表情の生徒もいる。ただし遠回しにお前らはもうガキじゃないんだと言ったおかげでなのか、賢いであろう生徒たちの私語が無くなったように思う。
「ではもう少し理論の先生っぽい答えをしてみましょう。音楽理論を勉強するということは、音楽家としての深みを得ることに繋がるんじゃないかと思います。音楽理論が重要かどうかは人それぞれかもしれませんが、勉強することが私は悪いことだとは思いません。音楽の色んな側面や理屈や仕組みを知り、そこから得たものを実際に創作活動に活かしていく。そういった音楽に深みを与える様々な手段を学ぶための授業だと私は思います。」
 黙って真面目に聞いて考えている生徒もいれば、引き続き私語をしている生徒もいる。
「しかし理論を知らなくても作曲出来てヒット曲作ってる人もいるよ。と思っている人もいるでしょう。それはあなた自身がその一握りの天才だとしたら面倒な勉強は必要ないでしょうね。と、元も子もないことを言ってしまいますが、残念ながらそれも一理あるのです。」
 再びクラスがざわつき始めた。間違いなく原因は敢えて煽るようなことを言った私だ。しかしそれも本当のことである。ここにいる生徒のように十八歳にもなれば、特別な人間はすでにその特別さを発揮していてもおかしくはない。音楽における天才とはそういうものなのだ。
 その中で一人の生徒がスッと手を上げて質問を投げかけてきた。
「先生、音楽理論を勉強したらオリジナリティーとか個性みたいなのが無くなるって感じの話をどっかで聞いたんですけど、それってどうなんですか?」
「良い質問ですね。先に意地悪な答えから言いますと、私はその人の言うオリジナリティーのある音楽を聞いてみたいです。なんて売り言葉に買い言葉の口喧嘩しているみたいですがこれは本心だったりします。音楽理論に全く縛られていない個性溢れる楽曲で、分かりやすく商業音楽として完成されている音楽があるのでしたら本気で私は聞いてみたいと心の底から本当に願っています。」
 これは本心だ。もし既存の音楽理論から全く外れた所にある音楽、何となくレベルでも理論に頼らない音楽で、本当に商業的に成功しているものがあるのであれば是非聞いてみたい。もしそんなものがあるとしたら、今の商業音楽の全ての常識を覆すレベルの楽曲のはずであり、これは恐らくプロの音楽家の全員が同じことを思っていることだろう。
「そしてもう一つの理論の先生としての答えはですが、オリジナリティーは無くならないと思いますよ。はっきり言ってしまえばその人の言う『勉強する』のレベルが低すぎるのではないかと言うのが私の見解です。理論にもレベルがありまして、音符を読んでコードを読み解くと言うレベルからオーケストラの編曲が出来るレベルまで。そして更には理論の外側まで。そうして音楽理論も理解が深くなっていけば音楽は自由だと言うところを経由し、その先は音楽理論なんてどうだって良いと言う所に到達するんですね。ただ間違って欲しく無いのは、何も勉強せずに言うそれと、一周回ってから言うそれとでは、言葉の意味も重みも変わってくると言うことです。どうでしょうか?こんな返答で。」
「あ、はい。…ありがとうございます。」
 その生徒は、気後れしているのかそれ以上は突っ込んでこない。
「では逆にみなさんに簡単な質問をしてみましょう。先ほども言ったように理論なんか勉強しなくてもプロになっている人って沢山いると言いますが、それでもそういう人は曲を作り演奏する中で、必ず『使える音』や『正解の音』なんて言葉を言います。それは一体どういう事でしょうか?」
 一気にガヤガヤとし出した。
「はーいそれでは、授業に入っていきましょうか。」
「えー!」
 話が途中のまま答えを言わずに進めようとすると必ずこの反応になる。それを見越して私は答えを言わない。そしてその言葉は、そのことに対して真面目に考えざるを得ない一定数の生徒にとっては生涯の呪いの言葉になる。だからあえて答えは言わないのである。
「はい、えー!じゃなくその答えは皆さんで考えてみて下さい。それでは授業に入りまーす。プリントを配りますので後ろに回して下さい。」
 当校の音楽理論の初日の授業は、音楽理論の成り立ちを音楽史の観点から解説する。そのためにまず授業ではグレゴリオ聖歌から始まり宗教音楽と商業音楽の違いと成り立ちを説明する。勿論、筆記の楽譜が印刷でコピーが安易になり、音自体を録音するレコードになって現在のデータ配信に至るという音楽の拡散方法の過程の歴史も説明する。その上で、人工的に作られた平均律での全て後付けの解釈である現代における音楽理論、というモノのカタチを出来る限り立体的に説明するのである。
 要はこれからの二年、私たちは何を勉強するのかを正しく理解するための授業がこの初回の講義である。
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