36 / 175
36話 キャンプの終わり
しおりを挟む自分の車に千尋を乗せて和彦が向かったのは、繁華街の中にある、飲食店ばかりが入った雑居ビルだった。とにかく人目を避け、なおかつ人に紛れ込みたかったのだ。これだけ飲食店があれば、仮に尾行がついていたとしても、二人の姿を容易に見つけ出せないはずだ。
もっとも、千尋と二人きりになった時点でアウトな気もするが、肝心の千尋が和彦から離れないのだから仕方ない。
混み合うエレベーターを途中で降り、階段を使って上がる。入ったのは、個室が使える居酒屋だった。すでに盛り上がっているグループやカップルを横目に、二人は黙り込んだまま個室に案内してもらう。
和彦は車の運転があるためもちろんアルコールは飲めないが、千尋もそんな気分ではないらしく、ソフトドリンクといくつかの料理を頼んだ。
「それで、何があったんだよ」
飲み物が先に運ばれてくると、さっそく千尋が声をひそめて詰問してくる。和彦はグラスの縁を指先で撫でながら、まっすぐ見つめてくる千尋から目を逸らす。
「何もない……。ただ、終わらせたくなっただけだ」
「理由になってねーよ、それ」
「理由は必要ないだろ。もともとぼくとお前は、気が向いたときに寝るだけのわかりやすい関係だ」
「… …先生は、そう思ってたのか?」
千尋の目を見るつもりはなかったのに、切実な言葉の響きに、つい視線を向けてしまう。顔立ちとは裏腹に、強い輝きを放つ子供っぽさを宿した目が、今はきちんと大人の男の目をしていた。雄弁な想いを、目で語っていた。
ズキリと和彦の胸は痛む。その痛みで、遊びのつもりだと自分に言い聞かせながら、実は自分が、千尋との関係をいとおしんでいたことを痛感させられた。できるなら、最後まで気づきたくはなかったことだ。
「お前は、十も年の離れた男のぼく相手に、本気で恋人だとでも思っていたのか?」
「悪いかよ」
きっぱりと言い切られ、さすがに和彦もすぐには言葉が出なかった。知らず知らずのうちに頬が熱くなってきて、うろたえる。ちょうどいいタイミングで料理も運ばれてきて、テーブルに並べられる。
その間に和彦は落ち着こうとしたが、千尋はお構いなしだ。
「――俺が、普通の家に生まれて、普通の親に育てられたんだったら、先生にこうして振られても、悔しくても納得はしたと思う」
和彦はハッとして千尋を凝視する。テーブルの上で千尋は固く手を握り締めていた。
「千尋……」
「こういうことは、初めてじゃない。俺がどういう家の人間か知ると、みんな怖がって逃げていく。だけど、俺もバカなりに観察しているんだ。……オヤジは、俺がつき合う人間を選定している。厄介な人間を、力をちらつかせて俺から遠ざけているんだ。もしくは、直接脅しをかけている」
急に鋭い視線を向けられると同時に、千尋に手を掴まれた。
「組の人間に、何か言われたんだろ、先生」
「……なんのことだ」
「その答えは、いままで俺から離れていった人間と同じだ。誤魔化してるようで、全然誤魔化してないぜ」
和彦は唇を引き結び、答える気はないと態度で示したが、千尋はさすがに、あの父親の息子だった。
「――答えないなら、オヤジに直接聞くからな。先生に何をしたか、何を言ったか、全部聞いてやる。それに、俺が先生と別れる気がないことも言ってやる」
「やめろっ」
そう叫んだ和彦は、自分でも顔から血の気が引くのがわかった。あの男に、和彦が千尋を唆して行動を起こさせたと思われたら、そこで和彦のすべてが終わる。今度こそ、殺されるかもしれない。
千尋の父親からすれば、息子のおもちゃを取り上げるような感覚だろう。
恐怖で震える和彦の手を、痛いほど千尋は握り締めてくる。
「何、された……? こんなに怖がってる」
「何も……、何もされてない。ただ、お前とは会わないよう、言われただけだ。それよりもぼくは、お前の家がああいう感じだとは思ってもいなかったから、それが怖い」
まさか、辱められて、その光景をビデオカメラで録画されたなどと言ったら、千尋は怒り狂い、何をしでかすかわからない。和彦は千尋の父親も怖いが、千尋の暴走も恐れているのだ。
「……先生、隣に行っていい?」
目が据わった千尋に言われ、嫌とは言えない。和彦が頷くと、千尋は隣に移動してきて、すぐに肩を抱いてきた。さすがに個室とはいえ、両隣の客の声や、薄い障子に隔てられただけの通路で行き来する人の気配が気になる。離すよう言いたかったが、肩にかかった千尋の手は、頑是ない子供のように力強い。
「うちの組のことは聞いた?」
耳元に唇を寄せて千尋が尋ねてくる。足を崩して座布団の上に座り直した和彦は軽くため息をついた。
「少しだけ。… …すごいところらしいな」
「すごいと言っても、所詮はヤクザだ。嫌われて、怖がられるだけの存在だよ」
「でもお前、跡継ぎなんだろ。将来、跡を継ぐんじゃ……」
「継ぐよ」
あまりにあっさりと千尋が答えたため、和彦はひどく驚いた。千尋が家を出ていることや、父親に対する微妙な発言から、ヤクザというものを忌避しているのかと思い込んでいた。だが――。
「オヤジになんでも強いられるのが嫌なんだ。だけど、自分の道は自分で選ぶ。俺は、長嶺を継ぐ。嫌われようが、怖がられようが、長嶺の名前は魅力的だ。その名前が持つ力も。俺はガキの頃から、総和会の会長――俺のじいちゃんが、長嶺組の組長として組を引っ張っているのを見てきた。豪放なんだよ。だけどオヤジは……俺の憧れとは違う」
「嫌いなのか?」
「好きとか嫌いじゃない。オヤジは、俺の目指すものじゃない。だから、オヤジに組のことで命令されるとムカつくんだ。俺はまだ、組のことには関わらない。それに、どうせ関わるなら、総和会の本部で動きたい」
その辺りの組織の構成がどうなっているのか、和彦にはよくわからないし、知りたいとも思わない。
ただ、和彦が知らないことを熱のこもった口調で話す千尋を見ていると、強く実感できることがあった。やはり、あの男の息子だと。
暴力団組織を継ぐということに、一切のためらいがない、それどころか抗いがたい魅力を感じている節すらあり、和彦の理解を超えていた。千尋もまた、和彦が関わっていい相手ではないのだ。
「だけど今は自由でいたい。組とは関係なく、いろんなことをしたいし、好きな人と一緒にいたい……」
手が頬にかかり、千尋のほうを向かされる。
「俺のせいで先生が嫌な目に遭ったんなら、俺はオヤジを許さない。例え、俺のためだとしても」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説



とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・
希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!?
『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』
小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。
ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。
しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。
彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!?
過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。
*導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。
<表紙イラスト>
男女:わかめサロンパス様
背景:アート宇都宮様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる