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未来へ
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「なあ、十羽。一緒に大阪に行ってもらえないか。あの簪を届けなければならない。それが終わらないと、俺は俺に戻れない」
常世は十羽にそう告げた。十羽もそれを了承した。藤田が戻ってきたら、二人で大阪に行く。そして、妹の常葉と土方から託された玉簪を新選組の軍医だった椿といに女医に渡す。そうすれば、常世は新選組の全てから解放されるのだ。
「行きましょう。妹さんのために」
「うん。もう一度俺は、市村鉄之助になるよ」
それからひと月が過ぎた頃、藤田が東京に戻ってきた。正式に警視庁の人間になったようだ。詰襟の制服を着て、腰には刀が一本さしている。世の中は廃刀へと舵を切るなか、藤田は警察として武士の精神を繋いだのかもしれない。
そして、常世を驚かせる人が一緒であった。
島田魁。元新選組監察、箱館戦争まで戦い生き延びた男だ。
「あなたが、鉄之助くんのお兄さんですか! 彼女はお元気でしょうか」
妹が鉄之助に化けた女だと知る人物の一人である。
「あいつ、いったい何人にバレてるんだよ……」
女が男を通すことは、やはり不可能に等しい。常世は頭を抱えながらも島田魁に礼を言った。
「妹が今、どうしているのかは知りません。最後に言葉を交わしたときは、妹も土方さんも虫の息でしたから。運がよければ生き延びているかもしれない」
―― あの二人は、生きている気がする。単なる勘だか、二人でよろしくしてるだろうさ
妹がおじじの秘薬を土方に使ったのは間違いない。あの秘薬の効果は常世が十羽に使って知ったからだ。
「常世さん」
「うん?」
隣で十羽が優しく微笑む。常世の心の声を聞いたのだろう。妹も土方もきっと、生きていて幸せに暮らしいてるよとそう言いたいのかもしれない。
「そうですか。私に力がないばかりに、あの二人をあの地に残してきてしまいました。でも、生きているかもしれないですね。そうあってほしい」
島田魁はそう言いながら、泣いていた。
「ところで」
話が一通り終わると、藤田が待っていたように口を開いた。
「大阪の椿のところに行くのだろう? おまえ、顔も知らんだろ。俺も一緒に行ってやろう。その時は永倉も行くときかんだろうな」
「ええっ」
「私もお供します! 椿さんにはとても世話になりましたから!」
「なんだってそんなっ」
常世はどれほど椿という女が、新選組から慕われていたのかを知らない。十羽とのんびり大阪にくだり、こっそり渡してこようと考えていた。それを目の前の男たちは覆してしまう。
「それにおまえ、一人ではあの山崎烝は欺けんぞ。新選組の諸士調役兼監察だ。土方さんも一目おくほどの人物だった。おまえが市村鉄之助ではないとすぐに見破りかねん」
「なんなんですか、その山崎烝ってひとは」
「椿の夫だ」
「うわぁ……」
こうして、常世の意思とは別に大阪行きの旅が決まった。十羽はただ、にこにこと微笑むだけだ。旅の供は多い方がいいとでも思っているのかもしれない。
◇
それから、ふた月ほど経ったある日。
大阪に近い宿を出るとき、常世は市村鉄之助になりかわった。あれから月日がずいぶんと過ぎ、妹が扮していた鉄之助ではなくなってしまった。
「なんだか懐かしいですね。常世さんの鉄之助さんの姿。すっかり男らしい鉄之助さんです」
「大丈夫だろうか」
「大丈夫ですよ。鳥羽伏見から何年か過ぎましたもの。少年はもう大人になっています」
「そうだな。ありがとう」
「はい」
当時、常世は長州藩に身を置いていた。官軍となった薩長の側から、賊軍となった妹を見守っていたのだ。ひどい戦いだったことを思い出す。妹が見た景色とは異なるが、あの頃はなにもかもめちゃくちゃだったのだ。
懐かしさよりも、胸糞の悪さだけが込み上げる。
十羽は大阪に入ったあたりから自然と口数が少なくなってしまった。十羽もまた、あの戦いを知っているのだ。人が人でなくなったように、あたり構わず刀を振り、弾を撃っていた。
常世と十羽はあの時の戦いでは、何もできなかった。ただ変わりゆく景色を見ながら、死に物狂いで走っていただけだったのだ。
「十羽」
「はい」
「笑え。もう、戦争は終わっている」
「……はい」
常世が言うように、そこにあの日の大阪はなかった。東京とはまた少し違う賑やかさがあちらこちらにあった。港は活気にあふれ、生き生きとした人々が大きな声を出して商売をしている。
―― 人って、馬鹿だけど強いよな
「私たちも、その一人ですね」
「おまえ、読んだな」
「えへへ。ごめんなさい。聴こえてきたの」
「ふん。やっかいだよ、その能力」
「そうですね。今となってはありがたい能力です」
「言うようになったな。それでいいんだよ」
常世は十羽の手をぎゅっと握った。口に出さずとも分かり合えるなんて、なんと幸せなことだろう。そう、思えるようになった。
十羽には笑っていてほしい。それだけが常世の願いだ。
「俺たちが先に行く。しばらくしてから入ってこい。あの角を曲がった先だ。見ればわかるだろう。山崎医院という札が出ている」
「わかりました。悪いけど、十羽は」
「はい。承知しています。あそこの茶屋で待っています」
ようやく常世の任が解けるときが来た。懐にある玉簪を取り出して確かめた。これで妹からの、新選組からの解放だ。
◇
「さて、そろそろ来る頃だと思うが」
一頻り話が終わると藤田が、入口の方に目を向けた。そんな藤田を椿が不思議そうに問いかける。
「どなたか来られるのですか」
「まあ、来てのお楽しみだ」
少し緊張しながら常世は山崎医院の前に立っていた。中から数名の視線を戸越しに感じながら。
すると、鋭い視線と独特の気配を戸の向こうに感じた。思わず、息を潜めてしまうほどのものだ。
スッと戸が空いた。現れたのは常世とあまり変わらない細身の男だった。その男は常世が扮した鉄之助を見ると、瞬時に目に力を入れた。
「君はっ」
この男が藤田が言っていた山崎烝なのだと思った。
「市村、鉄之助です。ご無沙汰しております」
「生きていたのか。さあ、入りたまえ」
常世はほっと胸を撫で下ろし、山崎の後について中に入った。山崎は土方の小姓として箱館まで同行した市村鉄之助だと、信じているようだ。
中に入ると、甲高い声ですぐに名前を呼ばれた。
「鉄之助くん!」
彼女が山崎椿である。小柄の可愛らしい女性だった。
「ご無沙汰しております。おっ、俺、もう大人ですから。くんは......その」
椿という女はなんと無防備で無邪気なのだろうと常世は思った。屈託のない柔らかな空気を惜しげもなく向けてくるのだ。あまりにも真っ直ぐに見つめてくるので、常世は堪らず目を逸らした。
「すっかりと、ご立派になられて。よかった、生きていてくれてありがとう」
椿の高揚した顔をみて、常世は思った。この軍医には勝てないと。椿という女からは無限に広がる命の輝きが見えたからだ。土方が椿に何か残してやりたいと、そう思ったことに今ならば理解できそうな気がした。
「ご存知かと思いますが、土方さんは箱館で最期を迎えました。箱館で戦争が始まる少し前に、俺は土方さんから江戸に戻るように言われました。ご家族宛の文やこれまで貯めてきた給金と、土方さんの形見の写真を持って。その時に一緒に預かった物があるのです。これを、あなたに」
鉄之助に扮した常世は包みを椿の前に差し出した。椿はそれをじっと見つめている。
「それを、椿さんに渡してくれと預かりました」
椿は恐る恐る手に取り、包みを開く。
「あっ」
中から姿を現したのは玉簪であった。黒い串に真っ赤な玉の飾りがあり、その玉にはツバキの花柄が刻まれている。よく見ると少しその線は歪になっている。
「何処で手に入れたのかは知りませんが、そのツバキ柄は土方さんが彫ったのですよ」
「えっ!」
「箱館の冬の夜は長かったですから」
「どうしてこれを私に」
「輿入れ祝いだと、言っていました。あいつは山崎の命を絶対に手放さないからと」
「えぇ、ううっ。ひじ、かた、さん」
椿という女はその玉簪を胸に抱き泣いていた。それを夫である山崎烝が優しく背をさする。
「烝さんっ、土方さんがっ。土方さんが......」
「椿、良かったですね。大切にしなければ」
その姿を見た他の男たちも熱いものが込み上げていた。土方がどんな思いで、この簪にツバキの絵柄を刻んだのか。あの頃、共に走り抜けた男たちならば分かるのだろう。
そんな彼らの姿を見ながら常世は納得した。
椿という女と土方の間には恋慕は存在しない。ただ、家族の絆のようなものを強く感じる。だから妹はこれを託したのだろう。切ってはならない大事な絆を妹は知っていた。
「もしお腹の子が女の子だったら、この子に。もし男の子だったらお嫁さんに引き継ぎます。かつて、新選組が歩んで来た歴史を、ずっと忘れないように」
椿の言葉に、常世の胸は熱くなった。山崎も椿のあとに言葉を添えた。
「新選組が存在した事を忘れないためにも」
常世はずっと解放されたかった。
幕末のむせかえるあの汚れた日々から。
新選組として命をかけた妹から。
時代が変わっても、ずっとつきまとう戦争の痛みと、兄弟を引き裂いた新選組から。
しかし常世は、何ひとつ解放された気にならなかった。与えられた使命を全うしたはずなのに、心の奥底に住み続ける新選組という言葉。
常世も市村鉄之助の姿のまま、泣いた。
◇
「おまえたち、これからどうするんだ? 俺の道場にでもくるか」
「わたしの道場でもよいですよ。おふたりがよければですが」
永倉や島田が、常世と十羽に声をかけてる。藤田もあの家を譲ってもいいと言ってくれたが、常世は首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、これ以上は世話になるわけにはいきません」
「十羽ちゃんはいいのか? こいつヘソ曲がってるぜ?」
「永倉さんたら。常世さんのヘソは曲がっていませんよ」
「そうか? それならいいが」
黙って聞いていた藤田が行く宛はあるのかと心配した様子で聞いてくる。常世は十羽の手を握り、こう答えた。
「故郷に帰ろうかと考えています。ここよりももっと南の、雪の降らない場所です」
「暖かい場所ですか?」
「ああ。十羽の知らない食べ物もある」
「楽しみです」
藤田も永倉も島田も若い二人を見て、頬を緩めた。こんな穏やかな気持ちで見送る日が来たことが何よりも嬉しいのだ。
別れとは死別を意味する時代を走り抜けてきた彼らは、若い二人の旅立ちに未来への希望を見た気がした。
激怒の時代に終わりはない。
また新たな戦いが始まるかもしれない。立ち上がった日本はまだまだ不安定だ。それでも、この二人には夢を持って生きてほしい。
「幸せになれよ、お十羽ちゃん」
「そうですよ。この世をさった仲間たちの分も幸せになってください」
「では、これで最後だな。二度と顔を出すなよ。おまえたちの幸せを願っている」
かつて、新選組として時代に抗った男たちの背中が、常世と十羽の前から去っていく。その背中には多くの失った仲間たちの命を背負っている。
あとは俺たちが始末するから、おまえたちはその荷物を置いていけ。
そう、語っているような気がした。
「あっ、もう鉄之助さんじゃなくなってますね」
「えっ、そうか? 気が抜けたからだろう。もう、二度と鉄之助には戻れないな」
「あなたは常世さんです。これからもずっと、お爺さんになるまで、わたしといてくださいね」
「そうだな」
「家族を作りましょうね。わたし、がんばりますから」
「おまっ、なに言ってんの」
「顔が赤いですよ、常世さん」
「おまえ!」
故郷に帰ったら何をしよう。
おじじはもういないかもしれない。でも、十羽がいる。十羽と新しい家族を作ればいい。
「常世さん。大好きですよ」
「わかってるよ! ばーか」
もう、一人ではない。
生かされた命は、絶えるその日まで燃やし続けなければならない。
志半ばでこの世を去った新選組の分も。
常世は十羽にそう告げた。十羽もそれを了承した。藤田が戻ってきたら、二人で大阪に行く。そして、妹の常葉と土方から託された玉簪を新選組の軍医だった椿といに女医に渡す。そうすれば、常世は新選組の全てから解放されるのだ。
「行きましょう。妹さんのために」
「うん。もう一度俺は、市村鉄之助になるよ」
それからひと月が過ぎた頃、藤田が東京に戻ってきた。正式に警視庁の人間になったようだ。詰襟の制服を着て、腰には刀が一本さしている。世の中は廃刀へと舵を切るなか、藤田は警察として武士の精神を繋いだのかもしれない。
そして、常世を驚かせる人が一緒であった。
島田魁。元新選組監察、箱館戦争まで戦い生き延びた男だ。
「あなたが、鉄之助くんのお兄さんですか! 彼女はお元気でしょうか」
妹が鉄之助に化けた女だと知る人物の一人である。
「あいつ、いったい何人にバレてるんだよ……」
女が男を通すことは、やはり不可能に等しい。常世は頭を抱えながらも島田魁に礼を言った。
「妹が今、どうしているのかは知りません。最後に言葉を交わしたときは、妹も土方さんも虫の息でしたから。運がよければ生き延びているかもしれない」
―― あの二人は、生きている気がする。単なる勘だか、二人でよろしくしてるだろうさ
妹がおじじの秘薬を土方に使ったのは間違いない。あの秘薬の効果は常世が十羽に使って知ったからだ。
「常世さん」
「うん?」
隣で十羽が優しく微笑む。常世の心の声を聞いたのだろう。妹も土方もきっと、生きていて幸せに暮らしいてるよとそう言いたいのかもしれない。
「そうですか。私に力がないばかりに、あの二人をあの地に残してきてしまいました。でも、生きているかもしれないですね。そうあってほしい」
島田魁はそう言いながら、泣いていた。
「ところで」
話が一通り終わると、藤田が待っていたように口を開いた。
「大阪の椿のところに行くのだろう? おまえ、顔も知らんだろ。俺も一緒に行ってやろう。その時は永倉も行くときかんだろうな」
「ええっ」
「私もお供します! 椿さんにはとても世話になりましたから!」
「なんだってそんなっ」
常世はどれほど椿という女が、新選組から慕われていたのかを知らない。十羽とのんびり大阪にくだり、こっそり渡してこようと考えていた。それを目の前の男たちは覆してしまう。
「それにおまえ、一人ではあの山崎烝は欺けんぞ。新選組の諸士調役兼監察だ。土方さんも一目おくほどの人物だった。おまえが市村鉄之助ではないとすぐに見破りかねん」
「なんなんですか、その山崎烝ってひとは」
「椿の夫だ」
「うわぁ……」
こうして、常世の意思とは別に大阪行きの旅が決まった。十羽はただ、にこにこと微笑むだけだ。旅の供は多い方がいいとでも思っているのかもしれない。
◇
それから、ふた月ほど経ったある日。
大阪に近い宿を出るとき、常世は市村鉄之助になりかわった。あれから月日がずいぶんと過ぎ、妹が扮していた鉄之助ではなくなってしまった。
「なんだか懐かしいですね。常世さんの鉄之助さんの姿。すっかり男らしい鉄之助さんです」
「大丈夫だろうか」
「大丈夫ですよ。鳥羽伏見から何年か過ぎましたもの。少年はもう大人になっています」
「そうだな。ありがとう」
「はい」
当時、常世は長州藩に身を置いていた。官軍となった薩長の側から、賊軍となった妹を見守っていたのだ。ひどい戦いだったことを思い出す。妹が見た景色とは異なるが、あの頃はなにもかもめちゃくちゃだったのだ。
懐かしさよりも、胸糞の悪さだけが込み上げる。
十羽は大阪に入ったあたりから自然と口数が少なくなってしまった。十羽もまた、あの戦いを知っているのだ。人が人でなくなったように、あたり構わず刀を振り、弾を撃っていた。
常世と十羽はあの時の戦いでは、何もできなかった。ただ変わりゆく景色を見ながら、死に物狂いで走っていただけだったのだ。
「十羽」
「はい」
「笑え。もう、戦争は終わっている」
「……はい」
常世が言うように、そこにあの日の大阪はなかった。東京とはまた少し違う賑やかさがあちらこちらにあった。港は活気にあふれ、生き生きとした人々が大きな声を出して商売をしている。
―― 人って、馬鹿だけど強いよな
「私たちも、その一人ですね」
「おまえ、読んだな」
「えへへ。ごめんなさい。聴こえてきたの」
「ふん。やっかいだよ、その能力」
「そうですね。今となってはありがたい能力です」
「言うようになったな。それでいいんだよ」
常世は十羽の手をぎゅっと握った。口に出さずとも分かり合えるなんて、なんと幸せなことだろう。そう、思えるようになった。
十羽には笑っていてほしい。それだけが常世の願いだ。
「俺たちが先に行く。しばらくしてから入ってこい。あの角を曲がった先だ。見ればわかるだろう。山崎医院という札が出ている」
「わかりました。悪いけど、十羽は」
「はい。承知しています。あそこの茶屋で待っています」
ようやく常世の任が解けるときが来た。懐にある玉簪を取り出して確かめた。これで妹からの、新選組からの解放だ。
◇
「さて、そろそろ来る頃だと思うが」
一頻り話が終わると藤田が、入口の方に目を向けた。そんな藤田を椿が不思議そうに問いかける。
「どなたか来られるのですか」
「まあ、来てのお楽しみだ」
少し緊張しながら常世は山崎医院の前に立っていた。中から数名の視線を戸越しに感じながら。
すると、鋭い視線と独特の気配を戸の向こうに感じた。思わず、息を潜めてしまうほどのものだ。
スッと戸が空いた。現れたのは常世とあまり変わらない細身の男だった。その男は常世が扮した鉄之助を見ると、瞬時に目に力を入れた。
「君はっ」
この男が藤田が言っていた山崎烝なのだと思った。
「市村、鉄之助です。ご無沙汰しております」
「生きていたのか。さあ、入りたまえ」
常世はほっと胸を撫で下ろし、山崎の後について中に入った。山崎は土方の小姓として箱館まで同行した市村鉄之助だと、信じているようだ。
中に入ると、甲高い声ですぐに名前を呼ばれた。
「鉄之助くん!」
彼女が山崎椿である。小柄の可愛らしい女性だった。
「ご無沙汰しております。おっ、俺、もう大人ですから。くんは......その」
椿という女はなんと無防備で無邪気なのだろうと常世は思った。屈託のない柔らかな空気を惜しげもなく向けてくるのだ。あまりにも真っ直ぐに見つめてくるので、常世は堪らず目を逸らした。
「すっかりと、ご立派になられて。よかった、生きていてくれてありがとう」
椿の高揚した顔をみて、常世は思った。この軍医には勝てないと。椿という女からは無限に広がる命の輝きが見えたからだ。土方が椿に何か残してやりたいと、そう思ったことに今ならば理解できそうな気がした。
「ご存知かと思いますが、土方さんは箱館で最期を迎えました。箱館で戦争が始まる少し前に、俺は土方さんから江戸に戻るように言われました。ご家族宛の文やこれまで貯めてきた給金と、土方さんの形見の写真を持って。その時に一緒に預かった物があるのです。これを、あなたに」
鉄之助に扮した常世は包みを椿の前に差し出した。椿はそれをじっと見つめている。
「それを、椿さんに渡してくれと預かりました」
椿は恐る恐る手に取り、包みを開く。
「あっ」
中から姿を現したのは玉簪であった。黒い串に真っ赤な玉の飾りがあり、その玉にはツバキの花柄が刻まれている。よく見ると少しその線は歪になっている。
「何処で手に入れたのかは知りませんが、そのツバキ柄は土方さんが彫ったのですよ」
「えっ!」
「箱館の冬の夜は長かったですから」
「どうしてこれを私に」
「輿入れ祝いだと、言っていました。あいつは山崎の命を絶対に手放さないからと」
「えぇ、ううっ。ひじ、かた、さん」
椿という女はその玉簪を胸に抱き泣いていた。それを夫である山崎烝が優しく背をさする。
「烝さんっ、土方さんがっ。土方さんが......」
「椿、良かったですね。大切にしなければ」
その姿を見た他の男たちも熱いものが込み上げていた。土方がどんな思いで、この簪にツバキの絵柄を刻んだのか。あの頃、共に走り抜けた男たちならば分かるのだろう。
そんな彼らの姿を見ながら常世は納得した。
椿という女と土方の間には恋慕は存在しない。ただ、家族の絆のようなものを強く感じる。だから妹はこれを託したのだろう。切ってはならない大事な絆を妹は知っていた。
「もしお腹の子が女の子だったら、この子に。もし男の子だったらお嫁さんに引き継ぎます。かつて、新選組が歩んで来た歴史を、ずっと忘れないように」
椿の言葉に、常世の胸は熱くなった。山崎も椿のあとに言葉を添えた。
「新選組が存在した事を忘れないためにも」
常世はずっと解放されたかった。
幕末のむせかえるあの汚れた日々から。
新選組として命をかけた妹から。
時代が変わっても、ずっとつきまとう戦争の痛みと、兄弟を引き裂いた新選組から。
しかし常世は、何ひとつ解放された気にならなかった。与えられた使命を全うしたはずなのに、心の奥底に住み続ける新選組という言葉。
常世も市村鉄之助の姿のまま、泣いた。
◇
「おまえたち、これからどうするんだ? 俺の道場にでもくるか」
「わたしの道場でもよいですよ。おふたりがよければですが」
永倉や島田が、常世と十羽に声をかけてる。藤田もあの家を譲ってもいいと言ってくれたが、常世は首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、これ以上は世話になるわけにはいきません」
「十羽ちゃんはいいのか? こいつヘソ曲がってるぜ?」
「永倉さんたら。常世さんのヘソは曲がっていませんよ」
「そうか? それならいいが」
黙って聞いていた藤田が行く宛はあるのかと心配した様子で聞いてくる。常世は十羽の手を握り、こう答えた。
「故郷に帰ろうかと考えています。ここよりももっと南の、雪の降らない場所です」
「暖かい場所ですか?」
「ああ。十羽の知らない食べ物もある」
「楽しみです」
藤田も永倉も島田も若い二人を見て、頬を緩めた。こんな穏やかな気持ちで見送る日が来たことが何よりも嬉しいのだ。
別れとは死別を意味する時代を走り抜けてきた彼らは、若い二人の旅立ちに未来への希望を見た気がした。
激怒の時代に終わりはない。
また新たな戦いが始まるかもしれない。立ち上がった日本はまだまだ不安定だ。それでも、この二人には夢を持って生きてほしい。
「幸せになれよ、お十羽ちゃん」
「そうですよ。この世をさった仲間たちの分も幸せになってください」
「では、これで最後だな。二度と顔を出すなよ。おまえたちの幸せを願っている」
かつて、新選組として時代に抗った男たちの背中が、常世と十羽の前から去っていく。その背中には多くの失った仲間たちの命を背負っている。
あとは俺たちが始末するから、おまえたちはその荷物を置いていけ。
そう、語っているような気がした。
「あっ、もう鉄之助さんじゃなくなってますね」
「えっ、そうか? 気が抜けたからだろう。もう、二度と鉄之助には戻れないな」
「あなたは常世さんです。これからもずっと、お爺さんになるまで、わたしといてくださいね」
「そうだな」
「家族を作りましょうね。わたし、がんばりますから」
「おまっ、なに言ってんの」
「顔が赤いですよ、常世さん」
「おまえ!」
故郷に帰ったら何をしよう。
おじじはもういないかもしれない。でも、十羽がいる。十羽と新しい家族を作ればいい。
「常世さん。大好きですよ」
「わかってるよ! ばーか」
もう、一人ではない。
生かされた命は、絶えるその日まで燃やし続けなければならない。
志半ばでこの世を去った新選組の分も。
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【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。
謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。
残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道
谷鋭二
歴史・時代
この物語の舞台は主に幕末・維新の頃の日本です。物語の主人公榎本武揚は、幕末動乱のさなかにはるばるオランダに渡り、最高の技術、最高のスキル、最高の知識を手にいれ日本に戻ってきます。
しかし榎本がオランダにいる間に幕府の権威は完全に失墜し、やがて大政奉還、鳥羽・伏見の戦いをへて幕府は瓦解します。自然幕臣榎本武揚は行き場を失い、未来は絶望的となります。
榎本は新たな己の居場所を蝦夷(北海道)に見出し、同じく行き場を失った多くの幕臣とともに、蝦夷を開拓し新たなフロンティアを築くという壮大な夢を描きます。しかしやがてはその蝦夷にも薩長の魔の手がのびてくるわけです。
この物語では榎本武揚なる人物が最北に地にいかなる夢を見たか追いかけると同時に、世に言う箱館戦争の後、罪を許された榎本のその後の人生にも光を当ててみたいと思っている次第であります。
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