千里香の護身符〜わたしの夫は土地神様〜

ユーリ(佐伯瑠璃)

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もう一度、多田羅に太陽を

28、秋の神、蒼然

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 荷物を置いた朱実と泰然は、午後の西日が差す中を徒歩で出かけた。旅館の近くにある神社に向かうことにしたのだ。
 その名も穂乃富神社ほのとみじんじゃ。いかにも、五穀豊穣が叶いそうな名前である。
 そんなに高くない山の上にあるこの神社は神秘的な参道が参拝客の目をひく。

「泰然さま! あんなに遠くに鳥居が見えます」
「うむ。確かに遠いな。では、朱実は抱えて登ろうか」
「あのっ、そういう意味ではありませんからご心配なく。それより見てください。どんなに小さな子どもでもあの鳥居は見えるんですよ」

 朱実は屈んだり背伸びをしてみたりと忙しい。朱実は何に感動しているのかというと、緩やかに見える坂道と低い階段の遥か遠くから、早くおいで言わんばかりにその鳥居が待っているように見えることだ。参道の両脇には程よい間隔で植えられた樹木があり、その間から陽の光が差す。しかも陽が傾いても薄暗さを感じさせない。いつでも歓迎しているような雰囲気があった。

「なんというか、ウェルカム感がすごいです」
「うえるかむかん?」
「はい。地元の小さな神社って、外から来た人には近寄りがたいものがあります。陽が落ちるとすぐに暗くなるし不気味な雰囲気になるでしょう? でも、ここはそんな感じがしないから」
「うむ。確かに、陰気なものは感じられない。空気もカラッとしている。逢う魔時などとは縁がなさそうだ」

 汗をかいても吹き抜ける風は心地よく、不快感をすぐに拭い去ってしまう。これは土地柄だと言われればそれまでである。
 二人は一礼し鳥居をくぐって境内に足を踏み入れた。入ってすぐの社務所の軒下に、夏の名残りを思わせる風鈴がチリンチリンと音色を奏でている。正面にはこじんまりとしたお社が建っていた。
 まずは手水舎ちょうずやで清めて、お社の正面に立ち鈴を鳴らした。隣に立つ泰然は、相変わらずの無表情で手を合わせる。神が神に手を合わせる姿に、朱実は小さく笑った。いつか泰然が言った「妙な気分だ」を思い出したのだ。

(轟然さまや龍然さまなら、こんなことはしないだろうな。泰然さまのこういところ、大好き)

 参拝を済ませてあらためて当たりを見渡す。この神社はいつ建立されたものか不明だが、長い年月が経っているに違いない。屋根の色は色褪せ、鈴も賽銭箱もずいぶんと年季が入っていた。
 ぐるりとひと通り確認したが、人の気配はなかった。

「泰然さま、誰もいませんね。普段からいないのでしょうか」
「おそらく、専門の神職はいないのだろう。平日で参拝客が少ない神社だと、他の仕事を兼務している場合があると聞く」
「なるほど。あ、お社の後ろに道が続いています」
「龍然が言うには、この山の上に畑があるのだそうだ。里芋畑が広がっているらしい。もしかしたらそこに、蒼然がいるのかもしれないと」

(蒼然さまにもうすぐ会えるのね)

 朱実に躊躇いはなかった。その代わりに会いたいと、はやる気持ちが芽生えている。

「行ってみたいです!」

 朱実の揺るぎない言葉に泰然は頷いた。
 
「わかった。ではその荷物はわたしが持とう。心配はするな。勝手に食べたりはしない」
「ふふっ。先に言われてしまいました。では泰然さまにこの稲荷寿司をお預けします。さあ、登りましょう!」

 何かに導かれるように、朱実は山の頂上へと続く道を歩いて進んだ。憂いなどどこ吹く風の足取りに、泰然は驚いた。

(不思議と足が弾むの。きっとこの先に蒼然さまがいる。わたしには伝えなきゃならないことがあるの。蒼然さま、どうかわたしに会ってください)

 ◇

 足元は決してよいとは言えない山道をどれくらい歩いただろうか。朱実は肩で息をする程になっていた。額には汗が滲んでいる。でも、足は止めなかった。

「朱実、少し休んだらどうだ」
「大丈夫です。もう少しだと思うので」

 すると、道がひらけて眩い陽の光が朱実と泰然を差しはじめた。朱実は後ろを歩く泰然の方をパッと振り返った。

「泰然さま!」
「ああ、山頂についたようだな」
「見てください。綺麗です!」
「ほう。これは見事だな」

 長い山道を登り終えると、そこには切り拓かれた土地が広がっている。遠くに山脈が見え、標高の高い山のてっぺんは紅葉が始まっているのか秋の色が点々とあった。
 夏から秋へ移りゆく風景がそこにある。それとは反対に足元は青々とした葉が一面に茂っていた。里芋畑を取り囲む山脈との組み合わせを、絶景と呼ばずなんと言うのか。
 そんな風景にしばらく見惚れいた朱実はふと我にかえる。

「ここに、蒼然さまはいらっしゃるのでしょうか」

 朱実は周囲を確認をしてみたが、人影らしきものは見当たらなかった。ただ、ときどき風といっしょに流れてくる金木犀の香りがある。
 もしかしたら蒼然は、朱実が来ることを察して身を隠してしまったのではないか。穏やかな日々を過ごす蒼然からすれば、朱実の訪れは決して縁起が良いものではないだろうから。

(蒼然さまは、きっと私にはお姿を見せてはくれないのかも)

 そう思った時、朱実の後ろにいた泰然が隣に並んだ。泰然はさっきから誰かを見ているような視線を向けている。

「泰然さま?」

 朱実が問いかけると、泰然が朱実に視線を戻してこう言った。

「朱実、目を閉じなさい」
「え?」
「蒼然に会いたいのだろう?」
「はい」

 朱実は泰然の言わんとすることをなんとなく察して、目を閉じた。
 すると、泰然は小さな声で何かの詞を唱えながら朱実の背中に手を添えトントンと二、三度叩いた。すると、先ほどとは打って変わったように金木犀の香りが強くなった。

(んっ、なにこれ。すごい……)

「さあ目を開けなさい。今の朱実ならば見えるだろう」

 朱実は目を開けた。
 太陽は来た時よりも少し傾き、朱実の顔を照らす高さまで降りていた。思わずぎゅっと瞼を閉じた。

(眩しいっ……)

 今度は目をゆっくりと開け何度か瞬きをした。香りがする方に視線を向けると、先ほどまでにはなかった人影が浮かび上がった。その人影は腰を屈めて畑の手入れをしているように見える。

「あ……」
「あれが、蒼然だ」
「あの人が蒼然、さま」
「ああ」

 遠く離れたところに白い狩衣姿の蒼然がいる。彼からは金色の光が漏れていた。まるで周囲は、この世の光景とは思えぬほど煌びやかな光に包まれている。
 彼は朱実たちの視線を感じ取ったのか、ゆっくりと腰を起こして振り返った。
 両手に大きな葉を抱えた蒼然が朱実をとらえる。
 あまりにも眩くて目を細めた瞬間、びゅっと風が吹いた。金木犀の香りが朱実を包み込む。気がつくと影が朱実を覆い眩しさが無くなった。
 大きく目を開いて分かった。その影は先ほどまで遠くに見えていた蒼然だったのだ。

「あっ……ぁ」

 憂いおびた眼差しで朱実を見下ろしている。はらりとこぼれた蒼然の前髪は、お加代の犬の姿と同じ美しい銀髪だった。そこに五穀豊穣を表す金色の稲穂の飾りがついている。目元には赤いラインが入っており、狐の化粧を思わせるものだった。

「舞衣子」

 蒼然は朱実に確かにそう言った。そして、白く長い指を恐る恐る伸ばすと、その指先で朱実の頬に触れた。少し冷たい指先に朱実は驚く。すると、今までにないくらい濃い金木犀の香りが朱実を包み込んだ。
 鼻の奥がツンと痛む。

(どうしてなの、目眩が……する)

「朱実」

 隣にいた泰然がそっと朱実の腰を支えた。朱実の体はふらふらと揺れ、今にも倒れそうだったのだ。泰然の沈丁花の香りを間近で吸い込み呼吸を整えると、不思議と目眩は治った。

「泰然さま、ありがとうございます」

 泰然は朱実の頭をひと撫でし、蒼然に向かい合う。

「蒼然。初めてお目にかかる。わたしは多田羅の土地神となった泰然と申す。彼女は我が妻、朱実」
「朱実……。ああ、申し訳ありません。私としたことが、人違いを」

 蒼然は朱実から数歩、うしろにあとずさった。そして、穏やかな笑みを見せた。

(舞衣子って、言った。蒼然さまはお母さんを忘れていない)

「あの、蒼然さま。わたしは朱実と申します。多田羅神社の賢木柊二と舞衣子の娘です。舞衣子は、わたしの母です」
「そうでしたか。賢木家の舞衣子さんの娘さんでしたか。美しく育ちましたね」

 蒼然はそう言うと笑みを浮かべた。それは今にも泣きそうな悲しい笑顔だった。
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