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第一章 プレイボール

なんで俺の名前を知っている

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顔は見られていない。もとより、私の顔を晒した所で「おまえ誰だよ」となるだけだ。
あの頃は恐れ多くて選手と交流する事がなかった私は、なんて純粋だったんだろうと思う。
せめて挨拶を交わせるくらいになっていればと後悔すら遅い。

「ふぅー」

深呼吸をして気持ちを切り替える。
ここからは私の腕の見せどころ。彼らにスポットライトを当てるのよ!

『只今より、第12回運輸組合ソフトボール大会を始めます。一回戦、先攻はCITロジスティクスサービスです』

よし、いつもの私が戻って来た。

『1番、バッター。河本健かわもとたける

ここから彼が率いるチームが、どんなものか見届けるわ。私はスコアブックを開いて鉛筆を握った。
1番打者はなんとしても塁に出なければならない。そのため、左バッターで足の速い細身で小回りが利きそうな人が多い。
河本選手は正にそんなタイプだって。このタイミングで大きいのは要らない。兎に角、次に繋ぐのが彼の役割だ。

河本選手は内角ストレートをコンパクトに打ち付けた。

(あっ、抜けた!)

初回から三遊間を抜け、ノーアウトランナー1塁となる。
※三遊間 三塁手サード遊撃手ショートの間。

『2番、バッター。原田羽七はらだはな

この子は2番なのね。手元の資料を見るとスイッチヒッターと書いてあった。

(うそ! ソフトボールでもいるんだ。しかもあんな小柄なのに?)

彼女は左のバッターボックスに入った。できるだけ1塁に近い方がいいと判断したという事は、セーフティーバントを仕掛けるつもりだろう。
1塁ランナーを2塁に送り、自分も活きる手法だ。野球では基本中の基本。

(さすが、安藤監督。一回の攻撃から手堅く行くのね)

実は私、彼のサインが少し読めるの。ここという時に帽子のツバを中指で跳ねるのよ。多分本人も知らない癖。
あれが出ると、何か一発勝負を仕掛ける前触れ。
彼の眼は、まさに獲物を狙っているようで、その顔は野生動物が敵を威嚇するときのものに似ている。

(全然変わってないない! あの頃と同じ!)

原田選手がサインを読み終わると、バットを寝かせバントの構えを取った。初めから構えるのだから送りバントだろう。

内角シュート見送り、ワンストライク。
2球目、高めボール。
そして、ピッチャーが3球目のセットポジションに入った時、原田選手がじりっと後ろに下った。バッターボックスの後方ギリギリに立っている。

(何か仕掛けてくるわ!)

外角高めの、速いストレートが彼女を襲う。あれはさすがに無理だと思った瞬間だった。

コンッ……

「セーフ!」
(今の、なに⁉︎)
「羽七。良くやった!」

高めのボールに対して、軽くステップをして上から叩き付けるようにバットに当てた。
バントシフトで三塁手は前進しており、その目の前でボールはバウンドして三塁手の頭上を越えた。ボテボテの当たりだったのに加えて、ショートは2塁寄りに守っていたからカバーが追いつかない。

(何これ! これがソフトボールなの⁉︎)

正直に言うと、派手さもスピードも野球に比べたら全然劣っている。でもそれは間違いだった。あの動きは野球ではなかなかできない。

「お見事」

ノーアウト1、2塁となり打順はクリーンアップに繋がった。
野球ならばワンヒットで2塁からホームを狙える。しかし、アマチュアのソフトボールでは難しいだろう。それは、ランナーはリードができないから。
ピッチャーの手からボールが離れる前に、足が塁から離れたら離塁アウトになってしまうのだ。

「おい! デカいやつ頼む!」

安藤監督は大きな声でバッターに言い、サインはなにも出さなかった。
選手の特徴を活かし、チャンスの時ほど彼らを信じて任せる。私はそんな安藤さんの野球が大好きなの。

彼がキャッチャーになった時も、監督に転身した時も、そして今も同じ。
「だから優勝出来ないんだ、もっと狡賢くないと駄目だ」と誰かが言っていた。
それでも私は、彼のその試合運びが好きだった。

この回、オレンジのロジチームは3点取ってリードした。
ベンチに戻る選手たちを労う安藤さんの顔を見た私は、思わずため息を漏らした。

「あんな顔、するんだ……」

頬の筋肉を緩めて「良くやった」と労いながら選手の背中を叩く。原田選手が目の前に来ると優しい手つきで頭をポンと撫でた。

「あぁ・・・」

胸の奥が苦しくなって、泣きそうになる。
あの強面の顔が、仲間を労う時に見せる慈愛に満ちた表情。
初めて見た気がする。現役時代は一度も見たことがなかった。

過去と現在がフラッシュバックのように激しく入れ替わる。
私だけがまだ、あの場所にいる。
みんなの時計は進んでいるのに、私だけが置いてけぼりな気持ちになっていた。





残念ながら、安藤監督率いるロジチームは準決勝で敗退。決勝は若手が勢揃いの日本急便と元野球部でカッチリ固めた相互サービスチームだった。
ここの試合はもう男臭いのなんの。
本物の野球もといソフトボールの試合を見た気がした。

(お仕事、ちゃんとしてますか?)

いろんなことを考えさせられたけれど、私はやっぱり野球が好きだと思えた。なにより、安藤さんのユニフォーム姿を見られたことが嬉しかった。例え二度とマウンドに立たなくても、今の私には十分すぎるご褒美だ。

「蒼ちゃんお疲れさん。やっぱり、うぐいすが有るか無いかじゃ全然違うなぁ。助かったよ」
「どういたしまして。私も久しぶりに胸が熱くなりました」
「そうか。じゃあさ、熱くなったついでに打上げに行こうよ」
「え? おじさん。私、お酒は」

声を使う職業柄、お酒、タバコ、辛い物はNGとしている。おじさんも知っているはずなんだけどな。

「大丈夫。蒼ちゃんみたいに酒を飲まない人がいるから」
「え、でも」
「さあ行こう。おじさんの顔立ててよ。それに来てよかったって絶対に思うから」
「そうですか? 分かりました」
「よしっ!」

妙に太田のおじさんのテンションが高いのは気のせいかな。

(打上げかぁ。あまり気が進まないけれど、おじさんの顔もあるし。仕方がない、腹を括りましょう!)

そういう訳で、打上げに参加する事になったのです。




小料理屋【小春】
太田のおじさんに連れられてきたお店は居酒屋とは少し違い、大通りから隠れるようにひっそりと佇む上品なお店だった。
入り口の足元には可愛らしい行燈が置かれてあり、夜になると足元を照らすようだ。


「素敵なお店。おじさんが?」
「違うんだよ。ここは彼らのお気に入り、と言うかあの夫婦の馴染みの店なんだよ」
「彼ら? あの夫婦って?」
「まあ入ったら分かるよ」

太田のおじさんは目尻にシワをたくさん寄せて、悪戯っ子のように笑ってみせた。なんだかいやな予感がするけれど大丈夫だろうか。

「ごめーん」とおじさんが暖簾を潜ると、和服姿の女将さんが柔らかい笑顔で迎えてくれた。日本美人とはこういう人を言うのかと思うくらい、女将さんは清楚で美しかった。
まさに、美魔女だ。

「いらっしゃい、太田さん。もう皆さんお揃いよ。奥へどうぞ」

カウンターの脇を通り奥に進むと個室があった。小上がりになっていてそこで靴を脱ぐ。中からは男たちの話し声が聞こえてきた。

「太田さん、お疲れ様です」
「お疲れさん。君たち相変わらず楽しい試合をしてくれるね」

(すごい! オレンジのロジスティクスチームが勢揃い!)

そしてなんと、おじさんを出迎えたのは私が憧れて止まない安藤壮一さんだった。

(どうしようっ)

私は今朝、マイクで大失敗した事を思い出してしまい思わず俯いた。

「そちらの方もどうぞ」
「あ、はい。失礼致します」

そんな私に構うことなく、安藤さんは大人の態度で私を席に案内してくれる。見渡すと今日ベンチにいた人ばかりで、審判員はおじさん以外誰も居なかった。

(いったい、どういうこと?)

私は太田のおじさんの隣に腰を下ろした。向かいに安藤さん、隣には逞しい体をした大きな男性。彼は試合には出ていなかった気がする。けれど、恐ろしくイケメン。
その彼の隣に二塁手の原田羽七さんが座っていた。反対側には1番打者を務めた河本健さん。

(この会社、無駄にイケメンが多くない?)

「羽七、飲み物のメニュー渡してあげて」
「はい。お好きなものをどうぞ。あっ、失礼ですがお名前は」

可愛らしい笑顔で原田さんはそう言った。

「はっ、ごめんなさい。私は添田蒼子といいます。今日のアナウンスは私でした」
「そうだったんですね! やっぱり声がお綺麗ですね。はい、どうぞ」

彼女に対する第一印象は良かった。なんの嫌味もない言葉と嘘のない笑顔だと感じたから。隣の男性もそんな彼女を見ては頬を緩める。好きだよってオーラが駄々漏れだから、きっと恋人かな。

「ありがとうございます。あの、私はお酒が飲めないのでお茶をいただきます」
「あ、課長と一緒だ」
「えっ?」
「ふふ、安藤課長もお酒ダメなんですよ」
「おい、駄目と決めつけるな」
「はいはい」

原田さんは安藤さんを軽くあしらい、私のお茶を注文してくれた。
まるで兄妹のようなやり取りに笑ってしまう。

「すみません。こいつらすぐ俺をオヤジ扱いするんですよ。課長≒オヤジみたいで」

(安藤さんが、話しかけてくれた!)

「安藤さんはオヤジじゃありません。とても素敵ですよ」

思ったままを言っただけなのに、周りの空気が一瞬止まった気がした。
安藤さんは「ありがとうございます」と普通に返す。でも、そこにはあの笑みが乗せられていた。

私はとても感動している。今までは横顔や背中を遠くから眺めるだけだったのに、今は目の前に、しかも正面からその端正なお顔を拝んでいる。

(安藤さんって、正面から見ても素敵、かっこいい!)

「蒼ちゃん。来て良かっただろ?」
「はいっ」

おじさんのしたり顔が今だけは神様に見えた。

美味しいお料理を頂きながら、色々な話を聞いた。あの体格のいいイケメンさんは原田羽七さんのご主人だと聞いた時は、思わず箸を取り落とした。
こんな体格差のある夫婦はテレビでしか見たことが無かったから。でも、とても幸せそうで羨ましい。

私は少し休憩したくて席を外した。
お店の外にあった行燈も灯り、外はすっかり暮れて秋の風が頬を撫でて行った。

(きもちいい……)

「お疲れですか」

その声に振り返ると、安藤さんが立っていた。

「あ、安藤さん。えっと、少し風にあたりたくて。飲んでないのに酔った気分になってしまって」
「わかります。飲んでなくても匂いにやられますよね」
「ええ。ふふっ。良かった分かってもらえて」

(私、安藤さんと並んでる!)

女にしては身長が高い私でも、並ぶと彼の顔は見上げるほど上にある。

「とろで、なんで俺の名前知っていたんですか」
「えっ……そ、それは」

(どうする、私! その理由、本人目前にして言えるの⁉︎)
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