キリンのKiss

ユーリ(佐伯瑠璃)

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恋をしろ

突然の、告白

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 最近は天気予報があてにならない。
 朝のニュースでは傘はいらないでしょう。比較的過ごしやすい天気ですと言っていたのに、昼過ぎてから空は黒い雲に覆われた。

「これ、ヤバくないですか」
『ヤバイもヤバくないも、上から指示が来ない限りやるしかねえしな。木崎、おまえどうする。代わるか』
「いえ。あと、5本なんで最後まで載せます」
『わかった。無理はするなよ』
「はい」

 台風などの悪天候の場合、安全を考慮して荷役にやく中止とし、コンテナヤード集積場を閉鎖することがある。その決定は誰が見ても明らかなものだが今回の場合、決定は慎重になるだろう。そうでなくとも他の港で積み下ろしに時間がかかり、船はまる一日遅れていた。

(風が出る前に積んでしまいたい!)

 鬼丈なら一つのコンテナを2分もかからずに積むことができる。ユウナは5分は軽くかかってしまう。5本ならあと25分はかかる。

ザザザザーッ

 急に雨足が速くなった。視界も悪くなり下で合図を出す人が見えづらくなった。これではいつ下げたらいいかタイミングが掴めない。夕凪は一旦、クレーンの頭を船の甲板からずらし、しばし動きを止めた。

(行けたかもしれないタイミングを、逃した……悔しい)

 一瞬の躊躇いが今のような中途半端な状態での待機となる。鬼丈ならきっと、この集中豪雨の前にコンテナを下ろし、作業員に固定までする時間を与えただろう。

『木崎! 風が出てきた。コンテナをそのまま固定しろ』
「っ、はい!」
『俺が代わりに上がる。降りてこい』
「はい」

 鬼丈は夕凪と交代することで、訪れた僅かなチャンスを逃すまいと考えたのだろう。今の夕凪の技術では難しいと判断したのだ。

(安全第一、今の私には……無理)

 これは戦いではない。分かっているのに、敗北感は終業時刻まで消えなかった。

「お疲れ様でした」
「おぅ、お疲れ」

 午後5時、外は腹が立つほど晴れていた。雨で濡れたアスファルトが沈みゆく太陽に反射して、貝殻が散らばっているように光っている。

 あの後、鬼丈は素早く運転席に乗り込んで、夕凪が残した4本のコンテナを10分弱で積み込んだ。悪天候でも変わらいスピードと丁寧な動きに、これは天性だよと突きつけられた気がした。

 夕凪はなんとか気持ちを切り替えようと、愛車が待つ駐輪場に向った。彼女だけは夕凪を裏切らないはずだから。

ブルン、ドドド……ッ

「あれ? エンジンが、変。もう一回」

ジジジジジ……

「嘘でしょ」

 まさか、まさかのバッテリー上がりでエンジンスタートが叶わない。いつもコンデションは気にしていたのに!! と夕凪は動揺を隠せない。

「あーっ。お店、定休日だ。最悪だ」

 充電器なんて持ってない。馴染みのバイク屋に預けても半日はかかるのに、よりによって今日は定休日。夕凪は仕方なく、愛車を会社に置いて連絡バス、電車経由で帰宅することに決めた。
 今日はこれ以上オジサン達に甘えたくなかったから。








 夕凪は連絡バスの一番後ろで、ぼんやりと外を眺めていた。夕焼けはとてもキレイだというのに、自分の心はどんよりと灰色でジメジメした空気を纏っている。

(ゼファーちゃん、なんで? どうしたんだろ。まだまだ乗れるはずなのに)

「お嬢さん、本社前ですよー」
「はっ! 降ります! すみません、ありがとうございます!」

 飛び出す勢いでステップを降りた。その途端、ピーッと合図が鳴ってドアが閉まりバスは発車した。本社の玄関から仕事を終えたホワイトカラー組がちらほら出てくる。夕凪は逃げるように急ぎ足で駅に向かい始めた。
 その時、すぐ後ろから声がした。

「木崎さん」

 かなり急ぎ足だったし、後ろに人がいたなんて気づきもしなかった。夕凪は驚いてビクと肩を揺らした。

「ひっ、は、はい」
「すまない。驚かせたな」

 振り向くと沢柳が姿勢よく真っ直ぐに立っていた。息が乱れた様子もなく落ち着いたトーンで夕凪に声をかけてきたのだ。

「沢柳さん? いつの間にっ。あ、お疲れ様です」
「いつもここを通っているのか。全く気づかなかったな」
「いえ。先日もですが、普段は公共機関を使ってないんです」
「車か」
「車……ではないですけど」

 夕凪はバイクだと、言うべきかどうか迷ってしまった。あまり自分のことは話したくないし、そんな気分ではない。できればお疲れ様ですと挨拶をして、サヨナラしたかったのに。いつになく夕凪は歯切れが悪かった。

「なるほどな」

 沢柳は夕凪の体を上から下まで流す程度に確認をすると、なぜか勝手に納得した。少しだけ頬をクッと上げて再び歩き始める。

(なにそれ! 気になるじゃんっ)
「あのっ、何がなるほどなんですか」

 沢柳は夕凪に顔を向けながら眼鏡のふちを少し上にあげると「気になるのか」と呟いた。

(気になるに決まってるでしょ! そう仕向けたのはそっちでしょ?)

 夕凪は眉間にシワを寄せて不快をあらわにした。

「あんた分かりやすいな」
「えっ」
「いや。気分を悪くさせるようなことを言って申し訳ない。言いたくなさそうだったから飲み込んだだけなんだが……木崎さんはバイカーなんだなと」
「ええ……そう、です」

 沢柳は夕凪の雰囲気からバイクに乗る人間だと察したようだ。いや、そんなことよりも。

(あんたって、言った。どこかで聞いたような……気の、せい)

「大したもんだな。ガントリークレーンも操り、普段はバイクも乗るんだからな」
「ただ、マシーンが好きなだけです」

 鉄が好きとは言わなかった。マシーンが好きだなんて、夕凪にしては珍しく少しだけ飾った言葉。

「峠を攻めたりするんだろ」
「攻めるというか、味わうかんじなので……暴走はしているつもりはないです。そんなことより沢柳さんはどうなんですか。毎日電車通勤、疲れませんか?」

 夕凪がそう問いかけると、少しだけ視線を遠くに移してから口を開いた。

「休みの日は車に乗るが、仕事では電車の方が渋滞がなくて効率がいい。駅からも遠くないし、普段デスクワークだからな。軽く体を動かすのも悪くない」
「確かに(やっぱりマジメだ!)」

 淡々とした口調で表情は相変わらず薄く、たまに頬を少しだけ動かす程度。見た目は結構なイケメンなのにもったいないなと、夕凪は余計なことを考えてしまう。

(もっと、笑えばいいのに……ぁ)

 今、自分が無意識に思ったことは、先日の研修で上司から言われたことだった。他人から見た自分も、きっとこんな風に見えたのだ。笑えばいいのにもったいないと。

「あの、沢柳さんはどうして通関士になったんですか」
「どうして……。そうだな、なりたかったというより、こういう仕事に就くものだと思いこんでいたが正しいだろう」
「思いこんでいた?」

 沢柳が生まれ育った街は大型船の航行が近くで見れる港にあった。小さい頃は海沿いにある公園でよく遊んだそうだ。自身の親も友達の親も海に関係する仕事をしていたし、自分も大人になったらそうなるものだと思っていたそうだ。

「社会見学で、海上保安庁や旅客船ターミナルに当たり前のように行っていた。大きくなったら、みんなそういう仕事をするものだと」
「それで、通関士ですか」
「自分は航海士になるより、陸から物を動かす仕事に興味があった。木崎さんみたいに実物を動かしてはいないが、現状には満足している」
「へぇ……」

 育った環境が違えば、将来の夢や理想も違うもんだと夕凪は納得した。

(あれ、私ってどうしてガンマンになりたかったんだっけ?)

「そろそろ前を見ないとぶつかる」
「え、わっ……と」

 目の前には改札がどうぞお通りくださいと手を広げていた。危なくガッシャンとヤラれるところだった。

「くくっ。あんた、面白いな」
「いや、全然おもしろみなんて……(あんた!? やっぱり聞いたことあるその声っーー!)」

 その時、ホームに電車が滑り込んで来たので夕凪は沢柳に促され階段を駆け上がった。ハァハァと息をしながら、沢柳の横顔を見た。曇りのない眼鏡のレンズ、シワのないスーツのジャケット、ピンと伸びた背筋。

(やっぱり、違うよね。でも、その眼鏡をとったら……)

「俺の顔に何かついているのか」
「いやっ、えっと……その。眼鏡のレンズがきれいだなって」
「は?」
「あー、その私と違ってキレイ好きそうだなぁと。お部屋とか本当に整理整頓されてそうで」
「見たいのか」
「えっ、えっ。違っ、違います」

 なんでこんな会話をしているんだろう。夕凪は慌てて否定した。沢柳さんは冗談が通じないタイプなんだと気づき、汗が吹き出すほど焦った。
 そんな夕凪の様子を見た沢柳は、目を細めつつも熱い視線を送っていた。もちろん夕凪は気づいていない。

「付き合って、みないか」
「はい?」
「俺たち付き合ってみないかと、言ったんだが」
「ええ!!」

 夕凪は耳を疑った。何がどう転んでそういう話になっているのかと。
 混乱する夕凪に沢柳はこう付け加えた。

「今、答えが欲しいわけではない。少し考えてみてくれないか」
「あのっ。そもそもどうして私なんですか? 沢柳さんと私って正反対というか、相性がいいとは思えない。私、大雑把だし」
「生理的に受け付けないなら、諦める。もしそうでないなら試してみたい。試す前から判断しては何も始まらないと思っている。それとも彼氏がいるのか」
「か、彼氏はいません」
「だったら、次に会う時まで考えて欲しい」

 そして、沢柳は降りていった。

(私、告白されたの!?)

 夕凪は全く信じられなかった。信じる気になれない。なぜ、沢柳は急にあんなことを言ったのか。
 
 呆然とする夕凪に、窓の外を流れる景色は全く目に入ってこなかった。

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