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ハッピーウエディング
チーム、キリン!
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夕凪は結婚式も披露宴もやるつもりはなかったし、それに対する憧れや夢は特に持っていなかった。誰もが通る、将来の夢は可愛いお嫁さんは夕凪の概念にはなかった。
祖父との二人暮しに華やかさはなかったけれど、質素ながらにも一通りの幸せがあったから不満なんてひとつもない。それに、もう祖父はいない。だから感謝の気持ちを込めてとか、晴れ姿を見せなければと思うプレッシャーもない。そんなことを考えている時、沢柳が夕凪にこんな提案をしてきた。
「夕凪。来週あたり、写真だけでも撮らないか。式は挙げなくても記録に残すのは悪くないだろう?」
「写真? それって、それなりの格好をしてってことよね」
「もちろんウェディングドレスを着てだ。予約を入れておけば、当日、好きなドレスを着て撮影できるらしい。それに、俺も夕凪の花嫁姿を見たいと思っている」
「花嫁姿って、恥ずかしいな。そうだねぇ、写真くらい残してもいいかな」
「じゃあ、予約しておく。楽しみだな」
沢柳は夕凪のウェディングドレス姿を想像したのか、目元を赤くして微笑んだ。
「浩太ってば。あんまり期待、しないでね」
夕凪だって着たくないわけではない。式を挙げなくてもやっぱりウェディングドレスは気になる。それに、沢柳のタキシード姿も見てみたいと思ったから。
「期待しない男がどこにいる。間違いなくあんたはウェディングドレスに映える」
「なによ。やだ、恥ずかしいよ。映えなかったらどうするのっ」
夕凪はそんなふうに褒められるのが恥ずかしくて耳まで真っ赤にして反論する。それが可愛くて仕方がない沢柳は、わざと耳元で囁く、
「あんたは間違いなく、綺麗だ」
「もーうっ。浩太ったら!!」
夕凪の弱いと知られた耳元での囁きは不意をついてやってくる。楽しそうに笑う沢柳を見ていると、結局は夕凪も一緒に笑って許してしまう。
* * *
そして、撮影当日。
向かった先は単なる写真館ではなかった。最近は写真館、ヘアメイク、衣装、チャペルが一緒に入って、簡単な式も挙げることができるのだと沢柳は言う。こういった事情に疎い夕凪はそうなのかと素直に納得した。今は様々なスタイルに応えられるようになっている。誰にも知られずにひっそりと式を挙げる人たち、写真だけ撮って記念におさめる人たちと様々だ。
「ここで、撮るの?」
「ああ。折角だからチャペルで撮ってもらおうと考えているんだが、嫌なら普通に無地の壁紙を背にしてもいい。中庭でも撮れるが、どうする。一応、あんたが主役だ」
「えっ、私が主役なの?」
「俺が主役じゃ誰も撮りたがらないだろ。俺は花嫁の添え物だ」
「なにそれっ。ふふっ」
緊張した夕凪の顔が和らいだのを見て、沢柳は受付に行った。白を基調としたいかにもな建物に夕凪は不思議な気分に陥った。まるでお城の中にいるみたいと。階段も照明も壁の模様も何もかもが夕凪の知らない世界だった。
「ご結婚おめでとうございます。本日、新婦様のお世話をさせて頂きます松井と申します。お着替えが終わるまで新郎様とは離れますが、宜しいでしょうか?」
「あ、はい。宜しく、お願いします」
黒のパンツスーツをきた女性スタッフに連れられて夕凪は控室へ入っていった。予め、サイズと好みのドレスを伝えていた。それに沿った数着の真っ白なウェディングドレスが壁に掛けられている。
「キレイ……」
「新婦様ならどれもお似合いと思います。もう直感でお選びになってはどうですか?」
「そうですね。えっと……じゃあ、これで」
夕凪が選んだのは、クラシックでレースがあしらわれたデザイン。腰の位置が高く作らてあり後ろに大きなリボンがついている。デコルテの部分は緩やかなカーブを取ったラインで、ストラップは肩が隠れる太さになっている。程よく広がったフレアスカートは大人の女性の柔らかさを表していた。
お化粧もヘアメイクもプロの施しにかかれば、された本人ですら疑うほどの仕上がりになる。
「やっぱり新婦様はお綺麗です! メイクさせていただいて光栄です。さあ、どうぞ。近くで見てください」
「これ、本当に私、ですか?」
「はい、そうですよ。新郎様が羨ましい。本当にとてもお綺麗です」
ハーフアップに纏められた髪に白色の生花が飾り付けられ、そっとベールをつけられた。
ほんのりピンク色のルージュはまるでディズニーのプリンセスみたいだった。
「恥ずかしいです」
「大丈夫です。自信を持ってください。今日は新郎様のために綺麗でいましょう?」
誰かのために美しくなる。それはこれまで考えたことがなかったことだった。女性スタッフにそう言われて夕凪はふと思った。
(これからは浩太のために……)
そう思うと自然と笑みがこぼれた。
「はい。そうします」
自分を愛し、支えてくれる愛おしい人。その人のために美しくありたい。いま、夕凪は心からそう思った。
「さあ。新郎様がお待ちですよ。ベールは私が下げますね。ごめんなさい」
花嫁のベールを下げるのは、母親が娘にする最後の支度。女性スタッフの手によって夕凪の顔はベールで隠された。沢柳に会うまでは隠すのが礼儀らしいと夕凪は教わる。写真を撮るだけなのに、ここまで拘って貰えるなんてと夕凪は感動しっぱなしだった。
「ゆっくり、歩きましょう」
女性スタッフに手を引かれ夕凪は控室から出た。そして、しばらく歩くと大きな扉が目の前に現れた。沢柳が最初はチャペルで撮影すると言っていたのを思い出す。夕凪にも分かる。この扉の向こうにはあの風景が広がっている。友人の結婚式で見て、知っているから。
「では、少しお待ちください。扉が開いたらゆっくり進んでくださいね」
「はい。でも、一人で歩けるかな」
「大丈夫ですよ。この方の腕にしっかりつかまってお進みください」
「……え?」
付き添ってくれた女性スタッフに代わり、黒のタキシードを着た中年の男性が夕凪の前に現れた。誰だろうと顔を上げた夕凪は、その男性を見てひゅっと息を飲んだ。
だって、そこに立っているのは……!
「なんだ、その顔は。不満か? 嫌だと言われても引き摺って行くからな、覚悟しろ」
「鬼丈課長!? な、なんで」
「おまえめちゃくちゃ綺麗だぞ。本当にあのキリンに乗ってる木崎なのかよ」
「課長ぉぉ……」
「おいっ。泣くなよぉ」
そこにいたのは鬼丈だった。
あの鬼丈が黒のパリッとしたタキシードを着て、いつもの何倍も男前になって立っている。夕凪をエスコートして沢柳のもとまで連れていくと言っている。これじゃまるで、娘を嫁がせる父親じゃないのと夕凪は思った。そう思ったら涙が溢れてきてどうしても抑えられない。
「だってぇ。だって、こんなっ」
「折角の別嬪さんが台無しだろうが、……っ、なく、泣くなよっ…くっ」
まさかの鬼の目にも涙。鬼丈も夕凪の涙を見て、我慢していたものが溢れてくる。
「ばか野郎」
「うっ、うぇっ……も、やだぁ」
まるで、本当の父娘のように二人は向き合って泣く。
スタッフに、さぁ、と促されようやく二人は正面を向いた。
ーー 新婦様の入場です!
パーッと開いたドアの向こうには、見慣れたいつもの顔が夕凪を見ていた。いや、みんないつもと全然違う。作業服姿の彼らがネクタイを締めてよそ行きの顔して立っている。
「嘘でしょう!?」
歯をむき出しにしてにこにこ笑う男たち。反対側には沢柳の家族が拍手をしたながら立っていた。パッと見は真っ黒スーツや礼服の男たちばかりで華やかさに欠けるけれど、その中を歩く夕凪の姿は特別に洗練されて見えた。
「木崎ぃ! よかったな」
「おめでとうっ、木崎ぃー!」
「めちゃくちゃ綺麗じゃねぇかぁ」
まさかこんな事になっていようとは、夕凪は全く予測していなかった。本当に、写真撮影をするだけだと思っていた。これじゃあ本物の結婚式みたいだ。
ー◆ー◆ー
実はこの何週間か前に沢柳は鬼丈と密かに連絡を取って会っていた。ちょうど入籍をしてすぐのころだった。自分に家族がいないことを遠慮して、挙式の希望を言わない夕凪を見て、沢柳が動いたのだ。
夕凪の我儘を言ってはいけない、人に迷惑をかけてはいけないと、気持ちを抑え込んでしまうのを知っていたからだ。
『夕凪には家族がいません。でも、恐らく人並みに夢や憧れはあると思うのです。将来、ふとした時にやればよかったと、やってみたかったという後悔だけはさせたくないです。しかし、そう本人に言ってもそんな事はないと、誤魔化すと思うのです』
沢柳は鬼丈にここの皆で、夕凪の家族や友人役をやって欲しいと頭を下げた。それを聞いた鬼丈は頭を下げる沢柳を見て、この男なら夕凪を幸せにできるだろうと確信した。良かれと案を勧めても、烏滸がましいと身を引いてしまう夕凪の癖をよく知った男だと。
『その話、乗った。他の奴らもずっと木崎を見てきて、妹みたいに思っている。喜んで受けると思う』
『ありがとうございます』
『いや、ありがとうは、こっちのセリフだ』
『え?』
夕凪は結婚しても変わらずキリンに乗ると言った。あの日、鬼丈に証人になってくれと言った。ぼそりとお父さん役をと呟いた。
強がって突っ張って生きてきた女が、ここまで変わったのは沢柳のお陰なのだろうと思えた。だから、鬼丈も感謝の気持ちが自然と出てきた。
『アイツのことをよろしく頼む』
『はい!』
ー◆ー◆ー
夕凪は鬼丈の腕を握る手に力を入れた。その手を鬼丈は上からポンポンと叩く。大丈夫だ、ちゃんとおまえが愛する男のもとへ連れて行ってやるよと、言うように。
「おい、け躓くなよ。おまえが転けると、俺も一緒にイッちまうんだからな」
「転けませんよ。課長こそドレスの裾、踏まないでくださいね! それこそ一緒にひっくり返っちゃうからっ」
「相変わらず減らず口だな」
「上司が上司なもので」
「おい」
プイと夕凪は顔をそらし、片眉を釣り上げた鬼丈がヴァージョンロードで立ち止まる。
「親子ゲンカしてないでさ、早く新郎の所に連れて行けよー」
「うるせー」
みんなにちゃちゃを入れられながら、ようやく夕凪は沢柳の前までやってきた。恥ずかしそうに頬を赤くして、目が合うと顔を俯かせてしまう。
それを見た鬼丈が肘で夕凪をつついて、さっさと行けよと背中を押した。沢柳がそっと手を差し伸べる。あとはその手を取るだけ。その時、夕凪は何かを決心したようにキリッと締まった顔で鬼丈を見上げた。
「この期に及んでなんだ」
「お、おっ」
「……」
「おとうさん、ありがとうございました」
「!!」
本当はお父さん役をありがとうございましたと言うつもりだった。緊張しすぎて役が抜けてしまっている。でも夕凪は気づかない。
「出戻りは、許さないからな」
「はい」
ヴァージンロードを一人戻る鬼丈の顔は泣き笑いでぐちゃぐちゃで、それを写真におさめようとした男たちも、もらい泣きでぐちゃぐちゃだった。
「夕凪、あんた男泣かせだな」
「え? 泣かせてないよ……」
そのあと撮った集合写真は一生の宝物となった。ガントリークレーンを操る男たちの間では伝説の一枚となる。
だって、港で逞しく働くガンマンたちが、全員泣き虫だったから。
【おしまい】
祖父との二人暮しに華やかさはなかったけれど、質素ながらにも一通りの幸せがあったから不満なんてひとつもない。それに、もう祖父はいない。だから感謝の気持ちを込めてとか、晴れ姿を見せなければと思うプレッシャーもない。そんなことを考えている時、沢柳が夕凪にこんな提案をしてきた。
「夕凪。来週あたり、写真だけでも撮らないか。式は挙げなくても記録に残すのは悪くないだろう?」
「写真? それって、それなりの格好をしてってことよね」
「もちろんウェディングドレスを着てだ。予約を入れておけば、当日、好きなドレスを着て撮影できるらしい。それに、俺も夕凪の花嫁姿を見たいと思っている」
「花嫁姿って、恥ずかしいな。そうだねぇ、写真くらい残してもいいかな」
「じゃあ、予約しておく。楽しみだな」
沢柳は夕凪のウェディングドレス姿を想像したのか、目元を赤くして微笑んだ。
「浩太ってば。あんまり期待、しないでね」
夕凪だって着たくないわけではない。式を挙げなくてもやっぱりウェディングドレスは気になる。それに、沢柳のタキシード姿も見てみたいと思ったから。
「期待しない男がどこにいる。間違いなくあんたはウェディングドレスに映える」
「なによ。やだ、恥ずかしいよ。映えなかったらどうするのっ」
夕凪はそんなふうに褒められるのが恥ずかしくて耳まで真っ赤にして反論する。それが可愛くて仕方がない沢柳は、わざと耳元で囁く、
「あんたは間違いなく、綺麗だ」
「もーうっ。浩太ったら!!」
夕凪の弱いと知られた耳元での囁きは不意をついてやってくる。楽しそうに笑う沢柳を見ていると、結局は夕凪も一緒に笑って許してしまう。
* * *
そして、撮影当日。
向かった先は単なる写真館ではなかった。最近は写真館、ヘアメイク、衣装、チャペルが一緒に入って、簡単な式も挙げることができるのだと沢柳は言う。こういった事情に疎い夕凪はそうなのかと素直に納得した。今は様々なスタイルに応えられるようになっている。誰にも知られずにひっそりと式を挙げる人たち、写真だけ撮って記念におさめる人たちと様々だ。
「ここで、撮るの?」
「ああ。折角だからチャペルで撮ってもらおうと考えているんだが、嫌なら普通に無地の壁紙を背にしてもいい。中庭でも撮れるが、どうする。一応、あんたが主役だ」
「えっ、私が主役なの?」
「俺が主役じゃ誰も撮りたがらないだろ。俺は花嫁の添え物だ」
「なにそれっ。ふふっ」
緊張した夕凪の顔が和らいだのを見て、沢柳は受付に行った。白を基調としたいかにもな建物に夕凪は不思議な気分に陥った。まるでお城の中にいるみたいと。階段も照明も壁の模様も何もかもが夕凪の知らない世界だった。
「ご結婚おめでとうございます。本日、新婦様のお世話をさせて頂きます松井と申します。お着替えが終わるまで新郎様とは離れますが、宜しいでしょうか?」
「あ、はい。宜しく、お願いします」
黒のパンツスーツをきた女性スタッフに連れられて夕凪は控室へ入っていった。予め、サイズと好みのドレスを伝えていた。それに沿った数着の真っ白なウェディングドレスが壁に掛けられている。
「キレイ……」
「新婦様ならどれもお似合いと思います。もう直感でお選びになってはどうですか?」
「そうですね。えっと……じゃあ、これで」
夕凪が選んだのは、クラシックでレースがあしらわれたデザイン。腰の位置が高く作らてあり後ろに大きなリボンがついている。デコルテの部分は緩やかなカーブを取ったラインで、ストラップは肩が隠れる太さになっている。程よく広がったフレアスカートは大人の女性の柔らかさを表していた。
お化粧もヘアメイクもプロの施しにかかれば、された本人ですら疑うほどの仕上がりになる。
「やっぱり新婦様はお綺麗です! メイクさせていただいて光栄です。さあ、どうぞ。近くで見てください」
「これ、本当に私、ですか?」
「はい、そうですよ。新郎様が羨ましい。本当にとてもお綺麗です」
ハーフアップに纏められた髪に白色の生花が飾り付けられ、そっとベールをつけられた。
ほんのりピンク色のルージュはまるでディズニーのプリンセスみたいだった。
「恥ずかしいです」
「大丈夫です。自信を持ってください。今日は新郎様のために綺麗でいましょう?」
誰かのために美しくなる。それはこれまで考えたことがなかったことだった。女性スタッフにそう言われて夕凪はふと思った。
(これからは浩太のために……)
そう思うと自然と笑みがこぼれた。
「はい。そうします」
自分を愛し、支えてくれる愛おしい人。その人のために美しくありたい。いま、夕凪は心からそう思った。
「さあ。新郎様がお待ちですよ。ベールは私が下げますね。ごめんなさい」
花嫁のベールを下げるのは、母親が娘にする最後の支度。女性スタッフの手によって夕凪の顔はベールで隠された。沢柳に会うまでは隠すのが礼儀らしいと夕凪は教わる。写真を撮るだけなのに、ここまで拘って貰えるなんてと夕凪は感動しっぱなしだった。
「ゆっくり、歩きましょう」
女性スタッフに手を引かれ夕凪は控室から出た。そして、しばらく歩くと大きな扉が目の前に現れた。沢柳が最初はチャペルで撮影すると言っていたのを思い出す。夕凪にも分かる。この扉の向こうにはあの風景が広がっている。友人の結婚式で見て、知っているから。
「では、少しお待ちください。扉が開いたらゆっくり進んでくださいね」
「はい。でも、一人で歩けるかな」
「大丈夫ですよ。この方の腕にしっかりつかまってお進みください」
「……え?」
付き添ってくれた女性スタッフに代わり、黒のタキシードを着た中年の男性が夕凪の前に現れた。誰だろうと顔を上げた夕凪は、その男性を見てひゅっと息を飲んだ。
だって、そこに立っているのは……!
「なんだ、その顔は。不満か? 嫌だと言われても引き摺って行くからな、覚悟しろ」
「鬼丈課長!? な、なんで」
「おまえめちゃくちゃ綺麗だぞ。本当にあのキリンに乗ってる木崎なのかよ」
「課長ぉぉ……」
「おいっ。泣くなよぉ」
そこにいたのは鬼丈だった。
あの鬼丈が黒のパリッとしたタキシードを着て、いつもの何倍も男前になって立っている。夕凪をエスコートして沢柳のもとまで連れていくと言っている。これじゃまるで、娘を嫁がせる父親じゃないのと夕凪は思った。そう思ったら涙が溢れてきてどうしても抑えられない。
「だってぇ。だって、こんなっ」
「折角の別嬪さんが台無しだろうが、……っ、なく、泣くなよっ…くっ」
まさかの鬼の目にも涙。鬼丈も夕凪の涙を見て、我慢していたものが溢れてくる。
「ばか野郎」
「うっ、うぇっ……も、やだぁ」
まるで、本当の父娘のように二人は向き合って泣く。
スタッフに、さぁ、と促されようやく二人は正面を向いた。
ーー 新婦様の入場です!
パーッと開いたドアの向こうには、見慣れたいつもの顔が夕凪を見ていた。いや、みんないつもと全然違う。作業服姿の彼らがネクタイを締めてよそ行きの顔して立っている。
「嘘でしょう!?」
歯をむき出しにしてにこにこ笑う男たち。反対側には沢柳の家族が拍手をしたながら立っていた。パッと見は真っ黒スーツや礼服の男たちばかりで華やかさに欠けるけれど、その中を歩く夕凪の姿は特別に洗練されて見えた。
「木崎ぃ! よかったな」
「おめでとうっ、木崎ぃー!」
「めちゃくちゃ綺麗じゃねぇかぁ」
まさかこんな事になっていようとは、夕凪は全く予測していなかった。本当に、写真撮影をするだけだと思っていた。これじゃあ本物の結婚式みたいだ。
ー◆ー◆ー
実はこの何週間か前に沢柳は鬼丈と密かに連絡を取って会っていた。ちょうど入籍をしてすぐのころだった。自分に家族がいないことを遠慮して、挙式の希望を言わない夕凪を見て、沢柳が動いたのだ。
夕凪の我儘を言ってはいけない、人に迷惑をかけてはいけないと、気持ちを抑え込んでしまうのを知っていたからだ。
『夕凪には家族がいません。でも、恐らく人並みに夢や憧れはあると思うのです。将来、ふとした時にやればよかったと、やってみたかったという後悔だけはさせたくないです。しかし、そう本人に言ってもそんな事はないと、誤魔化すと思うのです』
沢柳は鬼丈にここの皆で、夕凪の家族や友人役をやって欲しいと頭を下げた。それを聞いた鬼丈は頭を下げる沢柳を見て、この男なら夕凪を幸せにできるだろうと確信した。良かれと案を勧めても、烏滸がましいと身を引いてしまう夕凪の癖をよく知った男だと。
『その話、乗った。他の奴らもずっと木崎を見てきて、妹みたいに思っている。喜んで受けると思う』
『ありがとうございます』
『いや、ありがとうは、こっちのセリフだ』
『え?』
夕凪は結婚しても変わらずキリンに乗ると言った。あの日、鬼丈に証人になってくれと言った。ぼそりとお父さん役をと呟いた。
強がって突っ張って生きてきた女が、ここまで変わったのは沢柳のお陰なのだろうと思えた。だから、鬼丈も感謝の気持ちが自然と出てきた。
『アイツのことをよろしく頼む』
『はい!』
ー◆ー◆ー
夕凪は鬼丈の腕を握る手に力を入れた。その手を鬼丈は上からポンポンと叩く。大丈夫だ、ちゃんとおまえが愛する男のもとへ連れて行ってやるよと、言うように。
「おい、け躓くなよ。おまえが転けると、俺も一緒にイッちまうんだからな」
「転けませんよ。課長こそドレスの裾、踏まないでくださいね! それこそ一緒にひっくり返っちゃうからっ」
「相変わらず減らず口だな」
「上司が上司なもので」
「おい」
プイと夕凪は顔をそらし、片眉を釣り上げた鬼丈がヴァージョンロードで立ち止まる。
「親子ゲンカしてないでさ、早く新郎の所に連れて行けよー」
「うるせー」
みんなにちゃちゃを入れられながら、ようやく夕凪は沢柳の前までやってきた。恥ずかしそうに頬を赤くして、目が合うと顔を俯かせてしまう。
それを見た鬼丈が肘で夕凪をつついて、さっさと行けよと背中を押した。沢柳がそっと手を差し伸べる。あとはその手を取るだけ。その時、夕凪は何かを決心したようにキリッと締まった顔で鬼丈を見上げた。
「この期に及んでなんだ」
「お、おっ」
「……」
「おとうさん、ありがとうございました」
「!!」
本当はお父さん役をありがとうございましたと言うつもりだった。緊張しすぎて役が抜けてしまっている。でも夕凪は気づかない。
「出戻りは、許さないからな」
「はい」
ヴァージンロードを一人戻る鬼丈の顔は泣き笑いでぐちゃぐちゃで、それを写真におさめようとした男たちも、もらい泣きでぐちゃぐちゃだった。
「夕凪、あんた男泣かせだな」
「え? 泣かせてないよ……」
そのあと撮った集合写真は一生の宝物となった。ガントリークレーンを操る男たちの間では伝説の一枚となる。
だって、港で逞しく働くガンマンたちが、全員泣き虫だったから。
【おしまい】
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何回読み返してもやっぱりいい!
とっても素敵なお話です
何度も読み返してくださってるのですね!
わたしもこのお話大好きです。
ありがとうございます。
最高!やばい感動しました( ;∀;)
夕凪ちゃんクレーン操縦や、ゼファー乗りこなすし、カッコイイ✨!! しかも、安藤さん推し^^
荷崩れコンテナのヘリ待機にオレンジ色の五十嵐隊長乗ってたかも✨
沢柳さんの黒い86GT☆峠の走りでの出会いも最高でした(* • ω • )b✧✦
ロジスティクスシリーズ制覇いただきありがとうございました!
嬉しいです!
沢柳の優しさに夕凪はすっぽりと包まれて、幸せに暮らしています。キリンと浩太と新しい命と共に(*^^*)
泣きました
良かった
豊水すすきの様
お読みくださりありがとうございます!
嬉しいです。