キリンのKiss

ユーリ(佐伯瑠璃)

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そして、愛

ガンマン、出動!

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 日付けを跨ぎ、空が白み始めた。
 夕凪は初めてこの港湾で朝を迎えた。海は穏やかで風もあまりないことに夕凪はほっとした。リスクの高い荷役には天気の変化が命取りとなる事があるからだ。

 時刻は午前5時を回ったところだった。港湾の総合オペレーションセンターからの連絡によると、本船は予定より少し早まり、午前6時には入港する。

「みんな、ご苦労さん。入港時間が少し早まった。天気もいいし予定より早く終わるかもしれないぞ。それに、ひとつだけいい知らせがある」

 鬼丈の勿体ぶったいい方に全員が首を傾けた。あの船にいい知らせの要素があったのか? そう思った。

「なんだ、お前ら。警戒してんじゃねえよ。あの、倒れたコンテナだけどよ」

 全員が鬼丈に注目した。期待していいことなのかを探りながら。

「あれの中身はカラだとよ」
「カラ、空って!」
「エンプティーコンテナだそうだ。よかったな。中身のことを気にする必要はない。よって多少揺らしても商品賠償責任は起きない。破損コンテナは船会社が保障する。ラッキーだったな! ワハハハ」

 鬼丈は笑っているが他の誰も笑っていない。コンテナの中身が空っぽなのは確かに技術的にも心理的にも負担が減る。それでも鬼丈のように楽観的に笑ってはいられなかった。

「辛気臭い顔をするな。自信をもてよ。なあ、木崎」
「う、なんで私に振るんですか。私はキリンに乗りませんのでそんな事は言えません」

 そう返すと鬼丈は、夕凪の顔を見ながら頬をゆっくりと上げ怪しげに笑ってみせた。
 鬼丈の奇妙な笑みを思いっきり浴びた夕凪は、思わず一歩後退った。とても、とても嫌な予感がしたからだ。

「さて、ターミナルに移動するか。昨夜の打合せ通りよろしく頼む」
「はい!」


 
 時刻は午前6時半。
 夕凪は沢柳に『今から荷役に行ってきます。補佐だけどね☆』とメッセージを送った。朝の地方ニュースで流れているかもしれない。沢柳が心配しないように、夕凪はさり気なく自分はメインではないことを含ませた。すると直ぐに沢柳から返信がくる。

『夕凪なら何をしても大丈夫だ。自信を持て。今夜はあんたが好きなものを作る』

 ただの文字なのに、隣から沢柳の声が聞こえてきた気がした。夕凪の心にポッと火が灯る。

「よし! がんばろう」



 コンテナターミナルはいつも以上に視界良好で雲ひとつない快晴だ。
 その湾の向こうから大きな影がゆっくりと向かってくる。まだ数百メートルも先なのにコンテナの傾きは肉眼でも確認できた。管轄の海上保安部が安全を確認し港への進入を許可すると、船の周辺を数隻のタグボートが警戒をしながらゆっくりと指定されたターミナルに入ってくる。

ドドドドドドー

 空を見上げると、海上保安庁のヘリコプターとその向こうには報道ヘリコプターが飛んでいる。

 本船は静かにターミナルに着岸。圧迫感のある大型コンテナ船は映像で見た時とかわりない。今にも積まれたコンテナが崩れ落ちそうだった。

「実物の方が、やべぇな」

 男たちが口々に言う。
 中には鍵が破損してコンテナの扉が開いたままのものもあった。ロックが効いているお陰で、今のところ落下したものはないらしい。

 夕凪たちは鬼丈の指示に従って配置についた。間もなく入港手続きが完了すると、いよいよ復旧作業の開始となる。崩れたコンテナは全部この港で降ろすことになっていた。


 コンテナをヤード集積場に引くトレーラーが続々と入ってきた。キリンの脚の下に一列に並ぶ。そして、各社から抜擢されたベテランのクレーン運転士が集まると、キリンの運転室へ上がっていった。
 イヤホンから聞こえる様々な指示を漏らさないよう各々が動く。絶対に事故を起こしてはならない! 港湾で働く者達の合言葉だ。

 先ずは、船から横に突き出たコンテナを引き抜く作業に入る。ワイヤーの吊り上げ経験がある運転士がそのコンテナにアプローチをかけた。しかし、ドミノ倒しのようになったコンテナの重みが抜き出したいコンテナを押さえつけており、作業は難航した。
 やはり、斜めに倒れたコンテナを起こすのが先のようだ。起こした弾みで突き出たコンテナが落ちないようにワイヤーで固定する作業に入る。

「クレーンA、ゆっくりアプローチしてください。ゆっくり……ゆっくり。ストップ!」

プシュー!

「オーライ、オーライ、オーライ」

 足場の悪いコンテナの上を作業員が這って、クレーンから垂らされたワイヤーをコンテナに引っ掛ける。僅かでもクレーンが揺れたり、ワイヤーがブレると、その振動で作業員は簡単に吹き飛んでしまう。
 イタズラに風が巻き起ころうものなら、取り返しのつかないことになる。海独特の読めない突風に注意を払いながら、作業は慎重に行われた。

「オッケーでーす」

 固定が終わるまで、一時間近くかかっていた。

 いよいよ倒れたコンテナを起こして、トレーラーに載せ換える作業が始まる。

 夕凪は歪んだコンテナが降りてくるのを、キリンの足元から作業を見守った。







 ひとつ目のコンテナが降りてきてからは早かった。さすがベテランたち、コツを掴んだら普段の荷役と変わらないスピードで降ろしていく。
 時に運ぶトレーラー待ちになるほどだった。当初の予定通り二時間が過ぎると、次に控えている運転士達が交替で上がっていった。夕凪はこの調子なら昼頃には復旧完了となるかもしれないと期待した。


ピーッ、ピーッ、ピーッ、ガッシャン

 コンテナの中が空だと言っても、ものによっては自重が3~5トンある。簡単に人は押し潰されるし、建物は破壊される。

『木崎! 今、どこに居る!』

 突然、鬼丈が夕凪にコンタクトをとってきた。夕凪は手信号でトレーラーを発車させてからその呼びかけに応えた。

「今、下でトレーラーの送り出ししています」
『あ? ああ、他のやつ寄越すからお前ちょっとこっちに来い』
「こっち、とは?」
『Bのキリン。上がって来い』
「は?」
『つべこべ言わずに、さっさと来い!!』
「はいっ!」

 鬼丈の怒鳴り声に夕凪も大声で返事をした。無線の向こうで鬼丈が『うおっ、耳痛ってぇ』と唸っていたのも無視して、夕凪は交代できた人と急いで引き継ぎをしてキリンへ走った。

 箱型のエレベーターの前に来ると、一人の社員が鬼丈に担がれて降りてきた。

「どうされたんですか!」
「ああ、木崎くんすまんね。ちょっと、これ……やっちゃってさ」
「えっ、あ、腰ですか」

 大ベテラン、最近やっていないワイヤー吊り上げ、極限の集中力に体が悲鳴をあげたようだ。
 夕凪はその社員の介助に呼ばれたのだと理解し、肩を担ごうと脇で屈んだ。夕凪は女性とは言え一般の女性より背も高く、しっかりした体躯だった。だからオジサンの一人くらい全く問題ない。

「おい。お前、何してるんだ」
「何って事務所に連れて帰るんですよね」

 夕凪は当然のように鬼丈にそう言った。すると鬼丈は盛大なため息をついてこう言った。

「お前が代わりに乗るんだよ!」

 そう言うと、夕凪をエレベーターに引き込んだ。

「えっ」
「行くぞ! 久しぶりだな、お前と運転室入るの。ちゃんとガンマンになってんのか、見せてみろ」
「でも」
「こんな美味しいチャンスはなかなかないぞ。俺だっでここまで酷いのは初めてだ。なあ、木崎。俺の言いたいこと、分かるよな」

 こんな経験は確かに巡ってこない。エースと呼ばれた鬼丈ですらないと言うのだから。

 縦に横にキレイに並んだコンテナの荷役をするのに必要な技術なんてない。そう言われたら反論できない。
 全てはここにある機械たちの力で、それをマニュアル通りに操作しているだけなのだ。極端な話、ライセンスさえあれば誰にだってできる。でも、今回は違う。真っ直ぐ四方をホールドできない、ぶらぶら揺れるワイヤーで吊り上げるしか手段がない。

(怖いの。でも、ここで逃げたら……)

「お前に将来、エースって名のつくガンマンになって欲しいって言ったら笑うか」
「っ、課長!」
「着いたぞ。やるかやらないか、自分で決めろ。考える時間は10秒しかないけどな」

 夕凪は笑うしかなかった。いつだって鬼丈は強引に仕事を押し付けてくる。
 今思えば女だから無理だろう、女だからこれくらいにしてやると鬼丈から仕事で甘やかされた事はなかった。いつも怒鳴りつけるし、むしろ他の男の社員よりもキツく当たられた気がする。
 でもそれは、きっと夕凪に恥ずかしくないガンマンになってほしいからだろう。

「時間切れだ。座れ」
「はい。宜しくお願いします」

 研修期間の間は毎日こうして鬼丈が隣に立って指導をしてくれた。窓枠に片手を突いて周囲に目を光らせて、ほんの僅かなズレも許してはくれなかった。

「よし。どのコンテナを降ろすか分かるな」
「はい」
「行け」
「始めます」

 運転室の下にコンテナをホールドする機械が下がっている。目的のコンテナの真上までその機械と共に移動をするのだ。透明の床に目を凝らし、作業員の合図に従ってゆっくりとワイヤーを下げた。操縦レバーを握る手に汗が滲む。ガタッガタッと振動が、夕凪の足元に伝わる。

「いいぞ、そのままキープだ。まだ上げるなよ。我慢しろ」
「はい」

 レバーをミリ単位で操作しろと、鬼丈は言う。ここでのミリは船の上ではセンチ、時にはメートルに変化する。自分の手で直接コンテナに触れているように扱えと。
 キリンは体でその脳を司っているのは自分なんだと、叩き込まれている。

(大丈夫。キリンは私の言うことを聞いてくれる。キリンは私の、体だから)

「そのまま上げろ、待て! よし、いいぞ」

ガタ……シューーッ

 夕凪は自分がちゃんと息をしているのか分からなくなるほど集中していた。自分の目と耳と腕を信じて。そして、隣に立つエースガンマンにその全てを預けて。

「あと、70本。気を抜くなよ」
「はいっ」



『夕凪なら何をしても大丈夫だ。自信を持て。今夜はあんたが好きなものを作る』


(浩太、今夜はハンバーグが食べたい!)
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