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第一章 運命編

古き因果を抱きて

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 その頃、胡蝶の館の者たちは別室にて二人のことの行く末を静かに見守ろうとしていた。実は、デレクがここに来るように仕向けたのは牡丹をはじめとする面々。怪しげな行商人に扮したのは白樺という男だ。この館では密偵の役割を果たす化け術が得意な者。そして、その行商人から阿片を買ったと見せかけたの梔子くちなしと言う口のきけない女。見た目が素朴であるが故にデレクの記憶に残っていなかったのだ。あとをつけたデレクをこの館まで手引したのが耳の聞こえない牡丹だった。
 なぜ、こうまでしてデレクをここに呼ぶ必要があったのか。

「山吹お姉さん、紫蘭お姉さんは三沢様に心を許すでしょうか」

 牡丹が不安そうにそう言った。山吹は目は見えないものの、声色や仕草、気配で相手の考えていることが分かるのだ。

「どうだろう。紫蘭お姉さんが最後まで許すかは三沢様しだい。あの鈴の音の妖力に勝てた者はいなかったから。ただ、紫蘭お姉さんの御心は……」

 山吹がそこまで言うと護衛を務める木蓮が太い声で続けるように口を開いた。

「紫蘭の心は決まっているだろ。しかしあの男が駄目ならば、永遠に解けぬだろう。なあ、萩」

 同じ護衛を務めるつり目の萩も憂いながら言葉を紡ぐ。

「あの足枷が紫蘭を何十年も苦しめている。もういい加減、解いてやりたい」

 その言葉を聞いて皆、口をつぐんで項垂れた。
 萩、木蓮、山吹、牡丹、梔子、白樺はこの世に降りた時から紫蘭に仕える者。仕える者にも何かが足りないよう仕組まれていた。女たちはもとより、萩は臭いが分からない、木蓮に至っては生殖機能がない。白樺は自分の意思を持たない者である。彼らは人の形を取りながら、本当は人ではなかったのだ。

 山吹が言った。

「我らもあるべき場所へ」

 互いに思い合い、且つあの足枷である鈴の音に勝てる者が現れた時、全ての試練を終えた事にする。それが紫蘭に与えられた条件だった。

「お姉さんは三沢様を好いています。三沢様も好いていると思うのですが、なんせあの鈴の音が……」

 あの鈴に惑わされぬ者はいない。この館が遊郭として成り立つのはあの鈴の音があるからだ。あの音を聞くと脳が痺れ、抱いてもいないのに抱いた気になる。そう、ここの遊女たちは誰一人として躰を男に捧げていなかったのだ。
 紫蘭に好いた男ができたとしても鈴が鳴れば、男が勝手に夢の中で満足して終わるのだ。

「三沢様はこれまでの男と違う」
「!?」

 皆が驚くのも無理はない。口がきけぬはずの梔子が喋ったからだ。梔子は一点を見つめ「三沢様があの足枷を解く」と言ってのけた。それ以降は口を開くことはなかった。

 皆、心の中ではそう願っている。もう十分ではないかと。そこに紫蘭の意思など無く、ただ生まれ落ちた姿が人と少し違っただけだ。ただ、それだけの事も世は赦してはくれなかった。世だけではない、親からも忌み嫌われる事の悲しみを誰が分かろう。否、あの頃はそう言う者が多かった。何かが欠けた者、何かが異なる者は神に返すのだと言い、祭りの祭壇に捧げられる。それすら叶わぬ者は山奥へその身を隠され、ある者は河へ流されたのだ。
 それが、必要とされなかった者の悲しき結末であった。





 時は遡ること数十年も前のこと。そこに悲しき母娘の別れがあった。

「赦しておくれ、母を、力のない母を赦しておくれ。こんな寂しい場所に置いていくこと、赦しておくれ」

 生まれて三ヶ月みつきほどの赤ん坊は布切れに幾重も巻かれて、山深い場所にある大きなナギの木の下に捨てられた。その赤ん坊は生後何日経っても目が開かなかった。ようやく開いたその目を見た父親は、一言「殺してしまえ」と言ったのだ。母親は出来なかった。腹を痛めて産んだ我が子を、どうして殺せようか。母親が悩んだ末に取ったのは、せめて穏やかな死を迎えられるようにと、神が宿るといわれるナギの木に我が子を捧げたのだ。

「母が、満足な躰に産んでやらなかったのが悪いの。お前は悪くないんだよ……でも、村でその眼は受け入れられぬ。どうして、どうしてこんなことに……ううっ」

 少しだけ違う瞳の色を見た村のおさは、縁起が悪いといって水に流すように夫婦に言った。瞳以外は十分に恵まれた健康な女児だ。肌艶もよく指も長く、育てば麗しい女になることは想像がついた。それでも、村の長は譲らなかった。

『お前たちには気の毒なことだと思っている。しかしこれは村の掟じゃ。これに反すれば全てを受け入れねばならぬ』

 村は貧しかった。耕作しても肥えぬ土、長雨や日照りの期間が他よりも長く、採れた作物も他では売ることができなかった。年貢の取り立ても首を絞める一方で、残すは食い扶持を減らす手段しかない。

『眼、以外は問題ないとすればきりがない。それを言えば、指が足りぬ他は問題ないとなるじゃろう。引いた線は動かせぬのじゃ』
『はい。それは、承知しております』

 たかが色素が薄いだけ。よく見れば宝石のように美しいというのに、なり、が少しでも異なれば村には置けないのだ。

「力のない母を、恨んでおくれ……お前は悪くない。悪く、ない」

 父は来なかった。冷たいのではない、体裁を気にしたわけでもない。母と娘の別れを十分にさせてやりたかったからだ。父は母が娘を連れて出るときに、「次に生まれる時は、裕福な時代に生まれてこい」と、赤ん坊の頬を指で撫で別れを惜しんだ。

 母親は家でいちばんの質のよい生地をナギの木の下に敷き、そこに赤ん坊を寝かせた。何度も何度も頭を撫で、そして赤ん坊の胸をトントンと優しく打つ。しだいに赤ん坊はすやすやと穏やかな呼吸と共に夢の世界へ旅立った。

「どうかこの子に、安らかな死をお与えください」

 無責任と知りながら離れ難さをおし殺し、母親は山を下りていった。




ー シャラン……シャラン…シャラン

 ナギの木の木漏れ日を大きな影が覆った。鈴の音が鳴り止むと、低くて太い声があたりに響く。

『人間とはなんと嘆かわしい生き物か。何かが足りぬ、何かが他人と違うと忌み嫌い排除する。それで全てが解決するとでも思っているのか』

 現れたのは眩い光を纏った男とも女ともつかない人の形をしているもの。捨てられた赤ん坊を抱き上げると『人の世の苦しみを知るがいい、お前の母親に代わってな』そう言ったのだ。

ー シャリン……チリリン

 赤ん坊の左足首に金色の輪飾りが嵌められた。その眩い光は天を突き抜け、粉となって降り注ぐ。そして、トサッ、トサッと何かが落ちる音がした。六体の真っ白な狐が伸びをしながら近づいてくる。

六根ろっこんよ。そなた達に、このややこを託そうぞ。いつの日か何もかも受け入れられる者が現れたなら、この足枷は解けるであろう』

 六根とは眼、耳、鼻、舌、身、意を表し、人間には欠くことのできない欲であると言われている。
 
「キュィィーン、キュィィーン」

 狐たちが鼻先で泣きながら赤ん坊を取り囲んだ。降り注ぐ光はいつしか薄紫の粉になって、赤ん坊に降りかかる。それを狐たちはペロペロと舐める。ある狐は瞼を、ある狐は耳を。それぞれが己に与えられた箇所を舐めたのだ。鼻、口、体、そして心の臓の辺りを。するとどうだろうか、狐たちはみるみる人の形を取り始める。

「キュィィーンーーッ!」

 六体の人の成りをした謂わば妖しが、人の世におりたった。

『ややこを紫蘭と名付ける。きたるその日まで、身の回りの世話をせよ』

 まだ、二十歳にも満たないであろう若き姿をした六人は静かに頷いた。その中でも体躯のしっかりした男が紫蘭を抱え上げ、天に掲げる。

「この者を、我らに守らせたまへ」

 これが紫蘭の永遠の始まりであった。





 そんな紫蘭との出逢いを思い出しながら、六人はデレクにこれまでに無い期待感を抱いた。紫蘭にはどうかその枷が解けるようにと願わずにはいられなかった。シンと、静まり返る控えの間で、妖かしたちはただ目を瞑むるしかなかった。

「しかるべき時はもう、来ているはずよ」

 山吹の言葉はここに居るみなの、切なる想いであった。
 
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