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三章 -箱館編ー
松前攻略
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刀を抜いた瞬間、かん高い金属音が響いた。間一髪ではじいた弾は二つに割れて足元に落ちた。その時、小さな破片を避けきれず頬をかすった。
「な、なんだと! 刀で避けやがった」
それに怯んだ男を土方隊が取り囲み拿捕。そこからはあっという間だった。相手は夜の暗闇を潜んで奇襲をかけるはずだったのだろうが、不幸にも彼らはそういったことに慣れてはいなかった。数々の戦を乗り越えた陸軍隊をはじめとする旧幕府軍の男たちが、彼らに攻略されるはずもなく、反対にいとも簡単に制圧してしまった。それを見て私は静かに刀を鞘に収める。
「テツ」
「はっ、土方さん!」
「おまえ何でここにいる」
厳しい顔のまま土方は私を見下ろした。私は何をどう話してよいか分からず、ただじっと土方の顔を見上げるばかりだった。敵は捕虜として縄に結ばれ連行。気づくとそこには私と土方だけになっていた。
少し動くと土を踏みしめる音がやけに耳につく。風も吹かないこの時を私は持て余していた。
「あのっ……合流を」
堪らず口を開いたけれど気の利いた言葉は出てこない。なぜか唇は震えていた。
「大鳥さんはなんて……おまえは伝令なんだろ」
「ちがっ、違います。私も土方さんと松前城を落とすのです」
そう言うと土方は目にぐっと力を入れた。その後すぐに眉間にじわが寄る。これは不味いと私は思わず一歩下がった。
「勝手な真似をしやがって! 目を盗んで抜け出したら罰せられるんだぞ! 軍には軍の規律がある。庇いきれないかもしれねんだ!」
「ですからっ! 大鳥殿の命令であなたの隊に帰隊したのです。嘘ではありません。後ろのあの馬は、大鳥殿が貸してくださったのです。本当です!」
私は拳を握り土方の眼を見ながら言った。奥歯を喰いしばって本当だと瞬きもせずに睨んだ。
「おまえの意志ではなく、大鳥さんの命令なのか」
今度はそれも気にくわないのか土方の機嫌は悪くなるばかりだ。どちらもだめなのかと昂ぶった気持ちが萎えていくのを感じた。私はがくりと首を折った。
(来るべきでは、なかったのか……)
「か、帰ります……五稜郭に」
そう言って、背を向けようとしたら腕を掴まれ強く引かれた。急なことに体はぐらつきそのまま土方の胸にとんとぶつかった。
「すみませんっ」
離れようとすると、そのままぎゅっと土方に抱き込まれた。
(土方さんの匂いがする)
思わず目を閉じた。暫く離れていたせいもあり、こうされたことで張り詰めていた神経が緩んでいくのが分かった。やはり土方がいい。
「テツ……」
名を呼ばれ恐る恐る顔を上げると、土方の眼に先程のような鋭さはなかった。僅か斜めに傾けられた顔に一点を見つめる瞳、ゆっくりと瞬くその仕草は困ったときにするものだ。私はいつも困らせているな……。
「……はい」
私が返事をすると、土方は指を私の顎にかけ上を向かせた。そして反対の手の親指で私の頬をこすった。
「っ!」
ビリと刺すような痛みが頬を奔る。
「怪我をしているじゃないか。顔に傷なんて、作るんじゃねえよおまえは」
「大丈夫です。これくらいすぐによくなります」
銃弾の破片か蹴り上げられた石か分からないけれど、かすり傷よりは痛みがあった。でも、こんなのは怪我のうちに入らない。もっと酷い者たちもいる。
「ばか野郎」
「ひっ……す、すみま」
「もうぜったいに離れるなよ。俺から、離れるな」
「土方、さん」
「大鳥なんかに、取られてたまるか。それにおまえは危なっかしい。あんな弾を刀で避けるやつがあるか」
土方は背をかがめ、私に顔を近づけた。目の前に土方の鼻先がある。
「よく来たな……」
「わたしっ」
そのまま強く抱きしめられた。折れるんじゃないかと思うほどその腕は強く私を閉じ込めた。私もその背にそっと腕を回す。寒さなんて微塵も感じられなかった。
朝を迎え、私たちは松前に向けて進軍を続けた。昨夜の奇襲を考えるとこちらの動きは読まれているということだ。土方はいち早く松前に入り、街すべてを制圧すると言った。
「鉄之助くんが来るとは思ってもいませんでしたよ」
「島田さん、宜しくお願いします」
「これで土方さんも安心して戦えますよ。なんせ鉄之助くんがいないときは」
私の不在中の事を話そうとする島田に相馬が焦った顔で割って入ってきた。
「島田さん声が……聞こえますよ土方さんに」
「わははっ。危ない危ない」
おおらかに笑う島田の向こうに土方の背中が見えた。大鳥と違い先頭を行く姿は武士らしくとても逞しい。やはりあの背中がないと落ち着かない。
「市村」
「……沢」
沢が私と並んだ。また嫌味でも言いに来たのだろうと覚悟を決める。
「これでも塗っておけ。相変わらず間抜けだな」
「なっ! これは」
「傷口の保護だ。見ているこっちが痛いんだよ」
「ありがとう」
ふん、と鼻を鳴らしながら行ってしまった。渡された貝殻を開けると油を含んだ薬があった。なぜか懐かしい匂いが鼻をつく。
(お爺もこんな薬を作っていたな)
生きていく上で必要な知恵や知識は国が違えど似ているもの。沢の意外な行動に戸惑いつつもそっとそれを指先にとり頬にすり込む。さあ、目の前に道が開けてきた。
(いよいよ、松前だ!)
*
「撃てーーっ!」
ドンッ……
大砲の低い音が腹に響く。城をめがけて土方が率いる陸軍隊が大砲を放った。わらわらと崩れ落ちる石垣に混じって、城内の慌ただしい声が聞こえてきた。パンパンと乾いた音と突き上げるような地響き、そして舞い上がる埃に煙が混ざる。
「梯子を持って走れ!」
私たちは土方と城の裏手に周り城壁に梯子をかけた。今まで見てきた城とは違い、誰でも這い上がれるような造りだった。
「俺に続け!」
土方が梯子に足を掛けた。それを見て私は城壁を蹴りながら淵に飛び上がった。
「おい! テツ。俺より先に上がるやつがあるかよ」
「あ、すみません」
土方を追い越してしまったのだ。
「おまえにそんな能力があったとはな。大鳥さんは知っていたのか……。よしテツ! 内側から門を開けろ。さっさと片付けるぞ」
「はい!」
すぐに内側に飛び降りて、中から扉の錠を開けた。土方隊がなだれ込み、一気に城内へ侵入した。
「行けっ!」
刀を振り上げ走る男たちがぶつかりあった。負け戦ばかりでも戦場をくぐり抜けてきた男たちと、この松前藩の兵士たちとは比べ物にならない。腰を引きながら後退し、しまいには逃げていく。すると、遠くから大きな音がした。
ドンッ……
音が鳴り、しばらくすると煙とともに城の一部が崩落した。
「榎本さんか」
土方が言う。海側から榎本武揚率いる艦隊からの砲撃があったようだ。その威力は陸軍隊が持つ大砲とは違った。あんな遠くから放たれたら防ぎようがない。
『退却! 退却!』
あっという間に城から松前藩の人間は消えた。あっけなく松前城攻略が終わったのだ。しかし、ただでは終わらせてはくれない。
「土方さん! 火が」
「ちっ、追え!」
松前藩士たちは街に火を放ち逃げた。私たちは彼らを追った。その途中、街は大混乱で逃げ惑う人々や道を失う者が数多く見られた。私はそれらを見ながら走った。鳥羽の時もそうだったけれど、罪のない人間が傷つき死んでいくのは見るに耐えない。私たちはいったい何をしているんだと、腹立たしくなる。
(これが正義なのかな。人々にとっての正義とは、いったいなに)
「テツ!」
「はい」
土方は自分の視界に私を置くことを強いた。偵察ですら土方の目が届く範囲だ。
「大丈夫か」
「大丈夫ですよ。疲れなどありません」
「そうか。ならば一気に行くぞ」
「はい!」
逃亡する兵士たちは最後の抵抗と言わんばかりに私たちに刀を向けた。これ以上の失くすものがない者たちは思ったよりも強い。城内での戦いはなんだったのか、別人なのかと思うほどだ。
「くそっ、進まねえなっ」
斬っても、撃っても終わりの見えない戦闘が続いた。島田も相馬も、そして沢も気を抜く暇はないと刀を振るった。何が良くて何が悪いのか考える時間はなく、私も手向かうものは斬った。
『斬ったのは君じゃない、僕だよ』
(沖田先生……)
血が刃を覆い、纏わりつく脂に切れ味も徐々に落ちていく。それでもこの加州清光は怪しく光り尚も肉を裂いた。汗と血とで鞘を握る手が滑る。血生臭さに胸の奥から吐き気がこみ上げる。これが、戦争だ。
「っ、うっ……」
着ている物の裾も袖も、他人の血で染まり汗を拭うのさえ躊躇われた。
「気をしっかりもて!」
土方の雄叫びだけが私たちを正気にしてくれていた。
空が怪しく暮れていく。雲の流れは早く嫌な予感が渦巻く。蝦夷の冬を私たちは知らない。どれほど寒くどれほど長いのか検討がつかないのだ。南で育った私には京の凍てつく寒さにも震えたというのに、ここで吹く風は針のように痛い。奥歯がガタガタ鳴るのを抑えられないのは初めての経験だ。
(寒い……痛いっ)
「テツ、顔が青いぞ。どうした……まさか、おまえ月のものが」
「違いますっ。その、寒くてっ。すみません!」
「確かに冷えてきたな。こっちに来い」
土方は私の手を引き風から庇うように突き進んだ。いつもこの背中に私は護られてきたんだ。
こうして私たちは松前を落とした。
「ご苦労だった。二、三日ここに滞在する。体を休めて江差へ向かう!」
土方は松前の人々からものを奪ったり、女に乱暴をしてはならないと強く言った。武士道に反する事は切腹に値するのだと語気を強めた。正直、見てみぬふりをしてきた過去もあっただろうに、会津を離れてからの土方はそういったことに厳しくなった。
「テツ」
「はい」
「おまえも気をつけろ。気が昂ぶった奴らを制御するのは難しい。いくらおまえの腕がよくても、それとこれとは別もんだ」
「承知しました」
土方がしきりに心配するので、私は常に離れず土方の側にいた。
「な、なんだと! 刀で避けやがった」
それに怯んだ男を土方隊が取り囲み拿捕。そこからはあっという間だった。相手は夜の暗闇を潜んで奇襲をかけるはずだったのだろうが、不幸にも彼らはそういったことに慣れてはいなかった。数々の戦を乗り越えた陸軍隊をはじめとする旧幕府軍の男たちが、彼らに攻略されるはずもなく、反対にいとも簡単に制圧してしまった。それを見て私は静かに刀を鞘に収める。
「テツ」
「はっ、土方さん!」
「おまえ何でここにいる」
厳しい顔のまま土方は私を見下ろした。私は何をどう話してよいか分からず、ただじっと土方の顔を見上げるばかりだった。敵は捕虜として縄に結ばれ連行。気づくとそこには私と土方だけになっていた。
少し動くと土を踏みしめる音がやけに耳につく。風も吹かないこの時を私は持て余していた。
「あのっ……合流を」
堪らず口を開いたけれど気の利いた言葉は出てこない。なぜか唇は震えていた。
「大鳥さんはなんて……おまえは伝令なんだろ」
「ちがっ、違います。私も土方さんと松前城を落とすのです」
そう言うと土方は目にぐっと力を入れた。その後すぐに眉間にじわが寄る。これは不味いと私は思わず一歩下がった。
「勝手な真似をしやがって! 目を盗んで抜け出したら罰せられるんだぞ! 軍には軍の規律がある。庇いきれないかもしれねんだ!」
「ですからっ! 大鳥殿の命令であなたの隊に帰隊したのです。嘘ではありません。後ろのあの馬は、大鳥殿が貸してくださったのです。本当です!」
私は拳を握り土方の眼を見ながら言った。奥歯を喰いしばって本当だと瞬きもせずに睨んだ。
「おまえの意志ではなく、大鳥さんの命令なのか」
今度はそれも気にくわないのか土方の機嫌は悪くなるばかりだ。どちらもだめなのかと昂ぶった気持ちが萎えていくのを感じた。私はがくりと首を折った。
(来るべきでは、なかったのか……)
「か、帰ります……五稜郭に」
そう言って、背を向けようとしたら腕を掴まれ強く引かれた。急なことに体はぐらつきそのまま土方の胸にとんとぶつかった。
「すみませんっ」
離れようとすると、そのままぎゅっと土方に抱き込まれた。
(土方さんの匂いがする)
思わず目を閉じた。暫く離れていたせいもあり、こうされたことで張り詰めていた神経が緩んでいくのが分かった。やはり土方がいい。
「テツ……」
名を呼ばれ恐る恐る顔を上げると、土方の眼に先程のような鋭さはなかった。僅か斜めに傾けられた顔に一点を見つめる瞳、ゆっくりと瞬くその仕草は困ったときにするものだ。私はいつも困らせているな……。
「……はい」
私が返事をすると、土方は指を私の顎にかけ上を向かせた。そして反対の手の親指で私の頬をこすった。
「っ!」
ビリと刺すような痛みが頬を奔る。
「怪我をしているじゃないか。顔に傷なんて、作るんじゃねえよおまえは」
「大丈夫です。これくらいすぐによくなります」
銃弾の破片か蹴り上げられた石か分からないけれど、かすり傷よりは痛みがあった。でも、こんなのは怪我のうちに入らない。もっと酷い者たちもいる。
「ばか野郎」
「ひっ……す、すみま」
「もうぜったいに離れるなよ。俺から、離れるな」
「土方、さん」
「大鳥なんかに、取られてたまるか。それにおまえは危なっかしい。あんな弾を刀で避けるやつがあるか」
土方は背をかがめ、私に顔を近づけた。目の前に土方の鼻先がある。
「よく来たな……」
「わたしっ」
そのまま強く抱きしめられた。折れるんじゃないかと思うほどその腕は強く私を閉じ込めた。私もその背にそっと腕を回す。寒さなんて微塵も感じられなかった。
朝を迎え、私たちは松前に向けて進軍を続けた。昨夜の奇襲を考えるとこちらの動きは読まれているということだ。土方はいち早く松前に入り、街すべてを制圧すると言った。
「鉄之助くんが来るとは思ってもいませんでしたよ」
「島田さん、宜しくお願いします」
「これで土方さんも安心して戦えますよ。なんせ鉄之助くんがいないときは」
私の不在中の事を話そうとする島田に相馬が焦った顔で割って入ってきた。
「島田さん声が……聞こえますよ土方さんに」
「わははっ。危ない危ない」
おおらかに笑う島田の向こうに土方の背中が見えた。大鳥と違い先頭を行く姿は武士らしくとても逞しい。やはりあの背中がないと落ち着かない。
「市村」
「……沢」
沢が私と並んだ。また嫌味でも言いに来たのだろうと覚悟を決める。
「これでも塗っておけ。相変わらず間抜けだな」
「なっ! これは」
「傷口の保護だ。見ているこっちが痛いんだよ」
「ありがとう」
ふん、と鼻を鳴らしながら行ってしまった。渡された貝殻を開けると油を含んだ薬があった。なぜか懐かしい匂いが鼻をつく。
(お爺もこんな薬を作っていたな)
生きていく上で必要な知恵や知識は国が違えど似ているもの。沢の意外な行動に戸惑いつつもそっとそれを指先にとり頬にすり込む。さあ、目の前に道が開けてきた。
(いよいよ、松前だ!)
*
「撃てーーっ!」
ドンッ……
大砲の低い音が腹に響く。城をめがけて土方が率いる陸軍隊が大砲を放った。わらわらと崩れ落ちる石垣に混じって、城内の慌ただしい声が聞こえてきた。パンパンと乾いた音と突き上げるような地響き、そして舞い上がる埃に煙が混ざる。
「梯子を持って走れ!」
私たちは土方と城の裏手に周り城壁に梯子をかけた。今まで見てきた城とは違い、誰でも這い上がれるような造りだった。
「俺に続け!」
土方が梯子に足を掛けた。それを見て私は城壁を蹴りながら淵に飛び上がった。
「おい! テツ。俺より先に上がるやつがあるかよ」
「あ、すみません」
土方を追い越してしまったのだ。
「おまえにそんな能力があったとはな。大鳥さんは知っていたのか……。よしテツ! 内側から門を開けろ。さっさと片付けるぞ」
「はい!」
すぐに内側に飛び降りて、中から扉の錠を開けた。土方隊がなだれ込み、一気に城内へ侵入した。
「行けっ!」
刀を振り上げ走る男たちがぶつかりあった。負け戦ばかりでも戦場をくぐり抜けてきた男たちと、この松前藩の兵士たちとは比べ物にならない。腰を引きながら後退し、しまいには逃げていく。すると、遠くから大きな音がした。
ドンッ……
音が鳴り、しばらくすると煙とともに城の一部が崩落した。
「榎本さんか」
土方が言う。海側から榎本武揚率いる艦隊からの砲撃があったようだ。その威力は陸軍隊が持つ大砲とは違った。あんな遠くから放たれたら防ぎようがない。
『退却! 退却!』
あっという間に城から松前藩の人間は消えた。あっけなく松前城攻略が終わったのだ。しかし、ただでは終わらせてはくれない。
「土方さん! 火が」
「ちっ、追え!」
松前藩士たちは街に火を放ち逃げた。私たちは彼らを追った。その途中、街は大混乱で逃げ惑う人々や道を失う者が数多く見られた。私はそれらを見ながら走った。鳥羽の時もそうだったけれど、罪のない人間が傷つき死んでいくのは見るに耐えない。私たちはいったい何をしているんだと、腹立たしくなる。
(これが正義なのかな。人々にとっての正義とは、いったいなに)
「テツ!」
「はい」
土方は自分の視界に私を置くことを強いた。偵察ですら土方の目が届く範囲だ。
「大丈夫か」
「大丈夫ですよ。疲れなどありません」
「そうか。ならば一気に行くぞ」
「はい!」
逃亡する兵士たちは最後の抵抗と言わんばかりに私たちに刀を向けた。これ以上の失くすものがない者たちは思ったよりも強い。城内での戦いはなんだったのか、別人なのかと思うほどだ。
「くそっ、進まねえなっ」
斬っても、撃っても終わりの見えない戦闘が続いた。島田も相馬も、そして沢も気を抜く暇はないと刀を振るった。何が良くて何が悪いのか考える時間はなく、私も手向かうものは斬った。
『斬ったのは君じゃない、僕だよ』
(沖田先生……)
血が刃を覆い、纏わりつく脂に切れ味も徐々に落ちていく。それでもこの加州清光は怪しく光り尚も肉を裂いた。汗と血とで鞘を握る手が滑る。血生臭さに胸の奥から吐き気がこみ上げる。これが、戦争だ。
「っ、うっ……」
着ている物の裾も袖も、他人の血で染まり汗を拭うのさえ躊躇われた。
「気をしっかりもて!」
土方の雄叫びだけが私たちを正気にしてくれていた。
空が怪しく暮れていく。雲の流れは早く嫌な予感が渦巻く。蝦夷の冬を私たちは知らない。どれほど寒くどれほど長いのか検討がつかないのだ。南で育った私には京の凍てつく寒さにも震えたというのに、ここで吹く風は針のように痛い。奥歯がガタガタ鳴るのを抑えられないのは初めての経験だ。
(寒い……痛いっ)
「テツ、顔が青いぞ。どうした……まさか、おまえ月のものが」
「違いますっ。その、寒くてっ。すみません!」
「確かに冷えてきたな。こっちに来い」
土方は私の手を引き風から庇うように突き進んだ。いつもこの背中に私は護られてきたんだ。
こうして私たちは松前を落とした。
「ご苦労だった。二、三日ここに滞在する。体を休めて江差へ向かう!」
土方は松前の人々からものを奪ったり、女に乱暴をしてはならないと強く言った。武士道に反する事は切腹に値するのだと語気を強めた。正直、見てみぬふりをしてきた過去もあっただろうに、会津を離れてからの土方はそういったことに厳しくなった。
「テツ」
「はい」
「おまえも気をつけろ。気が昂ぶった奴らを制御するのは難しい。いくらおまえの腕がよくても、それとこれとは別もんだ」
「承知しました」
土方がしきりに心配するので、私は常に離れず土方の側にいた。
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