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二章 -勝沼・流川・会津編ー
痛み
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私は島田に縋るように助けを求めた。島田は土方の怪我を素早く確認すると、肩に土方を担いだ。
「大丈夫ですよ。腹や胸を撃たれたわけではい。副長は死にません」
「はい」
神の助けかと思えた。居ないはずの島田が私達を探しに宇都宮城まで来てくれたことは、私にとっては奇跡だった。自分一人では土方を退避させることも出来なかった。あのまま夜が来て、朝日が登るのを黙って待つしかなかったのだから。
「島田さん、ありがとうございます」
「よく頑張りましたね。松本先生もおいでです。すぐに診てもらいましょう」
「お願いします」
満福寺に戻るとすぐに土方を松本良順に診てもらった。命に別状はないとは言え銃弾を受けた脚の傷は浅くない。暫くは戦いからの離脱を余儀なくされるだろう。
「宇都宮は、もう駄目だ。島田くんと市村くんは、土方くんを連れて先に会津に行きなさい」
「松本先生は」
「私は一度、江戸に戻って薬を集めてくる。このまま進むと、もう江戸には戻れなくなるだろうからね」
松本良順は医師でありながら武器や軍隊にとても詳しい。前線に立つことはないけれど、裏で武器を流したり偉い方に口聞きをしたりと支えてくれている。しかも、この新選組に勝沼の戦いでの資金と、兵士を集めてくれたのだ。
「松本先生……」
その時、土方が目を覚ました。
「副長!」
「なんだ、声がでかいな。ちゃんと聞こえている」
「すみません」
危うく飛び付きそうになった。あんなに苦しそうにしていた土方が、いつものような口を聞いたのが嬉しかった。
「松本先生と島田がここにいるという事は、もう決まったっということですか」
「……ああ。残念ながら、私の力も及ばなかったよ。申し訳ない」
「そうですか。ありがとうございました」
一瞬、なんのことを話しているのか分からなかった。島田は何も言わずただ俯いて、松本良順は申し訳ないと頭を下げた。それに対して土方は、ありがとうございましたと礼を述べた。土方の怪我のことばかりが頭にあって、私は肝心な彼らのやり取りについていけない。
「決行は明後日、板橋にてとのことだ。私は明日江戸に戻り、可能や限り遺品を手に入れたいとは思っているが……それも叶わないかもしれない」
「副長、申し訳ありませんでしたっ」
「松本先生。最後まで申し訳ない。島田、お前は何も悪くない。俺はこんな体だ、先生が言うように明日ここを発つ」
松本良順と島田は話し終えると部屋を出ていった。土方と二人残された部屋はなんの音もしなかった。土方は息もしていないように静かで、まるで全てが止まっているようだ。私は三人の会話を頭の中で整理した。なぜ松本良順と島田は会津ではなく、土方のいる宇都宮で合流したのか。なぜ二人は力が及ばなかったと頭を下げたのか。それの答えはたった一つだ。なのにその一つの答えをあの場で見つけることが出来なかった。その、たった一つの答え……それは。
(近藤勇、処刑)
「うっ」
声を上げそうになり口を両手で塞いだ。腹のそこから込み上げる熱を押し返すのに必死だった。私が叫んでどうする。私が嘆いてどうする。一番ここで叫び、嘆きたいのは私ではない。土方だ。
「うっ、ひっ……っ、うっ」
我慢も限界になり、私はこの場から去るため立ち上がった。
「テツ」
「ひっ、うっ」
私は土方に背を向けたまま立ち止まる。
「座れ」
「で、でもっ」
「そんな顔で、外に出るつもりか」
私の顔は鉄之助の顔を崩してしまっていた。土方はなんでもお見通しだ。結局のところ私は、土方に一番近くにおりながら何もできていない。土方の盾になり戦うことも許されず、負傷した土方を連れて逃げることもできなかった。挙句、このざま。鉄之助を通すことさえままならないなんて……。私は膝を折った。
「申し訳、ありません」
「なぜお前が謝る」
私はただのお荷物だった。
『副長について行けぬなら、俺があんたを貰い受ける』
山口二郎の言葉がなぜか、思い出された。
「おい、聞こえないのか。テツ」
「はいっ。あ、すみません」
振り向くことも、何かを述べることもできない。私は土方にどう接したらよいのか見失ってしまった。
「なんか言え」
私は慌てて振り向いた。
「だ、大丈夫ですか! その、お、お怪我は」
「足の先をやっちまっただけだ。大した傷じゃない」
「はい」
「おい、それだけか」
「いえ、あの……」
土方は上半身を起こしかけ「いでっ」と顔を歪めた。私はすぐに側により、体を支える。
「起きては、なりません」
「お前がなんにも言わねえからだろうが」
「何にもって……言いましたよ。大丈夫ですかって」
突然、土方は片腕で私の頭を引き寄せた。小声で「痛ぇんだよ」と呟きながら。その声があまりにも弱々しく、土方らしからぬ声に涙が溢れてきた。痛いのは撃たれた脚の傷ではない、新選組の頭である近藤を失うことが痛くてたまらないのだ。
「痛いですよね、すみませんっ。何もできなくてっ……すみません」
私は土方の傷めた脚の、傷から遠く離れた太腿をさすった。どれほど痛いのか私には分からないけれど、少しでも和らいでくれたらいい。私には何ができるだろうかと無い頭を悩ませながら。
「テツ」
「はい」
「擽ったいんだよ」
「すみませ……っ、ん、ふっ」
土方が私の顎を持ち上げたと思ったら、口を塞いできた。鼻がぶつかっても離れることはなく、カサついた土方の唇が容赦なく私の唇を食む。驚いたけれど不思議と逃げたいとは思わず、その求めに応えたいと思う自分がいた。息苦しければ息継ぎをすればいい、痛くても我慢すればいい。私は胸に添えた手を土方の首にそっと回した。押されて倒れないように、触れた唇が離れないように土方の首の後ろで指を重ね合わせた。
「はぁ、はぁ……ふくちょ」
「土方だ。もう副長は存在しない」
「ふくっ……土方さん」
「ああ」
そしてまた唇が重なった。今度は土方からではなく、私から求めたのだ。なぜ……、分からない。分からないけれど今はこうしたかった。誰よりも側で土方の痛みや悲しみを感じたかったから。それは小姓、市村鉄之助としてではなく、常葉という一人の女として。
「土方さん、土方さん」
そう呼べば抱きしめてくれる。抱く手に力を込めてくれる。それだけで私はこの人の側で生きているのだと感じることができた。どちらが慰め、どちらが慰められているのかなんてどうでもよくなっていた。
「泣きすぎだろう。塩っぺえんだよ、お前は」
「すみません。もう泣きませんからっ、だから置いて行かないでください」
「何度言えば分かる。手放しはしないと言っただろうが」
「すみません」
私の瞬きをする毎に落ちる雫を見て、土方はため息をつきながら親指でそれを拭った。そしてまたその手で私を引き寄せる。顔をあげようとする私を力で捩じ込み、見るなと無言の命令をしていた。
(顔を、見られたくないってこと……)
「痛えな」
「どこが痛みますか!」
「痛いと呻きながら、あいつらは死んでいったんだろうな」
(あいつら……)
「知っているか、俺が何人の新選組隊士を殺してきたか」
「いえ」
「五十を超えている。京で切腹をさせた者の数の方が、敵を斬った数より多い。身内ばかりを殺して膨れ上がったんだよ俺たちは。そして、とうとう」
「違います! 新選組を武士として生かすためにそうしたんです。だから、違います!」
私は土方の言葉を途中で切った。切ったのは、局長である近藤までも自分が殺したんだと言いかねなかったからだ。私の思いが通じたのかは分からないけれど、土方はそれ以上は何も言わなかった。
その晩、私は土方の隣に布団を敷き眠った。本当は眠れなかった。それは土方が何処かに消えてしまうのではないかと不安になったからだ。近藤という新選組の大きな柱を失おうとしている。それがどれほど大事なことなのかは土方を見ればわかる。これから新選組はどうなるのだろう。どこへ向かうのだろう。そんな事が頭の中をぐるぐる回った。
「土方さん」
土方は痛みを抑える薬で眠っている。ときどき眉をぎゅっと寄せ苦しそうにしている。私は手拭を水で濡らし固く絞った。そしてそれで土方の額の汗を拭ってやる。怪我でもしないと寝る時間もないなんて、かといって寝ても穏やかな眠りを得ることはできない。
「苦しいですか。悲しいですか……」
答えぬと、分かっているときにしか問うことができない。
翌朝、私達は会津に向けて出発した。
「大丈夫ですよ。腹や胸を撃たれたわけではい。副長は死にません」
「はい」
神の助けかと思えた。居ないはずの島田が私達を探しに宇都宮城まで来てくれたことは、私にとっては奇跡だった。自分一人では土方を退避させることも出来なかった。あのまま夜が来て、朝日が登るのを黙って待つしかなかったのだから。
「島田さん、ありがとうございます」
「よく頑張りましたね。松本先生もおいでです。すぐに診てもらいましょう」
「お願いします」
満福寺に戻るとすぐに土方を松本良順に診てもらった。命に別状はないとは言え銃弾を受けた脚の傷は浅くない。暫くは戦いからの離脱を余儀なくされるだろう。
「宇都宮は、もう駄目だ。島田くんと市村くんは、土方くんを連れて先に会津に行きなさい」
「松本先生は」
「私は一度、江戸に戻って薬を集めてくる。このまま進むと、もう江戸には戻れなくなるだろうからね」
松本良順は医師でありながら武器や軍隊にとても詳しい。前線に立つことはないけれど、裏で武器を流したり偉い方に口聞きをしたりと支えてくれている。しかも、この新選組に勝沼の戦いでの資金と、兵士を集めてくれたのだ。
「松本先生……」
その時、土方が目を覚ました。
「副長!」
「なんだ、声がでかいな。ちゃんと聞こえている」
「すみません」
危うく飛び付きそうになった。あんなに苦しそうにしていた土方が、いつものような口を聞いたのが嬉しかった。
「松本先生と島田がここにいるという事は、もう決まったっということですか」
「……ああ。残念ながら、私の力も及ばなかったよ。申し訳ない」
「そうですか。ありがとうございました」
一瞬、なんのことを話しているのか分からなかった。島田は何も言わずただ俯いて、松本良順は申し訳ないと頭を下げた。それに対して土方は、ありがとうございましたと礼を述べた。土方の怪我のことばかりが頭にあって、私は肝心な彼らのやり取りについていけない。
「決行は明後日、板橋にてとのことだ。私は明日江戸に戻り、可能や限り遺品を手に入れたいとは思っているが……それも叶わないかもしれない」
「副長、申し訳ありませんでしたっ」
「松本先生。最後まで申し訳ない。島田、お前は何も悪くない。俺はこんな体だ、先生が言うように明日ここを発つ」
松本良順と島田は話し終えると部屋を出ていった。土方と二人残された部屋はなんの音もしなかった。土方は息もしていないように静かで、まるで全てが止まっているようだ。私は三人の会話を頭の中で整理した。なぜ松本良順と島田は会津ではなく、土方のいる宇都宮で合流したのか。なぜ二人は力が及ばなかったと頭を下げたのか。それの答えはたった一つだ。なのにその一つの答えをあの場で見つけることが出来なかった。その、たった一つの答え……それは。
(近藤勇、処刑)
「うっ」
声を上げそうになり口を両手で塞いだ。腹のそこから込み上げる熱を押し返すのに必死だった。私が叫んでどうする。私が嘆いてどうする。一番ここで叫び、嘆きたいのは私ではない。土方だ。
「うっ、ひっ……っ、うっ」
我慢も限界になり、私はこの場から去るため立ち上がった。
「テツ」
「ひっ、うっ」
私は土方に背を向けたまま立ち止まる。
「座れ」
「で、でもっ」
「そんな顔で、外に出るつもりか」
私の顔は鉄之助の顔を崩してしまっていた。土方はなんでもお見通しだ。結局のところ私は、土方に一番近くにおりながら何もできていない。土方の盾になり戦うことも許されず、負傷した土方を連れて逃げることもできなかった。挙句、このざま。鉄之助を通すことさえままならないなんて……。私は膝を折った。
「申し訳、ありません」
「なぜお前が謝る」
私はただのお荷物だった。
『副長について行けぬなら、俺があんたを貰い受ける』
山口二郎の言葉がなぜか、思い出された。
「おい、聞こえないのか。テツ」
「はいっ。あ、すみません」
振り向くことも、何かを述べることもできない。私は土方にどう接したらよいのか見失ってしまった。
「なんか言え」
私は慌てて振り向いた。
「だ、大丈夫ですか! その、お、お怪我は」
「足の先をやっちまっただけだ。大した傷じゃない」
「はい」
「おい、それだけか」
「いえ、あの……」
土方は上半身を起こしかけ「いでっ」と顔を歪めた。私はすぐに側により、体を支える。
「起きては、なりません」
「お前がなんにも言わねえからだろうが」
「何にもって……言いましたよ。大丈夫ですかって」
突然、土方は片腕で私の頭を引き寄せた。小声で「痛ぇんだよ」と呟きながら。その声があまりにも弱々しく、土方らしからぬ声に涙が溢れてきた。痛いのは撃たれた脚の傷ではない、新選組の頭である近藤を失うことが痛くてたまらないのだ。
「痛いですよね、すみませんっ。何もできなくてっ……すみません」
私は土方の傷めた脚の、傷から遠く離れた太腿をさすった。どれほど痛いのか私には分からないけれど、少しでも和らいでくれたらいい。私には何ができるだろうかと無い頭を悩ませながら。
「テツ」
「はい」
「擽ったいんだよ」
「すみませ……っ、ん、ふっ」
土方が私の顎を持ち上げたと思ったら、口を塞いできた。鼻がぶつかっても離れることはなく、カサついた土方の唇が容赦なく私の唇を食む。驚いたけれど不思議と逃げたいとは思わず、その求めに応えたいと思う自分がいた。息苦しければ息継ぎをすればいい、痛くても我慢すればいい。私は胸に添えた手を土方の首にそっと回した。押されて倒れないように、触れた唇が離れないように土方の首の後ろで指を重ね合わせた。
「はぁ、はぁ……ふくちょ」
「土方だ。もう副長は存在しない」
「ふくっ……土方さん」
「ああ」
そしてまた唇が重なった。今度は土方からではなく、私から求めたのだ。なぜ……、分からない。分からないけれど今はこうしたかった。誰よりも側で土方の痛みや悲しみを感じたかったから。それは小姓、市村鉄之助としてではなく、常葉という一人の女として。
「土方さん、土方さん」
そう呼べば抱きしめてくれる。抱く手に力を込めてくれる。それだけで私はこの人の側で生きているのだと感じることができた。どちらが慰め、どちらが慰められているのかなんてどうでもよくなっていた。
「泣きすぎだろう。塩っぺえんだよ、お前は」
「すみません。もう泣きませんからっ、だから置いて行かないでください」
「何度言えば分かる。手放しはしないと言っただろうが」
「すみません」
私の瞬きをする毎に落ちる雫を見て、土方はため息をつきながら親指でそれを拭った。そしてまたその手で私を引き寄せる。顔をあげようとする私を力で捩じ込み、見るなと無言の命令をしていた。
(顔を、見られたくないってこと……)
「痛えな」
「どこが痛みますか!」
「痛いと呻きながら、あいつらは死んでいったんだろうな」
(あいつら……)
「知っているか、俺が何人の新選組隊士を殺してきたか」
「いえ」
「五十を超えている。京で切腹をさせた者の数の方が、敵を斬った数より多い。身内ばかりを殺して膨れ上がったんだよ俺たちは。そして、とうとう」
「違います! 新選組を武士として生かすためにそうしたんです。だから、違います!」
私は土方の言葉を途中で切った。切ったのは、局長である近藤までも自分が殺したんだと言いかねなかったからだ。私の思いが通じたのかは分からないけれど、土方はそれ以上は何も言わなかった。
その晩、私は土方の隣に布団を敷き眠った。本当は眠れなかった。それは土方が何処かに消えてしまうのではないかと不安になったからだ。近藤という新選組の大きな柱を失おうとしている。それがどれほど大事なことなのかは土方を見ればわかる。これから新選組はどうなるのだろう。どこへ向かうのだろう。そんな事が頭の中をぐるぐる回った。
「土方さん」
土方は痛みを抑える薬で眠っている。ときどき眉をぎゅっと寄せ苦しそうにしている。私は手拭を水で濡らし固く絞った。そしてそれで土方の額の汗を拭ってやる。怪我でもしないと寝る時間もないなんて、かといって寝ても穏やかな眠りを得ることはできない。
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