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二章 -勝沼・流川・会津編ー
差し迫る決断の刻
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近藤が新政府軍に捕まり板橋総統府に連れて行かれたと連絡が入った。今のところ、酷い扱いは受けていないようだ。土方の指示で後をつけた島田魁による報告だった。
「勝海舟に、会いに行く」
土方はそういった。この状況を覆せるのはもう、幕府側には勝海舟しか居なかった。徳川慶喜は勝海舟に全権を委ね、江戸から姿を消してしまっていたからだ。
「お供します」
「頼む。鉄之助はここで待て」
「はい」
土方は島田を伴って勝に面会を申し入れるという。私はただ、その交渉が上手く行くことを願うしかなかった。また、土方を見送り待つだけとなる。
「お気をつけて」
「行ってくる」
近藤の解放を願いながらも会津へ向かう準備もしなければならなかった。勝利を重ねた新政府軍の勢いは止まらず、会津や宇都宮攻略も狙っているようだ。それだけでない、幕府の恩恵を受けてきた東北地方も、このままでは敵に落とされてしまう。近藤不在の今、新選組を率いるのは土方だ。私は一度に色々な問題が起き、寝ずに対処を考える土方の体が心配だった。
「女子のような顔をして、全く無防備にも程がある」
「えっ、そんな顔……してませんっ」
山口はこんな時でも変わらず、新入りの隊士たちに稽古をつけたり刀の手入れをしていた。いかなる時も平常心をたもてる山口は素直に凄いと思った。
「冗談だ。俺はあんたの下の顔を知らぬからな。副長には見せたのだろう」
「み、見せ……その。どうしでしょうか、分かりません」
「くくくっ、なるほどな」
「何がなるほどな、ですか!」
山口は沖田とは違った意味で油断ならない。沖田は気づいたら私の心の中に入っていた。山口は一定の線を越えては来ないが、なんでも知っているような空気は沖田と似ている。そんな沖田は自分はひとの心に入って来るのに、誰もその心には入れようとしなかった。山口はどうだろうか。
「副長について行けぬなら、俺があんたを貰い受ける」
「何を仰って」
「そのときはあんたを女として貰う。そのような無理に男の顔はさせぬ。女の剣士はもう今や珍しくはない。あんたの背を、俺なら護ってやれる。俺には背負うべき荷が少ないからな」
真剣な顔つきでそう言われた。土方についても辛いだけだと。自分ならそんなふうにはさせないと言っているように聞こえた。土方は皆を統率しなければならない。だから例え好いた女がいようとも、隊をまとめる事のほうが、幕府の為に戦うことのほうが優先される。当たり前のことだ。
「あんたに寂しい思いは、させんのだがな」
「っ……。山口、先生。私は寂しくなどありません。お気持ちだけ、有り難く頂戴いたします」
頭を下げてその場を離れた。山口に心の奥を覗かれては困るからだ。寂しくないは、嘘だ。こんなに大変なときなのに頼ってもらえないのは、叱られるよりも辛い。幼い頃から兄様と修行して来たことが何も生かせていない。ただ、鉄之助の人生を奪い装っているだけという事実が、すべての自信を失いそうになる。もしかしたら私は、単なる荷物なのかもしれない。いや、荷物はものを言わない。荷物のほうがましだ。
「役立たずだな……」
柱に額を押し付けて、腹の底にあったどろどろした言葉を吐き出した。
*
それから土方と島田の交渉は何日かに渡って続いた。朝出ていくときの顔と夕刻に戻る顔はまるで別人で、交渉が難航しているのは一目瞭然だった。それでも諦めなかったそんなある日の事。
「くそっ、近藤さんの名が知れた」
「なんと! 誰がそのような」
土方の驚くべく報告に、集められた全員が慄いた。大久保剛が新選組の局長、近藤勇だと言い切った人物がいた。かつて、新選組隊士であり、そののちに御陵衛士となった男、加納鷲雄と清原清だった。いわゆる、御陵衛士の残党が近藤勇だと証明したのだ。
「御陵衛士は一人残らず殺っておけばよかったんだ」
誰かがそう叫んだ。
「これでかなり不利になった」
苦しそうな土方の顔から、近藤を救うのは難しいかもしれないと思った。土方は最後まで交渉を続けると言っているが、猶予はなかった。そろそろ会津入りしなければ新政府軍に会津若松城を抑えられてしまう。
その晩、土方は夜通し何かを書いていた。私は黙って側に仕えることしかできない。できないけれど、側にいるだけで安心した。土方の気配を感じていたかったからだ。土方は私に出て行けということもなく朝まで作業を続けた。
「テツ」
「はい」
「よく起きていられたな。ガキは寝ないと無理だろう」
「ですから副長、私はガキではありません。もうあと少しで十六になりますから」
「そうかよ」
気のせいか土方がほんの少し口元を緩めた。何かの決心がついたのかもしれない。
「副長。私は何があっても副長について参ります。誰がなんと言おうと、副長の決断を支持します」
「なんだ、分かったような口を聞きやがって」
「ですから、私を置いていくようなことは、しないでください」
どんなに辛くても、どんなに苛まれても、どんなに傷つけられても、私は土方歳三についていく!
「そんな目を釣り上げて言わなくても、俺はお前を手放しはしない」
「はい!」
喜ぶべき時ではないのに、それを隠すことはできなかった。
そしてその朝、全員が広間に集められた。ピンと空気が張り詰める中、土方がゆっくりと口を開いた。
「我々の、局長解放陳情もまだ受け入れられていない。がしかし、このまま此処でじっと待つわけにもいかない状況となった」
皆がはっと息を呑んだのが分かった。土方が次に何を言うか、想像がついたのだろう。黙って聞いていた山口が、よく通る低い声で「会津へ、隊を進めますか」と聞いた。土方は山口に顔を向けると、目を閉じ頷いた。いよいよ進軍が始まると、手持ち無沙汰だった隊士たちがざわつき始める。血の気の多い者たちは、今か今かと待ち望んでいたのだ。
「ここで、隊を二つに分ける」
「それはどういう事ですか」
一人の隊士が口を開いた。土方がギロリと一瞥するとひゅんと肩を縮めた。
「会津への進軍は当然のことだが、新政府軍が宇都宮を狙っている限りそちらも手を打たなければならない。どちらも落とすわけにはいかない。よって、山口二郎に新選組を率いる権限を渡す。今から新選組の隊長は山口だ。いいな!」
「おお!」
私は驚いて声を出すことができなかった。新選組の全権を、山口に渡して土方はどうするのか。土方は山口と会津へ向かう隊士の名を読み上げた。参百近い隊士の殆どを会津に回したのにも驚いた。
「残る者は、俺と宇都宮に向かう。宇都宮城を攻略し、会津で合流する。島田、お前は江戸に残ってくれ。近藤さんの件を宜しく頼む」
「御意」
そして、土方は島田に書簡を手渡した。昨夜、何度も書いては捨て、書いては捨てを繰り返して仕上げたものだ。おそらく最後の陳情書……。
「山口、頼んだぞ」
土方が山口にあの誠の旗を手渡した。
「副長っ」
「もう副長ではない。土方と呼べ」
「土方さん。会津にてお待ちしております」
山口が深々と頭を下げた。誠の旗を筋が浮き立つほど強く握りしめながら「ご武運を」と囁いた。次に顔を上げたときの山口はもう変わっていた。自分に与えられた隊士たちに顔を向ける。
「新選組、明朝出発致す!」
「「おおっ」」
広間はガランと静まり返った中、土方が立ち上がる。
「今夜、ここを出る。ついてくるかはお前たちに任せる。以上だ」
土方はそれだけ言い残して部屋を出ていった。ついて来いではなく、ついて来るかを決めろと言ったのだ。どうしてそんな選択肢を与えるのか、妙な胸騒ぎがする。
土方の中で何かが変わった。そんな予感がした。
「勝海舟に、会いに行く」
土方はそういった。この状況を覆せるのはもう、幕府側には勝海舟しか居なかった。徳川慶喜は勝海舟に全権を委ね、江戸から姿を消してしまっていたからだ。
「お供します」
「頼む。鉄之助はここで待て」
「はい」
土方は島田を伴って勝に面会を申し入れるという。私はただ、その交渉が上手く行くことを願うしかなかった。また、土方を見送り待つだけとなる。
「お気をつけて」
「行ってくる」
近藤の解放を願いながらも会津へ向かう準備もしなければならなかった。勝利を重ねた新政府軍の勢いは止まらず、会津や宇都宮攻略も狙っているようだ。それだけでない、幕府の恩恵を受けてきた東北地方も、このままでは敵に落とされてしまう。近藤不在の今、新選組を率いるのは土方だ。私は一度に色々な問題が起き、寝ずに対処を考える土方の体が心配だった。
「女子のような顔をして、全く無防備にも程がある」
「えっ、そんな顔……してませんっ」
山口はこんな時でも変わらず、新入りの隊士たちに稽古をつけたり刀の手入れをしていた。いかなる時も平常心をたもてる山口は素直に凄いと思った。
「冗談だ。俺はあんたの下の顔を知らぬからな。副長には見せたのだろう」
「み、見せ……その。どうしでしょうか、分かりません」
「くくくっ、なるほどな」
「何がなるほどな、ですか!」
山口は沖田とは違った意味で油断ならない。沖田は気づいたら私の心の中に入っていた。山口は一定の線を越えては来ないが、なんでも知っているような空気は沖田と似ている。そんな沖田は自分はひとの心に入って来るのに、誰もその心には入れようとしなかった。山口はどうだろうか。
「副長について行けぬなら、俺があんたを貰い受ける」
「何を仰って」
「そのときはあんたを女として貰う。そのような無理に男の顔はさせぬ。女の剣士はもう今や珍しくはない。あんたの背を、俺なら護ってやれる。俺には背負うべき荷が少ないからな」
真剣な顔つきでそう言われた。土方についても辛いだけだと。自分ならそんなふうにはさせないと言っているように聞こえた。土方は皆を統率しなければならない。だから例え好いた女がいようとも、隊をまとめる事のほうが、幕府の為に戦うことのほうが優先される。当たり前のことだ。
「あんたに寂しい思いは、させんのだがな」
「っ……。山口、先生。私は寂しくなどありません。お気持ちだけ、有り難く頂戴いたします」
頭を下げてその場を離れた。山口に心の奥を覗かれては困るからだ。寂しくないは、嘘だ。こんなに大変なときなのに頼ってもらえないのは、叱られるよりも辛い。幼い頃から兄様と修行して来たことが何も生かせていない。ただ、鉄之助の人生を奪い装っているだけという事実が、すべての自信を失いそうになる。もしかしたら私は、単なる荷物なのかもしれない。いや、荷物はものを言わない。荷物のほうがましだ。
「役立たずだな……」
柱に額を押し付けて、腹の底にあったどろどろした言葉を吐き出した。
*
それから土方と島田の交渉は何日かに渡って続いた。朝出ていくときの顔と夕刻に戻る顔はまるで別人で、交渉が難航しているのは一目瞭然だった。それでも諦めなかったそんなある日の事。
「くそっ、近藤さんの名が知れた」
「なんと! 誰がそのような」
土方の驚くべく報告に、集められた全員が慄いた。大久保剛が新選組の局長、近藤勇だと言い切った人物がいた。かつて、新選組隊士であり、そののちに御陵衛士となった男、加納鷲雄と清原清だった。いわゆる、御陵衛士の残党が近藤勇だと証明したのだ。
「御陵衛士は一人残らず殺っておけばよかったんだ」
誰かがそう叫んだ。
「これでかなり不利になった」
苦しそうな土方の顔から、近藤を救うのは難しいかもしれないと思った。土方は最後まで交渉を続けると言っているが、猶予はなかった。そろそろ会津入りしなければ新政府軍に会津若松城を抑えられてしまう。
その晩、土方は夜通し何かを書いていた。私は黙って側に仕えることしかできない。できないけれど、側にいるだけで安心した。土方の気配を感じていたかったからだ。土方は私に出て行けということもなく朝まで作業を続けた。
「テツ」
「はい」
「よく起きていられたな。ガキは寝ないと無理だろう」
「ですから副長、私はガキではありません。もうあと少しで十六になりますから」
「そうかよ」
気のせいか土方がほんの少し口元を緩めた。何かの決心がついたのかもしれない。
「副長。私は何があっても副長について参ります。誰がなんと言おうと、副長の決断を支持します」
「なんだ、分かったような口を聞きやがって」
「ですから、私を置いていくようなことは、しないでください」
どんなに辛くても、どんなに苛まれても、どんなに傷つけられても、私は土方歳三についていく!
「そんな目を釣り上げて言わなくても、俺はお前を手放しはしない」
「はい!」
喜ぶべき時ではないのに、それを隠すことはできなかった。
そしてその朝、全員が広間に集められた。ピンと空気が張り詰める中、土方がゆっくりと口を開いた。
「我々の、局長解放陳情もまだ受け入れられていない。がしかし、このまま此処でじっと待つわけにもいかない状況となった」
皆がはっと息を呑んだのが分かった。土方が次に何を言うか、想像がついたのだろう。黙って聞いていた山口が、よく通る低い声で「会津へ、隊を進めますか」と聞いた。土方は山口に顔を向けると、目を閉じ頷いた。いよいよ進軍が始まると、手持ち無沙汰だった隊士たちがざわつき始める。血の気の多い者たちは、今か今かと待ち望んでいたのだ。
「ここで、隊を二つに分ける」
「それはどういう事ですか」
一人の隊士が口を開いた。土方がギロリと一瞥するとひゅんと肩を縮めた。
「会津への進軍は当然のことだが、新政府軍が宇都宮を狙っている限りそちらも手を打たなければならない。どちらも落とすわけにはいかない。よって、山口二郎に新選組を率いる権限を渡す。今から新選組の隊長は山口だ。いいな!」
「おお!」
私は驚いて声を出すことができなかった。新選組の全権を、山口に渡して土方はどうするのか。土方は山口と会津へ向かう隊士の名を読み上げた。参百近い隊士の殆どを会津に回したのにも驚いた。
「残る者は、俺と宇都宮に向かう。宇都宮城を攻略し、会津で合流する。島田、お前は江戸に残ってくれ。近藤さんの件を宜しく頼む」
「御意」
そして、土方は島田に書簡を手渡した。昨夜、何度も書いては捨て、書いては捨てを繰り返して仕上げたものだ。おそらく最後の陳情書……。
「山口、頼んだぞ」
土方が山口にあの誠の旗を手渡した。
「副長っ」
「もう副長ではない。土方と呼べ」
「土方さん。会津にてお待ちしております」
山口が深々と頭を下げた。誠の旗を筋が浮き立つほど強く握りしめながら「ご武運を」と囁いた。次に顔を上げたときの山口はもう変わっていた。自分に与えられた隊士たちに顔を向ける。
「新選組、明朝出発致す!」
「「おおっ」」
広間はガランと静まり返った中、土方が立ち上がる。
「今夜、ここを出る。ついてくるかはお前たちに任せる。以上だ」
土方はそれだけ言い残して部屋を出ていった。ついて来いではなく、ついて来るかを決めろと言ったのだ。どうしてそんな選択肢を与えるのか、妙な胸騒ぎがする。
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