桜の花弁が散る頃に

ユーリ(佐伯瑠璃)

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二章 -勝沼・流川・会津編ー

さらば我が同士たち

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 慶応四年四月。私達は幕府が認めた治安隊として江戸から千葉の流山へ移った。勝沼からの敗走後も、新政府軍はやっきになって新選組の生き残りを探しているそうだ。その為、新選組の名を伏せ近藤は大久保、土方は内藤を名乗り宿陣していた。江戸から流山に移動する途中も隊士を募集し、散り散りになった同士たちと合流。消えかけた近藤率いる隊は二百まで回復した。そして折を見て会津に進軍し、そこで新政府軍を迎え討つつもりだ。会津は幕府のお膝元であり、その地でもう一度幕府の権力を取り戻そうと考えていた。
 
 新しく加わった者の殆どは刀も握ったことのない、或いは戦ったことのない者ばかりだった。山口らをはじめとする幹部級の人間が刀の持ち方から銃の構え方をいちから教えた。朝から日が暮れるまで稽古に明け暮れていた。そんな矢先の出来事だった。慌てた隊士が転がるように本陣にやって来たのだ。

「新政府軍が我らを突き止めました」
「なんだと」
「治安隊である事を伝えたのですが……」

 これからの事を話し合っているところに、まさかの報告だった。新政府軍からは目の届きにくい土地だったはずだ。しかし、誰かが武装した怪しげな集団がいると、奉行所に知らせたらしい。

「近藤さん、あんた逃げろ。俺と腕のたつやつらで時間を稼ぐ。鉄之助、近藤さんの護衛を頼めるか」
「はい」
「どこまで来てやがるんだ。油断したな。おい、お前、島田を呼んで来い」

 土方は直ぐに態勢を整えるべく人選を始めた。万が一斬り合いが起きたときどうするか、退路はどの道がよいかなど。こんな時の土方は神がかっているようで、適当な人間を次々と選び抜いた。それを見ていた近藤は私に小声で「私は荷物を纏めてくるよ」と言って立ちあがる。土方に全て任せたといった感じで、どことなく寂しげにも見えた。
 土方は信頼の置ける仲間を呼び、対策を練るのに忙しそうだった。だから私はそこから離れ、近藤の様子を見に行くことにした。何となく心に引っかかるものがあったからだ。もう幾度も淹れてきたお茶を近藤のもとに運ぶ。これからもこうして近藤と土方の為に淹れたい。そう思うこと事態が、普通でない危機的状況だと思わずにはいられなかった。

「鉄之助です。宜しいでしょうか」
「ああ、かまわんよ」
「失礼します。お茶を」
「ちょうど良かった。酒饅頭をもらったんだが、食べきれなくてね。鉄之助食べてくれないか」
「え、でも」
「君はもっと食べなさい。でなければトシに着いていくのは難しいぞ」
「っ、はい。いただきます」

 近藤がくれた饅頭を口に押し込んだ。甘いのにとてもしょっぱくて、胸の奥に突っ掛かって下りてくれない。近藤は厳つい顔を緩めてふっと笑った。自分の茶を私に差し出し、飲めと言い背中をトントン叩いてくれた。本当はそうじゃない。饅頭が喉に詰まったわけではない。この胸騒ぎをどう表したらよいのか分からず、そうなってしまっただけだ。

「ひっ……ううっ。すみません、こんなみっともない顔を、局長にお見せして」
「いいんだよ。鉄之助は勘がいいのだな。ははっ、参ったな」
「局長っ、嫌でございます。どうか私と逃げてください。こう見えても足も速ければ、剣だって問題ありません! お願いします……きょ、くちょ。きょくちょう」

 近藤は困ったと言って太い眉毛をハの字に下げた。土方は気づいていないのだ。近藤の本当の心は逃げ落ちることではないと言うことに。

「鉄之助は娘のように優しい子だね。トシの事を頼んだよ」

 近藤は大きくてゴツゴツした手で私の頭を撫でた。こんな非力な私にも暖かな言葉をかけてくれる近藤をなんとしても救いたかった。沖田を連れて戻ることができなかった私を、責めるようなことはしなかった。よく生きて帰ったと、労ってくれたのだ。ここで嫌だと我儘を言えば近藤は聞いてくれるだろうか。一緒に逃げてくれと頭を下げたら、仕方がないねと言ってくれるだろうか。いや、困った顔をしてにこりと笑うだろう。この人の意志は石よりも硬く重い。

「はいっ」

 涙は止められなかった。畳に染み入る涙は、まるで雨の如く落ちていく。どんなに泣いても変わらないと、知っていても泣かずにはいられなかった。近藤の大きな影が私を覆って、子をあやすように背を叩いた。



 それから夜が更け土方からは明日の朝、日の登る前に近藤と共に逃げろと言われた。私は黙って頷いた。近藤がどんな行動をするのか分からぬまま、私は刻限を待った。そんな時、新たな動きがあり広間に集められる。

「新政府軍はこの屋敷一帯を取り囲みました。手には松明たいまつを、持っております」
「火攻めにするつもりかっ」

 逃げても火を放たれれば無傷ではいられない。それにこの辺りは酒蔵になっているので、被害は拡大されてしまう。

「流山の民までも、巻き込むつもりか」
「あいつらは血も涙もない。とにかく近藤さん、あんた今から直ぐに」

 近藤は土方の言葉を最後まで聞かずに無言で立ち上がった。私もお供をするつもりで立ち上がる。

「私は逃げぬ。この身一つで表に出るよ」
「何言ってるんだ、あんた!」

 土方は驚いて感情のままに叫んだ。近藤はふぅと息を吐いた。

「この町を火の海にするわけにはいかん。我々は鳥羽伏見のような惨劇を、ここで起こしてはならぬのだ。幕府から授かった命を汚してはならぬ。なあに、私は新選組の近藤勇ではないのだ。逃げる必要はない。大久保として出頭する」
「しかし!」
「トシ。もう、いいじゃないか。私の人生だ。私のいいようにさせてくれ。私がまだ皆の中での局長であるのなら」

 しんと、静まり返ってしまった。局長が近藤であるということを見失いつつあった先の戦い。気づけば土方が前に出て指揮をふるう立場になりつつあった。旧式の戦しか知らない近藤と新旧合わせて戦おうとする土方の、それに流れは傾きつつあった。

「分かった。……局長、ご命令を」

 土方が頭を下げると、そこにいた全員が頭を下げた。その光景を近藤は瞬きもせずにじっと見つめる。私は、あぁ、もう終わってしまう。そんな気持になった。

「これより、大久保は新政府軍に出頭する。皆はそのまま会津に向かへ。この隊の全権は副長である土方歳三に渡す。よいな」
「くっ……」

 土方の言葉を呑み込む声が漏れた。拳を強く握りしめて、血管が浮き上がっていた。誰も何も言わない。土方の返事を待っているのだろう。

「トシ、あとは任せたぞ」
「承知っ、致した」

 近藤は愛刀の虎徹を腰に差し、腰紐を強く締め直した。近藤だけは洋装を好まず、武士を最後まで貫こうとしていた。静かに戸の前まで進むと、にこやかな顔で振り返った。そしてさっと手を上げる。それを見た土方は隊士たちに命令を下した。裏口から全員が出ると、最後に土方は私の腕を掴んだ。

「副長」
「行くぞ」
「せめてお見送りを」
「ばか野郎。そんな事をしたら、近藤さんが俺達のためにした事が台無しになるだろうが」
「だけどっ」

 腕を強く引かれた。引きちぎられるかと思うほど激しく引かれ、私は土方の肩にぶつかった。土方は叫びそうになる私の口を手で覆う。そして、目を閉じて首を横に振った。土方のその表情は今まで見たことないくらい痛々しい。

「ふくっ」

 気のせいか、土方の瞳が光って見えた。
 
 近藤は私達の気配が遠退いたのを確認して、表の戸をゆっくりと開けた。ザワザワと取り囲む音がして、荒々しく戸が閉められた。土方はその方向をギロリと睨むと、口をつぐんだまま私を引きずって裏口から出た。


 まさかこれが、近藤の最後の姿になるとは私も土方も、誰も思っていなかったのだ。まだ、取り返せる。そう思っていたから。
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