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二章 -勝沼・流川・会津編ー

それぞれの胸にある志

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 甲陽鎮撫隊はここ日野で解散となった。この先の事を考えれば、厳しい戦いしか残っていなのは定かで、もともと武士ではない者たちはこのまま降伏、あるいはくにへ帰る選択が与えられた。佐藤彦五郎は土方のすすめでこのあと新政府軍に降伏することになっている。

「迷惑をかけました。巻き込むのは…もうこれきりにしたい。家のことは頼みます」

 土方は兄の彦五郎にそう言って頭を下げた。その言葉は自分はもう戻らない、行き着く先まで戦い続けるという意味を表しているようだった。彦五郎はそれには何も言わず、ただ達者でなと返した。そのあと局長の近藤も加わり、最後の別れをしていた。その間私は、出立の準備を整えることにした。

「鉄之助。今、いいか」
「はい」

 声をかけてきたのは原田だ。何やら神妙な面持ちで目配せをし、あっちに来てくれと合図をしてきた。何事だろう。検討のつかないまま、裏に回った。

「原田先生」
「すまない、こんなところで」
「いえ」

 いつもは威勢よくはっきりと物を言う原田の歯切れが悪い。何かあったのだろうか。

「単刀直入に言う。お前、俺達と一緒に来ないか。お前となら上手くやっていけると思うんだ」
「あの、すみません。お話の流れが掴めないのですが」

 原田ははっとして、一度口をつぐんだ。そして、一息ついてこう言った。

「俺と新八は、このあと新選組を離隊する。もう近藤さんや土方さんにはついて行かない」
「えっ、なぜですか! ずっと志を共にして来たのではなかったのですか。なぜ」
たがったんだ。その志がよ」

 結局はそれぞれに強い意思があり、いくら局長の意向だとしても従えないということだった。

「共に戦ってきたが、俺は近藤さんの手下じゃねえ。何もかもを黙ってきくわけにはいかねえんだ」
「そう、ですか」

 新選組を束ねる近藤のやり方に、原田や永倉はもう従えないようだ。日に日に悪化する旧幕府軍の体制を見れば分からなくもない。明らかな負け戦に多くの尊い命を投げ打ってしまった。刀では勝てない旧式の戦い方に疑問を持つのは然り。それでも刀で前に進もうとする近藤は少し浮いてしまった。

「近藤さんや土方さんも分かってくれている。袂は分かっても、恨みあったわけじゃない。なあ、鉄之助。お前も感じただろ。伏見での戦いや今回の勝沼での戦いは、もう、近藤さんのやり方じゃ無理だって」
「局長は、武士ですから」
「その武士が、通用しねえって」
「……」

 原田の言うことに間違いはなかった。きっと原田と永倉の考えは今の流れでは正しい。

「俺達と行かないか、鉄之助」
「私は新選組に残ります。副長の小姓ですから」
「なあ鉄之助。もう小姓なんてのも時代遅れだぞ。賢いお前なら気づいているはずだ。それとも土方さんを好いているのか。お前は男だろ、あの人は衆道じゃねえ」
「原田先生っ、私は!」

 そこまで言いかけたところで、原田が私を抱きしめてきた。今までみたいに力任せではなく、全てから守るように優しく。

「離して下さい。苦しいです」
「俺ならお前を大事にしてやれる。男だとか女だとかなしにしてだ。俺は鉄之助という人間を好いている。お前が望むなら、衆道にだってなれる」
「な、な、なななっ!」

 驚きすぎて言葉にならなかった。原田から一緒に行こうと言われて嫌な気分にはならない。むしろ、有り難いと思う。だけど、原田の気持ちに応えて新選組を離隊するという考えは私にはない。最近私が感じているのは、新選組にというよりも土方について行きたい。そういう事なんだと分かった。もしも土方が新選組を離隊すると言うのなら、迷わずに私も離隊するだろう。

「鉄之助、行こう」

 原田の誘いに、乗ることはできない。私はぐっと原田の胸を押し返した。思っていたより簡単に原田は私から離れた。

「私は、行きません」
「鉄之助っ」
「この先、何が起ころうとも……私は副長にだけついて行きます。これは私の強い意志です。原田先生のお気持ちはとても嬉しかった。でも、私は」
「分かったよ。悪かった」

 原田は私の頭をぽんと撫でてそう言った。そして頭に手を置いたまま私の顔を下から覗き込む。バツが悪く目だけ向けると、そこにあったのは満面の笑みだ。

「男だろ。泣くなよ、笑え鉄之助」
「原田先生」

 情に厚く隊士たちから慕われた、少し酒癖と女癖に難はあったけれど、十番組組長は最後まで懐が大きい。

「鉄之助は厳しい道を選ぶよな。土方さんのことはお前に任せる。達者でな」
「はい。原田先生も、お達者で!」

 お日様みたいに賑やかな人だと思った。



 そして、昼過ぎに私達は再び江戸に向けて出発した。三百率いた隊士は数十名という数までに減る。途中、永倉と原田が隊からはなれて行った。恨み合って袂を分かったわけではないからこそ、胸の奥に寂しさが残る。近藤も土方も短い言葉で別れを告げ、それぞれの行く道に足を向けた。
 先頭を歩く近藤と土方。それに続く山口、島田魁に並んで私も歩いた。山口は何も言わないけれどこの別れをどう思っているのだろう。きっとこの男のことだから、淡々と受け止めたのだと思う。喜怒哀楽の薄い山口の心を読むのは難しい。

「鉄之助」
「はいっ」
「何か言いたげだが」
「え、私は特に何も」

 突然そんなことを言われて驚いた。まさか私の心の声が聞こえるのか! すると島田魁がわははと笑いながら言う。

「鉄之助さんは分かり易いですね。疑問だらけの顔で見ていましたよ」
「まさかっ」
「あんたは監察には向かんな。喜怒哀楽を表に出しすぎる。そんなことでは直ぐにばれてしまうぞ」
「何か隠し事ですか、鉄之助さん」

 山口はにやりと頬を緩め、あたかも私が何かを隠していると思わせるような言い方をした。実際に隠しているけれど、監察方にもいた島田の前で匂わすなんてとんでもない。

「島田先生、私に隠し事はありませんよ。先ず、隠せませんから。それから山口先生。妙な言い方はやめてください、お願いします」

 冷静を装って、感情を出来る限り抑えて答えたのに、山口は肩を揺らしてくつくつと笑う。完全に面白がっている。私は精いっぱい目に力を入れて山口を睨んだ。山口はふっと鼻で笑って全く悪いと思っていない。追い打ちをかけるように山口が言う。

「そういう顔も、愛らしく見える。困ったもんだな」

 幸い、島田は近藤に呼ばれた直後でその場には居なかった。そういう顔とはどういう顔なのか!

「本当にやめてください。私は愛らしくも何ともないです」
「少しからかいすぎたか。しかし鉄之助、これまで以上に気をつけなければならんぞ。その男の仮面が近ごろ危うい」
「え……」

 私は思わず頬に手をあてた。山口がぼそりと耳元で言った。「恋慕を覚えたか」と。私はそれに反論はできなかった。代わりに前を歩く土方の背中を見る。確かに私はあの背中が見えなくなると不安になる。あの背中にたまらなく縋りたくなる時がある。それをもう隠すことはできない。でも、伝えてはならない。悟られてはならない想いが溢れそうになったら、そのとき私はどうしたらいいのだろう。

「恋慕など、知りません」

 口に出して己に抗うことしかできなかった。それに山口は、何も言わなかった。

「テツ!」
「はい」

 いつまでもこうやって呼ばれたい。例え常葉と呼ばれる日が来なくとも。

「ちゃんと、着いてきているのか。誰もおぶってくれねえぞ」
「一番若いですからっ、大丈夫です!」

 これでいい、これでいい。私はずっと、鉄之助として土方の側にいられればいい。

「トシ、我々のような年寄りがする心配ではなかったな。わははは」
「まったくコイツは、口ばかり達者になりやがって」

 片方の頬を上げて目だけ笑って見せるその表情までも、私の心は喜んでしまう。平隊士には見せないその顔が、今の私を支えている。私だけのものだと、思えるから。

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