桜の花弁が散る頃に

ユーリ(佐伯瑠璃)

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二章 -勝沼・流川・会津編ー

おまえは俺のもんだ

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 風の便りによると日野からは土方の兄、佐藤彦五郎が鎮撫隊に加わるという。土方が浪士組として京に上がるとき、刀や着物など旅支度の資金を出してくれた方だそうだ。

「土方さんも彦五郎さんには頭が上がらないよね。本当にすごいよ……武士でもないのにさ、僕達に賛同してくれるんだから」
「とても、心強いですね」
「君も兄さんに会いたいかい。それとも兄さんは本当は存在しないのかな」

 私は確かに鉄之助を装っているので実在する辰之助は兄ではない。けれど、常世という名の兄はいる。おそらく敵陣に。

「どうでしょう……私より賢くて強いので」
「いるんだね。もしかして敵だったりしてね」

 鋭い指摘に私は苦笑いしかできなかった。

「ま、兄弟だから気持ちが同じとは限らないよね。それにこの世は入り乱れている。親が敵なんて昔から当然のようにあったしね。でも、自分が信じるものに命を懸けられるのは幸せなことだよ」
「信じるもの」
「そう。例えば僕なら近藤さんという人が率いる新選組だったりね。君はどうかな。君の信じるものは何だろうね」

 私はなぜここに居るのか。初めは些細なことだった気がする。兄とは違う世界で頼らずに生きたいとか、自分の力を試したいという反抗心からだった。今は、どうだろうか。ふとしたときに頭をかすめるのは土方の姿だ。眉間にシワを寄せた厳しい顔の、誰も寄せ付けないようなあの背中だ。恋慕だけでない、別のものも感じている。私の信じるもの……まだ、分からない。

「時々、分からなくなります。見えそうで見えない、掴めそうで掴めない。恥ずかしながら、そのような曖昧なものです」
「そう。いつか、分かるといいね」
「はい」
「そろそろ来るよ、近藤さんたち」
「はい」

 およそ二月ふたつきぶりとなる。もうすぐ土方に会える、そう思うと自然と背筋が伸びた。少し前に立つ沖田も同じく凛とした顔で視線は真っ直ぐだ。あの、病に苦しむ沖田ではない。新選組が誇る最強の剣士だ。

 暫くすると行軍特有の足音と、手押し車の音が聞こえてきた。旧幕府軍から与えられた武器は大砲が二門、小銃が五百挺、隊は総勢三百と聞いている。

「止まれーーっ」

 先頭が後方に停止を命じた。そして、

「総司!」

 太い声がして局長の近藤勇改め、大久保が前に出てきた。沖田は駆け寄りたいのを我慢して、少し距離を開けた場所で片膝をつき頭を下げた。私も慌ててそれに習う。

「沖田総司、ただいま帰隊致しました」
「よくぞ戻ってくれた。こたびの戦いも厳しいものになるだろうが、お主の力を尽くしてほしい」
「はいっ」

 近藤の声は歓喜からか少し震えていた。

「総司、よく戻った。顔を上げてくれ」

 そして近藤のあとから土方が現れた。そこには黒の洋装の土方が立っており、長かった美しい黒髪はなく、短く切られてあった。私はあまりにもの変わりように言葉が出ない。まるで異人のようだ。

「お陰様でお力添えになれると思います。しかし、これまでのように他の隊士たちとの接触は極力しないでおきます」
「分かった」

 土方は私と目を合わそうとはしなかった。それがなぜかほっとしたような、悲しいような複雑な心境だ。

「それから、鉄之助くんはお返しします。これ以上僕の側にいるのは危険ですから」
「沖田先生」
「僕は大丈夫。君は内藤さんの小姓なんだから、これまで離れていた分、しっかりと働くんだ」
「はい」

 その言葉を聞いて土方はちらりと私を見るとすぐに目を逸らし「野営が整ったら俺の所に来い」と言い残して、隊士たちのもとに戻って行った。

「土方さんも子供だなあ。鉄之助、ご苦労だったぐらい言ってあげればいいのに。いい歳した大人の男があれじゃあね。ははっ、おかしいや」
「副長は気難しいです」
「僕に対する嫉妬だよ。分かりやすくて困るよ」
「えっ、嫉妬……まさか」
「まあ色々とがんばってよ」 

 そんなことを言われた。



 
 ひと通り落ち着いた頃を見計らって、私は土方のもとに向かった。野営とはいえ、今は使っていない百姓の民家を使わせてもらっていた。私は、久しぶりに土方の為に淹れたお茶を手にして緊張していた。

「鉄之助です。宜しいでしょうか」
「入れ」

 静かに部屋に入ると気難しい顔をした土方が、筆を持って忙しそうだった。

「お茶をお持ちしました」

 そっと湯呑みを置くと「おう」とだけ返事をした。筆を止める様子はなかったので暫し入り口付近まで下がって待つことにした。土方は書き損じたのか、乱暴に紙を丸めては捨て、ときに破いて端に押しやったりした。苛々した雰囲気に私の心は怯えていた。曾て、ここまで殺気立った土方を見たことがなかったからだ。息苦しいと感じたとき、やっと土方が顔を上げた。

「テツ」
「はいっ」

 私は急いで土方の側まで行った。

「いつ、髪を切った。総司に切ってもらったのか。総司もお前に切ってもらったと、喜んでいた」
「沖田先生の髪は私が切りましたが、私の髪は」
「もういい」
「えっ」

 土方はなぜか私を睨みつけている。そして、先ほど置いた湯呑みに手を伸ばし、茶をひと口啜った。

「その軍服、一人で着られたのか」
「はい。最初は戸惑いましたが、なんとかなりました」
「総司に着せてもらったんじゃないのか」
「沖田先生にだなんて、とんでもないです。留め方はお教えしましたが」

 そこまで言うと、ダンッと文机が大きな音を出し目の前で四足が折れて潰れた。土方が拳を叩きつけて壊したのだ。

「副長っ、お怪我は」
「鉄之助、貴様……」
「え、うあっ」

 土方は私の襟元を掴むと力任せに引っ張った。膝立ちになった土方が間近で私を威嚇している。なにか、間違ったことをしてしまったのだろうか。

「仕置が必要か、ああっ」
「っ、仰っている、いみっ、が……分かりませんっ。つああっ」

 洋装の軍服は掴まれると首が締まって苦しい。このままでは落ちてしまいそうだ。だらりと垂れたままの腕を上げ、なんとか土方の肘を掴んだ。するとゴッ、という音と同時に痛みが奔った。土方が頭突きをしてきたのだ。鼻先が付くかつかないかの間合いで土方は尚も続ける。

「総司に女であると、知られたか」
「くっ、苦しい……ふ、く……」

 頭がぼんやりしきて、だんだん土方の声が聞こえ難くなってきた。不味いと思いながらも何もできない。落ちる寸前で土方は手を緩め、そのまま私を畳に組み敷いた。

「総司は優しかったか。どんなふうにお前に、触れた」
「副長っ」

 土方は私の話は聞かんと言わんばかりに馬乗りになって、苛立った様子で私の軍服の釦を外した。乱暴に開かれると、さらしが現れた。それすらも剥ぎ取ろうとする。

「やめて、くださいっ。なにも、なにもありませんよ! 沖田先生とはなにもっ」
「口ごたえか」

 あっという間に緩められたさらしの隙間に、土方は指を入れて上下に押し開く。申し訳程度の乳房が顔を出した。この半月ほどで私は今更ながらに成長を始めた。以前よりも膨らんだそれが余計に恥ずかしかった。

「見るなっ、見るなっ。私はっ、男だ!」
「っ!」

 私の必死の抵抗に土方は我に返ったように手を止めた。なぜ、こんな事になってしまったのか……。私ははだけた身なりを整えながら体を捩り、土方に背を向けた。よく分からないけれど、とても悲しかったから。無言の時が流れて、居た堪れない気持ちは増すばかりだ。部屋を出ればいいのは分かっているけれど、出れない理由があった。今の自分は鉄之助の顔をしていないから。だからせめてもの抵抗で背を丸めて顔も隠した。

 どうしても土方の前では簡単に鉄之助の顔が解けてしまう。女に戻ってはいけないのに。

「テツ」
「……」

 返事はできなかった。すると、カサリと音がして僅かに重みを感じた。まさかとは思ったが、土方が後ろから私に抱きついてきた。私の頭のてっぺんには土方の顎があり、私の腹の部分に土方の掌が置かれてあった。

 どういうことだろうか。

「悪かった」

 土方はそう一言だけ零すと、ぎゅっと腕に力を入れてきた。私は背中から土方に包まれている状態だ。

「なぜ、副長が謝るのです」
「なんでだろうな。それともお前は、俺が聞いたこと全部を総司にされたのか」
「されてません! 沖田先生はそんな方では、ありませんから」
「すまん」

 土方はさっきまでとは打って変わって、弱々しい声で言う。

「いえ。分かっていただけるなら、私も嬉しいです」
「そうか」
「はい」

 また、ぎゅっと力を込められた。決して苦しくはない。言うなら、とても心地よかった。ずっとこうしていてもらいたいくらい、安堵が広がった。

「これからも、頼む」
「はい」

 土方らしくない言葉に驚く。そしてもっと驚いたのは……。

「ひあっ」
「声を出すな」
「ふっ、ん、んー」

 耳の下に唇が押し付けられたと思ったら、チリッと軽い痛みと痺れが奔った。

「お前は、俺のもんだ。忘れるな」

 その言葉を聞いて、背筋がゾワリと粟立った。
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