桜の花弁が散る頃に

ユーリ(佐伯瑠璃)

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一章 ー京都・大阪編ー

島原の女

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 気づけば昼過ぎ、私が原田に起こされてしまった。絡みつかれていたせいで体が温まり、不覚にも眠ってしまったのだ。そして、今、島原へと歩いている最中。

「鉄之助、おまえの寝顔はまだ子供だな」
「原田先生と比べれば、そりゃっ」

 何を言うかと思えばひとの寝顔が子供だなんて、失礼すぎる。でもその前に、見られていたことを反省しなければならない。私は一体何をしているのだろう。新選組とはもっと末恐ろしい近寄り難い人間ではなかったのか。

「左之助。あまり鉄之助を苛めるな。副長から外出禁止令が出るぞ」
「そうですよ原田先生。お気をつけ下さい」
「鉄之助。外出禁止令は左之助にじゃないな。お前にだ」
「永倉先生、今なんと」

 少し後ろを歩いていた二番組組長の永倉新八がそんな事を言った。なぜ私が……。

「副長付の小姓だろ。あまり他の幹部と睦まじくすると副長の気に触るってことだ」
「何故、気に触るのでしょうか」
「分からねえのか。ははっ、まあいい」

 永倉の言葉は私には難しかった。何かたくさんの意味を含んでいるような気がしてならなかったからだ。原田左之助とは似たような性格なのに、賢そうな物言いをする。

「あの、原田先生。今日はこの顔ぶれですか」
「おう。楽しもうな」

 嬉しそうにニヤつく原田と永倉を見ると、もうこれから起こる事に良い事があるとは思えない。正直に言うと帰って土方の手伝いをしたいところだった。土方歳三は見た目は恐ろしいけれど、何故かほっとする雰囲気がある。今ごろ、軍医の椿さんが手伝いをしているのだと思う。

「さあ、飲むぞ」

 原田は慣れたもので、大手を振って島原大門と呼ばれる門をくぐっていく。その時、永倉が「たまには肩の力を抜け」と言ってきた。私は黙って頷いた。


 とにかくこの国の酒を飲む、女遊びをすると言う習わしがいまいち分からない。店に入れば女がいる、酒があるわけではない。大夫や芸鼓は置屋と言う所からやってくるし、飲んだり食べたりする物は揚屋と言う所から運ばれてくる。それなりの店にはそれなりの物しか揃わないらしく、原田と永倉は贔屓の店以外は上がらないのだと言っていた。入り口で刀を預けなければならない事から、相当の信頼が必要なのだとか。それにしても無防備過ぎると思う。短刀ぐらい潜ませておかないと落ち着かない。もし、刺客が乗り込んできたらどうするつもりなのだろう。

「おやまあ、原田はんに永倉はん。お早いお出ましで」
「今日は若いのを連れてきた。ここのいい所を教えてやってくれ。因みにコイツは土方さんの小姓だ」
「土方はんの小姓ですか。では君菊でも呼びましょうか」

 さすがに副長が懇意にしている人は不味いでしょうと私は焦った。

「私には気を使わないでください。勉強させてもらうだけですので。それに、副長に申し訳が立ちません」

 すると、原田と永倉にさすが土方さんの小姓だとかなんとか変に褒められ、取り敢えず言われるがまま膳についた。居心地が悪いことこの上ない。なぜならば、何を隠そう私は女だからだ。

「お初にお目にかかります。サヤと申します」
「い、市村鉄之助といいます」
「ふふ。お若いのでしょう」
「っ……」

 正座をした私の膝に白い手が置かれ、指で円を描くように撫でる。ぞわぞわと虫が這い上がるような感触に私は声を上げそうになった。

「あら、可愛らしいこと」
「なんだ鉄之助。女に触れらるのは初めてか。はははっ、こりゃいいや」

 永倉はそんな私を見ながら酒をぐいとくらう。しかし原田は違った。ちらと私の顔を見てすぐに目を逸らした。案外、酒が入るとつれない男なのかもしれない。

「ねえ、あとでお部屋取りましょうか。初めてなら色々とお教えしますえ」
「私は、遠慮します」
「んなこと言わずに、教えてもらえって。なあ、左之助」

 永倉は機嫌よく、隣に座る女の太腿を擦りながら同意を求めるように原田に言った。原田は「ああ」と返すだけで、止めも勧めもしない。あれほど楽しもうなど言っておきながら、原田はあまり楽しそうではない。贔屓とされる女がしなだれかかっているのも、どこかぞんざいだ。新選組で一二を競う色男という噂は嘘だったのかと思ったほど。

「鉄之助。男になってこいっ」
「永倉先生。今はそんな気分では」
「ばかだな。その気になってからじゃ手遅れだろう。イザって時に抱き方を知りませんじゃいただけねえ」

 私が女を抱く日など永遠に来ない。なのに今の私は男なのだ。この手の展開は予測していなかった。兄様がこの場にいたら何と言われるか。否、呆れて何も言わないかもしれない。もう、逃げるしかない気がする。まさか芸鼓相手に術を使うわけにもいかないし。

「さぁ、鉄之助はん。行きましょう」
「いや、しかしっ」
「行ってこい鉄之助」
「さあ、さあ」

 私は手を引かれ永倉と原田がいる部屋から出た。これは非常に不味いことになったなと思う。女と知れたら、あっという間に広がるに決まっている。どうする、記憶の操作をするか。でもそれをすると脳に傷がつく。

「鉄之助はん、気を楽にしてくださいね。どんなにいい男でも初めてはあるんどすえ。そやね、土方はんにも初めてがあった思えば気分が楽でっしゃろ」
「ふ、副長にも初めてが」
「あははっ、いややわぁ。誰かて初めてがあるに決まってるやないの。鉄之助はんはかわいらしい。ふふ」

 サエという女は私のことをそう言うと、とろんとした眼で見つめてきた。朱色の紅がすっと横に伸びて、端からぺろりと舌先を覗かせた。

(これが男を誘う術だというの……)

 そして、サエはゆっくりと胸の合わせを広げた。白粉と肌色の境が見えて、その下に女の武器の一つである丸みおびた二つの丘が見えた。男ならば喜ぶのだろう。

「鉄之助はん。触ってもええのよ」
「さ、触っ……」

 女の私に、どうしろというのか。

「ほな、こちらから参りますね」
「ま、ま、待って下さい。私は本当にそんな気はこれっぽっちもなくて」
「今はなくとも直ぐにその気になります。じっとしていてください。その気にさせて見せます。袴の紐を」
「まっ、わっ、だめですっ」

 貞操の危機、しかも女同士で何ということだろう。もう致し方がない、ここは術を施すしかっ……お許しくだい。
 私は隠し持っていた針を指に挟み、サエという女に向けて手を伸ばそうとしたその時、たんっと激しい音を立てて障子が開いた。

「テツ! 貴様、いつまで油売ってやがる!」
「きやぁ」
「副長っ」

 両手で押し開いた障子は勢いに負けてガタと、鴨居から外れてしまった。私が見たのは間違いなく副長の土方歳三で、背に夕日を背負っているせいで大きく伸びた影がとても恐ろしかった。こんな気は感じたことがない。しかも、殺気ではなく怒気だ。

「テツ、帰るぞ」

 地にヒビが入りそうなほど低い声で言う。サヤという女は腰が抜けて動けなくなっている。少し気の毒に思えた。

「女、君菊に言っておけ。鉄之助で遊ぶんじゃねえとな」
「ひ、ひ、ひいっ」
「サエさん申し訳ありませんが、私はこれで失礼いたします」

 よく考えれば、女は悪くない。ここに流されるように来てしまった私が悪いのだ。

「テツ、何遍言わせる。帰るぞ」
「はいっ。申し訳ありません」

 土方はふんっと鼻を鳴らして踵を返した。私はこれ以上怒らせたくなく、その後を急いで追った。背中がとても怖い。常世兄様とは全く違う怒りの表し方にどうしたらよいか、分からなかった。角屋を出て、あの大門をくぐって屯所への道のりを歩く。少し前を土方が無言で歩く。

「怒っている、よね。どうしよう」

 聞こえぬように言葉を吐いた。吐かずに屯所までの道のりを思うと、息苦しくなったからだ。これもきっと兄様が見たら、修行が足りないと言うのだろう。そんな事を考えながら歩いていたせいで何かにぶつかってしまう。

「うっ、痛っ……」
「おめえは何ブツブツ言ってやがる」
「あっ」

 最悪にもぶつかったのは土方の腹だった。もう今日の私はだめだ。

「総司から聞かなかったらどうなっていた。女に犯されるところだったんだぞ」
「おかっ、犯されるってそんな……私は、男ですし」
「島原の女を舐めるなよ。特にお前えみたいなひよっこは、いい餌だ。筆下ろしは、好いた女でやれ」
「筆下ろし……」

 筆下ろしとはいったいどう言う意味なのか、考えても分からない。私は読み書きは普通にできるのに。

「本当にお前は分かっちゃいない。まあ、いい。もう怒ってねえから、さっさと帰るぞ」
「はい」

 理解できぬままは気持ち悪いけれど、土方が怒ってないと私の頭をガシガシと撫でたのでどうでもよくなった。乱暴で少し痛いけれど、大きくて温かな手でそうされるのは嫌ではなかった。

(兄様とは違う。これも、悪くない)

 私は俯いて少しだけ頬の筋肉を緩めた。ずっと鉄之助の顔でいるのは疲れるからだ。俯いたまましたので隠せていると思っていた。だから気付かなかった。まさか素の私の顔を土方歳三が見ていたということに。
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