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そして始まる二人の物語ー本編ー
鬼の居ぬ間にお節介
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マグロを生きたまま輸送するプロジェクトは、一旦それぞれのチームに持ち帰りとなった。これに関しては時間を要するだろう。海音の仕事はマグロのプロジェクト以外にもあった。今日は豊後水道付近の海水と生態調査をするため、許可申請の手続きに第七管区海上保安庁まで来ていた。
勝利と付き合うようになってからは初めてだった。なんとなく緊張する。何度か訪れたことのある場所なのに、自分を取り巻く環境が変わっただけで違って見える。事務的な手続きをするだけなのに、職員の動きがいちいち気になってしまう。こんなに課があったなんて知らなかったと、まじまじと庁舎内の見取図を見ていた。
海音が訪れているのは海洋情報部という場所だ。測量の許可や航行警報時の情報提供を行う場所。ここで最新の海図や海の最新情報を得ることができる。
「勝利さんはどの部署なんだろ。警備救難部? それとも交通部かな。私、何にも知らないなぁ。彼女失格やん」
朝早く来たお陰で、午前中には手続きが終わった。大学には夕方もしくは明日の午前中までに持っていけばいい。お昼ごはんを食べて電車に乗れば3時過ぎには帰り着く。さて、ひとりランチはどうしたものかと考えた。ここから歩いて15分の場所に勝利が住むマンションがある。いつでも来いよと合鍵を持たされていた。主人の居ない部屋に勝手に入るのも気が引けるけれど、空気の入れ替えくらいはしてあげたい。
「よし、勝利さんのマンションに行こう」
久しぶりに来た勝利のマンション。鍵をしてドアを開けるとリビングには午後の傾きかけた日が射し込んでいた。カーテンを開けベランダの窓を開ける。風通りの良い部屋で、玄関まで秋の涼しげな太陽の匂いをたくさん含んだ風が吹き抜けていった。
きちんと整理された部屋が主人の不在をもの寂しげに思わせる。なんとなく居場所がないような、座ってみたものの落ち着かない。お茶でも飲もうかとキッチンに立ってみたけれど、乾いたシンクを見たらその気も失せた。
「なんか寂しいよ」
ヒューッと爽やかな風が頬を撫で、リビングを一掃していく。当たり前だけれどそこに勝利の気配も勝利の匂いも無い。
「空気が入れ替わったら、帰ろうかな。ふぅ……」
来たことを後悔していないけれど、来たことで勝利恋しさが増したのをひしひしと感じていた。
窓を締め鍵をかけ、カーテンをきっちり閉める。もう一度、部屋を確認して玄関を出る。次に来るときは勝利と一緒に。そう思いながらしっかりと玄関のドアを施錠した。
◇
海音が気持ちを切り替えエントランスの自動ドアを抜けようとしたその時、一人の男性とすれ違う。ここの住人だろうと軽く会釈をした。
「もしかして、五十嵐くんの彼女さん? 間宮、さん。かな?」
「えっ!」
眼鏡のダンディなそのおじ様が、すれ違いざまに海音に声をかけてきた。何処かで会ったのだろうかと考えるも、全く心当たりがない。海音は恐る恐る尋ねる。「どちら様でしょうか」と。
「急に申し訳ない。怪しいものではないです。えっと、ああ、これこれ」
その男性は海音にスマホの画面を見せた。海上保安庁の庁舎前で職員が写った写真。ズズーッと拡大して男性が指をさした場所を見た。そこには制服を着た凛々しい海上保安官たちがいて、その眼鏡のおじ様の隣に勝利が並んで立っていた。
(あ! 勝利さんの会社の!)
海音の反応を見た眼鏡のおじ様はにこりと笑って、「主計長をしています。荒木です」と言った。
「あ、えっと。主計長、さん。初めまして! (お世話になってますは変、かな)」
「五十嵐船長と同じ船に乗っています。物品管理をしたり、本部とのやり取りをしたりと庶務や総務的な仕事をしているのです」
「そうなんですね」
荒木主計長はたまたま休みで、近くを通りかかり海音の姿を見て声を掛けたらしい。
「私がしょ……五十嵐さんとお付き合いしている事をご存知だなんて。どうして分かったのですか」
「どうして分かったか? スマホの待ち受けとかあと五十嵐くんがさ、あー! そうだお時間あるならコーヒーでもいかがですか? すぐそこです。五十嵐くんからもよろしく頼むと言われているのでね」
「え?」
なんだか意味深なことを言われた気がする。勝利から頼まれている? 怪訝な顔をする海音に優しい笑顔で「おじさんは余計なお世話をするのか好きなんだよなぁ」と言って、こっちこっちと有無も言わさず海音を近くのカフェに連れて行った。
(ついて来てしまったぁ)
海音はお父さんとまでは言わないけれど、勝利よりは年上の荒木主計長に連れられてカフェに入った。平日で駅から離れているせいもあり奥のソファー席が空いている。
「ここランチもあるんですよ。まだならどうかな。私はいただきますが」
目尻に歴史を感じさせるシワの入った瞳は意外とクリッとしていて可愛らしい。こんな年上が可愛らしいなんて思えるのは勝利と付き合いだしてからだと海音は思った。
「では、私はAランチをいただきます」
そう言うと荒木は安心したのか、優しく微笑んだ。海上保安官てもっと厳つくてクールな人たちと思っていた海音にとって、荒木は何処にでもいそうな温厚なおじ様に見えた。
「五十嵐くんと組むのは七管に来てからなんだけれど。あの見た目だろ? とんでもないのが船長になったなと引いたんだよ」
「確かに強面ですよね」
「関東にいた頃の噂は凄かったからね。どうなることやらと」
荒木の話によると、勝利は少し敬遠されていたようだ。関東にいた頃とは特殊救難隊に所属していた頃を指しているのだろう。
「どんな、印象だったのですか?」
「他人にも自分にも厳しい、ミスは赦さない、傲慢で高慢なゴリラみたいな……あ、言い過ぎた」
「ご、ゴリラ……プッ、ふはっ」
とても真剣な顔で勝利をゴリラに例えたのには流石に笑った。この話を聞いたらきっと、目くじら立てて怒るだろう。にしても、随分とひどい言われようだと海音はお腹が捩れるほど笑った。
「わぁ。五十嵐くんには言わないでくれよ? あんなデカイのから迫られたら腰が抜けるよ。それに海峡に沈められる」
「言いませんし、沈めたりしませんよ。ふふふっ」
五十嵐の不在中にマンションから出てきた時の寂しそうな顔を見て思わず誘ってしまった。一つはどんな女なのかという興味、もう一つは不在中に見かけたら良くしてやってくれと頼まれていたからだ。荒木だけではない。五十嵐が率いるチームのおっさん全員に海音の事を頼むと。それは、万が一の事も含めてだ。荒木は海音の笑う顔を見て、スッと顔の表情を戻した。この娘なら五十嵐も今度は上手くやれるだろうと妙な自信をもつ。
(おっさん包囲網からは逃げれないよ。諦めるんだな)
「間宮さんは五十嵐くんのこと、どう思う? そこそこ金もあるし力もある、見た目もなかなかいい男だしね。こんなこと言ったらセクハラだって言われるかな? でも、おじさんとても興味があってね。ひと回りも上のおじさんは間宮さんにとってどうなの? ご両親は心配しないかな。私だったら娘があんなの連れて来たら、もっと若いのにしなさいと言うよ。しかも、バツイチだしね」
温厚なおじ様は眼鏡を光らせて、いつかはぶつかる壁をつきつけてきた。海音の顔は一気に曇る。勝利と付き合っている事をまだ家族には言っていない。いい年頃をした、少し行き遅れ気味だと思われている自分が、12歳も年上のバツイチの男を連れて行ったら父や母はどんな顔をするだろうか。
「急にこんな話をして申し訳ないと思う。でもね、五十嵐くんは君のためにって張り切って海に出ちゃってるんだよ。もう同じ過ちは繰り返したくない。この娘は必ず幸せにする。だから」
「だか、ら?」
「五十嵐くんは今の任務が終わったら、陸に上がろうと決めているよ。万が一、警備や救護で殉職したら残された者は辛いからね」
「え! 船から降りるって事ですか!」
海音がくい気味にそう聞き返すと、うんと荒木は頷いた。
「重いだろう? 職歴はさておき、一人の男としてはキズのあるやつだ。おっさんで、バツイチ、若い女の為に好きな海から上がろうなんてね。もしも君にその気がないなら、桟橋から蹴落としてやって欲しいんだ。二度と甘い夢を見ないように」
荒木は海音の青ざめた顔を見て少し言い過ぎたかと反省をする。でも直後、海音の目がキラリと光ったのを見逃さなかった。
(さて、お嬢ちゃんはなんと言い返してくるかな)
海音は船から降り、海から離れた勝利を思い浮かべた。今日、手続きに行ったときに対応してくれた職員の姿と重ねてみる。背を丸めてパソコンに向かい、書類確認して「○○大学様」と言って粛々と印を押す。無表情に近い眼差しで、どうぞと書類を返してくる姿を。
(勝利さんが事務仕事だなんて、似合わない!)
「降ろしませんよ! 私、勝利さんにはずっと海の上にいてほしいです。陸に上がったら多分、死んでしまいます。そういう意味では私、上がってきたら蹴落とします! 博多湾に思いっきり沈めてやるんです!」
「あっ、ちょっと。間宮さん」
荒木が焦るのも無理はない。カフェの奥の席で親子と思われてもおかしくない二人が、深刻な顔をしている。しかも、海音は拳を握りしめて「博多湾に沈めてやる」なんて言ったのだから。素早く周りを確認した荒木は海音の方を見ると眉を下げる。少し汗で眼鏡がずり下がってしまった。
「湾に沈めるなんて、物騒だから」
「あっ!」
海音は慌てて手で口を押さえた。もう遅い。それを見て荒木はブッと吹き出して、それを皮切りにお腹を抱えて笑ってしまった。
(海上保安官を沈めたら私、かなりの悪よね。私なんてことをっ)
荒木はヒィヒィ言いながら「それより年の差はいいの? 結婚とか」と目尻を抑えながら、終いには眼鏡を外して突っ伏して笑い出してしまった。
(そうやった。忘れとった)
「あの、たぶん大丈夫です。たぶんと言うのは親の事です」
「間宮さんは?」
「私? 私にはなんの問題もありません。最初は年下である事が嫌でした。でも、私が年下を気にすると勝利さんも年上であることを気にするので。えっと、バツイチもあまり。でも、私のために海から離れると言うなら問題ありです」
「分かった。間宮さんの気持ちよーくわかったよ。あいつ本当に幸せなやつだなぁ」
なぜか荒木は感極まって泣いている。笑ったり泣いたり忙しいおじ様だと海音は思った。
「よし! では我々はチームで君たちを援護する。乗り掛かった船は絶対に降りないからウザくても我慢するように」
「へ?」
「はぁ、これで総務的な仕事ができるかもしれん。あ、貸し切ってもいいな。うん、なんとかうちのあの船を」
何やら新たな企みを始めた様子。でも、海音は嬉しかった。君みたいな子供には相手にならないよと言われると思っていたから。
(チームで援護するって、それって? え?)
まだ、クセのあるおじ様が何人かいるという事に海音は気づいていない。もう海音は違う意味で、勝利から離れることは出来ないのだ。
「巡視船船長の奥さんになるんだ。それなりに派手な船出にせないかんな」
「えぇっ!?」
海音、頑張れ!
勝利と付き合うようになってからは初めてだった。なんとなく緊張する。何度か訪れたことのある場所なのに、自分を取り巻く環境が変わっただけで違って見える。事務的な手続きをするだけなのに、職員の動きがいちいち気になってしまう。こんなに課があったなんて知らなかったと、まじまじと庁舎内の見取図を見ていた。
海音が訪れているのは海洋情報部という場所だ。測量の許可や航行警報時の情報提供を行う場所。ここで最新の海図や海の最新情報を得ることができる。
「勝利さんはどの部署なんだろ。警備救難部? それとも交通部かな。私、何にも知らないなぁ。彼女失格やん」
朝早く来たお陰で、午前中には手続きが終わった。大学には夕方もしくは明日の午前中までに持っていけばいい。お昼ごはんを食べて電車に乗れば3時過ぎには帰り着く。さて、ひとりランチはどうしたものかと考えた。ここから歩いて15分の場所に勝利が住むマンションがある。いつでも来いよと合鍵を持たされていた。主人の居ない部屋に勝手に入るのも気が引けるけれど、空気の入れ替えくらいはしてあげたい。
「よし、勝利さんのマンションに行こう」
久しぶりに来た勝利のマンション。鍵をしてドアを開けるとリビングには午後の傾きかけた日が射し込んでいた。カーテンを開けベランダの窓を開ける。風通りの良い部屋で、玄関まで秋の涼しげな太陽の匂いをたくさん含んだ風が吹き抜けていった。
きちんと整理された部屋が主人の不在をもの寂しげに思わせる。なんとなく居場所がないような、座ってみたものの落ち着かない。お茶でも飲もうかとキッチンに立ってみたけれど、乾いたシンクを見たらその気も失せた。
「なんか寂しいよ」
ヒューッと爽やかな風が頬を撫で、リビングを一掃していく。当たり前だけれどそこに勝利の気配も勝利の匂いも無い。
「空気が入れ替わったら、帰ろうかな。ふぅ……」
来たことを後悔していないけれど、来たことで勝利恋しさが増したのをひしひしと感じていた。
窓を締め鍵をかけ、カーテンをきっちり閉める。もう一度、部屋を確認して玄関を出る。次に来るときは勝利と一緒に。そう思いながらしっかりと玄関のドアを施錠した。
◇
海音が気持ちを切り替えエントランスの自動ドアを抜けようとしたその時、一人の男性とすれ違う。ここの住人だろうと軽く会釈をした。
「もしかして、五十嵐くんの彼女さん? 間宮、さん。かな?」
「えっ!」
眼鏡のダンディなそのおじ様が、すれ違いざまに海音に声をかけてきた。何処かで会ったのだろうかと考えるも、全く心当たりがない。海音は恐る恐る尋ねる。「どちら様でしょうか」と。
「急に申し訳ない。怪しいものではないです。えっと、ああ、これこれ」
その男性は海音にスマホの画面を見せた。海上保安庁の庁舎前で職員が写った写真。ズズーッと拡大して男性が指をさした場所を見た。そこには制服を着た凛々しい海上保安官たちがいて、その眼鏡のおじ様の隣に勝利が並んで立っていた。
(あ! 勝利さんの会社の!)
海音の反応を見た眼鏡のおじ様はにこりと笑って、「主計長をしています。荒木です」と言った。
「あ、えっと。主計長、さん。初めまして! (お世話になってますは変、かな)」
「五十嵐船長と同じ船に乗っています。物品管理をしたり、本部とのやり取りをしたりと庶務や総務的な仕事をしているのです」
「そうなんですね」
荒木主計長はたまたま休みで、近くを通りかかり海音の姿を見て声を掛けたらしい。
「私がしょ……五十嵐さんとお付き合いしている事をご存知だなんて。どうして分かったのですか」
「どうして分かったか? スマホの待ち受けとかあと五十嵐くんがさ、あー! そうだお時間あるならコーヒーでもいかがですか? すぐそこです。五十嵐くんからもよろしく頼むと言われているのでね」
「え?」
なんだか意味深なことを言われた気がする。勝利から頼まれている? 怪訝な顔をする海音に優しい笑顔で「おじさんは余計なお世話をするのか好きなんだよなぁ」と言って、こっちこっちと有無も言わさず海音を近くのカフェに連れて行った。
(ついて来てしまったぁ)
海音はお父さんとまでは言わないけれど、勝利よりは年上の荒木主計長に連れられてカフェに入った。平日で駅から離れているせいもあり奥のソファー席が空いている。
「ここランチもあるんですよ。まだならどうかな。私はいただきますが」
目尻に歴史を感じさせるシワの入った瞳は意外とクリッとしていて可愛らしい。こんな年上が可愛らしいなんて思えるのは勝利と付き合いだしてからだと海音は思った。
「では、私はAランチをいただきます」
そう言うと荒木は安心したのか、優しく微笑んだ。海上保安官てもっと厳つくてクールな人たちと思っていた海音にとって、荒木は何処にでもいそうな温厚なおじ様に見えた。
「五十嵐くんと組むのは七管に来てからなんだけれど。あの見た目だろ? とんでもないのが船長になったなと引いたんだよ」
「確かに強面ですよね」
「関東にいた頃の噂は凄かったからね。どうなることやらと」
荒木の話によると、勝利は少し敬遠されていたようだ。関東にいた頃とは特殊救難隊に所属していた頃を指しているのだろう。
「どんな、印象だったのですか?」
「他人にも自分にも厳しい、ミスは赦さない、傲慢で高慢なゴリラみたいな……あ、言い過ぎた」
「ご、ゴリラ……プッ、ふはっ」
とても真剣な顔で勝利をゴリラに例えたのには流石に笑った。この話を聞いたらきっと、目くじら立てて怒るだろう。にしても、随分とひどい言われようだと海音はお腹が捩れるほど笑った。
「わぁ。五十嵐くんには言わないでくれよ? あんなデカイのから迫られたら腰が抜けるよ。それに海峡に沈められる」
「言いませんし、沈めたりしませんよ。ふふふっ」
五十嵐の不在中にマンションから出てきた時の寂しそうな顔を見て思わず誘ってしまった。一つはどんな女なのかという興味、もう一つは不在中に見かけたら良くしてやってくれと頼まれていたからだ。荒木だけではない。五十嵐が率いるチームのおっさん全員に海音の事を頼むと。それは、万が一の事も含めてだ。荒木は海音の笑う顔を見て、スッと顔の表情を戻した。この娘なら五十嵐も今度は上手くやれるだろうと妙な自信をもつ。
(おっさん包囲網からは逃げれないよ。諦めるんだな)
「間宮さんは五十嵐くんのこと、どう思う? そこそこ金もあるし力もある、見た目もなかなかいい男だしね。こんなこと言ったらセクハラだって言われるかな? でも、おじさんとても興味があってね。ひと回りも上のおじさんは間宮さんにとってどうなの? ご両親は心配しないかな。私だったら娘があんなの連れて来たら、もっと若いのにしなさいと言うよ。しかも、バツイチだしね」
温厚なおじ様は眼鏡を光らせて、いつかはぶつかる壁をつきつけてきた。海音の顔は一気に曇る。勝利と付き合っている事をまだ家族には言っていない。いい年頃をした、少し行き遅れ気味だと思われている自分が、12歳も年上のバツイチの男を連れて行ったら父や母はどんな顔をするだろうか。
「急にこんな話をして申し訳ないと思う。でもね、五十嵐くんは君のためにって張り切って海に出ちゃってるんだよ。もう同じ過ちは繰り返したくない。この娘は必ず幸せにする。だから」
「だか、ら?」
「五十嵐くんは今の任務が終わったら、陸に上がろうと決めているよ。万が一、警備や救護で殉職したら残された者は辛いからね」
「え! 船から降りるって事ですか!」
海音がくい気味にそう聞き返すと、うんと荒木は頷いた。
「重いだろう? 職歴はさておき、一人の男としてはキズのあるやつだ。おっさんで、バツイチ、若い女の為に好きな海から上がろうなんてね。もしも君にその気がないなら、桟橋から蹴落としてやって欲しいんだ。二度と甘い夢を見ないように」
荒木は海音の青ざめた顔を見て少し言い過ぎたかと反省をする。でも直後、海音の目がキラリと光ったのを見逃さなかった。
(さて、お嬢ちゃんはなんと言い返してくるかな)
海音は船から降り、海から離れた勝利を思い浮かべた。今日、手続きに行ったときに対応してくれた職員の姿と重ねてみる。背を丸めてパソコンに向かい、書類確認して「○○大学様」と言って粛々と印を押す。無表情に近い眼差しで、どうぞと書類を返してくる姿を。
(勝利さんが事務仕事だなんて、似合わない!)
「降ろしませんよ! 私、勝利さんにはずっと海の上にいてほしいです。陸に上がったら多分、死んでしまいます。そういう意味では私、上がってきたら蹴落とします! 博多湾に思いっきり沈めてやるんです!」
「あっ、ちょっと。間宮さん」
荒木が焦るのも無理はない。カフェの奥の席で親子と思われてもおかしくない二人が、深刻な顔をしている。しかも、海音は拳を握りしめて「博多湾に沈めてやる」なんて言ったのだから。素早く周りを確認した荒木は海音の方を見ると眉を下げる。少し汗で眼鏡がずり下がってしまった。
「湾に沈めるなんて、物騒だから」
「あっ!」
海音は慌てて手で口を押さえた。もう遅い。それを見て荒木はブッと吹き出して、それを皮切りにお腹を抱えて笑ってしまった。
(海上保安官を沈めたら私、かなりの悪よね。私なんてことをっ)
荒木はヒィヒィ言いながら「それより年の差はいいの? 結婚とか」と目尻を抑えながら、終いには眼鏡を外して突っ伏して笑い出してしまった。
(そうやった。忘れとった)
「あの、たぶん大丈夫です。たぶんと言うのは親の事です」
「間宮さんは?」
「私? 私にはなんの問題もありません。最初は年下である事が嫌でした。でも、私が年下を気にすると勝利さんも年上であることを気にするので。えっと、バツイチもあまり。でも、私のために海から離れると言うなら問題ありです」
「分かった。間宮さんの気持ちよーくわかったよ。あいつ本当に幸せなやつだなぁ」
なぜか荒木は感極まって泣いている。笑ったり泣いたり忙しいおじ様だと海音は思った。
「よし! では我々はチームで君たちを援護する。乗り掛かった船は絶対に降りないからウザくても我慢するように」
「へ?」
「はぁ、これで総務的な仕事ができるかもしれん。あ、貸し切ってもいいな。うん、なんとかうちのあの船を」
何やら新たな企みを始めた様子。でも、海音は嬉しかった。君みたいな子供には相手にならないよと言われると思っていたから。
(チームで援護するって、それって? え?)
まだ、クセのあるおじ様が何人かいるという事に海音は気づいていない。もう海音は違う意味で、勝利から離れることは出来ないのだ。
「巡視船船長の奥さんになるんだ。それなりに派手な船出にせないかんな」
「えぇっ!?」
海音、頑張れ!
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