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五章 キューピットは期待する

お仕事開始

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 ロジスティクスでの仕事が開始した。


「今日からコンテナ営業部で働いてもらうことになった、佐藤羽七くんだ。彼女を知ってる者も多いと思うが本社三課で船便の運営をしていた。仕事内容は把握していると思うが勝手が違う。うまく仕事が回るよう協力の程宜しく頼む」
「はい!」

 営業部長が羽七を紹介すると、今度は主任の安藤が挨拶をした。

「彼女には自分の下で、主に新プロジェクトをやってもらう予定だ。当然それだけというわけにはいかない。通常業務もやってもらうつもりだ。皆もそのつもりでいてくれ。何か質問はあるか?」

 すると、一人の男性が手を上げた。

「何だ、言え」
「自分も佐藤なんですけど、どっちを呼ばれてるのかが区別つけられないかなと思いまして」
「ああ、そういうことか。では佐藤羽七は名前で呼ぶか。それでいいか?」
「はい。私の方があとから来たので、羽七と呼んで下さい」
「そういう事だ」






「羽七。早速だが、社内を案内してやる。俺について来い」
「はい」

 羽七は安藤についてロジスティクスを隅々まで回る。冷蔵倉庫、冷凍倉庫、常温倉庫、トレーラー駐車場、フォークリフト置き場と充電設備、非常用発電機、コンテナ置き場、最後にコンテナを集積するヤードに向かった。

「わー! なんですかアレ。あのキリンみたいなマシーンは」
「キリン……くくっ。ガントリークレーンといって、コンテナの荷役で使うんだよ。キリンって、そんな可愛いもんじゃねえぞ」
「あれで吊り上げるんですね! あんな高い所で操縦するなんて、すごい」
「因みにあれは、県の持ち物となっている」
「そうなんですか!」

 潮の香りが強く、ここにも男たちの働く姿があった。この港から世界中に託した荷物が運ばれていく。エンドユーザーの手元に届くまでにはたくさんの人が関わり、その中には命懸けの仕事もある。そんなことを考えるだけで、羽七の胸は熱くなった。


 港の見学も終わり、安藤の運転でコンテナヤードから出ようとしたとき、コンテナを引いたトレーラーが入ってきた。駐車スペースに停車しようとしているが、上手くいかないのか手間取っている。そのせいで安藤が運転する車は敷地から出られない。
 しばらく黙って見ていた安藤だが、イライラしているのかハンドルを人差し指でコツコツと叩き始めた。

(うわっ! イライラしてるよー。お願いだから早く停めてっ)

「ちっ!」
「⁉︎」
「羽七。ちょっと待ってろ」
「え、あっ。あの、主任っ」

 どうか喧嘩になりませんようにと、羽七はいらぬ心配でドキドキしてしまう。
 安藤は運転席の男と言葉を交わし、運転手はトレーラーから降りた。最悪なことになったかもしれないと、羽七は唾を飲み込んだ。しかし、そのあと安藤はトレーラーに乗り込み、慣れた手つきでハンドルを動かし始めた。ハンドルを何度か切り直し、なんと予定していた駐車スペースにトレーラーを収めたのだ。

「え、うそっでしょ! 主任って、トレーラーも運転できるの! ええ……(かっこいい)」

 そして、軽やかなステップでトレーラーから飛び降り、何事もなかったように社用車の運転席にすわった。羽七は不覚にも、安藤のことをかっこいいと思ってしまった。

「待たせたな。帰るぞ」
「主任って、トレーラーも運転できるんですか」
「まあ、この業界に入る時にひと通り免許取ったからな」
「すごいですね」
「そのうちおまえも、リフトくらい乗れるようにならないとな。車の免許は持ってるんだろ?」
「ええ、一応は」
「ああ? 一応じゃダメだそ。原田の車でも乗り回して練習しとけ」
「あれをですか! あれは、難しいですよ」
「原田は過保護だな。危ねえから、難しいからさせないんじゃ、腕が腐るだけだ」
「航さんがさせない訳ではありませんっ!」

 羽七の反応を見た安藤は薄く笑う。

「来週から社用車はおまえが運転しろ。部下が上司にさせたらダメだろ」
「えっ……わ、分かりました!」
ATオートマ車じゃねえぞ、MTミッション車だからな。まさかAT限定の免許じゃねえだろうな」
「違います」

 ミッションで運転免許は取ったものの、ずっとオートマ車しか運転してない。ましてや社会人になってからは殆どハンドルを握っていない。

(来週からって……どうしよう!)

 明日からと言われなかっただけ、マシかもしれない。

「帰ったら飯食ってバンニングだ。シンガポールとマレーシア2本あるならな」
「はい」

 初日から当たり前だが普通に仕事は始まる。事務所で座っている時間があまり無い。羽七もここは見積もりを作ったりする本社の営業とは違うということはよく分かった。
 昼休みだってそれぞれの業務の状況に合わせて取ることになっている。船も飛行機も待ってはくれない。社員食堂も朝早くから開いているのだ。

「羽七、30分で食って来い! パッキングリストの確認がまだ終わってない」
「分かりました!」

 やっと取れた貴重な昼休みも慌ただしいものだ。羽七は一人で社員食堂に行って、すぐに食べられそうな麺類を選んだ。

「あら、珍しい。新人は女性なの?」
「はい、宜しくお願いします」
「頑張りな! 天ぷらおまけしておくから」

 周りを見ても力仕事をしているような男性社員ばかりで、どこにもザ•OLはいない。羽七もつい数日前まではそうだったのに、たった一日で作業服のジャケットが板についた。

(ここで生き残るために頑張るしかない!)

 同じ部署で働いているのに、航とすれ違う事すらない。全体朝礼のあと、声すら聞いていないのだ。エアー便と船便では全く動きが違うということを思い知った。

「でも、その方がいい。航さんの姿を見たら甘えてしまうもの」

 羽七は時計と睨めっこしながら、急いで食事を済ませ安藤が待つ事務所に戻った。

「食ったか」
「はい」
「ならこれ。この間までお前も作ってたパッキングリストだ。それでコンテナのサイズが間違いないか、重量オーバーしてないか確認しろ。それが終わったら今日使うコンテナの証明書を取ってこい。コンテナの事は河本に聞けば分かる」
「はい!」
「で、先にするシンガポールを13時から始める。倉庫で集合だ。俺は今から飯食ってくる」
「分かりました」

 羽七はパッキングリストを確認し、コンテナの証明書を取るために河本を尋ねた。証明書にはこれこら使うコンテナが問題ないことを証明するものだ。羽七はその証明書をもらうと、内容を確認しPDFファイルにして所定のファイルに保管した。
 それから少しすると本日のバンニングチームの名簿と納品一覧表を持ち、首からデジカメを下げて倉庫に向かった。

「よし、揃ったか。始めるぞ!」
「はい!」
「羽七。コンテナがドッキングされたらドアを開けて、証明書通りか中を確認しろ。写真も取れよ」
「はい」

 ドアが開くと羽七は河本と一緒に中に入る。証明書と内容を照らし合わせながら傷跡を写真に納める。後で船会社から不当な修理代請求を防ぐためだ。

「終わりました。内容に相違ありません」
「コンテナ内に冷気が回るまで荷物は入れるな。その間に二本目のコンテナをチェックしろ」
「はい」

 全く無駄がない、待ち時間もない。次から次へと安藤から指示が下りてくるので、羽七の頭も体も緊張の連続である。
 バンニングが始まると、倉庫内をフォークリフトが縦横無尽に動き始める。寸分の狂いも許されないため、そのハンドル捌きはかなり細かい。フォークリフトの先が商品に突き刺さったり、パレットを揺らすと荷崩れを起こし転倒事故の原因となりかねない。倉庫内の事故は商品だけでなく、人の命にも関わることがある。

(ねぇ、これを私にもやらせようとしてるんだよね……安藤主任)

 こうして無事にコンテナ二本のバンニングが終わり、あとはレポートを纏めるだけになった。羽七にとってパソコン仕事は得意分野だ。指示された事を10分もかからずに終った。

「主任、終わりました。確認お願いします」
「はあ⁉︎ もう終わったのか」
「えっ、はい」
「そうか、どれ……うん、完璧だ。担当者に返信しておいてくれ」

 安藤の合格をもらいほっとした羽七は周りを見た。すると、パソコンのキーを叩く音のリズムが非常に悪い。
 作業が得意な男たちは、パソコンを使った事務が苦手のようだ。体格のいい男たちが背中を丸めてパソコンに向かう姿がなんとも滑稽だ。
 羽七は何気にその作業を後ろから覗いてみた。なんと、彼らはデータを初めから打ち込んでいたのだ。本社と同じシステムを使っているので、ファイルを自動取り込みすればいいだけなのに。

(これじゃ、時間かかっちゃうよ)

「あの、ちょっといいですか」
「えっ?」
「これ、手打ちする必要ないですよ。間違えると面倒ですよね。このエクセルファイルを空のフォルダに入れて、システムを使って取り込んでみてください。それを提出用フォームで吐き出したら終わりです! ほら、できました」
「なにそれ! どうやんの? もう一回やってくんない?」
「え! やった事ないんですか」

 驚く羽七に事務所の男たちが寄ってきた。俺にも教えろと羽七を取り囲む。安藤は特に何も言わないので教えてもいいという事だろうと判断した。

「では、ゆっくりしますね。見ていてください」

 羽七はもう一度、今度はゆっくりと処理をしてみせる。必要事項を入力したエクセルを社内システムに取り込んだ。そして本社へ返信用の形式を指定して再出力するだけの簡単な作業である。

「すげー! なんだよ簡単じゃん」
「念のため抜けているところがないか確認してください。これで休憩時間が少し稼げますよね」
「ありがとう。助かった」

 男たちは体を使うことには慣れているが、パソコンやシステムという単語を聞くと苦手意識が出てしまうようだ。ここにきて、やっと誰かの役に立てた羽七は少し嬉しくなる。

「羽七、今日はもう上がっていいぞ」
「はい。お疲れ様でした」

 時計は定時を30分過ぎていた。羽七がロッカーで私服に着替えているとスマートフォンが鳴った。
 航からだ。

「羽七、一緒に帰ろう」
「うん!」

 航の声を聞いてやっと羽七の体の力が抜けた。







「航さん、お疲れ様」
「お疲れさん」

 いつもの航さんの笑顔にとても癒やされている自分がいる。やっぱり航さんの隣が一番落ち着くな。

「はー、落ち着くぅ」
「もしかして、しごかれたか」

 私は今日一日の業務内容を簡単に話した。

「初日からあの人、鬼だな」
「やっぱり? でもわたし頑張ったぁ。でも、わりと楽しくできたよ?」
「そっか。楽しくできたなら何よりだな」

 航さんはとても優しくて、仕事に慣れるまでは夕飯は外で買うか食べようと言ってくれる。わたしは素直に甘える事にした。

「そうだ! ねえ航さん、時間がある時に車の運転を教えてくれない?」
「え、羽七が運転するのか?」

 安藤主任から言われたことを話すと、航さんの眉間に皺が寄った。

「はあ? 安藤さん羽七に運転させて営業に出るつもりかよ! しかも、フォークリフトもやれだって⁉︎ いくらなんでもそんな危険なこと」
「わ、航さん! 怒らないで! あのね? ペーパードライバーになりそうで、それはわたしが嫌なの。それから、フォークリフトは使い方が分かれば、何かあった時に対応できるでしょ?」
「・・・」

 航さんは口をへの字に曲げて黙り込んでしまった。安藤主任も怖いけど、航さんの怒った顔も負けてない。

「だから航さんに教えて欲しいの。じゃなきゃ、安藤主任がシゴイてやるって言いそうだもん」
「それは困るな……分かった、今度の休みに練習しよう。最初はあんまり車が走ってないところからな」
「うん。因みにMT車でって言われてるから」
「はあっ! マジかよ」
「あのわたし、一応MT車で免許取ってるから」
「ああっ! そうなのか⁉︎」

 航さんが連続して驚く顔を初めて見た。それでも格好いいんだから。
 なによりも、彼の彼女が私だという事が誇らしい!

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