桜華屋

桜木雨詩。

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1.人魚の涙

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からん、ころん。とドアに着けられたベルの音が響いて椅子に座り直した。 コツコツと近づく足音を聞きながら、目を閉じて待つ。ゆっくりと、怯えたように進む足音に耳をかたむけながら、 依頼人がどんなお客さんなのか、どんな依頼をするのかを考えていた。足音が止まって、そっとドアが開く。 そこに立っていたのは、リュックサックを背負ったセーラー服の女の子だった。 ツインテールを揺らしながら、彼女は僕を見た。セーラー服もリュックサックも少し大きく見えるような少女だった。 
「いらっしゃい。」 
立ち上がって、彼女に椅子に座るように促すと彼女はゆっくりと座って僕を見た。 
「何か飲みますか? なんでもご用意しますよ。」 
静かに笑って彼女に言うと少し悩んだあと小さく彼女は言った。
「オレンジジュースがいい。」 
「分かりました。」 
彼女の言葉に頷いてから、部屋を出た。大きめの紙パックのジュースをグラスに注ぎながら彼女のことを考えていた。 八分目まで注いだグラスに氷を入れて彼女の元へ戻った。
「どうぞ、」 
ずっと僕のいた部屋のドアを見つめていた彼女は、僕が机に置いたグラスをすぐに取って飲み始めた。 
「それで、依頼はなんですか?」 
静かに微笑んで、彼女に聞く。 
「可愛くなりたいの。」 
「可愛く、ですか?」 
彼女の言葉を繰り返す。あまりに簡単で、難しい言葉だった。 女の子望む『可愛い』は、努力しても自分のモノになるかも分からないものだと僕は思う。 ここに頼むってことは、彼女は努力だけの可愛いを望んでいないということ。 
「一番になりたいの。 なにも、出来ないわたしに・・・。」 
「分かりました。」 
『一番の可愛さ』を求める彼女に、渡す道具は決まっている。 
「少々、お待ちください。」 
すっと立ち上がって、先ほど入ったドアとも彼女が入ってきたドアとも違うドアを開けた。 彼女に渡すものを探して狭い棚の迷路を進み、見つけたそれを手に取った。 淡く光る、水色の液体が入った瓶。 誰が見ても、怪しいと思うようなそれを持って彼女のもとへ戻るため棚の間を進む。 彼女の姿が浮かんで、また疑問が僕を覆いつくす。彼女の怯えた表情に、『可愛くなりたい』と願うことに。ドアノブを掴んで、一度大きく息をはいた。無駄な思考を振り払うように、ドアを開けて彼女に近づいた。 
「どうぞ。」 
そっと机に瓶を置いて彼女を見た。彼女の不思議そうな表情に、小さく笑う。 
「これを飲めば、可愛くなれますよ。」 
「誰よりも、可愛くなれる?」 
「はい、きっと誰もが可愛いと言いますよ。」
幼い声も、ツインテールも彼女をあらわすものなのに。彼女は無くしたいと願う。そのままでも、きっと『可愛い』と言われる彼女の願い。瓶のふたをあけて、一気に飲み干す彼女。 だぼだぼのセーラーの袖が落ちて、肌が少し見えていた。あざや、傷のある肌が。そんなあざも消すように変わる姿に、思わず目をそらしたくなった。 彼女が望んだ可愛さを手に入れているというのに。 お客様として彼女を最後まで送らなければいけないのに。とても、苦しくなる。自分の姿を捨てて、『可愛くなりたい』と望む理由も。 ボロボロで、傷だらけの体も。僕にはわからない。飲み終わった瓶を机に置いて真っ直ぐな瞳で僕を見つめている彼女に、何を言えばいいのだろうか。
「ねぇ、可愛い?」 
「とても、可愛いですよ。」 
『誰もが、恨むほどに。』 無駄な思考と、伝えてはいけない言葉が邪魔をする。そんな僕の思考には気が付かない彼女は嬉しそうに笑った。ここで初めて見せた、来た時と違う顔で笑う。 声も、姿も、きっと笑い方も。 本当の彼女ではなく、偽物なのに。 彼女は満足そうに微笑んで、じっと僕を見ている。 
「代金は・・・?」 
「それは、貴女の命です。」 
これを渡すときに毎回いう決まり文句のような言葉。 
「え・・・?」 
驚いて言葉を失う彼女に、微笑む。 せっかく可愛くなった彼女に、命を奪うと伝えたのだ。 こうなることは分かっていたはず。だからこそ彼女をしっかりとみて。 
「冗談ですよ。」
と言った。この言葉があれば、警戒してくれると毎回思っていた。 でも、この呪いのような言葉は変わることのない真実なのに。 
「じょ、冗談?」 
彼女の怯えた表情にもう一度笑顔を向ける。 
「お代は結構です。」 
彼女は立ち上がって、お辞儀をしたあと口を開いた。 
「ありがとうございました。」 
来た時とは違う声で、誰もが振り返る顔で、彼女は笑って言った。 店の外まで彼女を見送った。 その後ろ姿は、立ち振る舞いは別人のようで。 最後まで笑顔でいられたことに安心する。 この後の結末は、きっと変わらないはずなのに願っていた。 彼女が幸せな未来に行くように。 



三か月後。 
テレビのニュースは相変わらず終わらない事件を報道していた。 その中に、女性アイドルグループの暴露が報道されていた。 『アイドルグループのメンバーが虐待を受けていた。』とのことだった。 アナウンサーが伝えた内容は残酷で、インタビューを受けた街の人達も驚いていた。 沢山の意見が飛び交う中で、芸能人たちは口々に批判していた。 
『アイドルとして、事実であっても隠し通せ。』 
『芸能人としての自覚がない。』 
アイドルに向けられた言葉はどれも、冷たく尖った氷のように思えた。 言葉の後に画面に写真が大きく映った。 その中の一人、話題になっているアイドルに見覚えがあった。 テレビで見ていたからじゃない。僕に『可愛くなりたい』と願っていた彼女だった。 彼女の傷だらけの体の答えは、大勢の人に批判されながら大きく育っていく。 嘘も、本当も混ざって彼女の真実を隠していた。 テレビに映り、大勢の人に笑顔を向ける彼女は今どんな気持ちなのだろう。 彼女の望んだ結末も、僕の知っている未来も、本当のところは誰にも分からないんだ。 





「久しぶりです。」 
控えめに笑って、彼女は言った。 前に来た時とは違う、落ち着いた女の子らしい格好をしていた。 フリルの付いたシャツに、ピンク色のスカートをはいて。 彼女は今日はツインテールにしていなかった。 たった一回しか会っていない彼女のツインテールが何故か懐かしく感じていた。 
「どうしたんですか?」 
「報告したいことがあって・・・。」 
彼女は静かに言った。 自分を変えているかのような話し方に、胸が苦しくなる。 彼女が自分で選んだ生き方を、否定してはいけないのに。 
「私、幸せなんです。 一人で悩んでいた時とは違って、明るくなれた気がして。 だから、ありがとうございました。」 
目を細めて、新しい彼女らしい笑顔で笑った。 本当に幸せそうな姿。 だから、止めることなんて出来なかった。 
「それは、良かったです。」 
僕も、微笑んで彼女を見た。 
「本当は、来る気はなかったんです。 他の人にばれたら嫌だなって思っていたから。 偽物の自分をみんなが認めてくれて、それが嬉しくて。 それでも、怖かった。 だから、ここに行こうとは思わなかった。」 
一息で言ってから、言葉を切る。 
「でも、感謝しているんです。 貴方がわたしにしてくれたこと、忘れたくないから。」 
「僕は、貴女が幸せならそれでいいんです。」 
お辞儀をして、彼女は立ち上がった。 僕は、立つことはせず、椅子に座ったまま彼女を見上げた。 
「それじゃあ、」 
彼女は再度お辞儀をして、ドアノブに手をかけた。 彼女にかける言葉を探して、伝えようとしてやめた僕を気にせず、彼女はドアの奥に歩いていく。 その姿を、僕はじっと眺めた。 彼女の足音が消えた後でも・・・。 



『昨日、女性アイドルが自宅近くの公園で亡くなっているのが発見されました。 最近、虐待のニュースで話題になっていたアイドルで公園のトイレにばらばらに切り裂かれているところを、 公園に立ち寄った近隣住民が発見したようです。 なお、犯人は現在逃走中で警察が捜査を進めています。』 
ニュースに上げられた事件は悲しい物だった。 街の人たちが映って、口々に言葉を放っていた。 
『あのアイドルは、好きだったから悲しいです。』 
『別に死んでもよかった人ですよね、あのアイドル。』 
『へーそうなんですかー。 まぁ、あのアイドル最後くらい幸せなら良かったですけどね。』 
『え、やばいくないですかぁー?』 
街の人達は彼女の気持ちを知らないように、死んだ人間に届かないと確信しているように自分勝手な言葉を並べ、芸能人達は悲劇を嘆く演技のように大げさに彼女の死を唄った。たくさんの意見が飛び交う画面を見つめて、机の上の朝食に手を付けないまま僕は動きを止めた。 つい最近、彼女が『幸せだ』と言いに来たばかりだと言うのに。その幸せを奪ったのは、まぎれもなく僕だ。 直接手を出した訳では無い。 ただ、あの日彼女の願いに応じてあの瓶を渡した。 美しい歌声と姿を持つ、人魚の涙を。 人魚の涙には、人を美しくさせることが出来る。 でも、それは一瞬の夢だ。 嫉妬、怒り、悲しみを生む。 だから、彼女は消された。 少しだけ輝く場所に行けた彼女は、海の泡のように消えた。 その結末を分かっていたのに、彼女に渡してしまった。 それが仕事だからと言って。 彼女は本当に幸せだったのだろうか。 その答えを知ることは出来ない。 彼女はもういないから。 涙が流れることはなかった。ただニュースで流れた彼女の歌声がまだ聞こえる気がした。 僕の頭の中にはツインテールの幼さの残る顔で、彼女は歌っていた。




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