上 下
3 / 6

身勝手な間借り人 第三話

しおりを挟む

「間借り? 朝借り? なんだ、それは! ここは俺が大家から借りている部屋で、俺はおまえに住居を貸した覚えなど、まったくないぞ!」

「そうなんです、問題はそこでして。私の組織の上役を含めて、この件に絡んでいる人間の中で、このこと、つまり、あなたの家に私が勝手に入り込んで、こうして生活していることですね、このことについて何も知らなかったのは、実はあなた一人だけなのです。つまり、あなた以外の関係者は、みんなこのことについて納得してこの契約関係を活用しているのです。それで今までは万事上手くいっていたのです。もっと言えば、みんなが幸せあったのです」

「何がこの契約関係だ! 何が関係者だ! 早い話が泥棒組合じゃないか!」

「ですから、泥棒とは少し違うのです。いいでしょう。朝借りについて、これから説明しますね。あなたはいつも午前7時に家を出られて徒歩で駅に向かわれますね。それを確認してから午前8時に私が自分の仕事、まあ、郊外にある小さな印刷会社の夜勤なのですが、それを終えて、この家に戻って来るわけです。あなたの世界の言葉で言えば、泥棒として侵入しに来るわけです。私は合い鍵を使ってこの部屋に侵入しますと、午前9時頃から、まずお宅のお風呂をお借りしています」

「そうか……、最近、風呂場のタオルの乾きがやけに遅いと思っていたら、おまえが使っているせいだったのか……」

「そうです。そして、私はなにしろ夜勤明けですから、朝方はひどく眠いのです。この部屋の布団を敷かせて頂き、睡眠を取らせて頂いております。そのまま熟睡しまして、午後3時頃すっきりと目が覚めますと、あなたが録画していらっしゃるビデオを拝見させて頂いております。あなたは木曜の8時から放送されている音楽バラエティーを毎週録画してますね。私もあの番組が好きなんです。司会の女性アナウンサーが可愛いですよね。それを見終わりましたら、仕事の前の食事の準備です。まあ、今食べているこれですが……」

男は目の前のハムエッグを指差してそう言った。

「おのれ! この数ヶ月間、そうやって俺が仕事に出かけている間にこの家を乗っ取っていたのか。いったい、どのくらい、その行為を続けていたんだ?」

「私がこの部屋を間借りしてから、もうすでに、丸二年ほどになります。どうです? あなたはまったく気がつかなかったのではないですか? というとこはですね、あなたも今のこの状態、朝は私がこの部屋を使って、夕方以降あなたが帰って来てくつろぐという、この状態ですね、これに満足して頂いていたのではないですか?」

「なんて理不尽な言い方だ! 部屋を勝手に使われて満足なんてするもんか! こんなことが毎日行われていたかと思うと、ぞっとするわ!」

「ええ、ですが、実際はまったくお気づきにならなかった……。私が朝からここで生活をして、夕方になるまで楽しみ、すっかり満足して、仕事にでかけると同時に、あなたが仕事から家に戻ってくる……。直前まで他の誰かがここにいたなんて露ほども疑わずにね……。本当に我々は素晴らしい関係だったんですよ。まあ、お互いに顔を見せ合うことはできませんけどね。あなたが今日早退さえして来なければ……。ところで、今日はどうなされたんですか? 昨日までは早退届けは出てませんでしたよね? 体調でも崩されましたか?」

「うるさい! なんで自己都合をおまえに説明する必要があるんだ。今すぐ出て行け! さもなければ警察を呼ぶぞ!」

 この時の私の心情は、怒りというよりも恥ずかしさで満たされていた。それは、赤の他人に、二年間もの間、勝手に部屋を使われ、私生活をのぞき見されていたことの屈辱感でもあった。男はそんな私の態度を嘲るように薄い笑みを浮かべたまま話を続けた。

「まあ、お気持ちはよくわかりますよ。見知らぬ他人に自分の生活を知られるというのは誰しも嫌なものです。私が仮にあなたの立場だったとしても、今のあなたのような屈辱感を味わっていたと思いますね。自分が読んでいる本や見ているテレビ番組っていうのは、社会人として大事なプライバシーですものね。私の業界では今日のこの現象、二人がうっかり鉢合わせてしまう事態のことですね、この現象を『関係の崩壊』などという言葉で呼んでいますけどね。いや、あなたは今相当に落ち込んでいらっしゃいますが、私たちのように、突然関係が壊れてしまった他の人に話を聞いてみても、今のあなたのような、まるで恋人にふられた若者のような態度を取られることが多いらしいです。恥ずかしさとそれに勝る屈辱ですよね? よくわかります。皆さん、関係が壊れてしまいますと、顔を真っ赤になされて、同じような態度を取られるらしいです。今、簡単に『関係が壊れた』などと、陰欝な表現をしてしまいましたが、実際こうなってしまうとですね、修復はかなり難しいようですね。実際、我々の業界で鉢合わせが起きてしまいますと、95%以上の間借り人が、それまでの関係を壊されてしまっていますね。私も今日この日が来るまでは、実際に自分の身の上に今日のようなことが起きてしまうとは思ってもいませんでした。あなたを恨んでいるわけではないですが、いや、それどころか、今まで部屋を貸して頂いていたわけですから、本当は感謝しなければいけないわけですが……、それでも、あなたが不当に早く帰って来られて、突然関係が終わってしまうということになりますと、私としては明日から別の住居を探さねばならないわけですから、私としても……。ほら、もうそんな落ち込んだ顔はやめてください。これで、お互いに被害者なのだと言った理由がお分かりになったでしょう?」

「ちくしょう……、なんでこんな理不尽なことが起きてしまうんだ……。二年間も自分の家を他人に自由に使われていたなんて……。凡庸でもいいから、平和な毎日を生きていたかっただけなのに、こんな情けないことはないよ……」

 私は半泣きの顔でそう呻いたが、間借り人の男はそんな私を慰めるように肩をポンポンと叩いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

✖✖✖Sケープゴート

itti(イッチ)
ミステリー
病気を患っていた母が亡くなり、初めて出会った母の弟から手紙を見せられた祐二。 亡くなる前に弟に向けて書かれた手紙には、意味不明な言葉が。祐二の知らない母の秘密とは。 過去の出来事がひとつづつ解き明かされ、祐二は母の生まれた場所に引き寄せられる。 母の過去と、お地蔵さまにまつわる謎を祐二は解き明かせるのでしょうか。

マクデブルクの半球

ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。 高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。 電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう─── 「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」 自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

フォロワーのHaruさんが殺されたそうです。

はらぺこおねこ。
ミステリー
11月5日 フォロワーのHaruさんが殺されたそうです。

幼馴染バンド、男女の友情は成立するのか?

おおいししおり
ミステリー
少々変わった名前と幼馴染みたちとバンドを組んでいる以外、ごく平凡な女子高生・花厳布良乃は毎晩夢を見る。――隣人、乙町律の無残な屍姿を。 しかし、それは"次に"記憶や夢として保管をされる。 「恐らく、オレは――少なく見積もっても千回程度、誰かに殺されている」 と、いつもの如く不愛想に語る。 期して、彼女らは立ち向かう。 摩訶不思議な関係を持つ男女4人の運命と真実を暴く、オムニバス形式の物語を。

ダブルネーム

しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する! 四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。

さよならクッキー、もういない

二ノ宮明季
ミステリー
刑事の青年、阿部が出会った事件。そこには必ず鳥の姿があった。 人間のパーツが一つずつ見つかる事件の真相は――。 1話ずつの文字数は少な目。全14話ですが、総文字数は短編程度となります。

バック・イン・ザ・U.S.S.R.

振矢 留以洲
ミステリー
ビートルズのコピーバンドの4人の青年たちはウェブ上で見つけた公募に応募して参加するのだが、そこで彼らが経験したことは彼らの想像を遥かに超えるものであった。

処理中です...