身勝手な間借り人

つっちーfrom千葉

文字の大きさ
上 下
1 / 6

身勝手な間借り人 第一話

しおりを挟む

 いやはや、思い込みとは恐ろしいもので、人間というものは、――特に様々なシステムや道徳に守られていると信じ切っている現代人は――、例え自分の身の回りに不可解な出来事が起こっていたとしても、そのことにまるで気がつかなかったり、あるいは目には入っていても、意識には残らなかったりすることがあるものだ。特にそれが常に安全に守られていると思い込んでいる、自宅の部屋の内部で起こっていたりすると、余計にそうなのである。

 この不思議な現象というのは、本当にちょっとしたことであり、よほどボケっとしていなければ、誰にでも、普通に感じられることである。例えば、家を出て行くときと、外から帰ってきたときに、目覚まし時計の置き位置が少し違う気がしたり、クーラーを消し忘れて家を出たと思っていたのに、慌てて帰ってみたら、きちんと消されていたという経験は誰しもあるだろう。こういう小さな出来事の積み重ねを、自分の気のせいだけで片付けてしまうと、ここで後に紹介するような、社会の裏にうごめく恐ろしい組織の人間にとりつかれて、食い物にされてしまう可能性があるわけだ。私があえてこのことを文章にして、世間に向けて公開しようとするのは、決して、自分の間抜けっぷりを紹介したいわけではなく、自分以外の被害者を増やさないために他の人間に向けて注意を促す狙いがあってのことである。

 私はその日、朝7時にいつも通り家を出た。そのまま一人で商店街を抜けて、駅に着くと、いつもと同じ時刻の電車を待って乗り、いつもと同じ先頭車両の壁際の座席に座った。丸々一時間ほど電車に揺られた。目的の駅に到着すると、いつもと同じコンビニに立ち寄り、昼飯用に、いつもと同じサンドイッチとおにぎりを購入した。そして、いつもと同じ時刻に会社の受付を通り抜け、いつもと同じ清掃夫に挨拶をして自分のフロアに向かった。

 今思えば、私の日常の精密すぎる行動の一つひとつが、知らず知らずのうちに、彼ら悪の組織の狡猾な罠に嵌まる遠因を作ってしまっていたのだが、奴らの恐るべき行動力に気がついたこの日の午後までは、そんなことは露知らずだった。

 私は平日は9時から5時までの勤務で、これが崩されることは滅多にない。残業は月に三回あるかないかで、都心の繁華街で余計な遊びや外食をすることもない。ほぼ毎日同じ時刻に帰宅する。帰りも同じ時間帯の電車の同じ車両に乗ることが多い。ただ、この日は熱中症のせいか、朝から体調が少し悪かった。少しの頭痛や腹の痛みが感じられた。それに加えて、この日は仕事量も非常に少なかった。すでに夏休みに入っている顧客も多いせいか、新規の仕事も入って来ることはなく、仕事のほとんどは午前中に片付いてしまった。午後に入ると、ほとんどやることもなくなった。部内の他のスタッフとはかなり年齢が離れているので、雑談を持ちかける気もない。そういう事情も重なっていたので、午後3時になる前に、上司に思い切って早退願いを出してみた。ああ、思えば、時短を取っての早退など、実に数年ぶりのことであった。申請書類の書き方をすっかり忘れてしまっているくらいだった。上司も私から早退の申請書を受け取ると、さすがに、『ほう、珍しいな』という表情をしたが、仕事が少ないという事情はよくわかってくれていたので、快く了解してくれた。

 そういうわけで、私は燦燦と降りそそぐ太陽が、いつもとはまったく違う位置にあるうちに、会社を出ることができた。帰りの電車も空いていて、いつもよりずいぶん快適だった。一つの車両に三、四人ほどしか客が乗っていなかった。私は隣の座席の上に右手をついて、いつもはなかなか見られない窓の外の風景を楽しみながら、少し優雅な気持ちで帰路についた。自宅への帰り道、いつもと同じ酒屋の前の自動販売機で、ジュースを一本購入した。実家の両親からは、甘いものを摂り続けると身体に悪いからやめろと言われているのだが、この癖はなかなか直らなかった。

 自宅の前でポストを覗いても、自宅のドアの前に立っても、私は自宅の内部ですでに想定外なことが起こっているということに、何も気がつかなかった。驚いたことに、ドアノブに触ってみると鍵はすでに開いていた。出るときに閉め忘れていったのだろうか? そんな失態を犯したことはないはずだが……。それでも、私は何も不審だと思わずに、思い切ってドアを開いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夜の動物園の異変 ~見えない来園者~

メイナ
ミステリー
夜の動物園で起こる不可解な事件。 飼育員・えまは「動物の声を聞く力」を持っていた。 ある夜、動物たちが一斉に怯え、こう囁いた—— 「そこに、"何か"がいる……。」 科学者・水原透子と共に、"見えざる来園者"の正体を探る。 これは幽霊なのか、それとも——?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

支配するなにか

結城時朗
ミステリー
ある日突然、乖離性同一性障害を併発した女性・麻衣 麻衣の性格の他に、凶悪な男がいた(カイ)と名乗る別人格。 アイドルグループに所属している麻衣は、仕事を休み始める。 不思議に思ったマネージャーの村尾宏太は気になり 麻衣の家に尋ねるが・・・ 麻衣:とあるアイドルグループの代表とも言える人物。 突然、別の人格が支配しようとしてくる。 病名「解離性同一性障害」 わかっている性格は、 凶悪な男のみ。 西野:元国民的アイドルグループのメンバー。 麻衣とは、プライベートでも親しい仲。 麻衣の別人格をたまたま目撃する 村尾宏太:麻衣のマネージャー 麻衣の別人格である、凶悪な男:カイに 殺されてしまう。 治療に行こうと麻衣を病院へ送る最中だった 西田〇〇:村尾宏太殺害事件の捜査に当たる捜一の刑事。 犯人は、麻衣という所まで突き止めるが 確定的なものに出会わなく、頭を抱えて いる。 カイ :麻衣の中にいる別人格の人 性別は男。一連の事件も全てカイによる犯行。 堀:麻衣の所属するアイドルグループの人気メンバー。 麻衣の様子に怪しさを感じ、事件へと首を突っ込んでいく・・・ ※刑事の西田〇〇は、読者のあなたが演じている気分で読んで頂ければ幸いです。 どうしても浮かばなければ、下記を参照してください。 物語の登場人物のイメージ的なのは 麻衣=白石麻衣さん 西野=西野七瀬さん 村尾宏太=石黒英雄さん 西田〇〇=安田顕さん 管理官=緋田康人さん(半沢直樹で机バンバン叩く人) 名前の後ろに来るアルファベットの意味は以下の通りです。 M=モノローグ (心の声など) N=ナレーション

君たちの騙し方

サクラメント
ミステリー
人を騙すことが趣味でサイコパスの小鳥遊(たかなし)。小鳥遊は女子中学生の保土ヶ谷に、部屋に住ませて貰っているが、突然保土ヶ谷がデスゲームに巻き込まれてしまう。小鳥遊は助け出そうとするが・・・

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

マクデブルクの半球

ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。 高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。 電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう─── 「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」 自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。

処理中です...