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斯かる不祥事について 第五話

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 須賀日巡査は、好運にも、終電が行き過ぎてしまう前に、その日の勤務を終えて帰路に着くことが出来た。しかし、意識はすっかり呆然としていた。お気に入りの店で腹ごなしに中華料理を食べても、毎週必ずチェックしているバラエティー番組を、布団に入る前に見ても、これまでは一人で笑い転げるほどに熱中していたはずの、自分の趣味の、どこにも興味など持てなかった。つい先ほど見つけてしまった衝撃的な発見。それは身内の不祥事のことであったが、それ以外のことに神経を集中するのは、きわめて難しかったのだ。一般職に就いている酔っぱらった都民の愚行を目にしたのではない。よりにもよって、自分の同僚たちが、何らかの犯罪行為に関わっていることは、送信されてきた映像により、火を見るより明らかだった。最初に思い描いたのは、あの三名が、ホストクラブ内部で行われている、何らかの不正業務を握った上で、ゆすりをかけている可能性についてである。元々、バブル前期頃に、新宿界隈には高額の風俗店がひしめき合って立ち並ぶようになったが、その頃から、各店舗のスタッフによる、使う当てもない大金を持ち遊ぶためにうろついている、通行人たちの奪い合いが激しさを増すようになった。各店舗の生存競争の中で、多くの人気店は、何らかの後ろめたい不正行為に手を染めることになったのである。未成年スタッフによる飲酒、喫煙、外国人ホストの不法滞在問題、キャバクラなら在学中の未成年者であると確実に知りながらも、目の前で大金をチラつかせて、巧みに誘って雇い入れ、客へのいやらしい接待を行わせる行為、店に多くの金を落としてくれる上客への猥褻な行為の強要、そして、組織内部での暴行沙汰やクスリの売買など……。あの三名の署員は、そういった店の内情を、警察当局の情報網を駆使して掴んだ上で、特定の従業員を連絡役に使いながら、例のホストクラブを日常的に恐喝して、小遣いをせびっていたのではないだろうか? 

 須賀日巡査はそこまで推測が至ると、身が激しく震えるような感情の高ぶりを得た。もしかすると、これは自分にとって、将来的な出世の糸口となるのかも……。どんな職に就いている者でも、自分の仕事に大きな進展を見るのは喜ばしいものだ。愚かな獲物を発見して、その成果や報酬に対して、ある程度の期待感が生まれるのも当然といえる。だが、不思議なものだ。仲間の不正を上役に売り渡す行為が、自分の名声を押し上げる行為に直接繋がってくるとは……。もちろん、警察官の一員として、不正を知ってしまった以上は、もはや、沈黙を守ることは困難である。言うまでもなく、映像は全て本庁のHDに記録されている。一番最悪な結末としては、上層部の連中に、不正を行なった彼ら三名の尻尾を、自分の発表よりも先に捕まれてしまい、その不正行為を事前に知っていた自分までもが、被疑者として巻き込まれてしまうことだ。

『おまえは犯罪行為をその目で見ていながら、上司への報告義務を怠った。それは同僚をかくまったということだけでなく、組織全体への背信でもあり、さらには、監視システムの不正利用行為にもあたる』

 そんな理不尽なことを宣告されてしまうのだけは、何としても避けなくてはならない……。そうだ……、例え、彼らが今回の一件で処分されたとしても、この新宿署に勤務しているうちの誰が上役に訴え出たのか、なんてわかるはずはないし、もともと、風俗店へのゆすりという、せこい不正行為によって、私腹を肥やしていた連中によって復讐されることなんて、怖がる必要はない。相手は虫取り網にもかからぬほどの小物である。例え、最悪(クビ)の処分が下されたとしても、長年にわたり、やくざな行為を続けていた人間たちにとって、同情の余地などは全くない。あんな連中が庶民の守り神といえるか! 誰が見ても当然の末路といえる。彼らの行く末がどんなに哀れなものだったとしても、この自分がそれを気に病む必要はないだろう。明日にでも、直属の上司に対して、今度のことをさりげなく報告に行こう……。須賀日巡査はこの一件に関して、そのような決意で望むことを決めた。まだ社会の闇を知らぬ、新人の巡査にとっては、それが、もっとも無難な結論に思えたのかもしれない。

 あくる日、須賀日巡査は長い休憩の時間をわざわざ選んで、フロアのど真ん中の座席において、ちょうど一人でくつろいでいた自部所の課長に慎重に近づいていった。顔を強張らせ、おどおどしながらも、一度会釈してから、簡潔な言葉をかけた。ぜひ、課長に見て頂きたい映像があるのですと断って。そして、昨夜、繁華街を映しだしたモニターによって、自分の目が確認した事象について、なるべく私見を挟まずに客観的な憶測による説明をした。それを聴いた上司の反応に端を発して、このフロア中に、蜂の巣をつついたような大騒ぎが始まるのではないか、とも思っていたのだが、その対応は意外と素っ気ないものだった。元々、この管理課長は性格的に落ち着いた方ではあるが、警察にとって致命的な不祥事であった場合に、後でその情報を握りつぶせるように、無理に平静を装っているようにも見えなかった。

『君の言っていることはよくわかった。では、その興味深い映像を見せてもらおうかな』

 普段の日常会話の際とまるで変わらない、その程度の反応であった。自分が昨夜発見した不祥事らしきものは、こちらの思い違いであり、実際には、大騒ぎするほどの事件ではなかったのかも……。そういった期待外れに似た感情も頭をよぎった。須賀日巡査がパソコンの前に座り、膨大な保管データの中から、問題の映像を探している間も、後ろで新米警官の業務を眺めている課長の様子には、いっさいの動揺はなく、『君は勤めて何年になるんだっけ? そろそろ、この仕事には慣れてきたかい?』などと、コチコチになっている、こちらの緊張を解くために、柔らかい口調で声をかけてくれた。ホストクラブとの癒着くらいなら、そんなに大した案件にはならないよ、とでも主張しているようにさえ思えた。しかし、この一件は警察が裏社会に足を踏み入れているのである。大したことないなんて、そんなことがあり得るだろうか? わざわざ、訴えて出てきた須賀日巡査の口ぶりから、この件が大ごとである雰囲気をとっさに感じ取り、それを巧妙にもみ消したいがための演技のようにも思えた。こういう時に真っ先に管理職が泡を食ってしまい、大騒ぎをすれば、パニック状態が様々な部所に波及していってしまうから、このもの知らぬ若者の前にあっては、あえて、冷静沈着な態度を見せているだけなのかもしれない。そうだ、この厄介ごとを内部で蓋を閉めて抑えきれれば、警察組織としてはびくともしないが、下手に騒いで噂となってしまい、マスコミ各社へと情報が伝わることを恐れているのかもしれない……。

 映像の準備が出来ると、須賀日巡査は、昨夜、あの三名が深夜のホストクラブに入っていくところの映像を何度も巻き戻しながら課長に見せて、重要部分の要旨を人差し指で指し示しながら、紹介していった。その間は、まだまだ下っ端に過ぎないのに、過分なことをしているのでは、という不安から緊張が途切れなかったが、それよりも、自分の説明を頷きながら聴いてくれている、上司の反応の方が余計に気になった。今回の行動が、思いもかけずに、自分にとって悪い方向へと進まないようにと祈りながら説明を続けた。課長は先程までより、やや冷徹な表情になり、老眼の眼鏡を片手で上下に調整しながら、当夜の歌舞伎町の夜を映し出している画面を凝視していた。課長としても、やはり、例の三名が電柱の陰に隠れて密談しているところに注目しているようだった。

「ふむ……、この二人は明らかに地域課のAとBだな……、あいつらは勤務以外でも、よくつるんでいるからな……。この私服の男にも覚えがある。もう一人は、ちょっと……、顔が正面から映っていないので、わかりにくいが……、おそらく……、交通機動隊のCだと思う……。なるほど、女性とアルコール目当ての店に遊びに通っているのではなく、ホストクラブの店員と、こそこそ話しているのを疑問とするのは当然だな……。あえて自分とは全く違う職場の人間と連れ添って、裏社会の人間と接しているのも、気に入らんな……」

 その声は須賀日巡査に向けたものとは、とても思えなかった。課長はまるで無念無想に陥ったかのように、何者もいない空へと声を飛ばすように独り言を呟くと、三名がスタッフに案内されて店内へと入っていく様子を、もう一度その細い目で確認した。煌びやかな店に入るその瞬間、連れ添っている二人が、まるで旧知の知り合いであるかのような態度で、スタッフの身体に触れながら話しかけていた。この気心の知れた態度は、この店に金を無心に来ることにすっかり慣れているようにも見えた。課長はその場面をもう一度確認すると、すっかり納得したように、大きくうなずいた。そして、踏ん切りがついたように椅子から立ち上がった。

「須賀日君、大切なことをよく報告してくれたね。画面でははっきりとは確認できない人影を、自分の同僚ではないかと推測して、細かいところまで観察していたのは、新人としては大したもんだ。これからも、その研ぎ澄まされた観察眼を大切にしながら、仕事を続けていって欲しい。ところで……、今回の件だが、これから署内の人間の非番の日の行動を内々に調査しなければならないから、しばらくの間、私以外への他言は控えてもらえるかな? うん、それで頼むよ。これから一か月ほどで何らかの結果が出揃うだろうから、君の方にも、私の口から何らかの報告が出来ると思う」

 課長はよく通る声でそれだけ言い残すと、ほの暗い監視室からのっそりと出て行った。須賀日巡査が当初期待していた、大事件を匂わせるような人間らしい動揺など、微塵も見せることはなかった。彼は命じられた通り、その日から、事件発生前とまったく同様の態度で、淡々と勤務を続けることにした。もちろん、同僚の不正を発見してしまったことは、友人知人に対しても、おくびにも出さなかった。しかし、(自分で思うところの)重大事件が心中深くにある限り、不正に手を染めた者たちが、その後どのような処分を受けたのか、については、どんな人間にとっても、やはり気になるものである。件の三名は顔見知りではあるが、彼の知る限り、普段の勤務態度やその性格は、一般的な社会人と比較して、とても褒められたものではない。どう高く見積もっても、心を許すに足るような人格の持ち主ではないため、この先において、彼らがどんなに厳しい処分を受けたとしても、『ざまあみろ』のひと言で済ませられるわけだ。しかし、これが刑事事件へと発展して、マスコミを通じて、彼らのプライバシーの全てが、世間へ晒されてしまうとなると、若干の同情の念が生まれるのも、また事実である。テレビや週刊誌において、たびたび報道されているように、警察組織の内部というものは、相当に腐っているのではないか、と思えるようになってきた。世間の噂が例え真実を突いたものであっても、逆恨みに端を発する事実無根であっても、ホストクラブにおける、かのような事件は、氷山のほんの一角に過ぎないのでは、と思われた。あの店に立ち入って不正金を得ている警察関係者は、実際には、もっと多いのかもしれない。万が一、彼らがクビになったとしても、おそらく、社会に害をなす黒い膿は、この署内のあちこちに今後も残されたままで、これからも長く存在していくのだろう。

 そこまで考えが行き着いたとき、この一件は結果として『彼らの行為のすべてが不問にされるのかもしれない』と思うようにもなった。あの一件を、『その程度のこと』と表現してしまうと、世論は怒り狂うのかもしれないが、隣の渋谷地区担当の署員の日頃の行状などを見ている自分の立場からすると、あの事件を厳罰に処すると、うちの職員のほとんどは、何らかの違法行為に関わっていて、刑罰の物差しに足首が引っかかっているような気さえする。警察幹部がそんな不祥事の度に、丁寧なマスコミ対応などをするものだろうか。マスコミが嗅ぎつけていないのなら、全てを無かったことにしてしまった方が、かえって手っ取り早く片付きそうに思える。

『そうだ、上層部は自分の報告を真摯に取り上げることはない。きっと、何も対処されることはなく、風俗店での不祥事など、なかったことにするつもりなんだ』

 失望を多分に含む、そんな気づきに至っても、そのときは、特に怒りは湧いてこなかった。その頃には心の奥底において、すでに警察幹部に光輝溢れる正義の審判などを期待していなかったのかもしれない。大企業の幹部も国民の税金で暗躍する政治屋も、羽振りのいい大手芸能事務所も、みんな汚いことをやって儲けている。黒い儲けをやるだけやって、その上で、脱税さえいとわない連中ではないか。自分だけが孤立無援に真っ赤な旗を掲げて、組織内部の不正を大胆に告発しても、それは余計に厳しい状況に追い込まれるだけなのかもしれない。普段は小煩い大衆だって、そのほとんどは正義などとは無縁であり、少しの紙幣を握らされただけで、ニコニコしながら権力側の応援にまわるような連中ではないか。そうだ、結局、誰もが一緒なのだ。自分の気持ちに正直に欲を出さない人間は、結果としてハブられるだけだ。法律を頑なに守ろうとする、真面目ぶった人間が一番バカを見るのだ。ならば、今回の一件では、自分も出来る限り権力に追従しようではないか。須賀日巡査は熱い感情を込めて、その結論に達すると、この一件は自分の心変わりによって、すっかり終わってしまったのだと信じ込んでいた。しかし、自分の組織がさらに汚い一面を持ち合わせていることなど、そのときは全く知り得なかっただけだった。課長に不正映像を告発してから、約三週間後、事態は突然動き出す。

 その日、正午の休憩時間に、配属当時から面倒を見てもらっていた、交通機動隊に属するH先輩に声をかけられた。須賀日巡査より5年ほど年上であり、人望が厚く、組織の内部事情にも非常に詳しい人という印象を持っていた。『気軽に賭けトランプでもやろう』という言葉で軽く誘われた。H先輩は誰に対しても人当たりが良く、署内に友人も多く、ここで誘いに乗ったとしても、悪いことに巻き込まれはしないことは良くわかっていた。彼の周囲を固める面々とも、親睦を深めておいて、悪いことにはならないだろう。ある程度安心して、その集まりに参加することにした。本音でいえば、まだ配属されて日が浅く、署内に話せる友人が少なく、どこか人恋しかったことが最大の参加理由である。賭け金だって大した額ではない。集まった面子は、よく見知った同期ばかりで、賭博場のような殺気立った雰囲気など全く感じなかった。さながら署内親睦会のような様相であった。ポーカーや大富豪など、日本人なら幼少の頃から、誰でもルールを知っているゲームで、ひとゲーム数百円ぽっちを惜しみもせず取り合った。少しのポイント差で敗れて、顔を真っ赤にしてカードを睨みつけるような、大人げない負けず嫌いも少しはいるわけだが、ほとんどの参加者は負け金に執着などせず、むしろ、周囲の雑談に加わることの方がメインだった。昨夜行われた欧州サッカー予選の話、直属の上司のカツラ疑惑の話、自分のハマっている時代劇やドラマなどの配役のことなど、当たり障りのない話に花が咲いていた。組織内部で起きてしまった暗い話や、不倫問題などのデリケートゾーンにまで踏み込んでいく者は一人もいなかった。昼の休憩時間も少しずつ終わりに近づく頃、須賀日巡査は仲間内での気楽さにより、余り意識もせず、三千五百円も勝ってしまっていた。安っぽいプラスチック製の貨幣入れの中など、いちいち確認していなかったので、それが銀貨で満タンになっているのを見た時は、ひどく驚いた。社会人同士の賭け事にしては、大した額とはいえないが、例えトランプでも、同期と勝負して、これだけ運がつくというのは喜んでも良いことだと思っていた。同期との何気ない情報交換も楽しかったし、この恵まれた休み時間が、良い空気のままで終わってくれればいいのだが、とも思っていた。

 しかし、ゲームを終えた人から順に、トランプや飲み物などを協力し合って片付け始めた頃、彼をここへ呼んできたH先輩と内勤の職員二人が、他の署員を先に部屋の外へと追いやって、須賀日巡査にだけ、この場に残るように目配せをした。他の署員は何の疑いも持たずに、速やかに各々の仕事場に戻っていった。この狭い部屋には、須賀日巡査と聞き取りの三人のみが残った。機動隊のH先輩は、その機を伺うと急に真剣な口調になった。

「なあ、須賀日君、覚えているとは思うが、約一か月ほど前のことなんだ……。君さあ、新宿のホストクラブの関係で、自分の上司に何か話さなかったか?」
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