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私は秘密を持っている 第十一話
しおりを挟む「そんな単純な事案については、とっくの昔に理解してくれていると思っていたがね。君が先日体験した、一連の出来事が、まさにそれなんだよ。いいかね? 現代はどこの馬の骨とも知れない、しがない一般人であっても、暇な時間と興味さえ持っていれば、著名人がひた隠す秘密を追いかけ回す権利を有する時代であるということには、いくら強情な君でも、概ね賛成してくれると思う。何しろ、君自身が毎日の生活の中で体験している通りだからね。よれよれのTシャツを着て、暇を持て余した野次馬たちは、ある意味マフィアや新聞記者よりも恐れを知らない、この上なく厄介な存在なんだ。交番から手の空いている警官を三名ほど派遣して、片手箒ですいすいと履いてしまうわけにはいかない。こちらが強硬な態度に出れば出るほど、そういった人種はムキになっていくからね。署名集め程度で済めばいいが、デモ行進などをされてしまったら、この噂は際限なく拡がっていくだろう……。そういう理由から、君がどんなに不快な思いをしようと、こちらからは助け舟を出すことはない。明日からの毎日でも、これまでと全く同じように、道を歩く誰もが、君の顔を無礼な視線によって覗き込んでいく。そう、秘密をひと目でも見ようとしてね。どんな重要人物だろうが、どんなつまらない人間であろうが、君の行動や判断には、興味を持たざるを得ない。汚れたカラスも顧みない、自らの人生の虚しさを省みずに、この国の最大の暗がりを見るために、首を突っ込んでくるものなのさ。心をくすぐるには逆らえず、他人の影を覗き見る衝動を隠すことなど出来ないものなのさ。え、なぜそのような大衆的な思考に陥るかって? それも簡単なことさ。この広い国家に無知で無能なる平民として生まれてきた、大多数の人間にとってはね、自らの人生の年表の中には、はるか昔から、老いて焼き尽くされた後の未来にまで、それこそ高性能顕微鏡でも引っ張り出してきて、どんなに懸命に探してみても、結局は、がらくたのような事件やイベントしか転がっていないのさ。二十年以上も実直に勤めた仕事場を、クビになる際に、若い女子社員から花束を渡されるくらいのイベントはあるのかもしれないがね。下層社会においては、ほとんどの勤め人が、三十代だか四十代になる頃には、自分の残りの人生に起こりうるであろう小豆のようなイベントへの期待など、ほとんど捨ててしまっているわけだ。見目麗しい財閥の令嬢のパーティーに連日のように招待される日々、あるいは、目も眩む札束の山を眼前に積まれて、大企業の幹部達とこれからの政界や財界・法曹界への金の流れを、薄暗い部屋の中で、少しほくそ笑みながら、声を潜めて密談するような、悪徳の沼に埋もれた、偽善のカーテンの裏側に隠された、ゾクゾクするような日々。
『自分は無欲な人間でありますから、そのような上流階級の呼び物には、一切の興味を持っておりません』
そんなセリフを臆面もなしに口に出来る人間に限って、自分の狭い部屋の何処かに、高性能な望遠レンズを隠し持っているものなのさ。『いつか、貴様らの弱みを写してやる。自分は生涯泥にまみれる存在と思い知らされた、この憎しみ、払さでおくべきか……』もちろん、こういう輩は自分の手の届かない秘密だけではなく、日々のストレスを発散し、欲情を満たすモノにならば、どんなものにでもレンズを向けていく。
『なんですって! お巡りさん、若くてスタイルのいい女性の住む窓を狙って、この私がシャッターを何度となく切っていたと仰るのですか? そんなことはありえない、いったい、誰が通報したんだろう? まったく、あり得ませんぞ! どんな、嫌らしい人間にそんな行為が出来ると……。そう、私といえば……、ほら、その建物の手前の松に可愛らしいが留まっているではありませんか。私はあの小鳥を写真に収めてやろうと、この場から狙っていたわけで……』
ふん、まあ、恥の上塗りになっても構わないので有れば、言い訳は何でもしてみればいいがね。普段は(自分には身につかない)道徳とやらを盛んに振りかざしている、どんな人間であっても、何もかもが輝いて見える、他人の人生の影に覆われた部分については、どうしても覗いてみたくなるものさ。隣の庭の花は、まるで、絞り出されたばかりの鮮血のように、鴨肉のステーキの上に飾られたトマトのように、異様なほどに赤く見えるってやつさ。だから、マスコミ記者なんて、分厚い辞書を片手に、延々と文章をまとめるだけの机仕事なんて、真面目にやらなくとも、一眼レフカメラを片手に、どでかい秘密を持つと噂される人物の背後を、なるべく影をふまないように追いかけていくだけで、立派に飯を食っていける。どぶネズミの行為だって、誰もが欲しがる能力さ。怪しい人間はどう考えても怪しいものさ。巻頭グラビアに身の程知らずな水着アイドルが載っているような、安っぽい週刊誌なんかを、人目のない場所を選んで、喜んで読み耽って、それが有用な知識や政治や外交の情報源だと言い張れるような腐りきった人間たちは、さしたるイベントにも恵まれなかった、自分のつまらない人生のうっぷんを、他人の秘密をなるべく多く暴いていくことで、多少なりとも憂さ晴らしに使いたいだけなのさ。見も知らぬ他人の人生が、今まさに大波に乗り出し、その行く末が燦々と輝き出したところでも、山の頂上付近においては、思わぬ小石に蹴つまずいて、そこから、一気に転げ落ちて行くところであっても一向に構わない。彼らにとって、著名人の身に起こる事象は幸不幸どちらでもいい。とにかく、今、もっとも注目を浴びている人間の隠れた部分、本人が懸命になって隠そうとしている部分を、金や地位には、いっさい恵まれなかった誰もが、精霊の最後の滴を求めるように、知りたがっているものさ。資産も持たない、充実した趣味も、職業的な楽しみも、何ひとつ持っていない連中は、自分でレアと思える情報を執拗に追いかけていくことでしか、自分の欲求を満たせないものなんだ。他人を追いかけ回すなんざ、毎日ブロンド美女を片手に抱いて、古びた高級ワインを飲みながら、革のソファーに座り、優雅にパイプを吹かせる人間たちには、到底理解できないような、嫌らしい趣味だろうさ。だが、平凡な奴らにとっては暇な時間を金銭に変えることが何より重要だ。不祥事が発覚したばかりの政治家や企業幹部をここぞとばかりに追いかける。莫大な財産を公表した投資家の後をひたすらにつけていく。ほんの少しの蜜が小さな穴から漏れ出すかもしれないからね。そうかと思えば、今度は人気女優との恋愛がパパラッチされた、有名スポーツ選手を、間髪入れずに追いかけていくわけさ。その人物の半生に、本当の興味があるわけじゃない。普段は政治のニュースなんてまったく見てないし、スポーツだって、真剣に見ているのは、数日に一度くらいだろう。白昼夢と戯れる代わりに、ヒマワリに水をあげるようなもんさ。ただ、マイクを向けられると、自尊心の塊になり、ありったけの見栄を張りたいヒーローたちの隠し事を、酒のつまみにでもしたいだけなのさ。自分の人生には柿の種ほども存在しなかった煌めく宝石を、他人の人生の中に追い求めているだけなんだよ。自分の人生の入り組んだ迷路の内部を探しに探して、どこをどう掘り出しても、石油どころか泥炭すら出てこないような連中ばかりだからね。昼間の貴重な時間に、薄暗い部屋でビール缶を片手にバラエティー番組を見て、ほくそ笑むだけの自分の姿に、いい加減飽き飽きしたんだろう。ただね、政治家のお偉いさんも、毎日試合のあるスポーツマンも、そんな暇人たちの思惑に、いちいち付き合ってやれない。ちょっと可愛い娘を捕まえて、喫茶店でお茶を飲むたびに、マイクを持った記者たちに取り囲まれていたら、さすがに鬱陶しいだろう? 本当のところをいえば、国家に貢献している人物については、私生活におけるある程度のチョンボは見逃して貰いたいんだよ。なにせ、彼ら超有名人のおかげで、この国の経済は回っているのだからね? なあ、そうだろう? 彼らの私生活は一般と比べて忙しいし、有名人ほどプライベートを大切にしたいものなのさ。舞台本番前のほんの一時間、あるいはたった二十分であっても、その1分あたりの価値は、常人のそれと比べて桁違いに大きいわけだからね。毎朝、まだ布団の中で、恋人とゆっくり抱き合っていたい時間帯に、朝刊でも読もうかと、うっかり家の外に出てしまい、壁の外で見張っていた、得体の知れない新聞記者やカメラマンに見つかって、追い回されるのは真っ平ごめんってわけでね。そんなつまらない事で、彼らが機嫌を壊したら、色んな業界の人が頭を悩ますわけだろ? 世界中に衝撃が走ることになるかもしれない。そこで君の出番が来るんだよ。暴かれてしまった秘密の本丸から、ひょっこり飛び出すネズミ小僧ってわけさ。マスコミの群れにすっかり取り囲まれた悪事の詰まった城から、ポンと飛び出したのが、秘密という玉手箱を小脇に抱いた君の姿なんだ。連中は君の行く先に騙されて、やれ、ついに秘密が飛び出したぞ、とむきになって追いかけ回すわけさ。飛び出してきたのが、本当に目も眩むような秘密なのかはさておいて、取りあえずは取材しておいて、コメントをとって、写真の一枚でも残しておかなければ、ライバル他社に先行を許すことになるからね。どうせ、これも罠だろうと頭では理解していても、もし、この疑わしげな男を逃げるがままにしておいて、男が胸に抱いていたのが本当に国家の重要機密に関わるようなことだったら、後になって、どれだけ後悔しても追いつかないからね。君が赤い旗を掲げて『おおい、こっちだぞ』と、飛び出していったことによって、どんなにしつこいマスコミ記者だって、政治家やスポーツマンからは、一時的に目を離さざるを得ない。豪邸の周りが何事も無かったかのように静寂に包まれるわけだ。いわば、君が国家のお偉いさん方の風よけになってくれるわけなんだ。まったく、これはいい目くらましさ。君ってやつは、妬みたくなるほどに、いい仕事をしてくれているよ。高級官僚の中にだって、君ほど忠実に役目をこなしてくれる人物はそうはいないだろう。先日起こった凄惨な事件だって、まさにそうなのさ、あんな凶暴なギャングが、国家の懸案を大量に抱える大物政治家や、一日何億円も稼ぐような有名スポーツマンを付けていくとする。そして、思うに任せず、背後から襲ってくる場面を想像してみたまえ。ちょっと考えただけでも、背筋が凍りつくだろう。万が一、彼らの才能を失うようなことになったら、これは国家的な損失だ。省庁のトップが頭を下げたくらいでは許されない。我々だって事務次官や大臣に顔向けできないわけだ。さりとて、全国に数万人以上もいる有名人本人や家族や親戚のすべてに対して、厳重な警護をつけることも出来ない。予算も人員もまるで足りていないからね。だが、その点、狙われているのが、もし、君だけであるのなら、それはOKだ。君がどんなに付け回されようが、凶暴なギャングに襲われようが、ドラム缶に詰められてどこかへ連れて行かれようが、国家的には何の痛手にもならない。言葉は悪いが、まったく予期せぬタイミングで射殺されたとしても、我が国の政治や経済の運営に与えるダメージは、ほとんど皆無に等しい。いくら秘密を埋め込まれていると言ったって、しょせんはただの一般人なんだからね。反社会的な悪の組織に、腕利きのスナイパーでもいるのなら、どんどん狙ってくれってわけさ。できるなら、こちらの方から、大金を支払ってでも、頼みたいぐらいだ」
「ひどい! それでは、私はただの影武者ではないですか! 国家の首脳が少しは自分の価値を認めてくれていると思っていたからこそ、その昔に、この危険な任務を引き受けたというのに!」
私はすっかり腹を立て、拳を握りしめて机の上を叩き付け、書記官に反論した。
「しかしね、そのことも、とっくの昔に納得してくれていると思っていたがね。なにせ、本来ならば、誰の相手にもされない、マスコミになんて生涯取り上げられることのない君が、悪者にちょっと襲われたくらいで、省庁の幹部会議で、これだけ大きな扱いを受けるわけだからね。書記長も事務次官もみんな真っ青な顔をしていたよ。余裕があったのは、私くらいだった……。まったく、秘密様々というやつだよ。先日の一件だって、我々は必死に隠したつもりだったのだが、実は、一部の週刊誌の記者に嗅ぎ付けられてしまって、『T氏ギャングに襲われる! 長年隠されていた秘密、ついに暴かれたのか?』と、大見出しを打った雑誌もあったくらいなんだ。もちろん、我々が背後で動いて、大金をばら撒いて、すぐに火を消したがね。相当、金を使わされたよ。猛獣に襲われて、殴り倒され、すっかり気絶してしまった君の全身写真を写真に収めてしまった記者もいたんだ。フィルムを高値で買い取る交渉をして、そのすべてを揉み消すのは、実際、大変な作業だったんだ。だが、正直なところはどうだい、一般大衆に騒がれるってのは? 気持ちのいいもんだろう? 君が何の秘密も持たないで、人生の道を歩んでいたとしたら、仕事中にどんな大きな手柄を立てたところで、それは上司や家族が一晩喜ぶ程度で終わって、新聞記事には一生ならないだろう。ちょっとした臨時ボーナスくらいは出るかもしれんが、それだって、貧乏人の一生を激変させるような金額じゃあない。恋人とそそり立つ岩壁から海に飛び込んで、心中でもしてみせるなら、社会面に空きがあれば数行の記事にはなるかもしれんが、自分の命までかけて、その程度じゃ嫌になるだろう? しかも、魂が死んだ後じゃ、どんなに騒がれたところで、当人にとってはまるで意味がないわけだ。海辺の泡を掴もうとするものさね。ところがだ、秘密を持たされた途端に、今の君の輝き方といったら、どうだい? まるで国家の重要人物のようだ。毎日のように新聞雑誌が君を書き立てる。街を行く若い女性は、みんな君のことを噂をしている。『あの人が例の秘密を持っている人よ、誰も知らないことを、その胸に秘めているなんて、なんて素晴らしいんでしょう!』みんなが羨望の眼差しで君の横顔を見ているわけだ。会社にいても、君はヒーローのままだ。他社に先駆けて、大ヒットした新製品を開発した研究者だって、君ほどはモテていない。いずれは、大企業の幹部になりたいのかい? まあ、好きにしたらいい。だがね……、もし、万が一、君がその秘密を捨ててしまうことになったら……、もちろん、我々の力でそう仕向けることも出来るわけだが、そういう事態になったら、その瞬間から、君は元の無価値な自分に戻ってしまうんだよ。赤いマントを剥ぎ取られたスーパーマンになる。それでもいいのかい?」
「それは困ります! 私にだって、秘密を守るというプライドがある」
私は顔を真っ赤にして即座に反論した。悔しいが、すべては彼が述べた通りだった。秘密を持たない私には、誰しも何の価値も認めてくれないのだ。場末のカレー屋でスポーツ新聞を読みながら、誰にも声をかけられず、一人寂しく夕飯を食べる生活に戻るのは、ごめんだった。
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