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Ⅲ 覚醒するなりそこない令嬢
第56話 コゼルト薫香店での変わらぬ日常【後日談】
しおりを挟む平民街の外れに位置し、背後に林が控えた長閑な立地に佇む「コゼルト薫香店」。
この店で商われるのは「香」「サシェ」「アロマキャンドル」「香水」など、香りにまつわる物は勿論のこと、「ハーブティー」「スパイス」など毎日の生活に欠かさない食を彩る物に至るまで多岐に及んでいる。豊富な品揃えと品質の良さは他店の追随を許さず、平民街にあるにもかかわらず、貴族家に遣える使用人が姿を見せることもある人気店だ。
「いらっしゃい」
訪れた客らに、人の良い笑顔を見せるのは店主コゼルト。アル爺は、奥の作業場で淡々と品物を作り続ける。もう一人、バックヤードから商品を店舗に運ぼうと、覚束ない身ごなしでモタモタ動く人影が店舗奥の戸口に見え隠れしている。それに気付いた何人かが「あっ」と笑顔を浮かべ、或いはよく確かめようと奥をのぞき込む。
「もしかして、フローラちゃんが帰って来たのかい?」
良かったじゃないかと、笑みを浮かべてコゼルトに話し掛けたのは常連のご婦人だが、受けたコゼルトは少し寂し気に笑顔を曇らせて「いいや」と首を横に振る。
「もとよりフローラは、一時的に手伝いに来てくれていただけだからね。今は大切な勉強をする事になったと――この間、挨拶しに来てくれたよ」
その時の様子を思い出して、自分のさらした醜態までもが甦り、遠い目となるのは仕方がない。
『コゼルト様っ! 良かった、無事辿り着けました!』
あの時、不意に響いた声は間違いなく聞き慣れたミリオンのものだった。
ただ、状況がコゼルトを混乱させた。
夜、一人でその日の売り上げを帳簿に付けていた時のこと。静まり返った室内にたった一つだけ置いた蝋燭の灯がふいに掻き消え、突然発光する人を象った白い靄が窓ガラスをすり抜けて飛び込んで来たのだ。
馴染んだ声が聞こえてきたにもかかわらず、フワフワと周囲を漂う人外の怪しさに、気付けば声の限りに泣き叫び、腰を抜かしていた。
(ちゃんとした人の姿だったら、間違いなく何時ものように楽しげにしているミリオンだって認識するけど! あれじゃあ、お化けだと思っても仕方無いよねぇ!? もぉ……)
マイペースなミリオンらしい、唐突で思いもよらない形での訪れだった。再会が嬉しくない訳ではないが、出来るなら次は普通の姿で現れて欲しいと切望したコゼルトだ。そして告げられたのは彼女の置かれた境遇の激しすぎる変化で、祝意を伝えるよりも驚きが勝り「おめでとう」ではなく「大丈夫なの!?」を連呼していた。
『キラキラで尊い大切な推しのために全力を尽くします! それに、まだまだ勉強にマナーにと、沢山知らないことが有るって分かったんです!! それを教えていただけるなんて、本当に嬉しい限りです!』
たった数か月の間に、伯爵家から平民街へ落ち延び、第三王子の婚約者になった話など聞いたことも無い。だから途轍もない苦労が待ち構えているのではないかと心配するコゼルトに、当の本人からは前向き発言しか出なかった。
「ペシャの口撃も無意識にふわりと躱していたあの子の、いつものあの調子ならきっと上手くいくんだろうけどね」
寂しげだけれど、優しく微笑むコゼルトに、常連のご婦人も「違いない」と相槌を打つ。
「そのペシャミンも、急に辞めちゃって大変だったね。奥のがフローラちゃんじゃなかったんなら、新しく人を雇ったんだね」
「えぇ、お陰様で皆様の御贔屓を賜っておりますから。私独りじゃあとても回しきれなくて」
コゼルトと婦人の視線の先には、箱いっぱいの商品を運ぶ新人店員の姿が在る。客の行列は看板娘が居た頃よりは幾分短くなったが、減った人間は、商品を買うよりもフローラの関心を買おうと云う輩が大半だったから、実際購入していた人間は減ってはいない。むしろ、彼女が加わってから取り扱いが開始された新商品に惹かれた客らが、既存品の魅力にも気付き、購入してくれるようになっていたから売り上げは伸びていた。
そして、ペシャミンは店にはいない。
ミリオンを言葉巧みにオレリアン伯爵邸の使用人に引き渡した彼は、当初、忽然と姿を消したミリオンについて、知らぬ存ぜぬを通していた。けれど長年の付き合いのコゼルトやアル爺に、敢え無く看破されてしまった。ペシャミンがコゼルトを慕うあまり、ミリオンに強い嫉妬心を抱いていたことに気付いていた2人は、彼を強く非難することは無かったものの、彼らの悲しみや落胆を敏感に感じ取ったペシャミンは、良心の呵責に耐えきれず、コゼルト薫香店を自ら辞したのだった。
道を踏み違える元となった『想い人』のカフス。それをそっと隠すように耳に着けていたペシャミンに心の葛藤を見たコゼルトは、裏口からそっと去ろうとする彼の後ろ姿に声を掛けた。
「気持ちの整理が付いたら、いつでも戻ってきていいんだよ」
背を向けたまま深く首を垂れたペシャミンは、その声に振り返ることも、答えを返すことも無く……――ただ静かに、その場を去って行ったのだった。
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