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Ⅱ 薫香店の看板娘
第33話 プロコトルス公爵家の使徒(過去語り)
しおりを挟む「生ける伝説」と「至宝の少女」が、去った。
彼女らが入って来た時と同じく、ひっそりと屋敷を後にしたのを見送ったプロトコルス公爵。彼は、未だ地面にへたり込んだままの見回りの兵士を一瞥すると、そっと苦い息を吐いた。
店主やミリオンの前では物分かりの良い男を演じはしたが、実際は公爵家のためになら躊躇なく冷酷な判断も下す非道な――貴族当主らしい男だ。だから今も何気ない表情を装いつつ、頭の中では、要らぬ情報を知りすぎた兵士を上手く消す方法を算段していた。だが、それは些末事にすぎない。問題なのは――
(セラヒムがこれほどに愚かな真似をするとは。成し得たのならばまだ良かったが、中途半端にしくじったお陰で、厄介な者達に遺恨だけを残すことになった)
思い浮かべるのは無害そうな少女と、彼女を護ることを見せ付けにやって来た、この公爵家とは因縁浅からぬ老婆の姿だ。
「愛に生き、蘇生の御業を成し得たお方……か。そこだけ切り取れば美談だか、そうせざるを得ない状況を作り出した、恐ろしい方でもあるのだからな。むざむざ逆鱗に触れる真似はすまい」
呟きながら、石塀の上に設えられた剣と宝珠を掲げる像へ向けた視線は忌々し気でありつつも、畏怖を湛えていた。
今から150年前、王家に生を受けた一人の青年と、一人の公爵令嬢の婚約が結ばれた。やや情に絆されやすく頼りない面も有りつつも、慈悲深い彼は国民に愛された。国を導くにしては優しすぎる心根の青年を支えるべく選ばれたのが、焔使にもっとも近いとされている少女だった。彼女は風貌はもちろんのこと、強靭で苛烈な性質を持つところまでも件の使徒に近いとされていたが、無意味な暴力を振るう意味ではなく、家族や友人、長じては領民を護るためにその強力な魔法は振るわれた。そんな二人だったから、互いを補い合う良い国王夫妻になるであろうと国民たちは期待した。
だが彼らが共に国を支える日は終ぞ訪れることは無かった――――。
大勢の国民や、王妃となるべく日々研鑽を積んでいた公爵令嬢が夢見た未来。それは何の力も、欲もない、ただの少女がもたらした「愛」によって脆くも崩れ去ったのだ。
純粋無垢な下級貴族の少女と若き王子、そして婚約者である公爵令嬢の3人によって引き起こされた事件は国王と公爵家当主に伝えられるのみで、歴史の奥底に隠されている。けれども、その出来事により王家が公爵家に対して負い目を抱えたことは、事件以降、焔使の血族であるプロコトルス公爵家が重用され続けていることから明らかだ。
150年前の事件は次の焔使が現れるまで終わることはないし、老婆が居る限り、焔使は現れない。
老婆の存在が、事件の継続そのものなのだ―――。
公爵が音高く手を打ち鳴らすと、離れた場所でこちらの様子を伺っていた執事が足早に近付いて来た。
「王城へ、急ぎ謁見の申し入れを。プロトコルス公爵家に『かのお方が姿を見せられた』と、そう伝えよ」
ただ一言、国王にそう伝えるだけで老婆の望みは叶うことになる。オレリアン伯爵が口を挟むことなど許されない。婚約をはじめ、あらゆる契約を司る神殿も、使徒を崇める場所である以上、どんな無理を圧してでも従うことになるだろう。
一番の抵抗を見せそうなのは、当事者であるのに何の事情も知らぬセラヒムだろうが、公爵は今の状況を招いた彼自身に同情する気は無い。セラヒムが幼い頃より嫡男のスペアである立場に不満を抱き、権力を得ようと野心を燃やしていることは承知していた。嫡男以上の才覚を見せるのならば、その立場を逆転させることも視野に入れてはいる。だからこそ、自身の失策で陥った苦境を乗り越える力を見せてみよと、公爵は冷淡な仮面の下で考えるのだった。
皮肉にも当初の予定通り婚約解消となったセラヒム。この時、いつものように学園高等部で領地経営についての講義を受けていた彼が、自身の婚約解消について知らされるのは帰宅した直後――全ての婚約解消の手続きが驚異の迅速さで終えられた後であった。
執務机に座したまま両肘を着いて顔の前で組んだ両手で口元を隠した父親と、それに対峙して立ち尽くすセラヒム。
執務机横に設えられた大きな窓から夕陽が射し、室内には濃い陰を作り出す。赤々とした光は、公爵に老婆の瞳を思い起こさせ、監視されているかの様な嫌な気配を覚えた。
「お前は、破滅への穴を塞ぐ、踏んではいけない渡し橋を踏み抜いたのだ。オレリアンの二の娘のことは諦めよ」
「何を仰っているのですか」
「あの日、私兵を連れ出し、オレリアンの屋敷で騒ぎを起こしたこと。その失敗を忘れたとは言わせん」
「失敗などではありません!あのお陰で、私は見誤ってしまうところだった婚約者の価値を、正しく知ることになりました」
「だが、お陰で寝た子を起こすことになったぞ。分かりやすいハリボテ天使にまんまと乗せられおって。だがあれも偽物だと確定したわけではない。スペアで終わりたくないのならば、精々あれを繋ぎとめるよう励むことだ」
学園から帰ったセラヒムは、父の言を受けて呆然と虚空に視線を彷徨わせた。
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