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Ⅱ 薫香店の看板娘
第17話 推しの居る至福の時間
しおりを挟む「コゼルト薫香店」は平民街の外れに位置し、背後に林が控えた長閑な立地だ。林には、香木となる木々だけでなく、甘い果実をつける広葉樹や、ハーブの群生地も内包する豊かな自然体系が広がる。
この店に世話になるようになってからのミリオンは、いつも陽の高いうちは薫香店の手伝いをしていた。だから、仕事が終わるのは夕刻以降となったため、林は身近ではあったけれど、踏み入ることは出来無かった。
(やっと林に入れるのね! 楽しみだわ。明るい内じゃないと危険だから行けなかったのよね。道らしい道も無いからうっかり迷子になったりしたら、コゼルトやペシャミンに迷惑をかけてしまうんだものね)
それにちゃんと気付ける自分はよく我慢した! と、自信満々にふんすと息を吐くミリオン。それから大きく深呼吸をすると、足取りも軽くどんどんと林の奥へと進んで行った。
林の中は、程よく木漏れ日が差し込み、足元に美しい光の文様を描き出す。
小鳥の鳴き声が穏やかに響き、時折小さな生き物がちょろちょろと視界の隅を動くのも楽しい。
(なんて素敵なの! 本の挿絵とは比べ物にならないくらい鮮やか! 芳しい! 華やか! 清々しい! 素敵すぎるわ!!)
踊りだしたい位の高揚感に見舞われたミリオンは、五感で自然を楽しみながらズンズン林を奥へと進んで行く。帰り道のことなど既に頭から抜け落ちている。
「で? 君はまた迷子になってるのかな」
笑いを含んだ愉しげな声で語り掛けて来たのは、翠髪の美しい少年だった。以前出会った薄暗い路地裏でも美しかった少年は、光溢れる林の中ではさらに生き生きとして力強く、色鮮やかで華やかで―――
「妖精みたい」
ぽーっと頬を染めてぽつりと呟いたミリオンは、自分の声に慌てて両手で口元を塞ぐ。
少年は一瞬呆気にとられたあと、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべて恥ずかしがるミリオンの顔を間近で覗き込んだ。お陰で、魔法を使っていなくてもエメラルドに輝いている瞳と、明るく彼の表情を彩る、明るく跳ねるショートカットの美貌の直撃を受けてしまう。
(きゃ――――! きれいすぎるわ! できそこないのわたしが同じ空気を吸うなんて、できないわ! けど目を離すなんてもったいないわ!)
思いがけない推しの登場と、至近距離での接触に、ミリオンはワクワクと混乱した。
思いがけない推しの登場と、至近距離での接触に混乱をきたした彼女は、結果を何も考えずに、興奮のまま思いついたことを実行する。
――結果
「何やってんの! 息を止めたまま目を剥くって、怖すぎるんだけど!? え? 僕、嫌われてんの!?」
「ふぉんな んくぅ とぉ んぃ でふ」
「取り敢えずこの手を放して! 息しないと死んじゃうから!!」
真っ赤な顔で目まで充血しだしたミリオンの両手を、決死の表情の少年が強引に両側に引っ張る。
「んぶっっはぁ――――――!!!」
限界を迎えようとしていた時に、鼻と口の覆いを勢いよく剥がされたミリオンは、生存本能のまま盛大に息を吸うこととなった。ちなみにこの時、ミリオンと少年は両手を取り合い、至近距離で向き合った格好だ。
口の中に、肺に、身体の隅々に、林の心地良い空気だけじゃなく、少年から微かに感じる、どこか甘い薫りまでもが染みわたって来る。
(至福!!)
全ての感覚を噛み締めて、じっと静止したミリオンに、少年は至近距離のまま爆笑したのだった。
「なぁにやってんだよ! 死にそうになったり、ニヤついたり、コロコロ表情を変えて飽きない子だなぁ」
そのお陰か、唾の直撃まで受けたミリオンは、さすがに正気に戻った。
「ちょっ! ひっどぉーい! 思い切り向き合って、わたしの顔で笑ったわね! 可愛くなくたって落ち込むわ!? 唾も飛んできたわ!」
「へ? 可愛いけど、なに言ってんの?」
猛然と湧き出た憤慨の気持ちは、きょとんと眼を見開いた少年の言葉でしゅしゅんと勢いよく萎んでしまう。代わりに、先程とは違う意味で真っ赤になったミリオンは、涙目になりつつ少年と見合う事しかできない。さらに両手を繋ぎ合っているため、顔を隠すことも出来なければ離れることも出来ない。
「かっ……かわ!?」
「んん?」
こてり、と首を傾げる少年は、的外れなミリオンの言葉に愉し気だ。だからなのか、掴んだ手はしっかりと握られて至近距離から逃れられないし、彼女の表情の変化を見落とさない様じっと凝視するとともに、続く言葉に目を輝かせている。
「あなたこそ妖精みたいに綺麗で可愛いのに、わたしに可愛いって言うなんて! 反則よ――――!!」
林に木霊すミリオンの叫びに、またしても少年の大爆笑が続いた。
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