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魔獣と旅支度
しおりを挟む私とキャリンが奥の部屋から出てくると、冒険者ギルドの人のにぎわいが再びピタッとおさまった。
別に騒いでも騒がなくても良い。もうここには用はないのだ。
もの言いたげなみなさんの視線を無視して扉に手をかけた、その時。
「お嬢さん、その女は野蛮な魔獣に変わる辺境の民だぜ。襲われて身ぐるみはがされたらどうする?」
昼間から顔を赤くして酒の匂いのする男が声をかけてきた。
見回すと他の人たちも意味ありげにこちらを見ている。
余計なお世話、私はなるべく早く安全に首都に行きたいだけよ。
「私たちは冒険者ギルドの契約を結んだわ。違反したら登録抹消よ。たった一度の契約違反で一生の仕事をダメにするバカはいないでしょう?それに魔獣はメーユで一番強い竜使いの騎士よりも強いと聞くわ。安全な旅になるのは歓迎なのよ」
こんな所で色気を振りまいても銅貨一枚にもならない。
私はピシャリと言い返すと、勢いよく冒険者ギルドを出ていく。
「あの言い方。せっかくかわいいのに、もったいないな」
「いや、気が強そうだ。きっと面倒な女だぜ」
「キャリンといい勝負だ」
口々に言う男たちを女たちが殴っている。
「魔獣ごときがいい仕事を取ってごめんなさいね?まあ、私がこのギルドで一番強いからね」
と、後ろでキャリンが捨て台詞を吐いているのが聞こえた。
キャリンも敵が多そうなタイプである。
ひそかに私はキャリンに共感した。
***
「まず第一に、その厄介な顔と髪を洗いに井戸に行くわよ。それが終わったら豪華すぎる服を古着屋に出して、男物の服を何着か買いましょう」
キャリンが矢継ぎ早に言うので、訳も分からず井戸について行ったけど、井戸から桶で水を汲んだキャリンが私に頭からその水をざぶんとぶっかけたのでわずかに芽生えた共感がふっ飛んだ。
「ま、待って!」
「一番近い井戸がここだったけれど、この界隈は危険なの。早く洗って移動したいのよ」
キャリンは石鹸を私に塗りたくって、化粧とセットされた髪の整髪料を落としていく。
水をぶっかけられたドレスの薄い布が水にぬれて、身体に透けて張り付いてしまっている。
「ドレスが濡れたら売り物にならないんじゃない?」
「向こうが買い取った後、手入れをするのよ。関係ないわ」
水が!鼻に入る!
ゲホゲホと咳き込んでいる私に構わず最後のすすぎの水をかけ終わると、キャリンはふう、とタバコをふかし始めた。
渡された布で髪を拭きながら私は文句を言う。
「タバコは健康に悪いわよ。あと、髪がキシキシするわ」
「タバコで死ねたら本望。石鹸は安物なのよ、不満なら自分で買って」
まっすぐに整えられて巻かれていた金茶の髪はゴワゴワになってしまい、まとまりがつかない。
まだ完全に乾いていないその髪を、キャリンが勝手にくくってしまう。
すっぴんで人の前に立つなんて何年ぶりだろう。
灰色の細い目を彩るお化粧がない。
地味だ、地味すぎる。
もう、お嫁に行けない。
当分行く気もないけど。
タバコの煙をうまそうに吐き出して吸殻を小袋に入れるとキャリンは言った。
「少しはましになったじゃない。さあ、古着屋に行くわよ」
……どこ見て言ってやがる!私の化粧と髪は完璧だったのよ!
***
ポイポイとキャリンは男物の服を見つけては投げつけてくる。
それを必死で受け止めながら、私は文句を言った。
「古着屋ではドレスを売るだけではなかったの?もしかしてこの古着を私に着せるつもり?」
「当り前でしょう?」
キャリンは当然、というような顔で言った。
「まさか新品の服しか使ったことがない、なんて言うんじゃないでしょうね。そんなおきれいな服じゃ街道で目立って仕方がないわよ。山や砂漠、川を突っ切るにしても、新品じゃすぐに汚れちゃうし。とにかく古着が一番なのよ」
「それにしたって何で男物なの」
キャリンは「はー」とため息をつく。
駄々っ子を前にしたお母さんのように。
「年頃の女二人連れなんて襲われても文句が言えないでしょう?私は一流だけれど、あんたの魔法がどれくらいか知らない。なるべく予防しておきたいのよ」
「私はSランクだけれど?」
「エッ?」
おどろくキャリンにピラリ、と輝くカードを見せる。
おじいさまの事を考えれば当然である。
Sの上のランクがあったら、それをもらっていたはずだ。
「Sランクの魔法使いなんて、初めて見たわ……」
呆然とキャリンが言うので、私は意地悪く言った。
「そういうキャリンはどのランクなの?」
「Sランクよ」
当り前のように言った。悔しい。
「とにかく、私は着たいものを着たいように着るわ。古着じゃなきゃいけない理由は分かったけれど、せめてかわいいものを着たい。あなたと私はSランクで、やたらな男は斬って捨てれる。ダメかしら?」
キャリンがしぶしぶうなずいたので、私は男物を置いて娘の街着らしきものを探し始める。
かわいくって、動きやすくって、汚れても気にならないもの?
「胸を強調する服はやめておきなさいよ。本当に妓女に思われて、襲われても文句は言えないから」
キャリンが言うのも一理ある。
昔ながらの似合わない街着と胸を強調する街着を避けて、なおかつ自分の金茶の髪や灰色の瞳に合う服を探して山を作る。
「旅に荷物は困るから、3揃いくらいあれば十分なのよ。あと、その街着で本気で山や砂漠、大きな川を越えるつもり?」
「3揃いね、分かったわ。この街着で山でも砂漠でも川でも越えてやろうじゃないの。私は天下の魔法使い、ヘンリの孫よ」
「ヘンリ?!悪名高い戦場のマッドサイエンティスト、ヘンリの孫?!」
キャリンは小さく叫ぶ。
「ヘンリの名前は出さない方がいいわ。辺境生まれの私にはピンとこないけれど、元激戦地の酒場ではいまだにヘンリの名が呪詛と共に叫ばれる時がある。余計な恨みを買いたくないなら隠しておくのよ」
おじいさまは一体、何をやらかしたの……?
「広範囲の人を無差別に死に至らしめる爆発の魔術具や、水で体を包み込んで陸地で水死させる魔術具、考えるだけで恐ろしい……」
「爆発の魔術具は夜空に打ち上げるとキレイなのよ?水の魔術具は夏に顔だけ出して浸れば気持ちいいわ」
おじいさまが純粋に楽しんで作った魔道具がそんな風に利用されていたとは思わなかった。
戦争って怖いわぁ。
「あんたも作れるの?」
「当り前でしょう?」
キャリンが私をすごく厄介なもののように見た。
けれど私とキャリンは冒険者ギルドで契約を交わしたのだ。
契約破棄は許されない、破れば違約金か登録抹消だ。
がんばって首都まで案内してもらいましょう。
「それじゃ、化粧品と整髪料と石鹸を買って終わりね」
「バカじゃないの、化粧は禁止よ。石鹸は良いのを買いなさいよ。貸してね」
……ちゃっかりさんめ!
そしてこのゴワゴワ髪とすっぴんで出歩くのか。
あああ……。
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