落花流水【R18】

望月保乃華

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 序章 無情の川

 桐生とお凛

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 時は江戸。 山奥にひっそり暮らす月影の一族と言う忍びの住処に幼少名を桐生と言う男とお凛と言う女が居た。
共に若い。
 桐生は十七、 お凛は十五の齢だった。
 

 桐生はお家騒動で幼少期に悪の家来に因り暗殺されかけた所を一族を率いる典膳により救われ、 一族に拾われた。
 一方でお凛は高価な産着に包まれ妖しげな大きな刀と共に山中で捨てられて居たところを桐生により発見され、 
二人は兄妹の様に仲良く育った。
 
 典膳は、 お凛の背中にある奇妙な痣と、 共に捨てられて居た妖しい刀のことがずっと頭から離れなかったが、 
 暗殺剣の使い手である典膳でさえも、 鞘から抜刀すら出来ず扱えなかった。

 だが、 女人でありまだ年端も行かぬお凛は、 その妖しい光を放つ刀を使い典膳に立派な忍びと認められる程になった。
 『まだ年端も行かぬか弱い女人のお凛に使いこなせるのは、 おかしい』

 典膳はお凛の持つ刀を妖刀と確信。
 妖刀の名を調べると古くから鬼の眷属の待つ宝剣とされる龍之舞と判明した。

 典膳は迷って居た。 お凛は鬼の眷属で人ではない……。
 あの妖刀はお凛以外は扱えない刀なのだ。
 今はお凛さえも気付いていなかったが、 もし、 鬼として目覚めるとただで済まされなかった。

 典膳は、 最も信頼する一族の幸正を自室に呼び密談して居た。
 「お凛を斬る」
 
 夜中。 用足しでたまたま典膳の部屋の前を通った桐生は、 典膳たちの恐ろしいお凛の暗殺計画を聞いてしまった。

 桐生は、 またも落ち延びた残党に命を狙われぬ様に幼少名を生涯に名乗ると決めて居た。
 慌ててお凛の寝所に駆け込む桐生。

 眠って居たお凛はしどけない襦袢姿というあられもない姿で乱れた胸元を抑えて桐生を咎めた。
 「桐生さま、 ……何ということを! わたくしとて女人でございます!」

 悩ましいお凛の襦袢姿に慌てふためいた桐生。
 「お凛、 誤解だ、 夜這いではない! ……今すぐここを出ろ、 お凛!」

 お凛は布団の傍に有る蝋燭立てを灯した。
 「桐生さま、 ……一体どういうことです?」

 桐生はお凛の部屋内を見回すと適当に着物を肩に羽織らせた。
 「詳しい訳は後で話してやる、 今はその刀を持って逃げるんだ、 お凛! 俺が付いてそなたを逃がす。
付いて来い、 お凛!」

 桐生は最早一刻の猶予もないと言わんばかりに細いお凛の手首を掴んで部屋から飛び出した。
 月影の一族居る山中はとても険しい山で、 桐生もお凛も手や足を擦りむいたり怪我をして居たが、 朝迄にこの
山を下りる必要があった。

 山を下りた時は既に寅の刻で明け方になって居た。

 貧乏長屋に迷い込むと、 井戸で大根を洗う為に女が出て来た。
 桐生は周囲を警戒しながら女に聞いた。
 「怪しい者ではない。 この長屋に空きはあるのか?」

 何も知らない女は桐生とお凛を見て呑気に茶化せた。
 「若いお二人さん、 何だい? 駆け落ちでもしたのかい?」

 呆気に取られる桐生とお凛。
 大根を持った女は二人をまじまじ見て続けた。
 「お武家さんのご子息だね? 祝言あげたいなら認めてもらいな。 大事になるから帰った方が良いよ」

 桐生は真剣な顔で女の前に立ち塞がった。
 「空いているのか、 いないかどちらだ!」

 あまりに真剣な怖い顔で言う桐生に女は渋々答えた。
 「一軒だけ空いているよ。 夫婦で住むなら丁度良いんじゃないのかね? あぁ、 じきに赤子もできる」

 恥ずかしさのあまりに顔を両手で覆うお凛。
 そんなお凛を見て真顔で女に桐生は答えた。
 「違う。 ここに住むのは、 ……このおなご一人だ。 ついでに尋ねる、 口入屋は近くにあるか?」

 大根を持った女は訳ありだと解った様で、 頷いた。
 「口入屋ならあるよ。 この長屋から一番近い茶屋で一人欲しいと言ってたがね。 他にもどぶさらいや、 
仕事を選ばないと、 この器量の良い娘さんなら何でもあるよ」

 とりあえず、 空いて居る長屋に案内されると慌ててお凛に伝えた。
 「俺も居ないとなると怪しまれるだけだ。 お凛、 今夜酉の刻に馬で又来る。 その時に話す」

 驚いたお凛。
 「桐生さま、 馬など何処に?」
 「そなたにもまだ言ってなかったが。 足の速い馬を持って居る」

 そう言うと桐生は足早に長屋から立ち去った。
 「桐生さま……」

 大根を持った女は笑顔でお凛に話しかけた。
 「あんた、 お腹すいてるんだろ? 握り飯と大根汁をうちで食べるといいよ」

 女は名をおりつと言う。
 おりつの住む長屋には三人の小さな子供と魚売りをする旦那、 おりつの母の五人暮らしで貧しかったが、 お凛に対してとても優しかった。


 一方で、 桐生は月影一族に帰り、 何も無かったかの様に無防備にも背中を向けて巳刻迄寝たふりをして居ると、 障子を無言で典膳が開けた。
 「桐生、 ……お凛を逃がしたな?」

 気怠いと言わんばかりに桐生は寝返りを打って典膳に聞いて居た。
 「お凛? 居ないんですか」

 典膳は桐生に近付いた。
 「とぼけるでない。 お主もお凛が人ではないと知ったからこそ逃がしたんであろう?
 あのおなごは……生かしておいてはならぬ! とんでもないことになるぞ!」

 桐生は又寝返りを打つと答えた。
 「そんな筈ないですよ。 お凛は俺の妹ですよ。 かりかりせずとも帰って来ますって」

 桐生に鋭い目線を向ける典膳。
 「何が妹だ、 ……お凛に惚れているだろう? お前がお凛を見る目は妹でなく女を見る目だぞ。
 儂をあまり甘く見るな桐生。 お凛を何処に隠した? 今すぐ連れて来い」

 桐生は一芝居打った。
 「あぁ……、 腹が痛い。 厠に行かせて貰わないと此処で漏れそうです」

 そう言って尻を押さえて急いで厠に向かう桐生。
 『典膳さま。 お凛を連れ帰る訳にはいかないんでね……。 お凛、 俺が今夜行く迄大人しく待って居ろよ』

 桐生はお凛の身に何かあったらと思うと嫌な不安に駆られた。

 一方でお凛は一人で長屋に居ると落ち着かずに、 おりつに教えて貰った口入屋に足を運んだ。
 口入屋の主人はお凛を見て微笑んだ。
 「実に美しい娘さんですな。 丁度茶屋で一人欲しいと言ってましてね。 どうです? 茶屋で働きませんか?」

 口入屋で紹介された、 長屋から然程離れていない茶屋に行くと二つ返事で女将さんから働いて欲しいと言われ、 
 慣れないながらも茶屋で働くことになった。


 口入屋

 奥に居た人相の悪い妙に派手な着物を纏った男が口入屋の主人に聞いた。
 「今のおなごは?」

 口入屋の主人は薄笑いを浮かべた。
 「お代官さま、 ……お好みでございますか?」

 代官も薄笑いを浮かべた。
 「素性も解らぬが実に良い女だ。 あのおなごは何処に住んで居る?」

 鋭い眼差しを送る口入屋。
 「私とて口入屋。 滅多なことを話せる筈もございませぬ」

 代官は懐から小判を三枚口入屋に投げた。
 「金か。 口入屋、 教えろ」

 何事もなかった様に口入屋は小判を懐に仕舞うと独り言の様に呟いた。
 「そこの貧乏長屋に居る娘にございます」

 代官は少し鼻で嗤う様な仕草をした。
 「貧乏長屋なら何も無いと思うが中を調べさせるか」

 何も知らないお凛は茶屋で一生懸命に働いた。
 申の刻になりかけ陽も暮れ初めて居た。 女将はお凛に帰る様に言うと
 「又明日もお願いね」
 とみたらし団子を三本持ち帰らせた。

 長屋に帰りながらお凛は酉の刻に桐生が来るのを待ちわびて居た時、 
後ろから来た数人の男たちに籠に押し込められるお凛。

 両手と両足を縛られ、 口に猿ぐつわを噛まされて居た為、 声も出ない。

 かなり籠で走った先は大きなお屋敷の趣味の悪い布団を敷かれた一室に放り投げ込まれたお凛。
 用心棒であろう連中がお凛の頬に刀を突きつけて居て必死にもがくお凛。
 「静かにしねぇか! このあま!」

 お凛の頬に涙が伝う。

 これ又趣味悪い豪華な襖を開けて代官が入って来て縛り付けたお凛の顎を持ち上げた。
 「お前さん、 ただの娘だと思って居たが。 妙な物を持っているな。 あれは妖刀・龍之舞。
 気に入った。 その美貌もな。 儂の妾にしてやろう。 お前達、 下がりなさい」

 「へい」
 頭を一旦下げて代官の部屋から出て行く男達。

 代官はいきなりお凛の胸元をはだけると既に乱れた着物の裾を乱暴に捲った。
 「いや! やめて!!」

 代官は笑いながら弄ぶ様にお凛の帯を解いて裸にすると布団に押し倒した。
 「いや!!」

 悲痛なお凛の叫び声は、 大きなお屋敷の中で無残にも消された。


 その頃、 長屋でおりつは目刺しを焼いたのでお凛に持って行ったが荒らされた形跡があり、 不安に駆られた。
 長屋に住む連中に聞いたり茶屋の女将に聞いたところ半時程前に帰ったと言われ途方に暮れるおりつ。

 酉の刻。 馬で長屋に現れた桐生におりつは慌てふためいて居る。
 「お凛さん居ないんだよ……、 部屋も荒らされてる。 どうしたらいいのか……」

 蒼褪める桐生。
 「何だって……?! 何者だ、 一体誰が!」 
 桐生は馬を走らせて片っ端から市中を走り回ったが戌の刻になってもお凛は見つからなかった。


 一方、
 布団で襦袢だけ無造作に掛けられたお凛はただ裸のまま泣いて居た。

 泣いて居るお凛を見ながら満足そうに煙管を吹かせる代官に用心棒が尋ねた。
 「あの女、 どうします? 遊郭へ売っても良い値が付くかと」

 代官は首を横に振った。
 「いや。 あれはただのおなごではない。妖刀使いの忍びだろう。 一見妾にして忍びとして使ってからでも
遅くなかろう? まだあれ程若いのだからな。 使い道などいくらでも有る」


 布団で泣きじゃくるお凛は、 ただ、 桐生の名を微かに呼んで居た。
 「桐生さま……わたくしは汚れた身になってしまいました……。 桐生さまに合わせる顔がありませぬ……」

 お凛は、 綺麗で豪華な着物と住んだ事もない絢爛な一室を用意されたが、 用心棒二人に両脇を抱えられる様に
投げ込まれた。 用心棒がお凛を見張って居て、 外出など無論できる筈もない。 お凛が持って居た妖刀も懐剣も
代官から奪い取られた。 自害も許されない。


 「桐生さま……」
 お凛はその場に泣き崩れた。


 一方、 馬で市中を走り回って居た桐生だったが、 お凛に何かあったと気付いて馬を止め己の足で一軒一軒尋ね
歩く。
 呉服問屋の番頭に似顔絵を見せて尋ねた。
 「こんな娘を御存じでないですか?」
 番頭は似顔絵を見たが首を傾げて横に振り困った顔をした。
 「さぁ……、 うちは呉服問屋で、 若いお客様は何人もいらっしゃいますが。 この方を見たこともないですね」

 何軒も何軒も訪ね歩いて路地裏で座り込む桐生。
 「お凛……。すまぬ。 俺が付いて居たらこんなことには……。 ただ、 無事でいてくれよ」
 
 亥の刻。 桐生は月影一族の山に帰らず、 お凛を待つ為に長屋で居ながら、 お凛を探すことにした。
 古い薄汚れた布団に仰向けに横になる桐生。
 お凛を逃がした上に、 勝手な行動を取る桐生を典膳が許す筈もなかった。
 「お凛の消息を追うか。 ……確かお凛は口入屋に初めに行った筈。 口入屋ならお凛を知って居るだろう」

 翌朝・巳の刻。
 桐生はお凛の行ったと思われる口入屋に足を運び、 似顔絵を見せ尋ねた。
 「この女人を知りませんか?」

 口入屋は一瞬鋭い目をしたが、 無表情になり首を横に振った。
 「さぁ……、 こういう方はうちに出入りありませんね。 お侍さん、
用がないなら出て行ってもらえますか。 邪魔です」

 桐生は落胆した。
 「あぁ……、 すまぬ。 来るところを間違えた様だ」

 桐生が口入屋を後にした時、 慌てて文を代官に届けされる口入屋。
 口入屋からの文を開いた代官は怒りに手を震わせた。
 「何? 若侍がお凛を探して居るだと? ……何奴だ?」
 「お代官、 あの女に男が?」
 
 代官は薄笑いを浮かべた。
 「そんな筈はない。 あの女は生娘で儂が女にしてやった」

 用心棒二人を呼び、 お凛を探す若い侍を探せと命を下した。

 午の刻。 桐生は八丁堀の同心を訪ねてお凛の似顔絵を見せたが昼飯時で面倒な顔をされた。
 「女がいない? ……何処からもそんな報告は受けてねぇよ。 お前さんどこの侍だ? 見つけたら教える」
 「長屋に居る……」
 
 蕎麦を食べて居た同心は改めて桐生を見た。 身なりも良い何処か旗本を匂わせる雰囲気。 
立派な刀を腰にした侍と長屋は不釣り合いであり、 同心は不思議に思った。
 「長屋? ……あの貧乏長屋か? お前さん何者だ……?」

 桐生は咄嗟に山から降りて来たしがない侍でお凛は女房だと答えた。

 同心はやる気のない口調で書き留めて居た。
 「お前さんの稼ぎ足りないから女房に逃げられたんじゃないのか? ……まぁ良い。 このご時世だ。 
浪人なら仕方あるまい。 解った。 何か解ったら知らせを持って参るから待っておれ」

 同心は蕎麦が伸びると言い、 そそくさと桐生を追い払った。 

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