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63 ただ、そばにいさせて。【終】
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「店長、紅茶とか飲む?」
「あ……はい」
身支度を整えて、ちょっと気恥ずかしくなりつつ会話をした。
僕はベッドの淵に背を付けて膝を抱えながら、森下くんがキッチンに立つ姿をぼーっと眺めた。
さっきの甘い時間の最中は、あんなに熱烈に僕の名前を呼んでくれたのに、また店長に戻ってる。
名前、呼んでほしいな……。
そうは言えずに、紅茶の入ったマグカップを受け取った。
森下くんも同じように飲むのかと思いきや、手には何も持っていなかった。
「君は飲まないんですか?」
「あー、うん。店長が飲んでる姿を、見守ってる」
頬杖をついて覗き込んでくる森下くんは、ちょっと頬を赤く染めている。
心臓に悪いので、彼の方に背中を向けて飲んだ。
それでもやっぱり森下くんの視線がちくちく刺さる。
僕はどうにか名前を呼んで欲しくて切り出した。
「君に店長会で名前を当てられたとき、結構びっくりしたんですよ」
僕らが初めて隣同士で肩を並べたあの日。
もらった資料の端に名前を書いていた君に倣って、僕も自分の名前を書いてみた。『僕の名前が当てられたら、ビールを奢ってください』と言われて、ドキドキしたのを覚えている。
「央登をまさか一発で当てられるとは」
「知ってたから」
「え? 知ってた?」
「うん。店長会でしゃべる前から、名前知ってたんだよ」
森下くんは立ち上がり、スタンドシェルフにあったクリアファイルを出して、一枚の紙を渡してきた。
去年の秋頃に出たSCのチラシだった。新店オープンの知らせやイベント予告などが載っているのだが、その隅の方に小さく、自分の顔も載っていた。
今よりも短髪な自分が、今季のおすすめ商品として圧縮ウールのダッフルコートを片手に持って、少々ぎこちなく笑っている。
[スタッフ 青山 央登]ときちんと振り仮名付きで掲載されていた。
「これ……でもこれって、君がこっちにくる前のチラシじゃないですか?」
「たまたま、休憩室のマガジンラックに残ってたのを見つけたんだ」
ということはあの時、もし名前を当てたら奢ってくれのくだりは……
すこし面映い気持ちになって、紅茶を焦って一気飲みした。
「騙してたんですか? 本当は知ってたのに、あんなことを言ってまで僕と……」
「ずっと、店で視線を感じてて気になってたから。最初、女の人に見られてるのかなって思ってたんだ」
森下くんに一目惚れして、しょっちゅう一人で店に足を運んでいた頃。
やっぱりバレていたんだ。こんな、女みたいにナヨナヨした僕なんかにストーカーされて、さぞ気持ち悪かっただろう。
「すみません、女っぽくて」
「あ、違う、店長が女に見えたって意味じゃないよ。店に立ってる間、なんとなく視線を感じるんだけど、誰が俺を見てるのかはわからなかったんだ」
「で、男の僕が見ていることに気付いたと」
「うん。一度、目が合ったのにすぐに逸らされたんだよね。顔を思い切り背けて。覚えてない?」
あぁ、覚えている。
遠くのテーブルで注文を受けている森下くんを、美しいなと思いながらじろじろ舐め回すように見ていたことがある。注文を取り終えた森下くんが顔を上げた瞬間、ばっちり目が合ってしまい、一瞬で冷や汗をかいたのだ。
それ以降はメニュー表に隠れてこっそり見るようにした。そうしても結局は見ていたことに気付かれていたけど。
「もしかして、ずっと俺を見てるのってこの人かなって、ちょっと気になるようになっちゃった。だから俺、あの時店長を誘ったんだ」
ということは、森下くんは僕にほだされた、という言い方をしてもいいのだろうか。
僕に好かれて嬉しい人なんていないと思っていた。
誰かと幸せになるなんて、夢の話だと思っていた。
また胸がきゅっとなって、僕は勢いに任せて頼み込んだ。
「店長じゃなくて、名前で呼んで欲しいです。恋人、だし」
「……店長」
じゃなかった、と自分にツッコミながら、森下くんは僕の首の後ろに手を回して、啄ばむみたいにキスをした。
「ひさとさん」
「……はい」
「俺だけの央登さん」
「……」
「俺のことも、名前で呼んでみてよ」
「えっ」
「もしかして俺の名前知らない?」
君はLINEにフルネームで登録してるんだから、僕が知らないわけないだろ、とツッコミたくなるけど。
やっぱりずるいなと思ってしまう。僕よりも先に、君は僕の名前を知っていただなんて。
言い渋っているうちに、前髪を割られて、額にもキスを落とされた。
メガネがずれるけど、それは直さずにぬくもりをひたすら感じる。
「早く、俺の名前呼んでよ。じゃないと今日もこの家に泊めるよ? 明日早番だから、一旦家に帰るんでしょ?」
そうだ。着替えがないし、今日はなんとしてでも家に帰らないと。明日の朝、ここから出勤だなんて出来ない。着替えはないし……まぁ、店で服を社販するっていうのもありといえばありで……。
「時間切れ。今日もここに泊まってね」
「いや、それは困ります。帰りますよ絶対に」
だが僕の足は立ち上がろうとしない。
心が叫んでいるのだ。森下くんと、まだまだ一緒にいたい。今日だけじゃなくてこの先も、ずっとずっとそばにいさせてほしい。
『拓真』と名前を呼べたのはその日の夜、森下くんの寝顔を確認してからのことだった。
誰よりも一番近くで、君の笑顔を見ていたいのです。
それがきっと、僕の一番のしあわせですから。
*Fin*
「あ……はい」
身支度を整えて、ちょっと気恥ずかしくなりつつ会話をした。
僕はベッドの淵に背を付けて膝を抱えながら、森下くんがキッチンに立つ姿をぼーっと眺めた。
さっきの甘い時間の最中は、あんなに熱烈に僕の名前を呼んでくれたのに、また店長に戻ってる。
名前、呼んでほしいな……。
そうは言えずに、紅茶の入ったマグカップを受け取った。
森下くんも同じように飲むのかと思いきや、手には何も持っていなかった。
「君は飲まないんですか?」
「あー、うん。店長が飲んでる姿を、見守ってる」
頬杖をついて覗き込んでくる森下くんは、ちょっと頬を赤く染めている。
心臓に悪いので、彼の方に背中を向けて飲んだ。
それでもやっぱり森下くんの視線がちくちく刺さる。
僕はどうにか名前を呼んで欲しくて切り出した。
「君に店長会で名前を当てられたとき、結構びっくりしたんですよ」
僕らが初めて隣同士で肩を並べたあの日。
もらった資料の端に名前を書いていた君に倣って、僕も自分の名前を書いてみた。『僕の名前が当てられたら、ビールを奢ってください』と言われて、ドキドキしたのを覚えている。
「央登をまさか一発で当てられるとは」
「知ってたから」
「え? 知ってた?」
「うん。店長会でしゃべる前から、名前知ってたんだよ」
森下くんは立ち上がり、スタンドシェルフにあったクリアファイルを出して、一枚の紙を渡してきた。
去年の秋頃に出たSCのチラシだった。新店オープンの知らせやイベント予告などが載っているのだが、その隅の方に小さく、自分の顔も載っていた。
今よりも短髪な自分が、今季のおすすめ商品として圧縮ウールのダッフルコートを片手に持って、少々ぎこちなく笑っている。
[スタッフ 青山 央登]ときちんと振り仮名付きで掲載されていた。
「これ……でもこれって、君がこっちにくる前のチラシじゃないですか?」
「たまたま、休憩室のマガジンラックに残ってたのを見つけたんだ」
ということはあの時、もし名前を当てたら奢ってくれのくだりは……
すこし面映い気持ちになって、紅茶を焦って一気飲みした。
「騙してたんですか? 本当は知ってたのに、あんなことを言ってまで僕と……」
「ずっと、店で視線を感じてて気になってたから。最初、女の人に見られてるのかなって思ってたんだ」
森下くんに一目惚れして、しょっちゅう一人で店に足を運んでいた頃。
やっぱりバレていたんだ。こんな、女みたいにナヨナヨした僕なんかにストーカーされて、さぞ気持ち悪かっただろう。
「すみません、女っぽくて」
「あ、違う、店長が女に見えたって意味じゃないよ。店に立ってる間、なんとなく視線を感じるんだけど、誰が俺を見てるのかはわからなかったんだ」
「で、男の僕が見ていることに気付いたと」
「うん。一度、目が合ったのにすぐに逸らされたんだよね。顔を思い切り背けて。覚えてない?」
あぁ、覚えている。
遠くのテーブルで注文を受けている森下くんを、美しいなと思いながらじろじろ舐め回すように見ていたことがある。注文を取り終えた森下くんが顔を上げた瞬間、ばっちり目が合ってしまい、一瞬で冷や汗をかいたのだ。
それ以降はメニュー表に隠れてこっそり見るようにした。そうしても結局は見ていたことに気付かれていたけど。
「もしかして、ずっと俺を見てるのってこの人かなって、ちょっと気になるようになっちゃった。だから俺、あの時店長を誘ったんだ」
ということは、森下くんは僕にほだされた、という言い方をしてもいいのだろうか。
僕に好かれて嬉しい人なんていないと思っていた。
誰かと幸せになるなんて、夢の話だと思っていた。
また胸がきゅっとなって、僕は勢いに任せて頼み込んだ。
「店長じゃなくて、名前で呼んで欲しいです。恋人、だし」
「……店長」
じゃなかった、と自分にツッコミながら、森下くんは僕の首の後ろに手を回して、啄ばむみたいにキスをした。
「ひさとさん」
「……はい」
「俺だけの央登さん」
「……」
「俺のことも、名前で呼んでみてよ」
「えっ」
「もしかして俺の名前知らない?」
君はLINEにフルネームで登録してるんだから、僕が知らないわけないだろ、とツッコミたくなるけど。
やっぱりずるいなと思ってしまう。僕よりも先に、君は僕の名前を知っていただなんて。
言い渋っているうちに、前髪を割られて、額にもキスを落とされた。
メガネがずれるけど、それは直さずにぬくもりをひたすら感じる。
「早く、俺の名前呼んでよ。じゃないと今日もこの家に泊めるよ? 明日早番だから、一旦家に帰るんでしょ?」
そうだ。着替えがないし、今日はなんとしてでも家に帰らないと。明日の朝、ここから出勤だなんて出来ない。着替えはないし……まぁ、店で服を社販するっていうのもありといえばありで……。
「時間切れ。今日もここに泊まってね」
「いや、それは困ります。帰りますよ絶対に」
だが僕の足は立ち上がろうとしない。
心が叫んでいるのだ。森下くんと、まだまだ一緒にいたい。今日だけじゃなくてこの先も、ずっとずっとそばにいさせてほしい。
『拓真』と名前を呼べたのはその日の夜、森下くんの寝顔を確認してからのことだった。
誰よりも一番近くで、君の笑顔を見ていたいのです。
それがきっと、僕の一番のしあわせですから。
*Fin*
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