ただ、そばにいさせて。

こすもす

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 ゆらりゆらりと、たゆたう僕の気持ち。
 湿度が高かった店内から外に出ると、幾分か風が頬を掠めて気持ちが良かったけど、火照った体と心を冷ますのには距離が足りなかった。

 彼の家はすぐそこだ。
 僕らはまるで旅先から帰宅してきたあの時のように、何事も無かったかのように部屋に入った。
 部屋の奥にいくと、無地のTシャツとスウェットのような緩いズボンを渡された。

「これ、良かったら使って。この前買ったばっかりだからまだ着てないよ」
「いえそんな、使い古しので大丈夫です」
「いいって……それに、いつも俺が着てるやつを店長に着てもらうのはちょっと……照れくさいっていうか、嬉しいっていうか」

 取り留めもなくモゴモゴと言う森下くんが、僕は可愛くて仕方がない。
 あらぬ妄想をしてしまい、僕は大人しくそれを受け取ることにした。

「風呂入るでしょ? 洗ってくるから、適当に飲んでて」

 冷蔵庫から、常備してあった缶ビールを取り出してテーブルに置かれた。
 正直、胸がいっぱいでもう何も口に出来ない気がする。
 バスルームに入ったのを見届けて、置かれた缶ビールをじっと見つめた。

 なんかこの状況、まるでカップルみたいじゃないか…?
 僕は当たり前のようにここに居座っているが、泊まっていいよだなんて言われていない。もちろん僕からもお願いしていない。
 今更、やっぱり帰ってと言われても困るのだけど。

 もしかして僕ってかなり図々しい奴なのでは……。
 友達が少なすぎてこういう状況に陥ったことがないので、正解が分からない。世間的に、家主が好意的に泊めようとしてくれている時はただ甘えたらいいのだろうか。

 そうやって考えているうちに、森下くんがバスルームから出てきた。
 素足をタオルで拭っている姿を見て、そういえば彼はいつもシャワーで済ませていると聞いたことがあるのを今更思い出して、申し訳なくなった。

「すみません。わざわざ洗ってくれたんですよね、僕の為に」
「ん、いいよ。俺もたまには湯船に浸かりたいし。そういえば店長、明日何番なの?」
「遅番です。君は?」
「中番。だったらゆっくりできるね」
「あの、すみません、泊まらせてもらっても大丈夫ですか」

 森下くんは心底驚いた表情をして、僕の前に腰を下ろした。

「当たり前じゃん。電車無いのにどうやって帰るの」
「タクシーとか」
「えー? もしかして泊まりたくないの?」
「泊まりたくない、訳では……」
「電車の時間がって言い出さなかったから、俺ん家に行きたいんだろうなって勝手に解釈したんだけど」
「いや! 話に夢中になっていて、時計を見るのを忘れていたんです! まさかこんな時間になっていただなんて!」

 苦しい言い訳である。
 半分嘘で、半分本当。確かに話はしていたけど、時間はちらちら気にしていた。『電車大丈夫?』とそっちから切り出されたら、ちゃんと帰ろうと思っていたのだ。だがそれが無かったので、僕は帰るタイミングを逃したのだ。
 ……苦しい言い訳である。

「店長のそういう所だよ」
「何がですか」
「可愛いなって思うところ。なんか庇護欲を駆き立てられる」

 森下くんは僕の前髪を割って、額にキスをした。

「風呂、また一緒に入ろうよ」

 その蜂蜜色の瞳が、揶揄うみたいに弧を描いて僕を覗き込んでいる。
 きっとバスルームは、この間一緒に入った浴場の五分の一の大きさにもならない。そんな狭い空間に押し込まれた僕の体はきっと悲鳴を上げる。大好きな人と、また密着するだなんて。

 触れ合うことを望んでいたくせに、いざそうなろうとすると怖くてたまらない。幸せを簡単に受け取れないんだ。沸いてくる感情を剥き出しにできる勇気は、まだない。

「嫌です。別々に入りたいです」
「ゆず湯にする? それともラベンダーの香りがいい? カモミールの入浴剤も確か入ってた気がする」
「森下くんがお好きなもので!」
「店長も好きな匂いがいいでしょ。だって一緒に入るんだし」
「入らないって!」

 押し問答の末、数分後には箱の中に一つだけ残っていたベルガモットの入浴剤を選んでいたのだった。
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