ただ、そばにいさせて。

こすもす

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34 額にキス

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「……すみません」

 素直に謝ると、森下くんはあっとなってかぶりをふった。

「あ、俺もごめん、強く言っちゃって。店長がそうやって気遣ってくれるのは嬉しいよ。さっきも言ったけど、焦って作るものじゃないし……好きだなって思う人は店長だし」

 どうしてそんなに、僕を困らせようとしてくるんだ。
 こんな密室で、しかも裸の状態でそんな風に言われて、逃げようにも逃げられないじゃないか。

「……悪いんですけど、僕は、君のこと好きじゃないです」
「本当に? 俺、かすりもしないの?」
「……はい?」

 またムッとした声で言われたので顔を上げると、目と鼻の先に森下くんの顔があった。
 一点の曇りもない、澄んだ瞳で僕を見つめてくる。 
 狼狽して体を引いて距離を取るも、背後はすぐに壁だ。

「俺、今までの人生で告白って何回かしてきたし、上手くいった人もいたけど、中にはダメだった人もいた。振られた場合は、すぐに引き下がってたんだよね」
「な、何を言っているのか」

 全然分かりません……と続ける前に被せられた。

「だってみんな、明らかに俺に興味がないって態度で振ってくるんだもん。でも店長はさ、押せばどうにかなるんじゃないかって思っちゃう」
「どうにかって⁈」
「俺はタイプじゃないって言ってるくせに、たまにそうやって顔赤くさせるじゃん」
「の、逆上せているんです、これは」

 バレていた。指摘されると、死んでしまいたいくらいに恥ずかしい。
 すると次の瞬間、森下くんの手が僕の頬を流れた一筋の水滴を拭った。

「タイプじゃなかったけど、付き合ってみたら意外とウマが合ったって人もいるみたいだよ」

 心臓が一気に鼓動する。
 どくどくと、全身の血が騒ぐ。
 眼鏡をしていないのに視界良好で、崇高な美人と目と目を合わせたまま、身動きが取れなくなった。

「放してくださいっ、今すぐっ」
「嫌だったら、逃げたらいいよ」
「こんなっ密室で、卑怯ですよ!」
「じゃあ何処だったらいいの?」
「ど、何処でもよくないです!」

 体をひねったり、バシャバシャとお湯を顔に掛けたりして抵抗しているうちに、額に素早くキスをされてしまった。

 ちゅ、と親が子供にするみたいなキスだ。
 一瞬の出来事で、逃げる暇もなかった。
 僕は額を両手で押さえて涙目になる。

「……な、なに、して」
「ほら、こんなことしてもまだ逃げない。店長はやっぱり優しいなぁ」

 悪戯どっきりが成功したみたいにケラケラ笑われて、ますます体がヒートアップする。
 至近距離の瞳を見つめ返し、その意図を探ろうとするも全然わからない。顎を持ち上げれば、その唇に触れてしまいそうな距離だ。

 一旦、冷静になろう、冷静に!

「人を揶揄うのも大概にしてくださいっ。何度もやめてって言ってるのに……いい加減しつこいし、失礼ですよ」
「店長の方こそ失礼じゃん。俺が揶揄ってるって決めつけて」
「……え?」
「なんで俺のこと信じてくれないの? ちゃんと俺、ずっと前から本当のことを言ってるのに」

 真剣に言われて、言葉が出てこなかった。
 早く逃げろ。逃げなくては──

「す、少し落ち着いてください。きっと、旅の雰囲気に流されているんですよ」

 森下くんの両肩を押して距離をとろうとするも、その肌の質感や弾力を直に感じてしまって、余計に目眩がした。
 しかも彼はびくともしていないし、逆にその手を捉えられてしまった。

「どうして俺が、この旅行に店長を誘ったのかわからないの?」
「……友達みんな、都合が悪いって」

 観念したように、僕はポツリと呟く。
 嘘。本当に? 冗談じゃないの?
 僕がゲイだから、面白がっていたんじゃないの?

「んなわけないじゃん。店長と一緒に来たい理由があったからに決まってるじゃん」

 身体中が熱くなっているのは、温泉のせいだけじゃない。
 熱情。彼は本気なのだ。
 本気で僕のことを──

 森下くんは笑って僕の瞳を覗き込んだまま、顔を寄せた。

 そして僕は。
 その唇を、受け入れてしまった。

「──っ……」

 ぎゅっ、と拳を握る。
 こんな、ふうだったとは。
 キスってすごい。
 そんな中学生みたいな感想しか出てこない。

 唇の間をついてきた彼の舌先を、するりと受け入れる。飴玉を舐めてるみたいに、お互いの舌をころころと転がす。
 こめかみを伝ってきたお風呂のお湯も一緒に舐めとってしまう。独特な味がするけれど、決して離そうとはしなかった。
 
 一心不乱とはこのことか。
 頭がフワフワする。
 息苦しい。
 角度を変えられたので従順する。
 目をぎゅっと閉じていると、脳が収縮している感覚があった。
 酸素不足だ、と思って泣く泣く体を離してゆっくり目を開くと、微かな笑みを浮かべた森下くんと目があった。その森下くんの周りを、白いモヤが囲んでいる。

 これは湯気? いや、違う。
 そう認識する前に、視界全体を透明な膜のようなもので徐々に覆われていった。

 ふら、と頭が傾くと、すぐに森下くんの慌てた声が鳴り響く。

「て、店長ーっ! しっかりしてーーっ!」


 * * *
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