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ぎょっとして振り向けば、森下くんが全速力でこちらに走ってくるのが見えた。
それを見て僕もまた駆け出した。
「えっ、店長待ってよ! 止まってよ!」
逃げられる事が想定外だったのか、森下くんも焦ったように言って僕を捕まえようとする。
止まりたいけど、足は言うことを聞かない。
森下くんから何かを直接言われるのが怖いからだ。傷付きたくないなら、逃げるしかない。
側から見れば何事かと思うだろう。大の男が二人、夜の街を駆け抜けている。
「店長っ!」
足は森下くんの方が早かったみたいだ。
あっという間にその手に掴まれて、僕は咄嗟に腕を引きながら準備していた言い訳を早口で伝えた。
「あのっ、お腹が痛くなってしまったので、今日はこれでっ」
「嘘だろ? あんずが来てたから気遣ってんだろ。向こうが勝手に来てたんだから気にしなくていいよ」
あんず。あんずというのか、君の愛する人は。
頭でその名を繰り返しているうちに、果物の杏子が出てきて、そういえばちゃんと目にしたのはいつだったっけと馬鹿なことを考えているうちに、もう片方の手首も捕らえられてしまった。
「たまにあるんだよ。急に来たりする事。もし一緒には嫌だっていうなら、二人で外に食べに行ってもいいから」
「いえ、森下くんは、あの方と一緒に食事をして下さい。今日は本当に楽しかったです」
「なんでっ! 店長の思ってる事、ちゃんと言ってよ!」
そう言われて、外していた視線を森下くんに移した。
森下くんは少し怒っているようだった。
僕の行動が幼稚で理解できないのかもしれない。
こんな気持ち、話せる訳が無い。
僕は君が好きだけど、君の幸せを壊したい訳じゃ無い。なのに今僕は、彼女を見ただけで拗ねている。拗ねて、結果的に君の気をひこうとしている。そんな愚かな行為をしているのだ。
恥ずかしくて耐えられない。
こんな事、三十路前の男がするもんじゃない。
「店長」
急かされるように森下くんの手に力がぎゅっと入る。
僕はふぅと一息吐いてから、また早口で告げた。
「せっかくのお二人の時間を、僕が邪魔するわけには行きません。離れて暮らしているんでしょう? 僕とはいつでも会おうと思えば会えますし、今日は彼女さんと一緒に過ごしてあげて下さい」
少し、ぶっきらぼうな言い方になってしまっただろうか。森下くんの手がゆっくり離れて行った。
そして何故か、クスクスと笑われる。
何か変なことを言っただろうか。
心配になっていると、森下くんはもう一度「一緒に行こう」と言って僕の手を引いて歩き出した。
「あれ、彼女じゃないよ。妹!」
✰
「はじめまして。森下 杏です」
「青山です。先程は大変失礼致しました」
森下くんのアパートに戻ってきた僕は部屋に上がり、杏さんの前で正座をしてペコペコと頭を下げる。
ひたすら自意識過剰な勘違いが恥ずかしく、なかなか杏さんの方を見られない。
「あんな人の彼女だなんて絶対嫌ですよー。口煩いし、イビキもすごいし」
「おい、聞こえてんぞ」
キッチンにいる森下くんは、舞茸を手で毟りながら苦笑う。手伝おうとしたものの、杏さんと喋っててと言われてしまったので、大人しく待っている事にした。
「すみません、急に来てしまって。お兄ちゃん、自分じゃほとんど料理しないって言うので、たまに作りに来てるんです。両親は遠くに住んでいるので、代わりに私が」
「そうですか。仲が良いんですね」
「ぜんっぜん。彼氏がなかなか出来なくて暇だから来てるだけだって」
また森下くんは笑いながら突っ込むと杏さんはギロリとそちらを睨み「いい感じになってる人はいますー」と唇を尖らせる。
その時、横を向いた杏さんの髪にバレッタがしてあるのが見えた。
それは紛れもなく前に見た、アンティーク風の透かしレースの金のバレッタだった。
僕はホッと胸を撫で下ろす。
杏さんは森下くんの二個下で、ここから車で三十分くらい行った所にあるアパートで一人暮らしをしているそうだ。
実家で毎日顔を合わせていた頃より、たまに会う今の方がよく話すようになったという。
僕の事も色々と話している最中、森下くんが天ぷらを揚げ始め、部屋の中が換気扇の回る音とパチパチと油の跳ねる音でいっぱいになったのを良いことに、杏さんにこっそり聞いて見ることにした。
「あの、森下くんっていま彼女はいるんでしょうか」
「いえ、いないと思いますよ。三年くらい前、付き合ってた彼女に振られてからは特に」
「へぇ……どうして別れてしまったんでしょうか」
「お兄ちゃんと彼女さんのお休みが合わなくてすれ違いが多くなったからだって言ってましたよ。サービス業だと土日祝日は出勤ですもんね」
なんともあるあるな別れ方だ。
その点僕は有利なのかな、なんて一瞬思ってしまった事も恥ずかしくなる。
テーブルいっぱいにお皿が並べられた。エビや舞茸や玉ねぎの天ぷら、そしてネギとチャーシューの入った温かい蕎麦が目に前に出される。
湯気で眼鏡が曇り、一旦外してティッシュで拭いていると、杏さんは声をあげた。
「青山さん、眼鏡外すとまた雰囲気変わりますね。ますますカッコよく見える。ねぇお兄ちゃん」
それを見て僕もまた駆け出した。
「えっ、店長待ってよ! 止まってよ!」
逃げられる事が想定外だったのか、森下くんも焦ったように言って僕を捕まえようとする。
止まりたいけど、足は言うことを聞かない。
森下くんから何かを直接言われるのが怖いからだ。傷付きたくないなら、逃げるしかない。
側から見れば何事かと思うだろう。大の男が二人、夜の街を駆け抜けている。
「店長っ!」
足は森下くんの方が早かったみたいだ。
あっという間にその手に掴まれて、僕は咄嗟に腕を引きながら準備していた言い訳を早口で伝えた。
「あのっ、お腹が痛くなってしまったので、今日はこれでっ」
「嘘だろ? あんずが来てたから気遣ってんだろ。向こうが勝手に来てたんだから気にしなくていいよ」
あんず。あんずというのか、君の愛する人は。
頭でその名を繰り返しているうちに、果物の杏子が出てきて、そういえばちゃんと目にしたのはいつだったっけと馬鹿なことを考えているうちに、もう片方の手首も捕らえられてしまった。
「たまにあるんだよ。急に来たりする事。もし一緒には嫌だっていうなら、二人で外に食べに行ってもいいから」
「いえ、森下くんは、あの方と一緒に食事をして下さい。今日は本当に楽しかったです」
「なんでっ! 店長の思ってる事、ちゃんと言ってよ!」
そう言われて、外していた視線を森下くんに移した。
森下くんは少し怒っているようだった。
僕の行動が幼稚で理解できないのかもしれない。
こんな気持ち、話せる訳が無い。
僕は君が好きだけど、君の幸せを壊したい訳じゃ無い。なのに今僕は、彼女を見ただけで拗ねている。拗ねて、結果的に君の気をひこうとしている。そんな愚かな行為をしているのだ。
恥ずかしくて耐えられない。
こんな事、三十路前の男がするもんじゃない。
「店長」
急かされるように森下くんの手に力がぎゅっと入る。
僕はふぅと一息吐いてから、また早口で告げた。
「せっかくのお二人の時間を、僕が邪魔するわけには行きません。離れて暮らしているんでしょう? 僕とはいつでも会おうと思えば会えますし、今日は彼女さんと一緒に過ごしてあげて下さい」
少し、ぶっきらぼうな言い方になってしまっただろうか。森下くんの手がゆっくり離れて行った。
そして何故か、クスクスと笑われる。
何か変なことを言っただろうか。
心配になっていると、森下くんはもう一度「一緒に行こう」と言って僕の手を引いて歩き出した。
「あれ、彼女じゃないよ。妹!」
✰
「はじめまして。森下 杏です」
「青山です。先程は大変失礼致しました」
森下くんのアパートに戻ってきた僕は部屋に上がり、杏さんの前で正座をしてペコペコと頭を下げる。
ひたすら自意識過剰な勘違いが恥ずかしく、なかなか杏さんの方を見られない。
「あんな人の彼女だなんて絶対嫌ですよー。口煩いし、イビキもすごいし」
「おい、聞こえてんぞ」
キッチンにいる森下くんは、舞茸を手で毟りながら苦笑う。手伝おうとしたものの、杏さんと喋っててと言われてしまったので、大人しく待っている事にした。
「すみません、急に来てしまって。お兄ちゃん、自分じゃほとんど料理しないって言うので、たまに作りに来てるんです。両親は遠くに住んでいるので、代わりに私が」
「そうですか。仲が良いんですね」
「ぜんっぜん。彼氏がなかなか出来なくて暇だから来てるだけだって」
また森下くんは笑いながら突っ込むと杏さんはギロリとそちらを睨み「いい感じになってる人はいますー」と唇を尖らせる。
その時、横を向いた杏さんの髪にバレッタがしてあるのが見えた。
それは紛れもなく前に見た、アンティーク風の透かしレースの金のバレッタだった。
僕はホッと胸を撫で下ろす。
杏さんは森下くんの二個下で、ここから車で三十分くらい行った所にあるアパートで一人暮らしをしているそうだ。
実家で毎日顔を合わせていた頃より、たまに会う今の方がよく話すようになったという。
僕の事も色々と話している最中、森下くんが天ぷらを揚げ始め、部屋の中が換気扇の回る音とパチパチと油の跳ねる音でいっぱいになったのを良いことに、杏さんにこっそり聞いて見ることにした。
「あの、森下くんっていま彼女はいるんでしょうか」
「いえ、いないと思いますよ。三年くらい前、付き合ってた彼女に振られてからは特に」
「へぇ……どうして別れてしまったんでしょうか」
「お兄ちゃんと彼女さんのお休みが合わなくてすれ違いが多くなったからだって言ってましたよ。サービス業だと土日祝日は出勤ですもんね」
なんともあるあるな別れ方だ。
その点僕は有利なのかな、なんて一瞬思ってしまった事も恥ずかしくなる。
テーブルいっぱいにお皿が並べられた。エビや舞茸や玉ねぎの天ぷら、そしてネギとチャーシューの入った温かい蕎麦が目に前に出される。
湯気で眼鏡が曇り、一旦外してティッシュで拭いていると、杏さんは声をあげた。
「青山さん、眼鏡外すとまた雰囲気変わりますね。ますますカッコよく見える。ねぇお兄ちゃん」
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