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【2】 セルフエスティーム
17 つつまれる
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7月X日
記憶そうしつになった。
分からないって、結構怖い。
となりの家のおじいさんと話して、お母さんとも話した。
篠口先生のことを、文哉さんと呼ぶことにした。
文哉さんは怖そうに見えて、意外と優しい。
生きることは、他人とかかわることだと教えてくれた。
これからどうなるのか分からなくて不安だけど、がんばろうと思う。
*
目を覚ました時、文哉さんはもう家を出ていた。
寝たら昨日の記憶までもが抜け落ちていたらどうしようと思ったが、どうやら大丈夫みたいだ。
所々痛む体を起こし、カーテンを開ける。
空には筋状の雲が浮かんでいた。
文哉さんの言っていた空だ。晴れの日は明るい。
今日は雨は降らないみたいだ。
母によると、僕は幼少期、怖がりで、臆病な性格だったようだ。
小学校に入ってからは勉強の予習復習も欠かさず、他の子どもよりも努力を惜しまない人間だったという。
それはきっと、僕が父親にしかられるのが嫌だったからだと母は推測した。父は躾と称して、かなり強い言葉で僕をしかっていたらしい。
しかしある時、張り詰めていた糸がプツンと切れたように僕の態度が悪くなったという。何があったか知らないが、学校から帰ってきた途端、「嘘の自分が好かれても意味が無いんだ」と言い放ったのだと。
それからは父にしかられようが何しようが、好き勝手生きていたみたいだ。
学校から呼び出しをくらったこともあるのだと、なぜか誇らしげに母は語っていた。
着替えを終え、溜まっていた洗濯物を洗う。
文哉さんが昨日、やり方を教えてくれたから大丈夫だ。
洗濯洗剤を入れ、洗濯機の蓋を閉めて待つ。
待っている間に、部屋の掃除の続きをしよう。
洗濯物を干して、ゴミを片付けているとあっという間に昼になった。
お腹が空いたので、昨日の残り物の野菜炒めと白米を食べながら、テレビを付けた。
やっていたのはドラマのようで、スーツを着た男性が『お願いします!許してください!』と床に膝を付いて丸くなり、頭を下げていた。
次に映ったのは怖そうな顔のお兄さんで、細い眉と目が釣り上がっている。次の瞬間、そのお兄さんが横にあったパイプ椅子を革靴で思い切り蹴飛ばしたから、僕はテレビをブツッと消した。
教育に悪いテレビだ。
デザートに、冷蔵庫にあったショートケーキを1つ食べたのだが、甘ったるすぎてあまり美味しいとは感じなかった。
もう1つは文哉さんにあげるために、取っておく。
一休みしたあと、押し入れの片付けに取り掛かることにした。
前の琴はここを4次元ポケットか何かと思っていたみたいだ。とりあえず突っ込んどけといわんばかりに、乱雑に物が詰め込まれている。
さっき片付けをしている最中に見つけた脚立を持ってきて、押し入れの入口に立てる。
足を乗せる度にギシギシ音が鳴って怖いが、それに乗らないと天袋までは手が届かない。
「うーん、もう少しなんだけどな……」
踏み台の3段目に立って、天袋に乗っているダンボール箱を取り出そうと手を伸ばすが、ギリギリ届かない。
背伸びをしようと左足を移動させた瞬間、バランスを崩した。
「わ……っ」
履いていた綿の靴下は、脚立のツルツルした表面との相性が悪かったらしい。
ずるっと足が掬われた体は後方へ傾き、ひゅっと身が縮こまった。
僕の意志とは関係なしに、頭上を振り仰ぐ。
怖い、落ちる────
これから襲ってくる痛みを覚悟して、目をギュッと瞑った。
しかし頭によぎった衝撃はなく、気付けば僕は何かに受け止められていた。
後方には僕の体を包み込んでくれている、文哉さんがいた。
「危なかった」
「あ……」
腰に手を回され、強くやさしく捕らえられている。
動揺した文哉さんの声に、まさに間一髪だったことを思い知る。なんたる反射神経。
畳にぺたりと座り込み、僕は背後を振り向けずにいた。
記憶そうしつになった。
分からないって、結構怖い。
となりの家のおじいさんと話して、お母さんとも話した。
篠口先生のことを、文哉さんと呼ぶことにした。
文哉さんは怖そうに見えて、意外と優しい。
生きることは、他人とかかわることだと教えてくれた。
これからどうなるのか分からなくて不安だけど、がんばろうと思う。
*
目を覚ました時、文哉さんはもう家を出ていた。
寝たら昨日の記憶までもが抜け落ちていたらどうしようと思ったが、どうやら大丈夫みたいだ。
所々痛む体を起こし、カーテンを開ける。
空には筋状の雲が浮かんでいた。
文哉さんの言っていた空だ。晴れの日は明るい。
今日は雨は降らないみたいだ。
母によると、僕は幼少期、怖がりで、臆病な性格だったようだ。
小学校に入ってからは勉強の予習復習も欠かさず、他の子どもよりも努力を惜しまない人間だったという。
それはきっと、僕が父親にしかられるのが嫌だったからだと母は推測した。父は躾と称して、かなり強い言葉で僕をしかっていたらしい。
しかしある時、張り詰めていた糸がプツンと切れたように僕の態度が悪くなったという。何があったか知らないが、学校から帰ってきた途端、「嘘の自分が好かれても意味が無いんだ」と言い放ったのだと。
それからは父にしかられようが何しようが、好き勝手生きていたみたいだ。
学校から呼び出しをくらったこともあるのだと、なぜか誇らしげに母は語っていた。
着替えを終え、溜まっていた洗濯物を洗う。
文哉さんが昨日、やり方を教えてくれたから大丈夫だ。
洗濯洗剤を入れ、洗濯機の蓋を閉めて待つ。
待っている間に、部屋の掃除の続きをしよう。
洗濯物を干して、ゴミを片付けているとあっという間に昼になった。
お腹が空いたので、昨日の残り物の野菜炒めと白米を食べながら、テレビを付けた。
やっていたのはドラマのようで、スーツを着た男性が『お願いします!許してください!』と床に膝を付いて丸くなり、頭を下げていた。
次に映ったのは怖そうな顔のお兄さんで、細い眉と目が釣り上がっている。次の瞬間、そのお兄さんが横にあったパイプ椅子を革靴で思い切り蹴飛ばしたから、僕はテレビをブツッと消した。
教育に悪いテレビだ。
デザートに、冷蔵庫にあったショートケーキを1つ食べたのだが、甘ったるすぎてあまり美味しいとは感じなかった。
もう1つは文哉さんにあげるために、取っておく。
一休みしたあと、押し入れの片付けに取り掛かることにした。
前の琴はここを4次元ポケットか何かと思っていたみたいだ。とりあえず突っ込んどけといわんばかりに、乱雑に物が詰め込まれている。
さっき片付けをしている最中に見つけた脚立を持ってきて、押し入れの入口に立てる。
足を乗せる度にギシギシ音が鳴って怖いが、それに乗らないと天袋までは手が届かない。
「うーん、もう少しなんだけどな……」
踏み台の3段目に立って、天袋に乗っているダンボール箱を取り出そうと手を伸ばすが、ギリギリ届かない。
背伸びをしようと左足を移動させた瞬間、バランスを崩した。
「わ……っ」
履いていた綿の靴下は、脚立のツルツルした表面との相性が悪かったらしい。
ずるっと足が掬われた体は後方へ傾き、ひゅっと身が縮こまった。
僕の意志とは関係なしに、頭上を振り仰ぐ。
怖い、落ちる────
これから襲ってくる痛みを覚悟して、目をギュッと瞑った。
しかし頭によぎった衝撃はなく、気付けば僕は何かに受け止められていた。
後方には僕の体を包み込んでくれている、文哉さんがいた。
「危なかった」
「あ……」
腰に手を回され、強くやさしく捕らえられている。
動揺した文哉さんの声に、まさに間一髪だったことを思い知る。なんたる反射神経。
畳にぺたりと座り込み、僕は背後を振り向けずにいた。
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