いつまでも青空の下で待っている

灰湯

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第一話 実母からの手紙

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 真っ暗な闇の底で環夜わやに向かって聞こえてくる声。もう何度も聞いた言葉。それは環夜を傷つける。

 ――ああ、ここはまた夢の中なのか。

 寒くも暑くもない、なんとも言えない空間の中で、環夜の目の前に一人の男が現れる。

『お前って妹と顔似てないよな』

 かつて同級生だった男が環夜に言った。栗色の髪を掻き上げて、嫌らしい笑みを浮かべながら環夜に近づいてくる。低くて絡みついてくるような声。環夜はこの声が昔から嫌いだ。

 ――分かっている。僕の顔が似ていないことなんて。両親とも似ていないんだ。妹と似ているわけもなく、僕は家族の中で一人だけ他人のようだ。母のような大きな瞳も二重の瞼もなく、父のような艷やかで真っ直ぐの髪の毛もない。

 環夜の目は一重で切れ長で猫のように釣り上がっている。酸化銅のような色の髪はあちらこちらに跳ね上がっていて、言うことを聞かない。瞳は小さく、色も暗く灰色に濁っている。
 そんな環夜の姿は両親と類似しない。両親の要素を全く持たない。でもそれを、両親はいつも誤魔化す。
 だから環夜は似ていないなんて他人に指摘されなくてもわかっているのだ。

『それが何?君には関係ないでしょ』

 平静を装って環夜は言う。だがその声は震えてしまう。自分の中の不安が一気に噴き出してくるのだ。

『いやぁ?可哀想だなって思ってなぁ。両親ときっと血ぃ繋がってないんだなぁって』

 一番考えたくないことを言われて、環夜の息は詰まった。うまく呼吸ができない。手の平に噴き出す汗を太腿で拭いた。

 ――血が繋がっていないなんて考えるのは馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいはずなのに、いつもふとした瞬間に心のなかで考えてしまう。僕は他人なのではないかということを。

『うるさい…。そんなことない。僕は…』

 否定する声も震える。そんな事はないと言いながらそんな事があるかもしれないという可能性を否定できずにいる環夜は、同級生の冗談も真に受けてしまう。彼らは何かしら理由を作って環夜のことを馬鹿にしているだけだと言うのに。

――――――――――――――――――――――――
 
 気持ちのいい感触。冷たくてさらりとした布の上に環夜は寝転がっていた。羽毛の入った掛け布団に包まり窓から差し込む朝日を遮る。
 再び眠りに落ちようとしていた環夜の体が揺さぶられる。遠くにあった意識が引き寄せられるようにして覚醒した。

「兄さん!朝だよっ。いい加減に起きてっ」

 妹、あきらの元気な声と共に、掛け布団が引き剥がされ、とたん肌寒さを感じる。朝日が閉じられた瞼の上から痛いほどに刺さる。
 視界の端に映る彰の姿。母似の二重瞼に、父似の黒くて艷やかな髪。瞳の色は茶色で、声は高くも低くもなくて丁度いい。声だけなら、環夜が一番好きな音域だった。

「…今起きるよ」

 一言そう呟くと、床に引き剥がされ捨てられた掛け布団に再び包まり枕に突っ伏す。

「起きてないよね。今起きるって言ってから起きようともしてないよね?」

 彰は煩く、また環夜を起こそうとする。自分よりも気の強い彰にいつも環夜は勝てる気がしない。でも今日は違う、これからは。

「起きるよ…もう少ししたらね…」

 そんな事を言いながら意識が夢の中へと落ちていく。眠気が瞼を強制的に閉じていく。
 最近眠れていないせいで朝起きることができない。週末明けまでほとんど寝ていない環夜は、欠伸が止まらない。体も怠い。だから体が眠りを欲しているのだ。

「兄さん…起きてっ!」

 でもそのたびに彰に叩き起こされる。環夜は不思議だった。なぜ他人なのに自分に構うのかと苛立ち紛れに思った。

「うるさいな。眠いんだよ…」

 少し強めに言ったつもりの環夜だったが、彰には全く効いていなかった。眉を顰めて、一層大きな声で環夜を叩き起こす。掛け布団を引き剥がし、環夜の襟首を掴み、強制的に寝台から引き摺り遠ざける。環夜よりも一回りほど小さいその体格で、よくそんな怪力が出せるものだ。

「うるさいって、私は兄さんのためを思って起こしてるんだよ。学校に遅れたら困るでしょ?」

 ――僕のためを思って?ふざけるなよ。他人のくせに。

 環夜は憎しみで体が沸騰しそうになった。他人だということを隠し、環夜を騙し生きているというのに、自分に対し心配するような素振りが許せないのだった。

「…今日体調悪いから学校休むって、母さんに伝えておいてくれない?」

 環夜は彰の手を振り解くと、寝台に這いずり戻った。床に落ちていた掛け布団を拾い、頭からそれに潜った。

 ――まあそれも今日でおしまいだ。僕はこの家を出ていく。

 環夜はそう決心した。あの手紙・・・・に書かれていた通り、他人なのだ。この家にいる必要はない。

「え、元気でしょ。何いってるの?起きるって言ったよね…」

 彰は不満で頬を膨らませ、また環夜を起こそうと布団を引っ張るが、環夜は全力でそれに対抗した。彰は布団を剥がすのを諦め手を離した。それでも起きろと連呼する彰に環夜は舌打ちをして言う。

「早く行けよ」

 彰は一瞬驚いた顔をして、渋々といった様子で部屋を出ていった。

「…もう知らないからねっ」

 彰の怒鳴り声が家中に響き渡った。


 一昨日、環夜は居間の掃除中に一枚の手紙と写真が入った白い封筒を拾った。宛名も差出人も書いていない封筒は、ところどころ黄ばんでいて、とても古いものだと分かった。
 環夜は好奇心からその封筒を開いてしまった。両親の出かけている時間、掃除も忘れてその手紙を読み耽った。
 だが、手紙を読んで環夜はとても後悔した。驚きと、苦しみと、悲しみと、憎しみが入り混じったような気持ちになった。そして、この家から逃げたいとも思った。今の両親に手紙を読んだことが知れてしまったらと思うと怖くなった。

 手紙の差出人は環夜の実母だった。手紙と一緒に入っていた写真には環夜にそっくりの女性と、その腕に抱かれた赤子が写っていた。赤子も女性も同じ酸化銅のような色の髪をしている。二人の違う点があると言えば目の色くらいだ。環夜の暗く淀んだ灰色に対して、女性の瞳は紅色で写真越しでも、その美しさはよくわかる。
 この写真に写る女性が環夜の母親であることは明確だった。写真にはもう一人写っていたが、顔の部分が破かれており分からなかった。腰のあたりに少しだけ金色の髪が見えている。おそらく男性のようなので環夜の父親だろう。
 手紙には少し尖った癖のある文字でこう書かれていた。

早日はやひ 智美ともみ
 お久しぶりです。お元気ですか。
 突然ですが、私はこの度、皇都にて働くことになりました。無事に帰ってこられる保証はありません。もしかしたら一生、下層地域には戻れない可能性もあります。
 私には息子が一人います。環夜と言います。生まれたばかりの環夜を内戦が続く上層地域にはとても連れていけません。
 なので、大変身勝手なお願いですが、環夜が成人するまで預かっていただきたいのです。古き友人として私を助けてはいただけませんか。
 この手紙と環夜を私の家に置いていきます。もし無理でしたら手紙に書いてある住所の孤児院に環夜をお預けください。そして環夜には成人するまで私を追ってきてはいけないとお教えください。そして、成人したときには私に会いに来てほしいともお伝え下さい。孤児院に預けた場合はこの手紙を環夜にお渡しください。自分勝手なお願いですが環夜のことをよろしくお願いします。
      亜奏あそう 那智子なちこ

 秘密を知った環夜は手紙を封印することにした。
 もう環夜に家族を信じることはできなくなってしまった。
 育ててくれた恩は感じていたが、手紙を早くもらっていれば、もっと早く実母に会いに行けたのだから。
 
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